6 / 6
その花は太陽を見上げる
しおりを挟む
「これでよしっと」
濡れタオルで墓石を磨き上げた私は、水鉢へと静かに水を注いだ。
十月とはいえ、暑さは去るのが名残惜しいようで、まだとどまり続けている。
額の汗をぬぐい、合掌をしてから私は近況を伝えていく。
「いつも見守ってくれていてありがとう。私も、もうすぐ社会人になります。しかも学校の先生になるんだよ。……大丈夫かな、私」
採用された喜びと同じ位、いやそれ以上の不安がどうしても生まれてきてしまう。
あえて元気に声を出し、悪い考えを消そうと私は言葉を続けた。
「心配ない、だって私は皆が認めるしっかり者。……なんだものね?」
『石のように黙る』とはいうが、目の前の私の家族からの、答えはない。
ため息がこぼれ、寂しさがじわりと冷たく心に覆いかぶさってくるのがわかる。
太陽にそれを溶かしてもらおうと、慌てて私は空を見上げた。
青く広がる世界の中に、先端がカギ状に曲がったすじ雲があるのが目に入る。
その形はまるで先ほどのため息が、空に残ってしまったかのようだ。
答えが見つからない苦しさともどかしさが混じりあい、私はぐっと目を閉じる。
降り注ぐ暖かな光を感じながらも、しばらく何もできず私はただ立ち尽くしていた。
そんな自分へと、砂利を踏みしめ近づく音が聞こえてくる。
――どうやら、私のもう一つの太陽がやってきたようだ。
「遅くなってごめんね、ひーちゃん。お花、やっと買えたよぉ」
ゆっくりと目を開いた先に、ミニひまわりやカーネーションの花束を抱えた母の姿が映る。
「ありがと。こっちは全部おわったよ」
「わ、早い! こっちこそありがとう。お父さんってばピッカピカね!」
花と線香を供え、父に挨拶をしている母を隣からみつめる。
穏やかな母の声を聞きながら、私はここに初めて来たときのことを思い返していた。
「置いていかないで」
ただその言葉を呟き、母は泣き続ける。
そんな母の喪服の袖に必死に手を伸ばし、見上げることしかあの時の自分は出来なかった。
十数年という時が経ち、伸ばさずとも手は届くようになり、母よりやや高くなった目線で私は父を眺めることが出来ている。
あの頃から、どれだけ成長できたのだろうか。
隣にいる母を眺めながらの思考は、先ほどの感情に引きずられ、良くない方へと向かっていく。
迷いを打ち消そうと首を横に振る。
そんな自分へと、ふわりと風が吹いてきた。
私の就職の報告を嬉しそうに話す母へと、風は流れていく。
髪をさらりと梳いていくかのような風に、母は気持ちよさそうに目を閉じた。
風は再び私の頭を撫でるかのように通り、同じ名を持つ花を静かに揺らし続けている。
なぜだろう。
今なら答えがわかる気がする。
あふれ出る思いに突き動かされるように、私は問いかけていく。
「ねぇ、私にちゃんとさ。……先生って出来るのかな?」
隣を見ることが出来ず、前を向き続ける私に母からの声が届く。
「……それは違うよ、ひまわり」
『あなたならやれる。出来るわよ』
いつものようにそう言われるはず。
そんな言葉をもらえるとばかり思っていた心へと、正反対の言葉が突き刺さってくる。
いつもとは違う様子に驚き、見つめた母の表情はとても真剣なものだ。
「出来るかな、じゃなくてね。ひーちゃんにしか出来ないんだよ」
まっすぐに私を見据えた母は、柔らかな声に戻り微笑んできた。
「交通事故でお父さんが私の前から急にいなくなって、どうしたらいいか分からなくなっていた時。生きなきゃと思えたのは、ひーちゃんがいたから。頑張れると信じられたのは、握ってくれたひーちゃんの手が、とっても温かかったからなんだよ。だからね」
私の手を取り、そっと自分の頬に当てると母は言葉を続けていく。
「どうかひーちゃんはひーちゃんのままで。私たちが願いを込めて付けた『ひまわり』という名前のように。太陽のようなその姿で、これから出会うたくさんの人たちに笑顔を咲かせてあげてください」
声を出すことも出来ず、私はただ母を見つめながら思う。
――あぁ、なんてすごい人なのだろう。
背が伸び、確かに私と母の目に映る世界は同じになった。
だが母は、はるかに広い視野で私を見守り、こうして導いてくれている。
やはりこの人は私の太陽だ。
いつか自分も、母のようになれるだろうか?
――いや、違う。
『なれるだろうか』ではないんだ。
私もいつか『そうなれる』ように。
これからも母を見上げながら自分を咲かせ、誇れるようになろう、生きてみよう。
心を覆っていた不安が消えていくのを感じながら、母の手を強く握りしめていく。
「お母さん、ありが……」
私の言葉を遮るように、母のお腹から「ぐぅぅ」と音が響いた。
慌てて私から手を外し、自分のお腹に当てた母の顔は真っ赤に染まっている。
「あの、これはですね。『ご飯を食べに行こうよ法案』が先ほど私の中で可決されてですね……」
次第に小さくなる声で語られるのは、いつも通りの母の言葉。
先程までの態度の違いに、こらえきれず私は吹き出してしまう。
ならば私もいつも通りに。
でもちょっとだけ、『ありがとう』を込めて答えよう。
「いいよ、その法案は満場一致で。何が食べたい?」
「わー、私が決めていいの? えっと、えっとね!」
「あ、でも鳥日和は夜からしか営業していないからね」
「あ、そっか。うんとね、じゃあ……」
子供のように無邪気な笑顔をみせ、母が手を伸ばしてきた。
そっと握り返し、私は顔を上げる。
どこまでも続く快晴の空の下、私たちは互いの温かさを知りながら歩きはじめていく。
そうしてこれからも続くのは。
こんな私たちのとてもにぎやかな、とてもいとおしい日々に違いない。
濡れタオルで墓石を磨き上げた私は、水鉢へと静かに水を注いだ。
十月とはいえ、暑さは去るのが名残惜しいようで、まだとどまり続けている。
額の汗をぬぐい、合掌をしてから私は近況を伝えていく。
「いつも見守ってくれていてありがとう。私も、もうすぐ社会人になります。しかも学校の先生になるんだよ。……大丈夫かな、私」
採用された喜びと同じ位、いやそれ以上の不安がどうしても生まれてきてしまう。
あえて元気に声を出し、悪い考えを消そうと私は言葉を続けた。
「心配ない、だって私は皆が認めるしっかり者。……なんだものね?」
『石のように黙る』とはいうが、目の前の私の家族からの、答えはない。
ため息がこぼれ、寂しさがじわりと冷たく心に覆いかぶさってくるのがわかる。
太陽にそれを溶かしてもらおうと、慌てて私は空を見上げた。
青く広がる世界の中に、先端がカギ状に曲がったすじ雲があるのが目に入る。
その形はまるで先ほどのため息が、空に残ってしまったかのようだ。
答えが見つからない苦しさともどかしさが混じりあい、私はぐっと目を閉じる。
降り注ぐ暖かな光を感じながらも、しばらく何もできず私はただ立ち尽くしていた。
そんな自分へと、砂利を踏みしめ近づく音が聞こえてくる。
――どうやら、私のもう一つの太陽がやってきたようだ。
「遅くなってごめんね、ひーちゃん。お花、やっと買えたよぉ」
ゆっくりと目を開いた先に、ミニひまわりやカーネーションの花束を抱えた母の姿が映る。
「ありがと。こっちは全部おわったよ」
「わ、早い! こっちこそありがとう。お父さんってばピッカピカね!」
花と線香を供え、父に挨拶をしている母を隣からみつめる。
穏やかな母の声を聞きながら、私はここに初めて来たときのことを思い返していた。
「置いていかないで」
ただその言葉を呟き、母は泣き続ける。
そんな母の喪服の袖に必死に手を伸ばし、見上げることしかあの時の自分は出来なかった。
十数年という時が経ち、伸ばさずとも手は届くようになり、母よりやや高くなった目線で私は父を眺めることが出来ている。
あの頃から、どれだけ成長できたのだろうか。
隣にいる母を眺めながらの思考は、先ほどの感情に引きずられ、良くない方へと向かっていく。
迷いを打ち消そうと首を横に振る。
そんな自分へと、ふわりと風が吹いてきた。
私の就職の報告を嬉しそうに話す母へと、風は流れていく。
髪をさらりと梳いていくかのような風に、母は気持ちよさそうに目を閉じた。
風は再び私の頭を撫でるかのように通り、同じ名を持つ花を静かに揺らし続けている。
なぜだろう。
今なら答えがわかる気がする。
あふれ出る思いに突き動かされるように、私は問いかけていく。
「ねぇ、私にちゃんとさ。……先生って出来るのかな?」
隣を見ることが出来ず、前を向き続ける私に母からの声が届く。
「……それは違うよ、ひまわり」
『あなたならやれる。出来るわよ』
いつものようにそう言われるはず。
そんな言葉をもらえるとばかり思っていた心へと、正反対の言葉が突き刺さってくる。
いつもとは違う様子に驚き、見つめた母の表情はとても真剣なものだ。
「出来るかな、じゃなくてね。ひーちゃんにしか出来ないんだよ」
まっすぐに私を見据えた母は、柔らかな声に戻り微笑んできた。
「交通事故でお父さんが私の前から急にいなくなって、どうしたらいいか分からなくなっていた時。生きなきゃと思えたのは、ひーちゃんがいたから。頑張れると信じられたのは、握ってくれたひーちゃんの手が、とっても温かかったからなんだよ。だからね」
私の手を取り、そっと自分の頬に当てると母は言葉を続けていく。
「どうかひーちゃんはひーちゃんのままで。私たちが願いを込めて付けた『ひまわり』という名前のように。太陽のようなその姿で、これから出会うたくさんの人たちに笑顔を咲かせてあげてください」
声を出すことも出来ず、私はただ母を見つめながら思う。
――あぁ、なんてすごい人なのだろう。
背が伸び、確かに私と母の目に映る世界は同じになった。
だが母は、はるかに広い視野で私を見守り、こうして導いてくれている。
やはりこの人は私の太陽だ。
いつか自分も、母のようになれるだろうか?
――いや、違う。
『なれるだろうか』ではないんだ。
私もいつか『そうなれる』ように。
これからも母を見上げながら自分を咲かせ、誇れるようになろう、生きてみよう。
心を覆っていた不安が消えていくのを感じながら、母の手を強く握りしめていく。
「お母さん、ありが……」
私の言葉を遮るように、母のお腹から「ぐぅぅ」と音が響いた。
慌てて私から手を外し、自分のお腹に当てた母の顔は真っ赤に染まっている。
「あの、これはですね。『ご飯を食べに行こうよ法案』が先ほど私の中で可決されてですね……」
次第に小さくなる声で語られるのは、いつも通りの母の言葉。
先程までの態度の違いに、こらえきれず私は吹き出してしまう。
ならば私もいつも通りに。
でもちょっとだけ、『ありがとう』を込めて答えよう。
「いいよ、その法案は満場一致で。何が食べたい?」
「わー、私が決めていいの? えっと、えっとね!」
「あ、でも鳥日和は夜からしか営業していないからね」
「あ、そっか。うんとね、じゃあ……」
子供のように無邪気な笑顔をみせ、母が手を伸ばしてきた。
そっと握り返し、私は顔を上げる。
どこまでも続く快晴の空の下、私たちは互いの温かさを知りながら歩きはじめていく。
そうしてこれからも続くのは。
こんな私たちのとてもにぎやかな、とてもいとおしい日々に違いない。
0
お気に入りに追加
11
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(5件)
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
苺と彼とあたし
江上蒼羽
青春
お気に入りのジュースとお気に入りの彼の横顔。
女子高生の甘酸っぱい片思いを、ふと思い付いて書いてみました。
短編です。
仕上がりは雑です…(^^;)
ハッピーエンドが好きな方にはオススメ出来ません。
暇つぶしにドウゾ
H24.8/23 作成
H31.3/20~公開
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
退会済ユーザのコメントです
大海烏@いんてぃかぱっく様、こんばんは!
この度はこの作品に気づいてくださりありがとうございます!
わーい!
ほっこりしていただけましたか。
とても嬉しいです!
日常生活において決して出てくることのない単語『マ゛ンバ』
ルンバやサンバならわかるけど、どんな意味やねんとツッコミを入れてしまいたくなる単語『マ゛ンバ』
そんなマ゛ンバに触れていただき、一笑いをお届けできていたら。
作者としてこんな喜びはございません。
楽しい読書の時間をお届けできていますように。
お読みいただきありがとうございました!
感想ありがとうございます!
うふふ、猫じゃらし様の心にじんわり、ほっこりをお届けできましたでしょうか☺️
時に温かな愛で娘を包み込み、柔らかな光を降り注がせ。
そして時に娘の想定の超斜め上の行動をして、灼熱のダメージを与える。
まさに太陽のような母に翻弄される娘を見届けてくださり、本当にありがとうございます!
猫じゃらし様に可愛いと言われ、母はきっとニンマリ顔です。
😆←きっとこんな感じ。
これからもこの母娘はこんな感じで賑やかに、楽しく二人で歩んでいくことになると思います。
母娘の物語、楽しんでくださり&お読みいただきありがとうございました!!
とは様こんばんは!
そしてマ” ンバという文字。
誰もがまさか弁当の!そして海苔で書かれた文字に辿り着くとは思わない事でしょう!
そんな話ではあるのですがそれはとても温かい話でございました!
母親の愛情の籠った弁当のとても温かく素敵な話。
ありがとうございました!
感想ありがとうございます!
いや~、普通日常においてこんな単語出てきませんからね。
主人公の彼女もさぞ「なんじゃこりゃー!!」と場所が受験会場でなければ叫びたかったことでしょう。
こちらのシリーズではお母さんの活躍(?)によりそんな「なんじゃこりゃー!」がたくさん出てまいりますね。
翻弄される主人公の心の移りざま。
冥さまも大いに笑ってやってくださいませ!
娘はともかく母はきっと喜ぶと思います。
ほっこりじんわりを少しでも感じていてくれたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました!