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61 旅立ち

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 恋人として順調に仲を深めていたある日の休日、マリアとケイヒル卿は遠乗りに来ていた。

「マリア……、大切な話がある」

 湖のほとりで休んでいる時、ケイヒル卿は急に緊張感の漂う表情を見せる。彼のこんな顔を見るのは初めてだった。

「どうかしましたか?」

「シーズ国と我が国が戦になるかもしれないことは知っているね?」

「はい。国境沿いでは小競り合いが多くなっていると聞いております」

 シーズ国は西側にある資源の少ない国だ。国境沿いでは以前から小競り合いが続いており、付近の村ではシーズ国の兵による略奪の被害報告が増えていた。国としても黙っているわけにはいかない状況になっていたのだ。

 彼がこんな話をするということは、もしかして……

「私は志願して戦地に赴くことに決めた。帰ってこれるのはいつになるのか分からない。もしかしたら、数年かかるかもしれない。
 だが、必ず帰ってくる。私を信じて待っていてくれないか?」

「……どうしてアンドリュー様がそんな危険な場所に行かなくてはならないのですか?
 私は反対です! 貴方が好きだから、危険な戦地には行って欲しくないのです」

 まだ戦争は始まってないし、戦況が厳しいわけでもない。国から召集令状が届いてもいないのに、どうして……?

 物分かりのいい人なら、国のために戦うという恋人を黙って送り出すのかもしれない。しかし、今のマリアにそんな余裕があるはずもなく、頭の中が真っ白になってしまった。

「取り乱して引き留めてくれるほど、私を想ってくれているってことでいいか?」

「……はい」

「それは嬉しいな……
 だが、私はマリアと結婚して幸せになるために爵位がどうしても欲しい。そのためには、騎士として武功を立てることが一番手っ取り早いんだ」

「私は爵位なんて望んでいませんわ。平民として貴族と関わらない場所で働くことも出来ます。アンドリュー様と一緒ならどこに行っても頑張れます」

「それは分かっている。君なら下働きだろうが、店の売り子だろうが、どこに行っても真面目に働くことが出来るだろう。
 でも、マリアは奥様にずっと仕えたいって言っていただろう? 奥様もマリアにはずっと側にいて欲しいとおっしゃっていた。
 公爵夫人である奥様をお守りするには、御側付きのマリアが平民の妻では駄目なんだ。
 それに……、私は奥様の側で生き生きと仕事をしているマリアの姿を見るのが大好きなんだよ」

 涙を流すマリアにケイヒル卿は優しく微笑んだ。

「絶対に生きて帰ってくる。そしたら、君にプロポーズをさせて欲しい」

「……っ! ……はい」

 その後、ケイヒル卿はマリアの義両親に話をしにきてくれた。
 意を決した表情で頭を下げ、必ず武功を立てて帰ってくるので、マリアを待たせることを許して欲しいと懇願するケイヒル卿に義父のダイアー子爵は……

「ケイヒル卿の気持ちは分かった。それで、マリアは何年待てばいい? 悪いが結婚適齢期を迎える義娘を何年も待たせるようなことは認められない。
 戦が始まったら終わるまでに何年掛かるのか分からないし、君が無事で帰ってこれるのかも分からない。君はマリアのために厳しい環境で戦うことを決めたようだが、待たせられる側も辛いんだ。今期を逃した令嬢がどのような扱いを受けるのかは知っているだろう?」

「……はい。では、五年……いえ、三年待っていただけますか?」

 マリアは再来月には十九歳になる。そして、この国の令嬢は二十代前半で結婚する人が多かった。

「三年だな? 分かった。期限は三年後のマリアの誕生日にしよう」

「ダイアー子爵様、ありがとうございます!」


◇◇


 公爵家の騎士団に休職願いを受理されたケイヒル卿は、翌月には旅立つことになる。

 旅立つ日の朝、マリアは休みを取って見送りに来ていた。

「マリア……、来月の君の誕生日を祝ってあげられなくてごめん。
 私達が付き合って初めての誕生日だから、素敵なレストランを予約して、プレゼントを用意して、君を沢山喜ばせたかった」

「そんなことは気にしないでください。私にとっての一番のプレゼントは、アンドリュー様が怪我をしないで元気に帰ってきてくれることなんです。
 ご武運をお祈りしております……っ」

 旅立つケイヒル卿に涙を見せたくなかったマリアは、必死に笑顔を作る。

「ああ。絶対に君の元に帰ってくる。
 マリア……、愛しているよ。私のことを忘れないでくれ」

「私も貴方を愛しています。忘れられるはずがありません。
 アンドリュー様、これを受け取ってもらえませんか?」

 マリアは、生まれて初めてハンカチに刺繍をしたものをケイヒル卿にプレゼントした。

「……ありがとう。こんなに嬉しいプレゼントは初めてだ」

 ケイヒル卿はマリアを強く抱きしめた後に旅立っていった。


 
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