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第1章 始まり

第3話ー③ 好きなこと

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 俺は遠くから聞えるバイオリンの音で目を覚ました。

「この音は……」

 俺はその音に誘われるように、身体を起こし、部屋から出ていた。

 俺はそのまま廊下を彷徨い、非常階段を上って、屋上の扉前にたどり着く。

 起きた時から聞えているこの音はどうやら、屋上から聞えているようだった。

「バイオリンの音ってことは、たぶん……」

 屋上の扉をこっそりと開けると、そこには朝日を浴びながら、とても優雅にバイオリンを弾く奏多の姿があった。

「ああ、やっぱりそうか。それにしてもすごく素敵な音だな」

 それはとても優しくて幸せになる音色で、俺は聴いているうちに思わず顔が綻んでいた。

 そして俺は演奏を終えた奏多に、無意識に両手を叩いていた。



 奏多がいなくなった屋上で、俺は先ほどまで聴いていた音色の余韻に浸っていた。

「いい音色だったな。あんなに素敵な演奏ができるなら、誰かに聞かせないともったいないだろう!」

 俺は屋上の柵を両手で掴み、空を見上げながら、どうしたら奏多の音を他のみんなに聞いてもらえるかを考えていた。

 まさかあんな早い時間に、生徒たちを屋上へ集めるわけにもいかないだろうし……。

「うーん。……そうだ!」

 そして俺はとうとう名案を思いついた。

「これならいけるはず!」

 この方法なら、きっと奏多の音を届けられる!

 そしてこの後の俺は、奏多が言った言葉の意味を深く考えもせず、行動に移してしまうことになる。



 俺が食堂に着くとほぼ全員が揃って、食事を始めていた。

「あ、センセー! おはよ!!」

 いろはは俺の姿に気がついたようで、溌溂と声を掛けてくれた。

 そのいろはの声で他の生徒たちも俺の姿に気づき、次々と声を掛けてくれる。

 そしてその中にはさっき顔を合わせた奏多もいた。

「先生って案外、お寝坊さんなんですね」

 奏多はにっこりとしながら、俺にそう言った。

 俺は奏多のその言葉に少し疑問を抱いた。

 奏多とはさっき顔を合わせたはずなのに、さっきのことはまるでなかったことのような口ぶりをしていたからだ。

 もしかして早朝に屋上で演奏していることを知られたくない理由でもあるんだろうか。

 その理由はよくわからないが、とりあえず今は奏多に合わせることにしよう。

「ははは……そうなんだよ! 朝はちょっと苦手で……。明日からは頑張って起きるよ!」

「先生は昨日が初出勤だったから、緊張して眠れなかったんだな。その気持ち、よくわかるぜ、先生!! 俺も初めてここへ来た日は、なかなか寝付けなくてな……。翌日は睡眠不足で、カリカリしてキリヤと喧嘩になったっけ…」

 剛は昔のことを思い出したのか、急に表情が曇る。

 もしかしてレクリエーションの時に言っていたのは、このことだったのかな。

「ふふっ。あの時も見事な惨敗でしたわね!」

 そしてからかうように奏多が口をはさむ。

「『あの時も』は余計だ! あの時しか、俺はキリヤと真剣勝負をしてないぞ!」

「あら、そうでしたの? キリヤがそう言うのならわかりますが、毎回勝てない剛がそう言うと、なんだか負け犬の遠吠えに聞えますわね」

「なにをー!! いいぜ、今日は奏多の相手をしてやろうか!」

「やめておきなさい。身体がミンチになりますよ?」

「いいぜ、望むところだ!」

 そんな剛たちのやり取りを食堂にいた生徒たちは楽しそうに見ていた。

 今日も朝から生徒たちは、和気あいあいと食事を楽しんでいる。

 俺はそんな生徒たちの姿を見て、とてもほほえましく思った。

「センセー。何、にやにやしてんの?」

「そんなににやにやしてたか? でもなんだかこういうのを見ていると、お前たちも普通の子供と同じなんだなって思ってさ」

 俺は感慨深げにそう告げた。

「は? アタシは子供じゃないし!! お子様扱いしないでくれない?」

 いろはは頬を膨らませながら、可愛らしく怒っていた。

 そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……

「悪かったって!! ごめんな、いろははもう大人の女性だったな!」

「ふふん♪ そうでしょ! 色気たっぷりでしょ?」

 そう言って、セクシー?なポーズをとって見せるいろは。

「そ、そうだな」

 それには俺も思わず、苦笑いだった。

「さあ、早く食べてしまおう! 今日も授業があるんだからな!」

 俺がそう号令すると、食堂にいた生徒たちは各々の食事を片付けて、出て行った。

 あの時の俺が思ったのは、ここにいる生徒たちが世間では殺人級の能力を持つ子供たちと言われているけれど、それでも楽しそうに和気あいあいとしている姿を見て、普通の子供たちと変わらないんだなという事だった。

「能力さえなければ、今頃はきっと……」

 俺はふと自分の過去とここにいる生徒たちを重ねる。

「あいつらも自分の能力に絶望した時があったのかな……」

 まだその経験がなかったとしたら、そうならないように俺が生徒たちを助ける。
 ……だって俺はその為にここへ来たのだから。

 そして俺も食堂を後にした。



 授業の準備のために一度自室に戻った私は、先ほどの先生の行動について考えていた。

「なぜあの時、私に合わせてくれたんだろう……」

 毎朝の日課を誰にも知られたくない私は、先生と食堂であった時にあえて何事もなかったかのように振舞った。

 先生は私の不自然な行動から、私の気持ちを汲んでくれたみたいね。

「本当は思いっきりみんなの前で演奏したい……。でもそれはダメ。私はここのみんなを傷つけたくないもの……。もう少し我慢したら、きっとこの能力も消失するはず。だから、それまでの辛抱よ……」

 そして私は机にあるバイオリンの入ったケースに目を向けた。

「窮屈な思いをさせてしまって、ごめんね」

 私は私の持つ能力のせいで、好きなことを自由にできない。

 好きなものはすぐに手が届く場所にあるはずなのに、自由に演奏できない環境の今、それはとても遠くにあるように感じた。

 このまま好きっていう感情まで遠ざかってしまうのだろうか。

「私はまたあの頃みたいに、大切な人の前で幸せな音を出せるのかな」

 そしてさみしそうな顔でバイオリンケースを見つめる奏多だった。
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