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真犯人

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気配が私のすぐ目の前で止まったその時、瞑っていた目を開けゆっくりと身体を起こし、私へと伸ばされていた腕をグッと掴んだ。
「やっぱりあなただったのね」
驚いた表情で私を見下ろしていたのはスピナジーニ夫人。私に掴まれたせいなのか驚いたせいなのか、彼女の手の中にあった魔力はスウッと消えていった。
「あんた、眠っていたんじゃないの?」
 顔を引き攣らせながら睨みつけてくる。その顔からはもう、夫人と呼べるような気品は一欠片もない。ん?元からだったか?
「眠る?まさか。油断させただけよ。まあ、こんなにあっさりとかかってくれるとは思わなかったけれど」
ニッコリと夫人に微笑みかける。一人で過ごしていれば必ずこの場に真犯人が現れると踏み、わざわざそうしたのだけれど、あまりにもあっさり過ぎて笑ってしまう。声を出して笑わないようにと堪えた結果、少々小馬鹿にした口調になってしまったのは許して欲しい。
私の話を聞いた夫人はガッカリしてしまうかもしれない。などという懸念はすぐに綺麗に消えた。ガッカリどころかニヤニヤと笑みを浮かべている夫人は、隙をついて腕を捻り私の拘束から逃れた。
「わかっていたの?ならもういいわよね。素直に殺されなさいな」
話しながら手の中に再び魔力を膨らませる。陰鬱な気配の魔力は渦を巻いて球体のようになっていく。大きなボール状になったその魔力を、夫人は迷いなく私に向けて放った。
この至近距離では逃れる術はなく、夫人の放った魔力はもろに私にぶつかった。がしかし、魔力は私を傷つけることなく一瞬で蒸発したかのように霧散してしまう。無傷のまま笑みを浮かべている私とは反対に、ニヤついていた夫人の表情が崩れる。状況を理解出来ないのだろう。ポカンと口を開けたまま「なんで?」と声を漏らしていた。
「残念。夫人の攻撃は効きません。だって私、聖獣に守られているんですもの」
それはそうだろう。殺されるかもしれない状況下にいて、無防備でいるはずなんてない。いつだったかシシリー嬢の魔力が暴発した時のように、今回もクーが私を守ってくれているのだ。
そう説明したにもかかわらず、納得が出来ないのか夫人は何度も私に魔力をぶつけてくる。何度も何度も攻撃してくることに正直驚いてしまった。相当魔力量が多いのだろう。魔力量だけでいえば私たち家族の誰よりも多いに違いない。
それでもやがて限界はくるわけで、次第に彼女から疲れが見え出した。肩で息をし出している。
そして完全に限界に達したらしく、突然、力が抜けたように座り込んでしまった。

「打ち止めですか?」
立ち上がり座り込んでいる夫人の目の前に私もしゃがむ。傷ひとつついていない私を睨む夫人の目力が強い。
「あれだけやってもダメなの?」
「はい、残念ながら。だからも諦めた方がいいですよ」
 そう微笑んだ私の首に夫人の手が伸びてきた。しかし、私の目の前に現れた美しい九尾の姿のクーの前足が、その手を簡単に振り払う。
「なんで?」
急に現れたクーに言っているのか、それとも私を殺せなかったことに対して言っているのか。呆けたように払われた自身の手とクーを見比べながら呟く夫人に、私はもう一度同じ言葉を聞かせた。
「だから言ったじゃないですか。聖獣に守られているって」
 クーの背後にいる私に視線を移した夫人。そんな彼女を嫌そうに前足で鼻を押さえながら見るクー。
『やっぱりそいつだ。臭い』
 やはりあの老婆は本当の老婆ではなかった。私を睨むように見ている夫人を、私もジッと見つめた。

「全てあなたが仕組んだ事だったのね、スピナジーニ夫人」
私の言葉に夫人の顔色がサッと変わった。それが全てを物語っている。カーッと頭が熱くなった私は、息継ぎも忘れ一気に言葉を紡いだ。
「どうしてあんな本を持っていらしたの?いいえ、正しい言い方ではないわね。どうしてあのような本が作れたのかしら?いくら魔力がずば抜けて多くても、あのような預言書じみたものは作れないはず。あれは一体なんなのです?あなたは一体何者なの?」
怒鳴るように問いかけた私を見て、夫人は大きく息を吐き出した。
「あーあ。上手くいくと思ったのに」
急に口調が変わる。若い娘を持つ母というより、自身が若い娘のような口調になったのだ。驚きつつ夫人を見続けていると、魔力が枯渇して力の入らない身体をなんとか起こした夫人は私を通り過ぎ四阿のベンチにドカッと座った。
「私さ、転生者ってやつなのよ」
それから夫人は淡々と語り出した。始めのうちは気付くことなく普通にこの世界で生きていたが、スピナジーニ子爵と結婚した時に急に転生者だったのだと自覚したそうだ。
「その時に自分がここではない世界で生きていた事を思い出したのよ。そしてこの世界が私が何度も読んだ小説の中の世界だって気付いた。その時は自分の転生先を呪ったわ」
自嘲めいた笑いと共に語るスピナジーニ夫人。その表情は少し悲しげに見える。
「せっかく大好きな小説の中の世界に来たって言うのに、生まれ変わった自分は脇役もいいとこだったのよ。そんなの納得出来るはずがないと思わない?だからせめてと小説の内容を思い出しながら、自分の娘をヒロインに変えて本を作った。転生者って魔力がチート級って本当だったのね。見事にシシリーが主人公に成り代わった本を作り上げる事が出来たの」
当時を思い出したのか、クスクスと楽しそうに笑う。
「小説の通りに主人が死んだ時にビビッときたの。自分が作った本の通りに動けば、その通りに事が運ぶかもしれないって。原作では私とシシリーは離れに住まわされて、肩身の狭い思いをして生きていかねばならなかったのだけど、私だって幸せになりたいじゃない?年齢的に自分はヒロインにはなれないと思ったから、せめてイケメンでお金を持っている人と再婚したいって思って、ティガバルディ公爵に狙いを定めた」
 元々ある物語を夫人が魔法で変えたなんて俄には信じがたい。実際に色々起こってはいるが正確ではない。それでも彼女がそう思ってしまったのは、彼女の身の上に起こるであろう不幸をなんとか覆したいという思いからだったのかもしれない。
「じゃあ、元々お父様と再婚するなんて話はなかった訳ね」
「そうなるわね」
あっけらかんと宣う夫人に、思わずイラッとしてしまう。一瞬同情的になった自分が悔しい。
「お父様との再婚は嘘。シシリー嬢がヒロインなのも嘘。一体何が本当だったというの?」
すると、夫人はケラケラと笑い出した。
「日々起こるイベントは大体が本当よ。ただ、シシリーが経験する事ではなく、あんたが経験する事だったってだけよ」
「は?」
夫人の言葉に固まってしまう。シシリー嬢ではなく私が経験する事だった?
「どうして私が経験するの?」
夫人の言っている事が今ひとつ理解出来ない。そんな私に夫人が笑う。
「そんな事もわからないなんて、バカなの?なんであんたが経験するのかって?それは元々、あんたが主人公だった小説だったからよ」
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