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無理だから

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 クーの炎が消えてすぐ。苦しさが嘘のように消えていくのを感じた。けれど、体力を消耗した私はそのまま意識を保つ事が難しくなる。それでもどうしても伝えたい事があった私は、なんとか口を開いた。
「クーちゃん、きれ、いね」
九尾の姿のクーは本当に綺麗で。もっと誉めてあげたくて、ありがとうって伝えたくて……。けれど身体は鉛のように重い。そして、私の意識は途絶えた。

♢♢♢♢♢♢

「リア、リア、どうしたの?」
ミアノの腕の中でミケーリアの瞳が閉じた。レンゾが焦ったようにミケーリアを呼ぶが、ミケーリアはピクリとも反応する事はなかった。
「リア!リア!」
どんなに呼びかけても目を覚さないミケーリアに、レンゾの瞳が潤んだ。ミアノも何かを堪えるように奥歯を噛み締める。そんな中、皆の頭の中に優しげな声が響いた。
『大丈夫。リアは疲れて眠っただけ』
九尾の姿のクーは、愛おしそうにミケーリアの頬に鼻先を擦り寄せた。
「とにかく場所を変えよう。彼女をベッドで寝かせてやりたい」
アルノルド王子の言葉に皆が賛同したその瞬間、クーの足元を中心に魔法陣が広がる。金色の光を帯びた魔法陣は、あっという間に王子たちを飲み込んだ。

魔法陣が消えると、そこはアルノルド王子の部屋だった。
「何故ここへ?」
首を傾げたパウルのすぐ隣では、レンゾが物珍しそうにキョロキョロしている。
「凄いな。私の思考を読んだのか?」
優しい微笑みをクーに向けた王子に、いつの間にか小さい姿に戻っていたクーが「アン」と鳴いた。
『うん、ルドが行きたいと思った場所に来た』
クーの目線に合わせるように床に片膝をつけた王子は、クーの頭を優しく撫でた。
「ありがとう、クー。よし、ミアノ。すぐにリアをベッドへ」
そこからの行動は早かった。パウルがすぐに王宮医を呼びに走り、ミアノはまだ王城にいたミケーリアの父親であるテオドージオ・ティガバルディを呼んできた。

診察の結果、毒を何かで打たれたようだとの事だった。ただ、毒自体は綺麗に浄化されているので、目が覚めればもう大丈夫らしい。
「クー、リアを救ってくれてありがとう」
テオドージオの謝礼に、クーは嬉しそうに尾を振りながら甘えていた。

♢♢♢♢♢♢

 ふと目覚めると、見知らぬ天井が目に入った。普段であれば右手に窓があるはずなのに、今は左手に窓が見える。
「ここは?」
身を起こし周囲を見てみても、やはり自分の部屋ではない。全く知らない場所だ。月明かりの差し込むその部屋は、私の部屋よりも明らかに広い。その時、足元がもぞりと動いた。クーだ。私が動いた事で起きてしまったらしいクは、猫のように身体を伸ばしてから私の傍に来た。
『リア、起きた?』
「うん、私……一体どうなったの?」
起きたばかりなのに、クーは私が毒に侵された事からここに運び込まれた経緯までを、順を追って話してくれた。

「そっか。クー、ありがとう。クーは私の命の恩人ね」
お礼を言うと、クーは嬉しそうに私の胸に飛び込んで来た。
『リアだって僕の恩人だよ』
きっと庭で助けたことを言っているのだろう。
「ふふ、じゃあお互い様だね」
そう笑う私にクーも『うん』と言って笑った。

「ん……」
私ではない声が聞こえる。
「え?」
この部屋には他にも人がいるようだ。見知らぬ部屋に私とクー以外の誰か。否が応でも警戒してしまう。すると、私のベッドの横にイスに座ったまま、誰かが眠っていた。誰だろうと月明かりを頼りに目を凝らす。
「嘘……」
月を背にして座っていたその人は、アルノルド王子だった。驚く私をよそに王子がゆっくりと目を覚ます。暗闇の中、鮮やかに輝く真紅の瞳は私を見た。
「リア。目が覚めたのだな。どうだ気分は?」
まだ完全に覚醒はしていないのだろう。少し寝ぼけながらも私を気遣う言葉を発する彼に、どういう訳か心臓が勝手に高鳴る。

「あ、あの……大丈夫です。すっかり元気です。それで……あの、これは一体……」
問いかけながら、私は急激に理解した。この部屋はアルノルド王子の部屋なのだと。どうして王子の部屋で寝ているのか?どうしてベッドを占領してしまっているのか……。
「申し訳ありません。ルド様のベッドですよね。私、占領してしまったようで……」
謝りながらベッドから出ようとすると、立ち上がり傍に来た彼に動きを止められてしまう。突然の事に頭が沸騰する。
「無理に動いてはいけない。まだ夜中だしな。公爵はここにリアがいる事をちゃんとわかっているから大丈夫だ。だからもう少し眠るといい」
アルノルド王子がそう言いながら、私を再びベッドの中へと誘う。
「え?でも……あの」
そんな風に言われても、とてもじゃないが眠れる気がしない。
「いいから。大丈夫だ。今夜はずっとそばにいるから」
ギシリと鳴くベッドの音が、私の胸の高鳴りを更に加速させる。
「ほら」
「えと、あの」
ほらって言われたって、無理なんだってば。

だって……私……ルド様に抱きしめられてる。

抱きしめられたまま、一緒にベッドに入っているのだ。
「ルド様は寝ぼけている、ルド様は寝ぼけている、ルド様は寝ぼけているのよ」
呪文のようにブツブツと言い続けていると、クーが私の頭上の枕で丸くなった。
『僕も眠い。早く寝よう』
寝ようと言われても無理、無理だから。全身が心臓になったかのようにドキドキしている。力を込めて押してみても、王子の拘束から抜け出せない。完全にパニックに陥っている私に追い打ちをかけるように、キュッと私を抱きしめ直した王子は「おやすみ」と言って私のおでこにキスをして眠ってしまった。
「あ、ダメだ」
現実を受け止めきれなくなった私は、そのまま気を失うように眠ったのだった。
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