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桜餅戦争と草餅とやっぱり焼き立てのパイ!

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クリスマスにお正月とちょくちょくお手伝いに行っているイベントデリバリー部はさながら第二の居場所のようになっていて、お手伝いがない日でも遊びに行くほどになっていた。今日も美味しいお菓子が手に入ったからみんなで食べようと昼休みに出かけてきたら、随分と賑やかな声がする。比較的おっとりとした猫又の三田と九郎、それにキナコの兄弟の巣はキナコと同じ化け猫だ。普段はこんなにギャアギャアと声を上げるような事もないのだけれど、と思いながらそっとドアから覗くとガッシャーンという音と共に、もふもふの弾丸パンチをもろに顔に受けて思わずよろめく。ガシッともふっと何かに受け止められたからそっと目を開けると見た事のない猫さんが僕を抱きしめながらじっと見ている。

「君が海斗くんかい?話に聞くだけあって本当にかわいいね。九州に来て僕と添い遂げない?」
「・・・は、い・・・?」
「なんと!快諾いただけるなんて。ハニー、すぐに君の部屋を用意させよう!」

呆気に取られてポカンとしていると違うもふもふに抱き寄せられて、展開に相変わらず頭が追いつかない。今度は誰だ?と思うもこれはリョウスケだ。香ばしい焼き菓子の香りが染み付いている。

「アンディ。海斗にちょっかいを出さないで。彼はこっちの配属で僕の大事な部下なんだから。」
「おーリョウスケ!久しぶりだ。最近めっきり顔出さないじゃないか。だから慰安旅行も兼ねてみんなで遊びに来ちゃったよ。」
「そろそろ温泉にも入りたいと思ってるし、夏になる前には行くよ。連休明けが空いてるかな。その時には海斗も一緒に行こう。」

またもポカンとする僕の頭をもふっと撫でると、リョウスケは事務所で暴れる2猫をまたたびで虜にし、あっという間に喧嘩を仲裁した。ふと手に持った箱の存在を思い出すと、おやつにと思って買って来ていた草餅をみんなにお披露目する。幸い小さめの草餅をたくさん買っていたから、予想外の人数がいてもそれぞれの手元に届くだけの数量はちゃんとあった。人だろうか、猫だろうが、妖だろうが、食べ物の恨みは怖い。それは全種族共通認識と思って間違いはない。

三田が入れてくれた緑茶を飲みながら草餅を食べて、先ほど暴れていた2猫を見やると、それぞれ一生懸命に草餅を食べていて、空いた手にはまた別のおやつも持っている。どうやらだいぶ食いしん坊のようだ。僕が初見だった事に気が付いたリョウスケが草餅のついた手をペロリと舐めた後に口を開く。

「海斗くん、紹介が遅れてしまったね。これは九州の支社長、キジ白のアンディ。で、部下のキジトラのジュリア、サバトラのエルサ。尻尾の数で何かはもう分かるかな。」
「えっとアンディさんは猫魈(ねこしょう)、ジュリアさんは猫又、エルサさんは化け猫ですね。」
「おぉ!海斗くん、君若いのにやるねえ。度胸もあるし。やっぱりうちに来なよ。」

潤んだ目でじっとアンディは見据えてくるものだから、僕はその目に吸い込まれそうになって、その隙を見つけると尻尾でふわっと頬を撫でる。全くもう!と言ってリョウスケが間に入らなければ、僕はまた見境なくよく考えずに生返事をして、状況を理解しないままに九州に連れて行かれるところだった。危ない危ない・・・。

慰安旅行だと言うからてっきり旅行かと思いきや、九郎とジュリアが何やら資料を見ながら話をしている。まるっきり遊びに来たと言うわけではないようだ。ちょいちょいと手招きされて近づくと、何やら次のお手伝いの相談を持ちかけられるようで、このまま昼休みを過ぎてもここで仕事を続行できそうな雰囲気だ。上司もここにいるし、問題はない。

「九州物産展?あのデパートとかでよくある?あの?」
「そうそう。あれあれ。今回はその仕切りの下見も兼ねて来たんです。私は美味しいものに目がないので。」
「なるほど。草餅もう一ついかがですか?」

ニヤリと笑うジュリアの口元にはお餅の白い粉が既にたくさん付いていて、その様子もまた楽しんでいるようだった。拭きますか?とティッシュを渡そうとすると、これが醍醐味なんだから!と言うあたり、筋金入りだ。確かに美味しいものを売る物産展におあつらえ向きの人材、いや猫材だろう。一方のエルサはあまり興味がないようで、資料を破っては床に落としているかと思えば、山積みの荷物のジャングルに飛び乗って部屋の奥に行ってしまった。たまに聞こえるズササササっと山が崩れる音は誰もが聞こえないフリをして耳をイカにしている。思った以上に野生的で自由な方らしい・・・。

・・・だからさ、俺が老舗引っ張ってくるから。東京の催事場押さえろ。そこで桜餅を売って、あの変なクレープ巻きの牙城を崩してやる。
・・・またそれぇ?別に僕はどっちも好きだけどなあ。
・・・おっ前!九州の出だろうが!そんな事言ってっと夜道歩けなくなるぞ。
・・・何でそんなに物騒な話になってるんだよ、猫魈(ねこしょう)、襲うってお前くらいしか出来ないじゃん。
・・・だから滅多な事言うなってんだ。わかっとうとかね、こん猫は全く。
・・・ははは。わかっとうよ。

リョウスケとアンディさんが2人で話しているのが遠くに聞こえる。2人はどうやら古い仲のようで、リョウスケの様子が普段よりも砕けているから、仕事だけの付き合いという訳ではなさそうだ。それにしても桜餅・・・?

「なあ海斗くん、これは何かわかる?」

咄嗟にスマホの画面を見せられて、そこにはピンク色のコロンとした餅米で作られた桜餅が映っている。

「桜餅、ですね。そろそろそんな季節ですかね。」
「そうだよ~、やっぱ君かわいいなあ。ほらこっちにお座り。」

手招きされてソファの端に座るとぎゅっとしっぽで抱き寄せられる。人にされたら確実にセクハラだが、なぜだろう。この会社ではどうにも許せてしまうのはこのもふもふのなせる技なのか・・・。そんな中、じゃあこれは?と言ってアンディに見せられた写真には見慣れないものが映っていた。でも同じように桜の葉が巻いてあって、色もピンクだ。これも春の和菓子の一種なのだろうか?

「桜の葉っぱにピンク色・・・。これも春の和菓子の一つですか?」

アンディがゴロゴロと喉を鳴らし、僕に頭をぐりぐりして来たから正解だったらしい。それも彼の求める完璧な正解。見かねたリョウスケがすかさず説明をしてくれる。

「それはね、長命寺って言うんだよ。そして別名・・・と言ったらまた紛争案件ではあるんだけど、桜餅とも言うんだ。関東の一部と西だと山陰の方、鳥取とか島根の一部でもこっちのクレープ型の方を桜餅と呼ぶね。人によって桜餅、と言われて頭に浮かぶものが違う可能性があるんだよ。海斗くんはさっきの反応からも、餅米の道明寺タイプが桜餅なんだね。」
「はい。知らなかったです。同じ名前なのにこんなにも形が違うなんて。確かに僕は実家が西の方なので餅米の方が桜餅でした。道明寺だなんてそんな呼び方もあるんですね。で、関東のが長命寺・・・、なるほど。」
「実は春頃になるとこの論争が毎年巻き起こっているんだよ。海斗くんも今日知ってしまったから、これからそんな記事が目につくだろうね。で、今回アンディが関東の牙城である東京で桜餅はこれだ、と売り出したいから催事を春のうちに押さえろって言って来てるって訳。だから主要デパート何件か当たってみてくれる?この人達ならすぐ話出来るから。夏梅のリョウスケの秘書だって言えばわかるよ。」

そう言ってリョウスケに手渡されたのは老舗デパートの外商部部長や駅ビルのマネージャーなど、その人の了承が出ればすぐにでも話がどうにかなりそうな面々だった。とりあえず九州物産展は催事でも人気があって、北海道までは及ばないにしても大体先々まで予定が公表されている。老舗の六越デパートが直近に開催予定・・・か。よし、とりあえずここだ。

言われた通りに名乗って電話した先の担当者はすぐにブースの確認をしてくれて、その通話中に催事場中央目抜き通りとも言える場所にスペースを確保してくれた。本日何度目かの呆気に取られていると、その状況を読んだアンディがおもむろにスマホでどこかへ電話をかけ始めた。どうやら出店してもらうお店に話をつけているようだ。僕は電話を終えて、お茶を淹れなおして戻るとアンディの電話も終わっていて、名を変えつつも江戸から続く老舗和菓子店に話がついたらしい。なんとその当主はアンディが猫魈(ねこしょう)だと言う事も知っていて、今回も結構な無理を通したから帰り次第、もふらせる約束なんだとか。こんな風にもしかしたら商売人達はともすると妖とも付かず離れず、お互いの利を見ながらしたたかに昔から一緒に生きているのやもしれない。今や妖猫に雇われて給料をもらっている僕も同じ類と言えなくもないが・・・。まあそんなこんなで、あれよあれよと決まった催事のため、一旦九州の3猫は帰途に着いた。またひと月後に控えた催事に合わせて再度上京するらしい。

そしてひと月後。僕はまたしても助っ人でその催事で売り子をやっている。交互に担当猫達もやって来はするが、美味しい匂いに囲まれた会場ではすぐに尻尾やら耳やらが出てしまうから、あまり働き手にはならないのだ。そのコントロールができるレベルの猫となると、今度は役職付きで桜餅を売らせるわけにはいかなくなってしまうから、困った時の海斗くんと言うわけだ。妖達からすれば僕は赤ちゃんのようなものだが、実は人間にしたらそれなりの歳で、1人で売っていれば店長さんとも見間違えられる。それはそれで悪い気分はしないから、入れ替わり立ち替わりの猫と一緒にとりあえず初日は用意した限定百個の桜餅は売りきった。老舗の店名買いももちろんの事、物産展にその菓子屋が出展している事自体が珍しかったようで、これはまた違う機会に別のお菓子でも行けるんじゃないかと思ったりもしたくらいだ。生菓子は売り切ってしまって、残るはどら焼きや日持ちのするお菓子のみで、そのラインナップになってしまうと他の出品には少し劣ってしまう。明日の準備も兼ねながらブースでゴソゴソしているとシャリン、シャリンと音が聞こえる。店内放送とは何か違うようだ。この感覚はまさか・・・。

「これ、坊主。お主あの妖の使いか?下僕か?」
「え、ぇえ?僕の事ですか・・・?」
「そうじゃ。猫の匂いをぷんぷんさせおってからに。して、われへの供物は?」
「へ・・・?あ!少々お待ちください。」

アンディが変な言葉遣いだけど綺麗な白髪の人が来たらこれを渡せと言って、紙袋を置いて行っていた。あまりにも適当に言っていったからすっかり忘れてしまっていたのだ。チラリと袋の中を見ると、どうやら油揚げのようだ。

油揚げ・・・?

シャリン、と言う音が耳元で響き、その瞬間またあの感覚に襲われた。いる場所は一緒なのに、水玉で覆われて、周りの人達には見えなくなるあの始まりの時の感覚だ。慌てて体を起こすと、その人は真っ白でキラキラと輝く被毛を持つ狐だった。

「油揚げに白狐・・・と言う事は、この辺のお稲荷様の神使でいらっしゃいますか?」
「そうじゃ。さすがと言うか何と言うか・・・。普通はそう簡単に合点がいかんがの。われが喋ってもへんげしても、幻術を使うても普通にしておるとは。まあ良い。それを寄越せ。」
「はい。こちら九州支社のアンディより預かっております。もし良ければ、どら焼きも持って行かれますか?これも美味しいですよ。今日いらっしゃる事がわかっていれば、桜餅もお取り置きしておいたのですが。」
「実は油揚げよりも甘味の方が好きなんじゃ。まあ油揚げも食べるがの。じゃから、それも貰っていこう。」
「ではすみませんが、一度幻術を解いて戻していただけますか?あ、改めてへんげもお忘れなく。」

その瞬間、パンっと風船が割れるように水玉が弾けてどすんと床に尻餅を付く。腰をさすりながら立ち上がると、神使の白狐は先ほどと同じく妙齢の美しい女性にきちんとへんげし直して、追加の供物を待ち侘びていた。表に並ぶお菓子を数点まとめて油揚げの入っていた紙袋に一緒に入れてお渡しすると、想像以上に喜んだ白狐は僕の頬にキスをしてまた明日来るから桜餅を取っておけ、と言って帰って行ったのだ。程なくして入れ替わりでアンディがフラフラっとブースを覗きに来て、白狐が来た事にすぐに気がついた。

「あ、あいつ来たな。どうかな、とは思ったんだけど、やっぱり用意しといてよかったわ。人間のビジネスしてるとは言え、あいつのシマだからな。お?海斗くん、またしても随分気に入られたな。こんなにマーキングされちゃって。リョウスケが怒るぞ。」
「え?あ、確かに頬にキスされました。あまりにも美しく化けてるからドキッとしちゃいましたよ。明日もいらっしゃるそうです。」
「ははっ、それはよかった。あいつのとこは商売繁盛でもあるし、五穀豊穣あっての美味しい食いもんだ。じゃあ明日は生菓子も2、3個取っておいてくれるか?また世話になる事もあるし。海斗くんも気に入られてるなら尚更今後のご贔屓にしてもらわんとな。」
「あの、僕食べられたりとかしないですよね・・・?」
「いやいや、妖ゆうてもそうそう人間食べんからね。あれは食べたくて食べてる訳じゃないから。そりゃ悪食のやつはおるけども、それは人かて一緒やろ?それと一緒。妖になったから食べられる物も増えるけど、そこに人間は入らんよ。心配せんでええから。まあ食べたい程可愛い、ってのはどの世界にもあるとは思うで?その点は気いつけや。ガハハ!」
「もう、脅かさないでください。お取置きについてはわかりました。限定販売のお品なので、2個取っておきますね。」
「うん、それでええよ。ありがとうね。じゃあまた明日も様子見にくるわ。お疲れ~。」

いや、あなたの連れてきたお店の商品を売っているのでは・・・と言う正論をグッと飲み込み、とりあえず閉店作業を行う。今まで催事なんてやる機会はなかったのだが、今回の急拵えで色々と勉強になった。リョウスケの好きなパイとか、美味しいものを集めて売ったりとかしても良さそうなものだなとも思うようになって、改めてこの会社に馴染んでいる自分に驚いてしまう。まあ実際のところ、猫だろうが、妖だろうが、仕事になってしまうと人間だけの会社とそう大差ない。すごくコスプレ好きな人達がいる会社、とも考えられなくないのだ。作りは実に精巧だけれども・・・。今回は元々出店が決まっていたところに無理やり割り込んだから、物産展自体は1週間あるものの、この和菓子屋さんの出店は今日明日の2日間に限られている。もし売れ行きがいいようなら今後も考えるとの事だったから、明日はリョウスケも三田と一緒に様子を見にくると言ってたっけ。お狐様も来るようだし、もし時間が被ったりしたら狭い催事場に妖だらけ、と言う面白い事になってしまう。もしかしたら、他のブースにもいたりしてと思ってしまえるのは今の生活が心地よくてストレスが少ないからだ。信頼されて、任されて、好意を向けられる。これで毎日楽しくない訳がない。ふふふっと1人笑っていると、ふわりともふもふしっぽが頬を撫でた。ハッとして顔を上げると、そこにはリョウスケがいて、お疲れ様と言いながら差し入れのコーヒーを手渡される。

「もう片付けは終わりでしょう?こんな時間ではありますが、一度お参りに行っておきましょう。ついていらっしゃい。」

確かに片付けはもう終わっていて、他の出展者達も段々と帰り始めていた。明日もまだあるし、ここでの業務は今日は終わりだ。リョウスケがしっぽを出していたのは一瞬で、今日も綺麗に化けている。ささっと帰り支度を済ませ、見失わないように急いでリョウスケの後を追う。お参りに行くはずが慣れた様子で向かったのはデパートの屋上だった。

神社・・・?こんなところにお社が?

「今日白狐が来たんだろう?海斗くんは気に入られたようだけど、君はあくまでうちの社員だからね。あんまり気に入られすぎないように。引き抜かれたりしないようにこうやって一緒にご挨拶に来たと言う訳だよ。牽制の一種だね。もう茜はこの時間には寝ているだろうけど、それでもここで商売をさせてもらってるのも確かだから、今日売り切れた事に感謝してお参りしておこうね。」

あの白狐は名を茜と言うらしく、リョウスケとも随分と古い知り合いのようだ。妖同士でもネットワークがあるみたいで、無用な軋轢を生まないように持ちつ持たれつしているんだとか。妖怪は好きにしているようなイメージがあっただけに、人間としての役割まで背負っているとすればむしろ人間の方が楽だと思ってしまう程に実は気遣いも絶えないようだ。実際適当そうに見えてアンディも気配りや場の把握はあまりに明確でさりげなく、目を見張るものがある。ただムギワラのキナコや巣は自由だから、やはりどの種族であろうと背負うものによって違ってくるのかもしれない。

お参りが済むと美味しいパイを食べに行こうと誘われ、そのままいつも通りご相伴にあずかった。引き続き分からぬままに連れて行かれた喫茶店は昔ながらの様相で、ビロードの椅子に淹れられるドリップコーヒーの香りを纏わせ、それはまるで異空間のようだった。ざわつく表通りから一本入ったところにこんなお店があったなんて初めて知った。まさか妖上司に教えられるとは・・・。何でもこのお店は予約をしておくとアップルパイのお持ち帰りができるらしく、今後お使いを頼みたいと言う下心もあったようだ。お駄賃の前借りでいただいたアップルパイはゴロゴロとした果肉が美味しく、コーヒーにとても合う。1日立ちっぱなしだったから思ったよりも疲れていたのだろう。その疲れが甘酸っぱさに溶かされて初めてそれを自覚した。

「それで、桜餅についてはどうだった?お客さんに何か言われたりした?」
「ははは。知らなかったんですけど、ああ言う物産展って故郷の味を求めてくる方が多いんですね。この和菓子屋さんを知ってきている方も何名もいらっしゃったし、おっしゃるように桜餅はこれよって笑いながらお買い求めになられたご婦人もおられました。でもその旦那さんはどうやら違ったようで、あくまで道明寺と呼んでいたのが面白かったです。食べるものってその時の風景も一緒に記憶に残るから、それを書き換えるなんて無理なんですよね。それなのに何で同じ名前にしたんだか。揉める事がわかっていただろうに。」
「やっぱりあったのか、そんなやりとりが!自分でやってみないと分からないものだな。何の諍いも全て最初は小さなもの。笑って過ごせるうちに対処するのが一番だ。明日もそのいい笑顔でどうか売り切っておくれ。茜は明日来るのかな?」
「白狐の方ですよね?はい。明日も来るとおっしゃっていました。甘いものもお好きなようで、今日少しどら焼きもお渡ししたんですが、生菓子も気になるようです。明日お取り置きしておいてよろしいですか?アンディさんにそう言われてるんです。」
「アンディが?そう言えばあいつはどこに行ったんだ・・・。海斗くん、全て押し付けられてしまったようで申し訳ない。これは連休明けにたんと接待してもらうしかないな。今回はとても助かっているよ。ありがとう。」
「様子は見にこられるんですけど、気がついたらいなくなってるんですよね。でもアンディさんの事なので何かお金の匂いを感じてビジネスの商談でもしてるような気もします。」
「あり得るな。あいつは金の匂いに本当に敏感で、取り入るのもうまい。多分今頃銀座のクラブだな。全く。」

翌日は昨日買ってくれた人がリピートで買ってくれたりして、売り切れるのが早かった。もしまたやる事があるのであれば、日数を増やしてもらうか、生菓子の種類を増やすかした方が機会損失を防げそうだ。

「どうじゃ、今日の売れ行きは。」

陳列を直していると、白狐の茜が様子を見にやってきた。すっかり売り切れた生菓子があったはずの棚を見やるとニヤリと笑った。どうしたのかと一時思案したところで茜をもう一度見ると、足をペチペチと地面に叩きつけて明らかに何かの催促をしている。今にもしっぽと耳を出して、妖の圧を当てそうなのに、それは抑えてくれているようだ。

「申し訳ない!すぐにお出しせずに・・・。こちら、桜餅をお取り置きしておきました。限定品ですので、2つですが。私も試作品を頂いたのですが、葉の香りがして春を口の中で感じる事ができましたよ。とてもおすすめです!」
「じゃあ上で食べるとするかの。今日は天気も良い。お主ももう忙しくなかろう。ムギワラに店番は任せてわれに少し付き合え。」

様子を伺っていたムギワラの巣は目配せで了承したから、そのまままた僕は昨日行った屋上に向かう事となる。沢山の人間がいる中できちんとへんげしているにも関わらず、どうにも目を引く茜はそんな事を気にも留めずズンズンと歩いていく。おそらく人間はどんなに綺麗にしても、どこかアンバランスなところがあって、それが人間たる魅力でもある。そこが妖のへんげとなると、あまりに完璧になりすぎてしまうのだ。普通の妖、と言ってしまっている辺り、もはや常識が常識で無くなってしまっているが、彼らでさえ化けるとあえて美形を追求した訳でなくとも造形が美しい。それが猫妖怪であれば仙狸(せんり)、今回の茜のような狐ともなるとそもそも変化がうまいから、一瞬で見惚れるような美貌に仕上がってしまう。ただそうは言ってもじゃあどこを崩せばいいのかと言う問いにうまく返す事はできない。天然のアンバランスは後で作り上げられない、ある意味唯一無二の造形なのだ。一度キナコがふざけて僕に変化した事があったが、僕が知る欠点を自然にカバーするから、僕史上一番の写真写り!のような感じでやはり違った。つまり、茜はとても綺麗で何度見ても数秒は見入ってしまう。基本的に誰かをイメージして変化しているらしいから、この見目麗しい女性は茜の長い狐生で出会った誰かなのだろう。

「何をぼうっとしておる。本当に隙だらけじゃな。じゃからこそ、リョウスケがすぐに上塗りしにきたという事か。」

昨日の夜も帰ってきちんとお風呂に入ったのに、彼らが匂っている僕の匂いはもっと根本的なところなのかもしれない。そんな事を話しながらも、茜は2つの桜餅をペロリと平らげた。目が少し垂れて、口元が綻んでいるからどうやらそのお口には合ったらしい。

「お主、あやつらと過ごしてどのくらいじゃ?」
「去年のハロウィンに初めてお会いしたので、そろそろ半年くらいでしょうか。あまりに色々な事があったからもっと経っているかと思っていたけれど、意外にも短いですね。今数えて驚きました。」
「そうか。して、どうじゃ?これからもやっていけそうかの?」
「僕、こんな歳までちゃんと何かをしたいって考えてこなかったんだなってこの会社で働き始めて分かったんです。何も手を抜いていた訳ではないんですけど、それでも受動的な人生だったな、と。それが今は突然知らない世界にポーン!と放り込まれて、常識とかしがらみとかぜーんぶリセットされて。どうしたもんかな、と思ってたのに気がついたら自発的に動いている自分がいてびっくりしたんです。そこには今までの経験も活かせたりして、あぁ今までやってきた事も決して無駄にはなってないんだなって気がついた時も本当嬉しくて。それに感動したら、もっと自分にできる事があるんじゃないかって考えられるようになって。確かにこの会社は全くもっておかしいです。でも、僕ここで働く人が、妖達が好きなんです。何かをやり遂げるって達成感があるのはとても嬉しかったし、次も頑張ろうってなります。この歳になってそんな職場に巡り会えたのはありがたい事です。もっと僕はここで皆さんと過ごしたいと思っています。あ、すいません。なんか熱くなってしまった、お恥ずかしい・・・。」
「何を言うか。良いではないか。風の噂には聞いておったのよ、お主の話は。我々は変化はできるが、やはりそれだけでは確実に人間に溶け込むのは限界がある。だから時代時代で合う者を探すんじゃが、なかなか難しい。人選を間違うと狩られてしまうからな。ともすると封印されたり、祓われてしまったりもする。それは神使とて同じ。そこに我らがおると言う事実を理解して、その上で共生して塩梅を図ってくれる相手となると本当に探すのが難儀でな。だからわれもお主を試しに来たのじゃ。じゃが、杞憂じゃったな。リョウスケもこれで数十年は安泰じゃろうて。また甘味を持って参られよ。あ、昼間にな。あんな夜分に来てももう寝とるから。頼むぞ。今回の桜餅は美味じゃった。このモチモチ感が良いの。たまらんわ。」
「気に入ってもらえたようで何よりです。僕お役に立ててるんですね。よかった。」
「もっと自信を持て。妖は一度気に入れば、生涯大事にするぞ。そこは人間と比べ物にならん。その代わり、裏切るようならその時は・・・」
「茜さん、そのくらいにしてください。うちの大事な仲間なんですから。」
「リョウスケ、久しいな。よかったじゃないか、海斗は愛い奴じゃ。海斗、もしこの猫が嫌になったらわれのところへ来い。こちら側に引き入れてやろう。」
「またそんな事を!海斗くん、そろそろ引き上げましょう。事務所で今日は打ち上げですよ。三田さん達が用意してくれてます。みんなあなたの帰りを待っていますよ。今回はとっても頑張ってくれましたからね。」

では、と茜に頭を下げるとひらひらと手を振ってにこりと笑った。その美しい笑顔がもう一度見たくて振り返ると、もうそのベンチに姿はなく、ふわっと小さな風が頬を撫でた。どうやらこの瞬間にもまた茜にマーキングされたようで、リョウスケは誰もいない事を見計らってしっぽを出すとその頬をモフッと撫でる。

「さあ、私達の家に帰りますよ。あなたは夏梅の大事な家族です。茜さんちの子にする気はありませんよ。」

はい、と思いの外大きな声になった返事はデパートの中で地味にこだまして、そんな時に限って人がいるものだ。大っぴらにではないものの、くすくすと笑われて僕は顔を赤くしながら、アラフォーに差し掛からんとするような歳になって見つかった僕の居場所にもふもふの上司と一緒に帰る。

あの時、あの瞬間にあの場所にいなかったらこんな日々はなかったのかもしれない。運命だと言われても、それを拒絶していたら今頃は全く違う人生だったのかもしれない。たった半年足らずでこんなにも変わる事ができたのに、そうでない可能性だって大いにあった。あの時に会社名を書かなければ、全てを無視していたら、パイを食べなければ・・・

そうだ。最初の頃にキナコが言ってリョウスケが慌てて取り消していた言葉。

よもつへぐい

これは生者が黄泉の国の食べ物を食べると戻れなくなる、つまりそのまま死んでしまうと言う事らしい。もしかしたらあの時食べたかぼちゃのパイが何もかもの始まりなのかもしれない。あのパイは本当に美味しくて、この世のものとは思えなかった。隠し味だとかももちろんあるのだろうけれど、それだけではない何かがあったと言われればそんな気もする。それでもそれがちゃんとわかっていても僕はあのパイを食べただろう。あれは僕にとっての未来を約束する幸せのパイだった。

食べたものでその身体はできると言う。もしかしたら僕はもう人間そのものではなくなっているのかもしれない。でもそれでもいい。ここには僕を必要としてくれる仲間達がいて、僕はその仲間達の笑顔をこれからも見ていきたい。(もちろんもふもふもしたい)

だから僕の選択は間違っていなかった。誰かにそう言って欲しいのだとずっと思っていたけれど、今になってわかった。これは誰かに言ってもらうのではなく、自分が自分に言ってあげるべき言葉だ。そう悦に浸るのも束の間、事務所のドアを開けて香る香ばしいパイの香りに全ての思考は吹き飛ぶ。

さあ、今日は何のパイだろう!

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