上 下
5 / 64
第1章 祓戸の神

4,逃走

しおりを挟む
 無銭飲食なんて普通はやらない。1杯のコーヒー代、1回の飲み代くらいでお縄になるなんて割に合わないからだ。
 あるとしたら財布を忘れたか、店側と何かあっての支払拒否あたりだろう。しかしそんなことで大の大人が走って逃げるものだろうか。

(何か変だ……)

 人をかき分けるようにして走りながら、詩は思った。

 商店街を抜けるとすぐ北口の大通りに出る。
 正面にあるスクランブル交差点の歩行者信号が点滅していた。

(さっきの人たちは……、あっ!)

 はためきながら交差点に突っ込んでいく和服のそでが見える。

(どうする!?)

 一瞬迷ったものの、詩も点滅信号の交差点に飛び込んだ。
 無事に信号を渡りきり、そして……。
 逃げた男たちはどっちへ行ったのか。
 横道に入るところにまたはためく和服が見えて、詩はそれを目印に追いかけた。
 飛び込んだ通りは天神通り。小さな飲食店が建ち並ぶ、歩行者の多い通りである。

「わっ、すみません!」

 人にぶつかりかけて足にブレーキをかけた。
 ちょうど今の時刻は人通りの多い時間帯だ。
 息が切れてきたが、ここまで来てみすみす男たちを逃したくない。
 詩はとにかく前へと足を進めた。
 次第に汗が噴き出してきた。

 にぎやかな天神通りを北上し、また大通りに出て横断歩道を渡りきる。
 すると逃げていた男の1人が、布田天神の鳥居をくぐったように見えた。
 ここまで見失わずに来たのは奇跡に近かった。
 しかし高い木々の生い茂る、神社の境内はもう暗い。
 男たちを見つけて、それからどうしようかと詩は今さらながらに考えた。
 人目のある通りでなら、周囲の人に警察を呼ぶよう頼めただろう。
 だがこんな場所で男2人を相手にするのは危険だ。
 思わずゴクリと唾をんだ。
 その音がはっきり耳に届くほど、辺りはしんと静まりかえっている。静けさが恐ろしい。
 息を殺した瞬間。
 暗がりから飛び出してきた男が、正面から詩にぶつかってきた。

(――えっ!?)

 辺りを見回していたせいで反応が遅れた。
 店から逃げてきた男の一人だった。彼は肩からこちらにぶつかって、そのまま鳥居の外へ逃げようとする。

「待って! お会計!」

 とっさに男のひじをつかんだ。
 振り向いた彼がギロリとにらむ。
 その目に何か尋常ならざるものを感じ、詩ははっと息を呑んだ。
 つかんだ手を振り払い、男がバッグで殴りかかってきた。

「うわっ!」

 硬い金具が顔に当たった。

「待って、このバッグ」

 とっさにバッグをつかみ返す。
 女物だった。

「無銭飲食じゃなくて置き引き!?」

 飲み屋で酔った女のバッグを取って逃げようとしたんだ。だから店の人に声をかけられ逃走した。
 全力で走って逃げたのはそのせいだ。
 男も必死だった。雄叫びをあげながら詩を突き飛ばす。
 詩の手からバッグが離れた。
 バッグが石畳の上を転がり、それを男が拾い上げようとした時。

「そこまでだ!」

 誰かが男の手を踏みつけた。

(え……!?)

 男がぎゃっと悲鳴をあげる。
 彼の手を踏んでいるのは裸足に藁草履わらぞうり……。
 あの和装男子だった。
 突き飛ばされ尻餅をついていた詩は、唖然あぜんとしてその姿を見上げる。
 立ち姿が絵になっていた。
 境内の木々をサワサワ鳴らした夜風が、彼の長い髪をなびかせる。

「何があったか知らないが、泥棒はいけねえな」

 腹の底に響く声。
 置き引き男は気持ちをくじかれてしまったのか、転がるバッグはそのままに、フラフラとどこかへ消えてしまった。

「……ああっ、お会計」

 遅ればせながら言うものの、詩にももう追いかける気力がない。
 和装男子が詩を助け起こした。

「すみません……あなたはもしかして、あの人を追いかけて?」

 彼は口の端を持ち上げ、肩をすくめてみせる。答えはYESなんだろう。

「そうですか。バッグ、取り返せてよかったです。ありがとうございました」

 女物のバッグを拾って礼を言うと、彼は首を傾げてみせた。

「礼を言うなら昼間のコーヒー代」
「……?」
「今のでチャラにしてくれよ」
「……!?」

 なんと答えていいのかわからない。
 泥棒はいけないなんていいながら、この人はコーヒー代を払うつもりがないのか。

「なあ、詩」

 答えられずにいると、なぜか親しげに名前を呼ばれた。
 男の右手が伸びてきて、詩の顎を持ち上げる。
 赤みがかった瞳と目が合った。

「誰なんですか? あなたは……」

 やっぱりこの人には既視感がある。

「俺は……」

 男の視線が、網膜を通して詩の目の中まで入り込んできた気がした。

「俺は祓戸はらえどの神。詩、お前が毎朝毎晩手を合わせている相手だよ」

(ああ、それで初めて会った気がしないんだ……)

 普通なら信じられないような話なのに、詩はすんなりそれを受け入れていた。

「詩、言いにくいんだが、お前に言わなきゃいけないことがある」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

眠るライオン起こすことなかれ

鶴機 亀輔
BL
アンチ王道たちが痛い目(?)に合います。 ケンカ両成敗! 平凡風紀副委員長×天然生徒会補佐 前提の天然総受け

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

処理中です...