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35,ほめられたい

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 そして翌朝――。

「よお類っち! ……っておまえどうしたー?」

 廊下で会った冬夜から、怪訝そうな顔をされる。

「ふあ……。え、ぼく、何かヘン?」

 類はあくびを噛み殺した。

「目の下にクマができてる。眠れなかったとか? ……あっ、さてはまた帝サンと朝まで!?」
「違うよ。そんなんじゃない」
「じゃあなんだよ?」
「ちょっと夜更かししちゃっただけ。今回は自己責任」

 そこで営業部のひとりが、廊下の向こうのドアから顔を出した。

「おい、犬束、電話!」
「うぉ! 今行きまっす」

 行きかけた冬夜が振り返り、類を見る。

「あんまムリすんなよ? 仕事は適当にサボって昼寝でもしとけ」

 彼は慌ただしく営業部のフロアへ消えていった。
 その背中を見送り、類はぼやく。

「適当にサボって昼寝、とかする勇気ないってば……」

 新人のくせに、それができる冬夜は大物すぎる。
 そもそもそんなことができるような性格なら、類も目の下にクマなんか作らなかった。

 夜更かしした原因は、昨日帝に渡された教本だったのだ。教本に沿い、文書作成ソフトをいじっていたら朝になってしまった。ベーシックなソフトに知らない機能がありすぎて、類も驚いたが……。
 けれどおかげで、社内公募用の書類は一通り完成させることができた。
 自分なりに完璧だった。

 昨日はいきなり応募用紙を作っていたが、企画書や予定表も必要だと気づいて作った。
 内容自体はこの前の会議ですでに決まっていたし、体裁や掲載内容に不備がなければ問題ないはずだ。
 きっと帝にほめられる。

(ご褒美ってなんだろ?)

 類はワクワクしながら昨日できなかった“印刷”をして、総務部にある帝のデスクへそれを持っていった。
 すると帝は書類を数秒で流し読みして類を見た。

「問題ないでしょう。これで進めてください」
「えっ?」

 彼の返答がシンプルすぎて、類は戸惑ってしまう。

「進めるってどうやって?」
「アナタの作った予定表によると、次にやるべきことは“社内への告知”となっています」
「それは……もしかしてぼくが……!?」

 コミュ障の類にはハードルが高かった。

「他に誰がいます?」

 帝が眼鏡を押し上げる。

「それは……ぼくしか……」
「ならアナタがやるしかありませんよね?」
「でも、いつ、どこで……?」

 類の背中に冷たい汗が噴き出す。
 帝は小さく息をつき、突き放すように言った。

「今すぐ各部署を回って、応募用紙を配ってくれば?」
「……そん、な……」

 目の前が暗くなる。きっとほめてもらえると思ったのに……。書類作成だけでほめられようという類が甘かった。
 ともかく周囲の人たちの目もあるし、ここでノーと言える雰囲気じゃない。

「わ、わかりました……行ってきます……」

 類はトボトボと総務部のフロアをあとにした。決まったことをやる掃除担当と、主導的に動かなければならないプロジェクトの進行役とでは仕事の難易度が違った。

(いや、でも……誰になんて言って配ればいいんだろう?)

 廊下の隅。プリンターが次々とはき出す書類を前に、類は途方に暮れる。

 開発部には虎牙部長が、営業には冬夜がいる。そこはきっと、頼めば手を借りられる。でも生産管理部は? 工場は?
 類が気軽に話しかけられそうな相手はいなかった。

(こういう時は一番えらい人をつかまえる? それとも初めに目が合った人?)

 知らない人に話しかけてスルーされたり、話しかけようとして声に詰まってしまう自分を想像する。

(ダメだ! 胃が痛くなってきた……もう泣きそう!)

 会社やみんなのために頑張りたいと思っていたのに、また逃げ出したくなっている類がいる。本当は逃げ出したくなんかないのに。

「……ああもうっ、とらさんとベアマンカーで逃亡しちゃおうかな?」

 印刷したてのあたたかい書類を束ねながらヤケクソになっていると……。

「なんだ、類は愛の逃避行がお望みか?」
「ヒッ!?」

 虎牙部長本人が真後ろにいて、心臓が止まりそうになった。

「こっ、虎牙さん……。ぼく……、心の声もれてました?」
「もしくは、俺がエスパーなのかもな?」

 虎牙は死にそうな類とは対照的な、陽気な笑顔を浮かべている。

「で、それ、例の社内公募の?」
「ええ……。各部署に配りにいかなくちゃいけなくて……」
「なるほど、手伝おうか?」

 類の暗いオーラに気づいたのか、虎牙が心配そうな顔で右手を差しだした。

「えっ……?」
「ひとりじゃ大変だろ?」
「え、と……でも……」

 それはもちろん手伝ってほしい。差し伸べられた手にすがりつきたい。
 なのにどうしてか、その手を取る気にはなれなかった。

「全然大変じゃないです……」

 口からそんな言葉が出る。

「ただ配るだけだし……」
「え、類、大丈夫か?」

 悲壮感を漂わせすぎたのか、虎牙の方が動揺をにじませた。

「いや、ごめんなさい! そうじゃなくて、ぼく……」

 今どんなテンションでいるべきなのか。類は混乱した頭で考える。

「ぼくっ、頑張ります……! これはぼくがしなきゃいけないことだから!」

 類は目の奥に力を入れて、思わず泣きそうになるのをこらえた。

「お、おう……そうか、頑張れ……」

 虎牙は右手を引っ込め、見送る姿勢を見せる。どちらかというと類の様子に面食らっているみたいだ。

(虎牙さんに心配かけちゃいけない!)

 類はその気持ちだけで、すぐそばにある総務部のドアをくぐった。

「失礼します……!」

 すると総務部員たちが「また来たのか」といった顔で振り向く。
 自席で体ごと振り向いた帝は何も言わなかった。類が何をしに来たのかわかっていて、成り行きを見守るつもりらしい。
 背中にはまだ、虎牙の視線を感じた。
 たぶん廊下から、窓越しに見ている。

 類は息を吸った。

「あのう……」

 みんなからの視線は感じるものの、彼らが手を止めて聞く様子はない。

「すみません!」

 腹に力を入れ、声を張った。

「社内公募で、新商品のアイデアを募ることになりました! よかったら……いや、ぜひ、応募してください。会社から金一封が出ます!」

 金一封のことより、このプロジェクトの重要性を説くべきだったのか? みんなからの反応はない。

「よ、よろしくお願いします……」

 入り口に近い席から順に応募用紙を配りながら、類の心の中はパニックだった。どうふるまえば正解なのか、さっぱりわからない。

(もう、ぼく、絶対こういうの向いてない!)

 でも応募用紙は受け取ってもらえた。

「ありがとうございます、よろしくお願いします……」

 あとは「よろしく」だけを繰り返し、類はひたすら頭を下げる。
 形だけかもしれないが、何人かが「面白そうだね」と言ってくれた。

 帝からの“ご褒美”は出るんだろうか?
 それに虎牙は……。
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