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第2話

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僕らの出会いは去年の12月。
インターンシップで今の会社に来ていた時のこと。

「氷室くん、ちょっと彼のこと見てあげて」

上司に手招きされ、いかにも嫌そうな顔をして来たのが氷室先輩だった。
だぶっとしたパーカーのポケットに両手を入れ、斜めに構えて俺を見ている。
縮れた黒髪は後ろで結わえているだけで、ヘアブラシも通していなさそうだ。
顔は色白でいかにも不健康そう。
けれども立ち姿がサマになって見えるのは、高い鼻梁とすらりとした体つきのせいかもしれなかった。

「××大学から来た楠木直哉です。よろしくお願いします」

恐る恐る挨拶しても、先輩は何も言わなかった。
猫背のまま、僕を見てあくびをひとつ。

「……で?」
「で、って……」
「いま課題かなんかやってるんだろ?」
「ああっ、はい!」

モニタの前を空け、1日がかりで組んだ会員登録システムを見せる。

「これ動いた?」
「はい、動作チェックをしてたところです」
「ふうん」

先輩はファイル構成と中身をさらっと確認し、鼻の頭にしわを寄せた。
システムが無事に動いたことで僕は誇らしい気持ちだったのに、先輩は不満そうだった。

「あの?」

表情を窺うと、デスクに片腕をついてモニタを見ていた先輩がこっちを向く。

「無駄」
「はい?」
「ここも、ここも。ここから下も要らない」

先輩は立ったままキーボードを叩き始める。
それから数分でコードを書き換え、ふらりとどこかへ行ってしまった。

(……え、これ?)

同じ動作をする実行ファイルがふたつ。
けれども先輩のはコードが圧倒的に短くてきれいで。
彼の言っていた「無駄」という言葉の意味を、僕は思い知らされた。



「あの、すみません」

空き会議室でテーブルに伏せていた先輩を見つけ、思い切って声をかける。

「なに」

寝ているのかと思ったけれど、先輩は首を傾けて僕を見た。
前髪が額をはらりと滑り、血管の浮いた広めの額が覗く。
相変わらず不機嫌そうな目つきが怖かった。

(どうしよう。声かけちゃったから聞くしかないのか)

僕はビクビクしながらも口を開いた。

「いくつか質問してもいいですか? さっき書いてくださったもののことで」
「いいけど、どこ?」

先輩はテーブルから顔を上げる。

「まず最初の分岐のところで……」

それから僕はいくつか質問し、先輩はほとんど単語だけの短い言葉で返してきた。
なんというか、独特のしゃべり方をする。
始めはそれに戸惑ったけれど、先輩は聞いたことには的確に答えてくれていた。
いろいろと分からなかったことが分かってホッとする。
それからもうひとつ気づいたこと。

「そこは47行目と一緒」
「47行目??」

(今ここにPCがないから分かんない!)

僕は慌ててメモ帳とペンを出す。
先輩の頭の中には、目で見たものがそのままコピーされているみたいだった。
この人は一種の天才なんだと思う。

(せっかくだから、いろいろ聞いちゃおうかな)

臆病な僕を積極的にするほど、先輩との出会いは新鮮でワクワクするものだった。
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