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最終章 罪と愛

第26話

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「あの人に夜な夜な責められるようになってからは、誰も僕を暗がりに誘わなくなった。それどころか、ほとんどの人が目を合わそうとすらしなくなったよ。僕の手首のあざや、夜にたてる声の意味を知っていたんだと思う。でも、それも誤解だった」
「誤解……?」

昔を語るユァンに、バルトロメオが聞き返した。

「うん。司教さまはけっして僕を抱かなかった。だからその代わりにこれがある」

ユァンは立ち尽くす彼のもとへ歩いていき、握られたままだった張形をその手から抜き取る。

「あの人は禁欲の誓いを破るつもりはなかったから、いけないことを覚えてしまった僕の体を持て余してこれを」

バルトロメオが青い顔で、張形を持っていた自分の手のひらを見下ろした。

「でもこんな……子供には無理だろ……どう考えても暴力だ!」
「分からない……。初めは怖くて僕も泣いたけど、あの人に構ってほしくて自分からねだったこともあったと思う。今考えると子供にこれを使うあの人の方が、精神的に限界だったと思う。たくさん神に祈ってた。僕も、僕に触れたことを後悔する、あの人を見るのはつらかった」

ユァンは苦い思いで張形のくびれに指をわせる。

「ともかくこれのおかげで、聖クリスピアヌスは平和になったよ。祈りと安らぎの修道院、それが達成された。ううん、戻ってきたんだと思う。司教さまがここの敷地に子供を入れなくなって、それは完璧になった。12年目の今年、ほころびが出てしまったけれど……」

ユァンは張形を抱いたまま窓のところへ行き、外に見える穏やかな景色をそっと眺めた。

「アンタが心で泣いてたら、そんなのは平和でもなんでもないだろう!」

後ろでバルトロメオが声を荒げる。

「精神的苦痛も肉体的苦痛も、子供に味わわせるのは犯罪だ!」
「そうだね……、僕もそう思う」
「じゃあなんでまだそんな幻想にしがみついてる! 祈りと安らぎの修道院、最果ての楽園? そんなものはここにはない! 初めからなかったんだ! だからアンタはもっと怒れよ、自分が悪かったみたいな顔をするな!」
「……っ、そんなこと言われたって」

ユァンは発作的に窓ガラスに額をぶつける。

「僕はずっと信じてたんだ! 今さら全部嘘だったなんて言われても、どうしていいのか分からない!」

まだぶつける。ガラスは冷たく、額は熱くてじんじんとしびれた。
痛みと温度に、これが現実なんだと思い知らされる。

「ユァン!」

バルトロメオが来て、ユァンと窓ガラスの間に腕を割り込ませた。

「いいか! アンタは何も失ってない。俺がアンタを愛している! 今は何も信じられなくても、これだけは信じてほしい」

(え……?)

頭上から温かなしずくが降ってきて、ユァンは恋人が泣いていることに気づいた。

「なんで……バルトが泣くの……」

彼の腕の中で体をひねり、泣き顔を見上げる。
眉間にしわが寄り、黒いまつげは濡れているものの、唇は震えながら微笑んでいた。
奥歯を噛みしめているのが分かる。

「アンタの全部が愛おしい。それなのに俺の仕事はアンタを傷つけるばかりだ。今すぐさらって誰も知らない土地へ行きたい。その衝動をこらえてる……」

涙声の告白に、胸が震えた。

ユァンは背伸びをし、バルトロメオの頬にキスをする。
右の頬、左の頬、それから肩につかまって、濡れている目元へも……。

するとバルトロメオの方から、ユァンの唇をおもむろにとらえてきた。

「んっ、ユァン……」

思いを伝えるための優しい口づけが、情熱をぶつけるような激しいものに変わっていく。
厚みのある舌が、ユァンの上顎を慈しむようにねっとりと撫でた。
彼より若いユァンはその感触に性感を刺激されてしまって困る。

「……っ、待って、今は……」

バルトロメオの胸を押し、2人の唇の間に隙間を作った。

階下にはルカがいて、掃除をしながら見張りをしてくれているはずだ。
さっきまでモップを使う音が聞こえていたが……。

(あれ……?)

ユァンは違う空気を感じ、ハッと身を固くする。
バルトロメオがユァンより先に戸口を振り返った。

と、そこに人の姿があり、ユァンは思わず息を呑む。

「もういいのか? 感動の口づけは」

シプリアーノ司教が、戸口を塞ぐようにして立っていた。
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