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第1章 バルトロメオ
第22話
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また少しの沈黙があり、バルトロメオが口を開いた。
「教会本部宛てに匿名の投書があった。この修道院で、天使に対する陵辱が行われている」
(天使に対する、陵辱……?)
さすがのユァンも、天使が実存世界と違う次元のものだということは分かっている。
宗教的には存在することになっているが、それは抽象的な意味でのことで、普通に手を触れられる存在ではない。
だったら〝天使に対する陵辱〟とはなんなのか。
それはソドムとゴモラで行われていたこと、つまりソドミーである。
辞書的な意味では性器以外を使った性交、または男性同士の性交を表わすはずだ。
ユァンはそれを頭の中で確認し、いま山羊たちがここにいなくてよかったと思った。
山羊たちにそんな話は分からないだろうに。
「ソドミーは、我々の教義では禁じられています」
ユァンはか細い声で伝えた。
バルトロメオが続ける。
「だとしても、それ自体は割とどこででもあることだ。褒められたことじゃないが、俺はわざわざそれを調べにきたんじゃない。問題は……」
バルトロメオが一旦言葉を切り、空気が引き締まった。
「問題はそれが婉曲的な意味でなく、本当に天使に対して行われているかもしれないということだ」
「天使……?」
意味が分からずにユァンは聞き返す。
「つまり子供たちを指す」
「…………」
言っている意味がようやく理解できた。
が、あまりに恐ろしい想像に、今度はすぐには言葉が出なかった。
「可能性の話だが」
「でも……まさかそんなこと……」
我が家そのものである聖クリスピアヌス修道院で、そんなことが起きているとはユァンには信じられない。
ユァンはもう10年、ほぼすべての時間をこの修道院の中で過ごしているのだ。
投書の訴えが事実なら、自分がそれに気づかないわけがないと思った。
しかし逆に嘘の投書がなされたとしたら、誰かがそんなことをする理由が分からない。
修道士達の静かな生活を乱すべき動機のある人間が、いったいどこにいるのだろうか。
何かがおかしい。
不安に足下が揺らぎ、ユァンは手にしていた熊手の持ち手を握りしめた。
「僕には信じられない」
「ユァンは被害者じゃないのか」
「僕が? まさか」
「投書の主でもない」
「あ……それを疑って?」
「俺はアンタなら、何か知っている可能性があると踏んでいた」
それでユァンに近づいたなら、捜査の第1歩目は空振りだ。
ユァンは息をつき、首を横に振った。
バルトロメオは難しい顔をして、自分の顎を撫でている。
「俺の話を信じる信じないは、もちろんアンタの自由だ。修道院長に言う言わないも、俺が強制できることではない」
「でも……バルトさんは僕が司教さまに言わないと思って、今の話をしたんじゃないですか? 先に腹を割ってはなせば、僕はあなたを裏切れないと踏んで」
彼の片方の口角が持ち上がった。
「…………。子供みたいに純粋なヤツだと思ったが、案外馬鹿ではないんだな」
その言い様は気に入らない。
ムッとしかけたユァンにバルトロメオが告げる。
「やっぱりアンタを選んだのは正解だった」
「……どういうことですか?」
「ユァン、力を貸してくれ。アンタは柔軟で頭も悪くないし、損得勘定で動く人間じゃない。ここ数日一緒に過ごしてきて、信用できる人間だと分かった。投書の訴えが事実かどうかは分からない。だからこそ、その澄んだ目で事態を見極めてほしい」
有無を言わさぬ強い視線が、ユァンの体を貫いた。
ユァンとしては内偵捜査の邪魔をするつもりはなかったが、それに手を貸すべきかどうかは判断がつかなかった。
手を貸せば秘密裏に動くことになるわけで、何かあれば言うようにと言っていた、シプリアーノ司教を裏切ることになる。
自分はどうすべきなのか……。
それは自らの正義を持って判断すべきことのように思えた。
「……今はまだ、決められそうにありません」
しばらくの沈黙のあとでそう答えると、バルトロメオにぽんぽんと肩を叩かれる。
「そうだよな、こんなこと突然言われても困るよな。けど俺は……勝手だと思うが、アンタに期待している」
(本当に勝手な人だ、けど……)
肩に置かれた手のひらが思いのほか温かくて、理性よりも感情を揺さぶられた。
「教会本部宛てに匿名の投書があった。この修道院で、天使に対する陵辱が行われている」
(天使に対する、陵辱……?)
さすがのユァンも、天使が実存世界と違う次元のものだということは分かっている。
宗教的には存在することになっているが、それは抽象的な意味でのことで、普通に手を触れられる存在ではない。
だったら〝天使に対する陵辱〟とはなんなのか。
それはソドムとゴモラで行われていたこと、つまりソドミーである。
辞書的な意味では性器以外を使った性交、または男性同士の性交を表わすはずだ。
ユァンはそれを頭の中で確認し、いま山羊たちがここにいなくてよかったと思った。
山羊たちにそんな話は分からないだろうに。
「ソドミーは、我々の教義では禁じられています」
ユァンはか細い声で伝えた。
バルトロメオが続ける。
「だとしても、それ自体は割とどこででもあることだ。褒められたことじゃないが、俺はわざわざそれを調べにきたんじゃない。問題は……」
バルトロメオが一旦言葉を切り、空気が引き締まった。
「問題はそれが婉曲的な意味でなく、本当に天使に対して行われているかもしれないということだ」
「天使……?」
意味が分からずにユァンは聞き返す。
「つまり子供たちを指す」
「…………」
言っている意味がようやく理解できた。
が、あまりに恐ろしい想像に、今度はすぐには言葉が出なかった。
「可能性の話だが」
「でも……まさかそんなこと……」
我が家そのものである聖クリスピアヌス修道院で、そんなことが起きているとはユァンには信じられない。
ユァンはもう10年、ほぼすべての時間をこの修道院の中で過ごしているのだ。
投書の訴えが事実なら、自分がそれに気づかないわけがないと思った。
しかし逆に嘘の投書がなされたとしたら、誰かがそんなことをする理由が分からない。
修道士達の静かな生活を乱すべき動機のある人間が、いったいどこにいるのだろうか。
何かがおかしい。
不安に足下が揺らぎ、ユァンは手にしていた熊手の持ち手を握りしめた。
「僕には信じられない」
「ユァンは被害者じゃないのか」
「僕が? まさか」
「投書の主でもない」
「あ……それを疑って?」
「俺はアンタなら、何か知っている可能性があると踏んでいた」
それでユァンに近づいたなら、捜査の第1歩目は空振りだ。
ユァンは息をつき、首を横に振った。
バルトロメオは難しい顔をして、自分の顎を撫でている。
「俺の話を信じる信じないは、もちろんアンタの自由だ。修道院長に言う言わないも、俺が強制できることではない」
「でも……バルトさんは僕が司教さまに言わないと思って、今の話をしたんじゃないですか? 先に腹を割ってはなせば、僕はあなたを裏切れないと踏んで」
彼の片方の口角が持ち上がった。
「…………。子供みたいに純粋なヤツだと思ったが、案外馬鹿ではないんだな」
その言い様は気に入らない。
ムッとしかけたユァンにバルトロメオが告げる。
「やっぱりアンタを選んだのは正解だった」
「……どういうことですか?」
「ユァン、力を貸してくれ。アンタは柔軟で頭も悪くないし、損得勘定で動く人間じゃない。ここ数日一緒に過ごしてきて、信用できる人間だと分かった。投書の訴えが事実かどうかは分からない。だからこそ、その澄んだ目で事態を見極めてほしい」
有無を言わさぬ強い視線が、ユァンの体を貫いた。
ユァンとしては内偵捜査の邪魔をするつもりはなかったが、それに手を貸すべきかどうかは判断がつかなかった。
手を貸せば秘密裏に動くことになるわけで、何かあれば言うようにと言っていた、シプリアーノ司教を裏切ることになる。
自分はどうすべきなのか……。
それは自らの正義を持って判断すべきことのように思えた。
「……今はまだ、決められそうにありません」
しばらくの沈黙のあとでそう答えると、バルトロメオにぽんぽんと肩を叩かれる。
「そうだよな、こんなこと突然言われても困るよな。けど俺は……勝手だと思うが、アンタに期待している」
(本当に勝手な人だ、けど……)
肩に置かれた手のひらが思いのほか温かくて、理性よりも感情を揺さぶられた。
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