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第1章 バルトロメオ
第16話
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目の前の木の枝を払うと視界が開け、牧草地の雄大なパノラマが広がった。
サワサワと草のなびく音が耳に心地いい。
山羊たちはもうあちこちで、草を食み始めている。
山羊はお腹が空けば小屋の敷き藁でもなんでも食べてしまうけれど、やっぱり新鮮な牧草は美味しいらしい。
美食家の彼らはそれに目がなかった。
「いち、に、さん……」
山羊の数を確認したユァンは、牧草の代わりにさわやかな春の香りを胸に満たす。
「僕らもここで休憩です」
後ろから来たバルトロメオにそう伝え、草の上にハンカチを広げた。
そしてそこに座るよう勧めようと思って振り向くと、彼はもう草の上に横になっている。
(――早っ! っていうか僕が遅いのか)
テンポの遅いユァンは、仕方なく自分の尻を広げたハンカチの上に収めた。
「気持ちいいな、よく晴れていて」
「はい、とっても」
仰向けに横たわるバルトロメオの隣で、ユァンはひざを抱く。
「晴れた日は毎日ここへ?」
「あ……こっちじゃなくて、西側の牧草地に行くこともあります。草の生え具合を見て。あと、頼まれて近所のお宅のお庭へお邪魔したり。山羊は食べることで、草むしりのお手伝いをしてくれますから」
「なるほど。食べることが手伝いになるなら万々歳だな!」
まぶしげに空へ片手をかざし、バルトロメオが笑った。
「それがそうでもなくて。山羊にだって好みがあります。仕方なくって顔して食べますよ」
ユァンが顔を歪めてみせると、バルトロメオはパチパチとまばたきをする。
「山羊が『仕方なく』って顔をするのか?」
「しますよ」
「本当なのか?」
こっちは真面目に答えているのに、彼は意味ありげに片方の口角だけを持ち上げてみせる。
(これ、信じてないよね? ひどいなあ)
ユァンのそんな考えが顔に出ていたのか、客人はこらえきれないように肩を揺らして笑った。
「なんですか」
「面白いな、ユァンは!」
「僕なんて、何も面白くないでしょうに」
だって面白いなんてそんなこと、誰からも言われたことがない。
「人を面白がるなんて、神に仕える者としてはよろしくないな」
「そういうことは言ってませんけど……」
自分で『よろしくない』と言いながら、バルトロメオはまだ口元に笑いをたたえていた。
そもそも教会では、笑うこと自体あまりよしとしていないのに。
(本当にこの人は)
ユァンまで思わず笑ってしまった。
それからユァンが立ってまた山羊の数を数えていると、横から音楽が聞こえてくる。
(……えっ?)
見るとバルトロメオが、寝たまま携帯端末をいじっていた。
「あの、それ……」
「ん?」
「見つかったら取り上げられちゃいますよ? 今あなた、見習い修道士なんですから」
「ここならバレない」
彼は音楽に乗って、指揮棒を振るように人差し指を回し始める。
確かにここにいるのは自分たちだけだし、さすがに建物のあるエリアまで音楽が聞こえることはないだろう。
だからといって、バレなければいいって考えもどうかとは思うけれど。
ただそれは、彼がそれを持っていると知って、黙っているユァン自身も同罪だった。
ユァンはそっと胸のロザリオを握る。
(神よ。彼のささやかな楽しみと、優柔不断な僕をお許しください)
祈りの成果か知らないが、牧草地に流れる音楽を邪魔するものはない。
山羊たちが草を食みながら、時折こちらに耳を向けていた。
ユァンも普段なら開く本を開かず、山羊たちに目を向けている。
耳は彼らと同じく、聞き慣れない音楽を追っていた。
賛美歌とは違う歌声のトーンと電子的なミュージックが、なんだか気持ちをソワソワさせる。
心地よくはないけれど、嫌ではない。不思議な感じがした。
サワサワと草のなびく音が耳に心地いい。
山羊たちはもうあちこちで、草を食み始めている。
山羊はお腹が空けば小屋の敷き藁でもなんでも食べてしまうけれど、やっぱり新鮮な牧草は美味しいらしい。
美食家の彼らはそれに目がなかった。
「いち、に、さん……」
山羊の数を確認したユァンは、牧草の代わりにさわやかな春の香りを胸に満たす。
「僕らもここで休憩です」
後ろから来たバルトロメオにそう伝え、草の上にハンカチを広げた。
そしてそこに座るよう勧めようと思って振り向くと、彼はもう草の上に横になっている。
(――早っ! っていうか僕が遅いのか)
テンポの遅いユァンは、仕方なく自分の尻を広げたハンカチの上に収めた。
「気持ちいいな、よく晴れていて」
「はい、とっても」
仰向けに横たわるバルトロメオの隣で、ユァンはひざを抱く。
「晴れた日は毎日ここへ?」
「あ……こっちじゃなくて、西側の牧草地に行くこともあります。草の生え具合を見て。あと、頼まれて近所のお宅のお庭へお邪魔したり。山羊は食べることで、草むしりのお手伝いをしてくれますから」
「なるほど。食べることが手伝いになるなら万々歳だな!」
まぶしげに空へ片手をかざし、バルトロメオが笑った。
「それがそうでもなくて。山羊にだって好みがあります。仕方なくって顔して食べますよ」
ユァンが顔を歪めてみせると、バルトロメオはパチパチとまばたきをする。
「山羊が『仕方なく』って顔をするのか?」
「しますよ」
「本当なのか?」
こっちは真面目に答えているのに、彼は意味ありげに片方の口角だけを持ち上げてみせる。
(これ、信じてないよね? ひどいなあ)
ユァンのそんな考えが顔に出ていたのか、客人はこらえきれないように肩を揺らして笑った。
「なんですか」
「面白いな、ユァンは!」
「僕なんて、何も面白くないでしょうに」
だって面白いなんてそんなこと、誰からも言われたことがない。
「人を面白がるなんて、神に仕える者としてはよろしくないな」
「そういうことは言ってませんけど……」
自分で『よろしくない』と言いながら、バルトロメオはまだ口元に笑いをたたえていた。
そもそも教会では、笑うこと自体あまりよしとしていないのに。
(本当にこの人は)
ユァンまで思わず笑ってしまった。
それからユァンが立ってまた山羊の数を数えていると、横から音楽が聞こえてくる。
(……えっ?)
見るとバルトロメオが、寝たまま携帯端末をいじっていた。
「あの、それ……」
「ん?」
「見つかったら取り上げられちゃいますよ? 今あなた、見習い修道士なんですから」
「ここならバレない」
彼は音楽に乗って、指揮棒を振るように人差し指を回し始める。
確かにここにいるのは自分たちだけだし、さすがに建物のあるエリアまで音楽が聞こえることはないだろう。
だからといって、バレなければいいって考えもどうかとは思うけれど。
ただそれは、彼がそれを持っていると知って、黙っているユァン自身も同罪だった。
ユァンはそっと胸のロザリオを握る。
(神よ。彼のささやかな楽しみと、優柔不断な僕をお許しください)
祈りの成果か知らないが、牧草地に流れる音楽を邪魔するものはない。
山羊たちが草を食みながら、時折こちらに耳を向けていた。
ユァンも普段なら開く本を開かず、山羊たちに目を向けている。
耳は彼らと同じく、聞き慣れない音楽を追っていた。
賛美歌とは違う歌声のトーンと電子的なミュージックが、なんだか気持ちをソワソワさせる。
心地よくはないけれど、嫌ではない。不思議な感じがした。
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