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25,心が動くから体が動く
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その日の午後、スタジオでの待ち時間。
このあと撮るシーンを確認していて、俺はあることに気がつく。
(あれ……? 読み合わせの時には気づかなかったけど、ここってそういうシーンだったのか)
絵コンテには俺がヒロインを抱きしめる動きが、しっかりと描かれていた。
子供も見る番組で、そういうシーンはありませんから――。
今朝、羽田さんに言った言葉を思い出す。
(キスシーンじゃないけど、近いのはあった……)
手元から顔を上げて見ると、羽田さんはセットの向こうであちらも出番待ちの様子だ。
(羽田さんも見るのかな?)
動揺して思わず、スバルのヘアスタイルにしてもらったばかりの髪を掻き上げる。
「あっ、一月くん!」
メイクさんが駆け寄ってきて、俺が乱した前髪にすかさずブラシを入れた。
「すみません……」
「いえ、ラブシーン頑張ってくださいね!」
「やっぱりこれ、ラブシーンなんだ……」
「はい?」
「いや、なんでも……」
メイクさんはヘアブラシの先だけで俺に触れていった。けれども次のシーンでは、俺はヒロインとがっつり体を触れ合わせることになる。
(俺、大丈夫かな?)
演技で不自然なところが出ないかと思うと、やっぱりまだ不安はあった。苦手意識を克服する努力はしてみたけれど、その成果はいかほどのものなのか。
*
それからいくつかのシーンの撮影を挟み、例のシーンのリハーサルをする段となる。
(ま、やるしかないもんな!)
ポケットの中の指輪を握って精神統一し、俺はセットの中に向かった。
本番通りのセット、立ち位置でリハーサルが始まる。
このシーンの直前で、ヒロインが敵方の異星人だったという事実が発覚している。そしてここは自らの運命を悔やみ姿を消そうとする彼女を、主人公のスバルが引き留めるシーンだ。 俺、スバルがセットの奥に、そしてヒロインが手前に立ちスタートがかかった。
駆けだしていくヒロイン。俺はそれを追う。
『待て!』
彼女が玄関のドアを開けたところで後ろから手首をつかみ、自分の胸に引き寄せる。
ヒロインの細い体が、腕の中にすっぽりと収まった。
カメラが寄ってきて、彼女の長い髪がはらりと解けた。いいタイミングだ。
『行くな』
『どうして……。私の正体……聞かなかったの!?』
彼女がキッと顔を上げた。意志の強い瞳、それでも本当は怯えている。抱きしめているスバルにはそれが手に取るように分かる。
『関係ない。俺にとっては守るべき仲間だ』
開け放たれたままの、ドアの外ではホースの雨が降っていた。2人を覆い隠すように、雨脚が強くなっていき……。
俺は祈る思いで、彼女の髪に唇を押し当てた。
その熱に反応するように、彼女の体から徐々に力が抜けていく。
「オーケー、すごくいいよ!」
監督の声を聞き、俺は抱きしめていた腕をほどく。
ヒロイン役の彼女が頬を染め、俺を見上げた。
「ちょっとびっくりしちゃった。一月くん、すごく大胆で……」
「え……大胆なのかな?」
まだ少し、ぼんやりした頭で考える。
彼女の髪に口づけたのは、確かに俺のアドリブだった。〝俺の〟というより、スバルの感情がそうさせた。
ヒーローとして困っている人を助けるのは当然だ――そういう正義感とは発生源の違う感情がそこにあった。
あれはどこか、羽田さんに対する俺の思いに似ている。今朝、あの人を守ろうとした俺の行動は、彼にとって余計なお節介だったんだろう。あの人は俺に守られるほど弱くない。
それでも俺はあの人を守りたいと思い、理性ではなく感情の部分で動いていた。
(心が動くから、体が動く……)
そう考えると俺は、間違いなくあの人に心動かされている。スバルがヒロインの髪に口づけしたように、俺はあの人に……。
セットの外に羽田さんの姿を探す。
撮影スタッフが作る人垣の向こうから、彼は俺を見守るような視線をこちらに向けていた。
心を見透かされているような気がしてしまい、俺はとっさに顔を背ける。
(違う、キスしてきたのはあの人の方だ! 勘違いするな、俺はあの人に触れたいなんて、これっぽっちも……)
それはともかくとして、本番もリハーサルの勢いで、自然にそのシーンを演じきることができた。
*
撮影後――。
スタジオから出たところで熊谷さんに話しかけられた。
「一月くん! 今日は普段にも増して神がかってたね」
撮影所内の渡り廊下で肩を並べる。俺もそうだが、熊谷さんも更衣室のある建物へ向かうようだ。
「俺、いつもと違いましたか?」
「うん、すごかったよ! 特にあのラブシーン」
(やっぱりその話なのか……)
みんなから散々言われて気恥ずかしさのピークは過ぎたけれど、その件に関してどう反応していいのかは分からないままだった。
「なんだか、ひと皮むけたって感じ? あ、上から目線に聞こえたらごめんね」
「いや、そんなことは……」
言葉を濁す俺に、熊谷さんは明るく笑ってみせる。
「毎年主役には才能ある子が選ばれるけど、一月くんは別格だと思う!」
それはさすがに買いかぶりすぎだ。なんだかんだでみんなが俺を特別扱いするけれど、こっちは必死に食らいついているだけだ。ユーマニオンレッドというヒーロー像に。そしてたぶん、羽田さんの背中に……。
「少しは上達できたなら嬉しいです」
そんなふうに答えると、今度は別の声が後ろから話しかけてきた。
「俺サマのおかげだよな!」
言葉に続いてドンと背中を叩かれる。羽田さんだった。その顔はニヤニヤ笑っている。
「なんでアニキのおかげなんだよ!」
俺に代わって熊谷さんがツッコミを入れた。
すると羽田さんが、意味深な視線をこちらに投げかけてくる。
「それはまあ、なあ一月」
(もしかして、今朝のキスのことを言ってる?)
熊谷さんもいる前でその話をするなんて、100パーセント俺への嫌がらせだ。
「違いますから、そんなんじゃありません! っていうか羽田さん、レッドのスーツでそのニヤけ顔はやめてくださいって前から言っているでしょう!」
「お前こそ、スバルの衣装で何キョドってんだよ!」
羽田さんも同じ勢いで言い返してきた。
「きょど……挙動不審になんてなってません! それを言ったら羽田さんなんか不審者です!」
「誰が不審者だ!」
「まーまー2人とも!」
肩をぶつけ合う俺たちの間に、熊谷さんが自分の肩をねじ込ませてきて引き離す。
「喧嘩するほど仲がいいって言うけど……アニキ、あんまりタチの悪い絡み方してると、本気で一月くんに嫌われるよ?」
「大丈夫、俺たち付き合ってるもんな? 一月」
「は……!? それ以上変なこと言ったら訴えますよ!」
全力で怒ってみせると、羽田さんはつまらなそうな顔をした。
「……なんだよ、ただの冗談なのに」
逆に、熊谷さんの方がびっくりした顔で俺に謝ってくる。
「ごめんね一月くん! アニキはガキだから、好きな子には意地悪したくなるんだよ!」
「一月のツンデレもたいがいだけどな」
「誰がツンデレですかっ」
そんなどうでもいい会話をするうちに、俺たちは更衣室のある棟の前にたどり着いた。
「じゃあ、僕たちはこっちだから! ほら、行くよアニキ!」
熊谷さんが羽田さんを引きずるようにして、建物の中へと連行していく。アクションチームの更衣室は、俺の使っている部屋とは逆の方向だ。
俺はそちらへ消えていく2人を見送り、息をついた。
(……はあ。今の構われ方は心臓に悪い)
とはいえ、羽田さんのおかげで絡みのあるシーンを自然に演じられるようになったのも、ある意味では事実で……。
「あの人には敵わないな……」
ため息と共に、そんな言葉がこぼれ出た。するとすぐ後ろから、また声が聞こえてきてぎょっとする。
「その話、詳しく聞きたいな」
(えっ……!?)
振り返ってみて、もう一度ぎょっとした。
「プロデューサー……!」
いつからいたのか、プロデューサーがそこに立っていた。
このあと撮るシーンを確認していて、俺はあることに気がつく。
(あれ……? 読み合わせの時には気づかなかったけど、ここってそういうシーンだったのか)
絵コンテには俺がヒロインを抱きしめる動きが、しっかりと描かれていた。
子供も見る番組で、そういうシーンはありませんから――。
今朝、羽田さんに言った言葉を思い出す。
(キスシーンじゃないけど、近いのはあった……)
手元から顔を上げて見ると、羽田さんはセットの向こうであちらも出番待ちの様子だ。
(羽田さんも見るのかな?)
動揺して思わず、スバルのヘアスタイルにしてもらったばかりの髪を掻き上げる。
「あっ、一月くん!」
メイクさんが駆け寄ってきて、俺が乱した前髪にすかさずブラシを入れた。
「すみません……」
「いえ、ラブシーン頑張ってくださいね!」
「やっぱりこれ、ラブシーンなんだ……」
「はい?」
「いや、なんでも……」
メイクさんはヘアブラシの先だけで俺に触れていった。けれども次のシーンでは、俺はヒロインとがっつり体を触れ合わせることになる。
(俺、大丈夫かな?)
演技で不自然なところが出ないかと思うと、やっぱりまだ不安はあった。苦手意識を克服する努力はしてみたけれど、その成果はいかほどのものなのか。
*
それからいくつかのシーンの撮影を挟み、例のシーンのリハーサルをする段となる。
(ま、やるしかないもんな!)
ポケットの中の指輪を握って精神統一し、俺はセットの中に向かった。
本番通りのセット、立ち位置でリハーサルが始まる。
このシーンの直前で、ヒロインが敵方の異星人だったという事実が発覚している。そしてここは自らの運命を悔やみ姿を消そうとする彼女を、主人公のスバルが引き留めるシーンだ。 俺、スバルがセットの奥に、そしてヒロインが手前に立ちスタートがかかった。
駆けだしていくヒロイン。俺はそれを追う。
『待て!』
彼女が玄関のドアを開けたところで後ろから手首をつかみ、自分の胸に引き寄せる。
ヒロインの細い体が、腕の中にすっぽりと収まった。
カメラが寄ってきて、彼女の長い髪がはらりと解けた。いいタイミングだ。
『行くな』
『どうして……。私の正体……聞かなかったの!?』
彼女がキッと顔を上げた。意志の強い瞳、それでも本当は怯えている。抱きしめているスバルにはそれが手に取るように分かる。
『関係ない。俺にとっては守るべき仲間だ』
開け放たれたままの、ドアの外ではホースの雨が降っていた。2人を覆い隠すように、雨脚が強くなっていき……。
俺は祈る思いで、彼女の髪に唇を押し当てた。
その熱に反応するように、彼女の体から徐々に力が抜けていく。
「オーケー、すごくいいよ!」
監督の声を聞き、俺は抱きしめていた腕をほどく。
ヒロイン役の彼女が頬を染め、俺を見上げた。
「ちょっとびっくりしちゃった。一月くん、すごく大胆で……」
「え……大胆なのかな?」
まだ少し、ぼんやりした頭で考える。
彼女の髪に口づけたのは、確かに俺のアドリブだった。〝俺の〟というより、スバルの感情がそうさせた。
ヒーローとして困っている人を助けるのは当然だ――そういう正義感とは発生源の違う感情がそこにあった。
あれはどこか、羽田さんに対する俺の思いに似ている。今朝、あの人を守ろうとした俺の行動は、彼にとって余計なお節介だったんだろう。あの人は俺に守られるほど弱くない。
それでも俺はあの人を守りたいと思い、理性ではなく感情の部分で動いていた。
(心が動くから、体が動く……)
そう考えると俺は、間違いなくあの人に心動かされている。スバルがヒロインの髪に口づけしたように、俺はあの人に……。
セットの外に羽田さんの姿を探す。
撮影スタッフが作る人垣の向こうから、彼は俺を見守るような視線をこちらに向けていた。
心を見透かされているような気がしてしまい、俺はとっさに顔を背ける。
(違う、キスしてきたのはあの人の方だ! 勘違いするな、俺はあの人に触れたいなんて、これっぽっちも……)
それはともかくとして、本番もリハーサルの勢いで、自然にそのシーンを演じきることができた。
*
撮影後――。
スタジオから出たところで熊谷さんに話しかけられた。
「一月くん! 今日は普段にも増して神がかってたね」
撮影所内の渡り廊下で肩を並べる。俺もそうだが、熊谷さんも更衣室のある建物へ向かうようだ。
「俺、いつもと違いましたか?」
「うん、すごかったよ! 特にあのラブシーン」
(やっぱりその話なのか……)
みんなから散々言われて気恥ずかしさのピークは過ぎたけれど、その件に関してどう反応していいのかは分からないままだった。
「なんだか、ひと皮むけたって感じ? あ、上から目線に聞こえたらごめんね」
「いや、そんなことは……」
言葉を濁す俺に、熊谷さんは明るく笑ってみせる。
「毎年主役には才能ある子が選ばれるけど、一月くんは別格だと思う!」
それはさすがに買いかぶりすぎだ。なんだかんだでみんなが俺を特別扱いするけれど、こっちは必死に食らいついているだけだ。ユーマニオンレッドというヒーロー像に。そしてたぶん、羽田さんの背中に……。
「少しは上達できたなら嬉しいです」
そんなふうに答えると、今度は別の声が後ろから話しかけてきた。
「俺サマのおかげだよな!」
言葉に続いてドンと背中を叩かれる。羽田さんだった。その顔はニヤニヤ笑っている。
「なんでアニキのおかげなんだよ!」
俺に代わって熊谷さんがツッコミを入れた。
すると羽田さんが、意味深な視線をこちらに投げかけてくる。
「それはまあ、なあ一月」
(もしかして、今朝のキスのことを言ってる?)
熊谷さんもいる前でその話をするなんて、100パーセント俺への嫌がらせだ。
「違いますから、そんなんじゃありません! っていうか羽田さん、レッドのスーツでそのニヤけ顔はやめてくださいって前から言っているでしょう!」
「お前こそ、スバルの衣装で何キョドってんだよ!」
羽田さんも同じ勢いで言い返してきた。
「きょど……挙動不審になんてなってません! それを言ったら羽田さんなんか不審者です!」
「誰が不審者だ!」
「まーまー2人とも!」
肩をぶつけ合う俺たちの間に、熊谷さんが自分の肩をねじ込ませてきて引き離す。
「喧嘩するほど仲がいいって言うけど……アニキ、あんまりタチの悪い絡み方してると、本気で一月くんに嫌われるよ?」
「大丈夫、俺たち付き合ってるもんな? 一月」
「は……!? それ以上変なこと言ったら訴えますよ!」
全力で怒ってみせると、羽田さんはつまらなそうな顔をした。
「……なんだよ、ただの冗談なのに」
逆に、熊谷さんの方がびっくりした顔で俺に謝ってくる。
「ごめんね一月くん! アニキはガキだから、好きな子には意地悪したくなるんだよ!」
「一月のツンデレもたいがいだけどな」
「誰がツンデレですかっ」
そんなどうでもいい会話をするうちに、俺たちは更衣室のある棟の前にたどり着いた。
「じゃあ、僕たちはこっちだから! ほら、行くよアニキ!」
熊谷さんが羽田さんを引きずるようにして、建物の中へと連行していく。アクションチームの更衣室は、俺の使っている部屋とは逆の方向だ。
俺はそちらへ消えていく2人を見送り、息をついた。
(……はあ。今の構われ方は心臓に悪い)
とはいえ、羽田さんのおかげで絡みのあるシーンを自然に演じられるようになったのも、ある意味では事実で……。
「あの人には敵わないな……」
ため息と共に、そんな言葉がこぼれ出た。するとすぐ後ろから、また声が聞こえてきてぎょっとする。
「その話、詳しく聞きたいな」
(えっ……!?)
振り返ってみて、もう一度ぎょっとした。
「プロデューサー……!」
いつからいたのか、プロデューサーがそこに立っていた。
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