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4章:本と個展とオリンピック
第5話
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「相楽……」
僕の後ろで、橘さんがうなる。
(あの目、相楽さんにも絶対、今の話が聞こえてた!)
張り詰めた空気の中、彼は僕たちのところまでまっすぐに歩いてきた。
「ミズキ」
「は、はい……」
「玄関にこれ、忘れてた」
スマートフォンを胸元に押しつけられる。
とっさにホームボタンを押すと、画面に橘さんからの呼び出しメールが表示された。
(……っ、これ見て来たのか!)
パスコードロックまでの時間を短く設定していなかったことを、しまったと思う。
「橘さん、俺、言いましたよね? こいつと住んでるって」
相楽さんの問いかけに、橘さんは戸惑いの表情を浮かべた。
「分かってて、なんでこんなことするかな」
みんなの視線が、僕の頬に突き刺さる。
「だいたい、まだ休業して1カ月もならないのに。見切り早すぎだろ……」
相楽さんの左手が、すっと僕の肩に乗ってきた。
そこでようやく橘さんが反応する。
「荒川くん、行くところがないなら一旦うちにおいで」
「……は?」
聞き返したのは相楽さんだった。
「嫁と子供もいるけど、君1人くらいなら置いてあげられる」
「何言ってる!」
肩の上にある手に力がこもった。
「だって荒川くんだけ、お前の元に置いておけないよ。一度面倒を見ることになったら、僕にとって大切な部下だ」
2人の間で、視線の火花がぶつかる。
「もう勝手にしろ。ミズキ、行くぞ!」
強引に肩を引き寄せられた。
「待ってください!」
とっさに僕の方から、相楽さんの腕を握り返す。
「待って……こんなのおかしいじゃないですか! どうして相楽さんと橘さんがぶつかり合う必要があるんです!? 2人は一緒に前の会社から独立して、今までずっとやってきたんですよね? 僕にはバラバラになる理由が分かりません!」
僕の言葉に、2人は睨み合ったまま答えなかった。
少しして、橘さんが口を開く。
「経営方針の違いだよ」
「でも、橘さんは分かってるんですよね? 久保田さんやみんなは、相楽さんのことを誤解してるって」
「誤解……?」
橘さんの瞳の奥が揺らいだ。
「そうですよ、相楽さんはデザインができないんじゃない! 相楽さんは――…」
「ミズキ!」
相楽さんの低い声に遮られた。
「もういい」
「よくないです! 誤解されたままでいいわけない!」
「お前、ちょっと黙ってろ!」
みんなの前だというのに、口の中に親指を突っ込まれる。
そのまま僕は、マンションまで引きずられて帰った。
*
「放してください!」
玄関に入り靴を脱ぐタイミングで、ようやく相楽さんの腕を振り払う。
「どうして何も言わないんですか! その右手のこと、話さないままじゃみんなに誤解されたままだ」
「……ミズキは、何を知ってる」
玄関の鍵を閉めた相楽さんが、振り返って僕を睨んだ。
強い瞳に射抜かれて、背筋がビクッと震える。
「誰に、何を吹き込まれた」
彼は玄関で仁王立ちになり、じっと僕を見据えている。
「吹き込まれたとかじゃない……早乙女さんから聞いたんです」
「早乙女?」
彼は意外そうに片眉を上げた。
「早乙女がなんだって?」
「以前、たまたま聞いたんです。相楽さんが代理店時代に職場で倒れて、しばらく入院とリハビリが必要だったってことを」
「それで……聞いたのはそれだけか?」
その表情に、明らかな困惑の色が浮かぶ。
「はい、聞いたのはそれだけです。でも僕は、前から不思議に思っていました。デザイナー時代、とても繊細なデザインをしていたあなたなのに、なぜか手描きラフが得意じゃない。エコ水の時もそうでした。あなたの描くモンスターの絵は不器用で、ちょっと、僕のイメージしていた相楽天のものとは違った」
目の前の彼が苦笑を浮かべて反論した。
「デザイナーはイラストレーターじゃない。絵の描けないデザイナーはいくらでもいる」
「けど、相楽天に限っては違う。あなたの作品には、イラストを使ったものが多いですよね。特に昔は、そういう作品の方が多かった」
「それは、単なるお前のイメージだろ」
相楽さんの視線が下がる。
「違います。僕は学生時代から、あなたの作品をよく見ていましたから」
「…………」
言葉を失ってしまった彼を見つめ、僕はその右手を拾い上げる。
「久保田さんたちは、相楽さんがもともとデザインできない人だって思い込んでますが、違いますよね? あなたのこの手は、倒れた時から描けなくなってしまった」
手の中で、彼の右手がビクリと震えた。
「早乙女さんが言ってた『入院とリハビリが必要だった』っていうのはそういう意味だ」
「……お前、勘がよすぎないか?」
目を上げた相楽さんが、泣き笑いのような顔になる。
「早乙女だって、この手が治ってないことには気づかなかったのに……」
僕の後ろで、橘さんがうなる。
(あの目、相楽さんにも絶対、今の話が聞こえてた!)
張り詰めた空気の中、彼は僕たちのところまでまっすぐに歩いてきた。
「ミズキ」
「は、はい……」
「玄関にこれ、忘れてた」
スマートフォンを胸元に押しつけられる。
とっさにホームボタンを押すと、画面に橘さんからの呼び出しメールが表示された。
(……っ、これ見て来たのか!)
パスコードロックまでの時間を短く設定していなかったことを、しまったと思う。
「橘さん、俺、言いましたよね? こいつと住んでるって」
相楽さんの問いかけに、橘さんは戸惑いの表情を浮かべた。
「分かってて、なんでこんなことするかな」
みんなの視線が、僕の頬に突き刺さる。
「だいたい、まだ休業して1カ月もならないのに。見切り早すぎだろ……」
相楽さんの左手が、すっと僕の肩に乗ってきた。
そこでようやく橘さんが反応する。
「荒川くん、行くところがないなら一旦うちにおいで」
「……は?」
聞き返したのは相楽さんだった。
「嫁と子供もいるけど、君1人くらいなら置いてあげられる」
「何言ってる!」
肩の上にある手に力がこもった。
「だって荒川くんだけ、お前の元に置いておけないよ。一度面倒を見ることになったら、僕にとって大切な部下だ」
2人の間で、視線の火花がぶつかる。
「もう勝手にしろ。ミズキ、行くぞ!」
強引に肩を引き寄せられた。
「待ってください!」
とっさに僕の方から、相楽さんの腕を握り返す。
「待って……こんなのおかしいじゃないですか! どうして相楽さんと橘さんがぶつかり合う必要があるんです!? 2人は一緒に前の会社から独立して、今までずっとやってきたんですよね? 僕にはバラバラになる理由が分かりません!」
僕の言葉に、2人は睨み合ったまま答えなかった。
少しして、橘さんが口を開く。
「経営方針の違いだよ」
「でも、橘さんは分かってるんですよね? 久保田さんやみんなは、相楽さんのことを誤解してるって」
「誤解……?」
橘さんの瞳の奥が揺らいだ。
「そうですよ、相楽さんはデザインができないんじゃない! 相楽さんは――…」
「ミズキ!」
相楽さんの低い声に遮られた。
「もういい」
「よくないです! 誤解されたままでいいわけない!」
「お前、ちょっと黙ってろ!」
みんなの前だというのに、口の中に親指を突っ込まれる。
そのまま僕は、マンションまで引きずられて帰った。
*
「放してください!」
玄関に入り靴を脱ぐタイミングで、ようやく相楽さんの腕を振り払う。
「どうして何も言わないんですか! その右手のこと、話さないままじゃみんなに誤解されたままだ」
「……ミズキは、何を知ってる」
玄関の鍵を閉めた相楽さんが、振り返って僕を睨んだ。
強い瞳に射抜かれて、背筋がビクッと震える。
「誰に、何を吹き込まれた」
彼は玄関で仁王立ちになり、じっと僕を見据えている。
「吹き込まれたとかじゃない……早乙女さんから聞いたんです」
「早乙女?」
彼は意外そうに片眉を上げた。
「早乙女がなんだって?」
「以前、たまたま聞いたんです。相楽さんが代理店時代に職場で倒れて、しばらく入院とリハビリが必要だったってことを」
「それで……聞いたのはそれだけか?」
その表情に、明らかな困惑の色が浮かぶ。
「はい、聞いたのはそれだけです。でも僕は、前から不思議に思っていました。デザイナー時代、とても繊細なデザインをしていたあなたなのに、なぜか手描きラフが得意じゃない。エコ水の時もそうでした。あなたの描くモンスターの絵は不器用で、ちょっと、僕のイメージしていた相楽天のものとは違った」
目の前の彼が苦笑を浮かべて反論した。
「デザイナーはイラストレーターじゃない。絵の描けないデザイナーはいくらでもいる」
「けど、相楽天に限っては違う。あなたの作品には、イラストを使ったものが多いですよね。特に昔は、そういう作品の方が多かった」
「それは、単なるお前のイメージだろ」
相楽さんの視線が下がる。
「違います。僕は学生時代から、あなたの作品をよく見ていましたから」
「…………」
言葉を失ってしまった彼を見つめ、僕はその右手を拾い上げる。
「久保田さんたちは、相楽さんがもともとデザインできない人だって思い込んでますが、違いますよね? あなたのこの手は、倒れた時から描けなくなってしまった」
手の中で、彼の右手がビクリと震えた。
「早乙女さんが言ってた『入院とリハビリが必要だった』っていうのはそういう意味だ」
「……お前、勘がよすぎないか?」
目を上げた相楽さんが、泣き笑いのような顔になる。
「早乙女だって、この手が治ってないことには気づかなかったのに……」
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