上 下
46 / 58
4章:本と個展とオリンピック

第5話

しおりを挟む
「相楽……」

僕の後ろで、橘さんがうなる。

(あの目、相楽さんにも絶対、今の話が聞こえてた!)

張り詰めた空気の中、彼は僕たちのところまでまっすぐに歩いてきた。

「ミズキ」
「は、はい……」
「玄関にこれ、忘れてた」

スマートフォンを胸元に押しつけられる。
とっさにホームボタンを押すと、画面に橘さんからの呼び出しメールが表示された。

(……っ、これ見て来たのか!)

パスコードロックまでの時間を短く設定していなかったことを、しまったと思う。

「橘さん、俺、言いましたよね? こいつと住んでるって」

相楽さんの問いかけに、橘さんは戸惑いの表情を浮かべた。

「分かってて、なんでこんなことするかな」

みんなの視線が、僕の頬に突き刺さる。

「だいたい、まだ休業して1カ月もならないのに。見切り早すぎだろ……」

相楽さんの左手が、すっと僕の肩に乗ってきた。
そこでようやく橘さんが反応する。

「荒川くん、行くところがないなら一旦うちにおいで」
「……は?」

聞き返したのは相楽さんだった。

「嫁と子供もいるけど、君1人くらいなら置いてあげられる」
「何言ってる!」

肩の上にある手に力がこもった。

「だって荒川くんだけ、お前の元に置いておけないよ。一度面倒を見ることになったら、僕にとって大切な部下だ」

2人の間で、視線の火花がぶつかる。

「もう勝手にしろ。ミズキ、行くぞ!」

強引に肩を引き寄せられた。

「待ってください!」

とっさに僕の方から、相楽さんの腕を握り返す。

「待って……こんなのおかしいじゃないですか! どうして相楽さんと橘さんがぶつかり合う必要があるんです!? 2人は一緒に前の会社から独立して、今までずっとやってきたんですよね? 僕にはバラバラになる理由が分かりません!」

僕の言葉に、2人は睨み合ったまま答えなかった。
少しして、橘さんが口を開く。

「経営方針の違いだよ」
「でも、橘さんは分かってるんですよね? 久保田さんやみんなは、相楽さんのことを誤解してるって」
「誤解……?」

橘さんの瞳の奥が揺らいだ。

「そうですよ、相楽さんはデザインができないんじゃない! 相楽さんは――…」
「ミズキ!」

相楽さんの低い声に遮られた。

「もういい」
「よくないです! 誤解されたままでいいわけない!」
「お前、ちょっと黙ってろ!」

みんなの前だというのに、口の中に親指を突っ込まれる。
そのまま僕は、マンションまで引きずられて帰った。



「放してください!」

玄関に入り靴を脱ぐタイミングで、ようやく相楽さんの腕を振り払う。

「どうして何も言わないんですか! その右手のこと、話さないままじゃみんなに誤解されたままだ」
「……ミズキは、何を知ってる」

玄関の鍵を閉めた相楽さんが、振り返って僕を睨んだ。
強い瞳に射抜かれて、背筋がビクッと震える。

「誰に、何を吹き込まれた」

彼は玄関で仁王立ちになり、じっと僕を見据えている。

「吹き込まれたとかじゃない……早乙女さんから聞いたんです」
「早乙女?」

彼は意外そうに片眉を上げた。

「早乙女がなんだって?」
「以前、たまたま聞いたんです。相楽さんが代理店時代に職場で倒れて、しばらく入院とリハビリが必要だったってことを」
「それで……聞いたのはそれだけか?」

その表情に、明らかな困惑の色が浮かぶ。

「はい、聞いたのはそれだけです。でも僕は、前から不思議に思っていました。デザイナー時代、とても繊細なデザインをしていたあなたなのに、なぜか手描きラフが得意じゃない。エコ水の時もそうでした。あなたの描くモンスターの絵は不器用で、ちょっと、僕のイメージしていた相楽天のものとは違った」

目の前の彼が苦笑を浮かべて反論した。

「デザイナーはイラストレーターじゃない。絵の描けないデザイナーはいくらでもいる」
「けど、相楽天に限っては違う。あなたの作品には、イラストを使ったものが多いですよね。特に昔は、そういう作品の方が多かった」
「それは、単なるお前のイメージだろ」

相楽さんの視線が下がる。

「違います。僕は学生時代から、あなたの作品をよく見ていましたから」
「…………」

言葉を失ってしまった彼を見つめ、僕はその右手を拾い上げる。

「久保田さんたちは、相楽さんがもともとデザインできない人だって思い込んでますが、違いますよね? あなたのこの手は、倒れた時から描けなくなってしまった」

手の中で、彼の右手がビクリと震えた。

「早乙女さんが言ってた『入院とリハビリが必要だった』っていうのはそういう意味だ」
「……お前、勘がよすぎないか?」

目を上げた相楽さんが、泣き笑いのような顔になる。

「早乙女だって、この手が治ってないことには気づかなかったのに……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

とろけてなくなる

瀬楽英津子
BL
ヤクザの車を傷を付けた櫻井雅(さくらいみやび)十八歳は、多額の借金を背負わされ、ゲイ風俗で働かされることになってしまった。 連れて行かれたのは教育係の逢坂英二(おうさかえいじ)の自宅マンション。 雅はそこで、逢坂英二(おうさかえいじ)に性技を教わることになるが、逢坂英二(おうさかえいじ)は、ガサツで乱暴な男だった。  無骨なヤクザ×ドライな少年。  歳の差。

上司に連れられていったオカマバー。唯一の可愛い子がよりにもよって性欲が強い

papporopueeee
BL
契約社員として働いている川崎 翠(かわさき あきら)。 派遣先の上司からミドリと呼ばれている彼は、ある日オカマバーへと連れていかれる。 そこで出会ったのは可憐な容姿を持つ少年ツキ。 無垢な少女然としたツキに惹かれるミドリであったが、 女性との性経験の無いままにツキに入れ込んでいいものか苦悩する。 一方、ツキは性欲の赴くままにアキラへとアプローチをかけるのだった。

淫らに壊れる颯太の日常~オフィス調教の性的刺激は蜜の味~

あいだ啓壱(渡辺河童)
BL
~癖になる刺激~の一部として掲載しておりましたが、癖になる刺激の純(痴漢)を今後連載していこうと思うので、別枠として掲載しました。 ※R-18作品です。 モブ攻め/快楽堕ち/乳首責め/陰嚢責め/陰茎責め/アナル責め/言葉責め/鈴口責め/3P、等の表現がございます。ご注意ください。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

処理中です...