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しおりを挟む城を出て小一時間ほど馬車を走らせると、道は市街地から山道へと入って行った。木々が生い茂り、思い出したくもない記憶が甦ってくる。私は外を見ないように、馬車の窓のカーテンを引いた。
小刻みに震える手を自分で擦りながら、深呼吸をする。
まだほんの少ししか走っていなのに、本当にダメね。このままあと半日は馬車なのに大丈夫かしら。落ち着かないというか、心細い……。
私一人のこの空間が、こんなにも寂しいものだったなんて思いもしなかったわ。でもそれも、慣れていかないといけないのよね。もう私は嫁ぐ身。王女でもなんでもなくなるし、護衛騎士だって……。
不意に、誰かの大きな声が辺りに響いた。何を言ってるのか聞き取れないままに、馬車がガタガタと止まる。予定では、次の街に着くまでは休憩の予定はないはずなのに。
「なにが……おきたの……」
怖くて、カーテンを開ける勇気はない。私は咄嗟に、馬車のドアに手をかけた。押さえたところで、力のない私の力ではどうにもならないことは分かっている。しかしそうでもしなければ、居ても立っても居られなかった。
怖い。怖い。どうしたらいいの。シリル……シリル……。
「ああ」
力強くドアが開き、そこに手をかけていた私はそのまま馬車から落ちそうになる。
「きゃぁぁぁ」
ぎゅっと目を瞑ると、私は誰かに抱き止められた。それは大きな温かい手だった。ゆっくりと目を開けると、そこには私が一番会いたくて、でも求めてはいけない人の顔があった。
どこか焦ったようなシリルの顔。
「私は都合の良い夢でも見ているのかしら」
「いいえ。むしろ、逆です。攫いに来ました、ルチア様。もう約束でもなく、ただあなたを渡したくない」
「やっぱり都合の良い夢だわ。私の知っているシリルは、いつだって私を子ども扱いして相手にはしてくれないのよ?」
「違います」
シリルが大きく首を横に振る。
「あなたを助けて、あなたが側にいて欲しいと言われ、その約束さえあれば、永遠にルチア様の側にいれると思っていた。しかし、あなたはどんどん美しく成長していく。そして第一王女様たちが輿入れしていく姿にルチア様を重ねた。このまま今度は、ルチア様を自分が見送るのかと」
「……馬鹿ね。ホントに大嫌いよ」
そう、大好きよ。誰よりも。
「これは恋心ではなく一時のもので、あなたもいつか夢から覚めてしまうと。そう思うことで、自分が傷付かぬように予防線を張っていました。だからルチア様から離れれば、きっとこんな醜い気持ちを捨てれると思った。ルチア様のことをずっと愛していたから」
ポロポロと音もなく涙が溢れる。もうずっと、ずっと前から私とシリルの思いは一緒だったのだ。
「あの手紙を見た時、あなたが輿入れすると聞いた時、誰にも渡したくないと思ってしまった。今更なのは分かっています。わたしの意気地がないせいであなたを傷つけてきたことも。それでも……」
シリルが言葉を言い終える前に、シリルの胸に顔を埋める。どれだけ遠回りをしたとしても、ここにいられるのならばそんなに幸せなことはない。
私がずっと欲しかったもの。欲しかった言葉。
「では、約束して? もう一度、あの時のように」
あの日の約束は、一度違えてしまったから。もう一度二人でここから……。
「いついかなる時も、わたしはあなたの側にあり、魂朽ちる時まであなたを護ります、ルチア様」
「ええ、約束よ。ずっと、ずっと側にいて。私はシリスでないとダメなの。あなただけずっと傍にいて欲しいのよ」
こんなにも嬉しい涙を流したコトは初めてではないだろうか。ぽかぽかと温かな胸の中が、シリスへの想いで埋まっていく。
シリルが私の手を取り、口づけをする。あれほどまでに私を支配していた胸の痛みが、嘘のように消えていった。
「攫ってもよろしいですか?」
「敬語と様付けをを辞めるなら、考えてあげてもいいわ」
「……ルチア、こちらへ」
シリルに抱き抱えられながら、馬に乗せられる。
「とりあえず、俺の家へ向かいます。国王と王太子には、そこから許しを乞う予定です」
そう言いながら、シリルがゆっくりと馬を走り出させた。
「お兄様にお別れをした時に、馬車に乗る前にどうしても欲しいものがある時は、外堀から埋めないとダメだよと、こっそり言われたのよ」
兄はもしかしたら、こうなることも分かっていたのかもしれない。
「外堀ですか?」
「ええ」
「よく分からないのですが、そう言えば輿入れ先はどこだったんですか? 相手にも話を付けに行かないと」
「それは大丈夫じゃないかしら。今から行くわけだし」
「え。どういうことですか?」
全く状況の読み込めないシリルが、声をあげた。こんな素っとん狂な顔をするシリルは初めて見たかもしれない。
それがなんだかとても楽しい。
「私もさっき馬車の中で、お相手の名前を確認したのよ。私のお相手は、ガルシア辺境伯」
「なっ! まさか、後妻っていうのは」
「シリルが攫いに来てくれなかったら、私はあなたの継母だったということね」
「それは外堀というのか、嫌がらせの域に近い気が……」
「うふふふふ」
あの日見た恐ろしい森の面影はもうない。
シリルの胸に寄り添いながらも、私はちゃんと前を見ることが出来たから。
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