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 しかし私は別にこの人の機嫌を取らなければいけないわけでもないし。怒りたいのなら勝手に怒っていればいいわ。

 私にとっては記憶にない人間なんて、どうでもいいもの。しかも明らかにルドの敵っぽいし。


「では、失礼いたします。良い午後を」


 完璧に無視し通し、私はルドにだけ挨拶をして部屋を出た。


「アーシエお嬢様、よろしかったのですか?」


 部屋を出ると、私とサラは人通りのほぼいない廊下を馬車の停車されているはずのエントランスまで歩き出す。

 しばらくキョロキョロと辺りを見渡していたサラが、心配そうな顔で声をかけてきた。


「良かったって、なにが~?」

「ですから、公爵様を無視されていたことですよ」

「あー。あの人が公爵様!」


 私はポムっと、手を鳴らした。通りでルドの機嫌が悪かったはずね。

 完璧な敵じゃない。そういえば、ルドの近くにいるって言ってたけど、本当に側近だったのね。あれでは仕事もやりずらそうね。

 私と噂のあった人だし。ヤンデレのルドがよく処分しないでいるものだわ。

 ちゃんとそこは公私混同しないでいるのね。でも……私のせいであんなに居心地悪く仕事をさせてしまっているなんて申し訳なさすぎる。


「いいのよ。サラだって敵だって知ってるでしょう?」

「それは重々承知ですが……お嬢様のお立場など悪くならないでしょうか」

「これ以上悪くなりようもないわよ。むしろはっきりとした態度を取らないと、ルドが可哀そうだわ」

「それもそうですね」

「そーよ。何が大切なのかちゃんと示さないとね」

「そこまで考えていらっしゃったなんて、さすがですお嬢様」

「褒めても何も出ないわよ」

「ふふふ。そこは大丈夫ですわ」


 先ほどまでのやや重い空気など払いのけ、私たちは馬車へと乗り込み家へ向かった。

 馬車はゆったりと煉瓦の街並みを進む。

 王都はかなり広く、大通りを抜けやや小高くなった丘の上にアーシエの実家である侯爵家は建っていた。

 王城からは少し離れているものの、丘の上からは遠くに海が見える。

 屋敷は王城に近い屋敷たちのようにゴテゴテした造りではなく、水色と白を基調とした清楚な造りだった。

 しかし屋敷全体の面積は、今見て来たどこのモノよりも大きく感じる。

 丘の上全体が、侯爵家の持ち物といってもいいのだろう。

 馬車が門をくぐり屋敷の前に停められ、ドアが御者によって開けられた。

 馬車の前には、私の到着をすでに文で知らされていたのか、心配そうな表情を浮かべた母と執事がいる。

 母は、歳は50ぐらいだろうか。私よりも薄い茜色の髪に、黒っぽい瞳。透き通るような肌が、やや病弱にも思える。

 しかし身なりはとてもきちっとしていて、さすが侯爵夫人。

 そう細かなところは思い出せないものの、私はこの二人を確かに知っていて、二人が母と執事だということも分かるのだ。

 それがどこかほっとしたような、そして気持ち悪い様ななんとも言えない感覚だ。

 私は誰なのか。なんなのか。どうしても考えはそこにいかなければならないのだろう。


「アーシエ」

「お母様、ただいま戻りました」

「アーシエ、あなた、城で一体なにがあったというのです。殿下からは説明していただいたものの、わたしたちがどれほど心配したか……」

「……申し訳ありません、お母様。ですが私は」

「こんな寒いところで立ち話をされては風邪を引かれてしまいます。中にお茶を用意してありますのでそこで積もる話をされてはいかかでしょうか」

「そうね……ごめんなさい」


 執事のアシストに助けられ、やや興奮していた母は落ち着きを取り戻し、先に屋敷へと入って行った。


「お帰りなさいませ、お嬢様。奥様はお嬢様のことがあって以来あまり眠れていないようなので、あのような態度をお取りになってしまったようです。その点だけはどうか……」

「もちろん分かっているわ。お母様にもお父様にも、そしてあなたたちにもとても心配をかけさせてしまったみたいだから……。殿下にすぐ戻る様に言われてるから、あまりゆっくりは出来ないのだけれど、お母様にはちゃんと説明するから」

「ありがとうございます、お嬢様」


 執事はそう深々と頭を下げ、母の待つ広間へと案内してくれた。

 広間のテーブルには、どう頑張っても食べれないほどのお菓子たちが置かれていた。

 そして今淹れられたばかりの紅茶は湯気を立て、部屋中に華やかな匂いが充満している。

 その様子にほっとすると共に、並べられたお菓子の全てが、私が好きだったものたちだとする。

 チョコの焼き菓子、マドレーヌ、アップルパイ、アプリコットジャムのたっぷり乗ったスコーン、ナッツのクッキー。

 そう、ここで私はこれを食べたことがある。ただそれでも一致しない私とアーシエの記憶。

 何かを思い出せば出すほどに、自分という存在が透けていくようなそんな寒さが心の中を吹き抜けていった。
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