上 下
88 / 89
第五章

エピローグ

しおりを挟む
 執務室の中には、相変わらず書類が溢れかえっている。

 私とキースとグレンの三人は、朝から黙々とこの書類の束を片付けていた。

 もうすでに時間は昼を超え、おやつの時間くらいだろうか。

 朝から紅茶のみのお腹は、そろそろいろんな意味で限界。

 あああ。

 もうさすがにやだ。

 逃げてしまいたい。

 俗にいう社畜って、こういうことなのかな。

 まさか異世界で体験するなんて思ってもみなかったし。


「……溜め込みすぎじゃないか、これはさすがに」


 最初に音を上げたのは、グレンだ。

 よし。

 我慢大会ではないのだが、心の中で勝ったと思ったのは私だけではないはずだ。


「確かに量は尋常ではないと思うけど、書類がこんなにも溜め込まれているのは、私たちのせいでもないと思うけど?」

「そうだぞ、グレン。新婚夫婦を引き離すのも悪いかと思って、王宮への出勤をしばらく1日置きにしてやっているんだから、文句を言わずに手を動かしてくれ」

「それならせめて、まとまった休みを下さい、キース。それに書類を自宅へ持ち帰っている時点で、在宅勤務なだけだと思うんですが?」

「なに言っているのグレン、私たちは昨日婚約式を済ましてからここで缶詰めになっているのよ。その方が十分に可哀そうだと思わない?」

「それはキースの段取りが悪いせいじゃないかい?」

「おいおい、段取りを組むのはグレンの仕事だろ」

「その前にまず、人を増やすべきじゃない?」

「キースが選り好みしなければ、もっと人は簡単に増やせるんですよ」

「……結局俺に返ってくるのか」


 あの王妃の断罪から、三か月ほど経過した。

 グレンとチェリーはあの後、身内だけですぐに質素な婚約式を行い、先月入籍をしたところだ。

 結婚式も身近な人以外は呼ばずひっそりと行われたが、ウエディングドレスに身を包むチェリーは誰よりも幸せそうだった。


「それより、お父様ががっかりしていたわよ。グレンが子どもが生まれるまでは領地で過ごし、爵位も賜らないと言うもんだから。まだ引退できないのかって、ぶつぶつ言っているし」

「チェリーの静養も兼ねて領地へ引っ込んだんだ。まだしばらくはこっちには戻れないさ」


 チェリーの静養。

 その名目で、グレンたちは今うちの領地の別荘に住んでいる。

 あの毒混入が王妃の仕業だと分かったとはいえ、チェリーの私への嫌がらせの事実が消えたわけではない。

 それに私がキースと婚約したことで、私を悪役令嬢に仕立てようとしていたチェリーを良く思わない者も出てきてしまったから。

 だからこそ使用人はグレンが信用できる人たちと、私の一番の侍女だったルカを連れて領地へで暮らしている。

 月に何度か来るルカから報告には、チェリーは屋敷にいた頃よりも、ずっと素直に自分を出せるようになってきたと書いてあった。

 チェリーは他人の目を気にしない静かな土地で、大切な人たちだけと幸せになれた。

 いつか落ち着いて、ありのままの自分に自信が戻った頃、私への確執や執着が薄くなればいいと思ってる。

 その時に戻って来たいと思うのならば、戻ってくればいい。

 私もココで自分を思ってくれる人たちと過ごすことで、ずいぶん自信もついてきたから。


「まぁ、私は私でチェリーとルカに仕事を頼んでいるから、あんまり他人ひとのことは言えないんだけどね」

「そうだ、昨日また侯爵家から大量に食材や布などが送られてきたけど、アイリスたちはコソコソ何をしているんだい?」

「それは俺も気になっていたんだ。時折、護衛すらつけずに街へ顔を出しているようだけど」

「あれ、二人ともチェリーに聞いてなかった? 先月くらいに、二人名義で小さなお店を出したのよ。雑貨屋さん。これが商会や冒険社ギルドも一枚咬んでもらって、結構儲かっているのよ」

『は?』


 見事にキースとグレンの声が重なる。

 元々、この世界で働きたいと思っていた私と、何かやりがいを見つけたかったチェリー。

 女性の社会進出も兼ねたこの取り組みに、いろんな方面から今手助けえをもらっている。

 貴族社会は未だに女性は結婚をしなければ生きていけないというのが根底にある。

 しかしすべての人が上手に結婚を出来るわけでもない。

 だから他の選択肢がほんの少しでも出来れば。

 父の従姉がそうだったように。

 もっとみんなが生きやすい国を目指していきたい。

 これが私の王妃としての今の目標だから。


「アイリス、君は次期王妃なのに……今更稼いでどうするんだい」

「次期王妃に、無償で書類仕事をさせているのはどこの誰かしら。私も自分で稼いだお金が欲しいんです。それに私が王妃となる条件として、好きなことをやらせてもらえる約束でしたよね?」

「それは、そうだが」

「別に悪コトしよーとしてませんから、大丈夫です」


 二人はバツが悪そうに黙り込む。

 王妃となれば、国からという形で手当てがもらえるらしいのだが、所詮それは国民の税金にすぎない。

 それには極力手を付けたくないし、やはり何もしないでお金を貰うというのはしっくりこないのだ。

 チェリーもグレンへの贈り物などは自分で稼いだお金で買いたいと、私たちの目的は同じ。

 それにやや反則かもしれないが、前の世界の物や考えを取り入れることでこの国が豊かになればいいという思いもある。

 私たちが転生者だという事実は、結局キースとグレンにしか告げなかった。

 冒険者ギルドと商会にはいろいろお世話になっているものの、やはりそこまで込み入った話までするのは少し違うと思ったから。


「ねぇ、そういえば二人とも私たちが転生者だって言った時、あまり驚かなかったけど、この世界ではもしかして一般的だったりするの?」

「一般的だったら、学園にいた時に習うと思いますが?」


 グレンの指摘はもっともだ。

 学園に三年間在籍したものの、そんな話は歴史の授業などでも一度も聞いたことはない。

 だとすると、二人が驚いてなかったような気がするのは気のせいだったのだろうか。


「アイリス、転生者がたとえ一般的ではなくても、王国一と言われる頭脳が目の前にいるだろう」


 キースがやや呆れたようにグレンを親指で指さす。

 グレンは澄ました表情で、何を今更と言わんばかりだ。


「知っていて私とチェリーに近づいたの?」

「初めから知っていたわけではないですよ。何せ、一番最初に出会った時はまだ五歳くらいでしたからね。まず家族同士の付き合いがあり、チェリーが記憶を取り戻った頃、よく不可解な言動をしていたんです。そこから彼女に惹かれたのですよ。僕の持っていない知識、そして何よりアイリスを追うあの瞳」


 確かにあの子が記憶を戻したのは、それくらいだと言っていた。

 しかしその頃からチェリーに興味を持っていたなんて夢にも思わなかった。


「転生者という言葉は、王立図書館の禁書の一部に記載がありました。他の世界より来る者で、この世界に良くも悪くも影響をもたらす者だと。その言葉を見つけたとき、まさに彼女はそうだと確信したんです」

「さすがというか、なんというか……」


 グレンの探求心には脱帽する。


「ちゃんとよく話は聞かないとダメだぞ、アイリス。惹かれたのはそこでも、欲しかったものは彼女がアイリスをやや病的なまでに追いかけていた瞳だ」


 キースの言葉にふと思考が停止する。

 えっと、つまり?

 転生者というのは、グレンにとって気になるきっかけに過ぎなかった。

 むしろチェリーが欲しいと思ったのはあの強烈な私を追う瞳に、自分を映したかったということ。


「うわ、腹黒メガネだと思っていたけど、まさか変体サンだったなんて」

「キース、何に吹き込んでいるのですか」

「だってホントのことだろう。あの瞳に自分だけを映して、ただ見つめて欲しいっていうのは」

「……グレンがヤンデレだったなんて……。やだこわっ」

「ちょっと、ヤンデレとはどういう意味なのですか。どう頑張っても、よい意味には聞こえないんですが」

「世の中には知らない方がいいことがいっぱいあるということね」


 私はグレンから視線を外し、キースを見る。

 しかし案外、ただ自分だけ見て欲しいグレンとチェリーは似た者同士なのかもしれない。

 ふふふと私が笑うとキースも私の頭を撫でながら、笑い出す。

 差し込む日差しはあの頃のように強い。

 でもココから逃げ出したい思いはもうない。

 だって私は、やっと自分の居場所を見つけることが出来たから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

伯爵家の三男に転生しました。風属性と回復属性で成り上がります

竹桜
ファンタジー
 武田健人は、消防士として、風力発電所の事故に駆けつけ、救助活動をしている途中に、上から瓦礫が降ってきて、それに踏み潰されてしまった。次に、目が覚めると真っ白な空間にいた。そして、神と名乗る男が出てきて、ほとんど説明がないまま異世界転生をしてしまう。  転生してから、ステータスを見てみると、風属性と回復属性だけ適性が10もあった。この世界では、5が最大と言われていた。俺の異世界転生は、どうなってしまうんだ。  

結婚した次の日に同盟国の人質にされました!

だるま 
恋愛
公爵令嬢のジル・フォン・シュタウフェンベルクは自国の大公と結婚式を上げ、正妃として迎えられる。 しかしその結婚は罠で、式の次の日に同盟国に人質として差し出される事になってしまった。 ジルを追い払った後、女遊びを楽しむ大公の様子を伝え聞き、屈辱に耐える彼女の身にさらなる災厄が降りかかる。 同盟国ブラウベルクが、大公との離縁と、サイコパス気味のブラウベルク皇子との再婚を求めてきたのだ。 ジルは拒絶しつつも、彼がただの性格地雷ではないと気づき、交流を深めていく。 小説家になろう実績 2019/3/17 異世界恋愛 日間ランキング6位になりました。 2019/3/17 総合     日間ランキング26位になりました。皆様本当にありがとうございます。 本作の無断転載・加工は固く禁じております。 Reproduction is prohibited. 禁止私自轉載、加工 복제 금지.

悪役令嬢ですが最強ですよ??

鈴の音
ファンタジー
乙女ゲームでありながら戦闘ゲームでもあるこの世界の悪役令嬢である私、前世の記憶があります。 で??ヒロインを怖がるかって?ありえないw ここはゲームじゃないですからね!しかも、私ゲームと違って何故か魂がすごく特別らしく、全属性持ちの神と精霊の愛し子なのですよ。 だからなにかあっても死なないから怖くないのでしてよw 主人公最強系の話です。 苦手な方はバックで!

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

さようなら、家族の皆さま~不要だと捨てられた妻は、精霊王の愛し子でした~

みなと
ファンタジー
目が覚めた私は、ぼんやりする頭で考えた。 生まれた息子は乳母と義母、父親である夫には懐いている。私のことは、無関心。むしろ馬鹿にする対象でしかない。 夫は、私の実家の資産にしか興味は無い。 なら、私は何に興味を持てばいいのかしら。 きっと、私が生きているのが邪魔な人がいるんでしょうね。 お生憎様、死んでやるつもりなんてないの。 やっと、私は『私』をやり直せる。 死の淵から舞い戻った私は、遅ればせながら『自分』をやり直して楽しく生きていきましょう。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

電光石火の雷術師~聖剣で貫かれ奈落で覚醒しましたが、それはそれとして勇者は自首して下さい~

にゃーにゃ
ファンタジー
「ありとあらゆる魔獣の動きを完全に停止させることしかできない無能は追放だッ!」 クロノは魔獣のからだに流れる電気を支配するユニークスキル雷術を使いこなす冒険者。  そんなクロノを勇者はカッとなった勢いで聖剣で刺し貫き、奈落の底に放り投げた。 「いきなり殺しとか、正気か?」死の淵で雷術が覚醒、体内の電気をあやつり身体を超強化する最強スキルに覚醒する。  覚醒した雷術で魔獣をケチらし奈落最深部へ。 そこで死にかけの吸血姫の少女を救い、びっくりするほどホレられる。一方、勇者パーティーは雷術師クロノを失ったことでドンドン迷走していくのであった。 ※本作は主人公の尽力で最終的には『勇者サイド』も救いのある物語となっております。

処理中です...