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ただいま、と呟いて静かにリビングのドアを開ける。キッチンには母の後姿が見えて、本棚の前で裕翔は毛布の下で横になっていた。どうやら寝ているようだ。
「おかえり。」
「・・・ただいま。」
「ご飯、もうすぐできるから。」
何度も嗅いだコロッケのいい匂いと、エプロンを付けた母の姿。母の前で泣きたくなんてないのに、どうしようも出来ないものが体の奥深くから込み上げてくる。母の作るコロッケは私の大好物だ。
そうだ、私はちゃんと気づいていた。
オムライスを作ってくれる時、私が苦手な玉ねぎは絶対にちっちゃく刻まれていること。お母さんは甲殻アレルギーなのに、私と裕翔が好きだから週に一回は食卓にエビフライが並ぶこと。仕事が忙しくても、裕翔が暴れても、どれだけ疲れていても、毎朝机の上にお弁当が用意してあること。知っていた、わたしは知っていた。
涙が溢れてきた。そうだ、あの時、私は悔しかったのだ。私はお母さんのお弁当が好きだった。冷凍食品だらけでもそんなこと関係なかった。眠たい目を擦りながら向かった台所で、エプロンをつけたお母さんがおかずを広げてお弁当を詰めている、いつもはしない匂いがして、なんだかドキドキして、風呂敷で包んでくれたあの箱が宝物だった。
急に泣き出した私を母は驚いた顔で見つめて、火を止めてそっとソファに座らせてくれた。背中に手の体温を感じて気づけば口が動き出していた。遠足の時の話、そこから人前でご飯が食べられなくなった話。今まで言えなかった言葉や感情が溢れてきて、話し終えるころには喉がカラカラだった。
ごめんね、と謝るお母さんの目は真っ赤で、泣いてる姿を見るのは初めてだった。病院に行ってみよう、という言葉には中々頷けなかった。裕翔の事で既に大変なのにこれ以上迷惑なんてかけられない。
そんな私の手を握り、涙をためた瞳で、お母さんは優しく笑うのだ。
「私はね、お母さんになりたかったの。誰でもいいわけじゃなくて、雪奈と、裕翔のお母さんになりたかった。何があっても2人を守ろうって、ちっちゃな手でお母さんの手を握り締めてくれた時に決めたはずなのに、どうして忘れちゃってたんだろうね。」
再びこぼれてしまった涙を、人差し指で掬ってくれる。
「たくさん我慢させてごめんね。雪奈のために出来る事、してあげたいんだ。仕方なくじゃなくて、私がしてあげたいの。」
いつのまに起きていたんだろう。気づけば頭の上に小さな温かさを感じて、振り返れば裕翔が私の頭を撫でてくれていた。
「姉ちゃんどうしたの?どっか痛いの?」
「ううん、違うの。」
「誰かにいじめられた?僕、そいつに怒ってあげるよ。」
「っ・・・裕翔、ごめんね・・・っ・・・」
ポカンとした顔のまま、裕翔は私の頭を撫で続けてくれた。姉ちゃんはいい子、なんて繰り返して何度も私の頭をさする。それは私がいつも癇癪をおこした裕翔に掛ける言葉だった。
「さ、ご飯にしようか。今日はコロッケとかぼちゃサラダもあるんだよ。」
明るい声を出して、涙を拭ったお母さんが立ち上がる。かぼちゃサラダは裕翔の大好物だ。パパも今日は早く帰ってって来れるみたいだよ、その言葉に裕翔は飛び跳ねて喜んで、一緒に食卓にお皿を並べた。
「高瀬さん、これ。」
お昼休み。いつもの空き教室で、いつもと同じように本を開いていた高瀬さんにお弁当箱を帰す。受け取った高瀬さんは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんか重いんだけど。」
「えーっと、ちょっと見てみて。」
包みを開いて、高瀬さんは驚いたように目を開いた。
「あ!あんまり綺麗じゃないんだけど作ってみたの。もしよかったら食べてみて欲しくて。」
「ありがとう。・・・でも私もうお昼ご飯食べちゃったんだけど。」
「いやだよね。作り終わってから気づいた。」
「気づくの遅くない?・・・でも、夜に家族と食べる。」
「良かった。あとね、卵焼きもお母さんと色々作ってみたんだけど、私はホウレンソウが好きだった。」
「渋いわね。」
「弟はチーズだって。」
次々とまくし立てる私を高瀬さんはなんだか楽しそうに見つめている。どういう表情なのかを読み取るような余裕は私には無かった。ここに来るまでに復習した言葉を、ゆっくりと声に出す。
「で、あのさ、お願いがあって。」
「うん?」
「これからお弁当は自分で作る事にしたの。それで、お昼ご飯、味見してほしいんだ。私まだ下手くそだから、でもいつかは皆の分の夜ご飯も作れるようになりたくて!」
「・・・それは、お昼ご飯を一緒に食べようってことでいい?」
「・・・・・・うん。」
自分の耳まで赤くなっているのが分かる。勇気を振り絞って言った言葉を、高瀬さんはどんな風に受け止めたんだろう。めんどくさ、って思われたかな。そんな不安になっている私の気持ちとは裏腹に、聞こえてきたのは小さな笑い声だった。
「えっ・・・と・・・?」
「河合さんってホントに、繊細なんだか大胆なんだか・・・」
「それやっぱり褒めてないよね?」
高瀬さんの笑い声はどんどん大きくなって、ついにはお腹を抱えて笑い始めてしまった。ええ、と戸惑っていたはずなのに、そんな初めて見る高瀬さんの姿に思わず私もつられてしまって、気づけば2人大声で笑ってしまった。
ひときしり笑い終えて、涙を拭いながら彼女が私の名前を呼ぶ。
「いいよ。味見するからにはしっかりダメ出しするからね。」
「望むところです。」
あと、と今度は私が彼女の名前を呼んだ。
「お弁当、ありがとう。
・・・素直にも、笑顔にもなれちゃった。」
微笑んだ制服姿の高瀬さんに、
見たこと無いはずの優しく笑うエプロン姿の人が重なって見えた気がした。
「おかえり。」
「・・・ただいま。」
「ご飯、もうすぐできるから。」
何度も嗅いだコロッケのいい匂いと、エプロンを付けた母の姿。母の前で泣きたくなんてないのに、どうしようも出来ないものが体の奥深くから込み上げてくる。母の作るコロッケは私の大好物だ。
そうだ、私はちゃんと気づいていた。
オムライスを作ってくれる時、私が苦手な玉ねぎは絶対にちっちゃく刻まれていること。お母さんは甲殻アレルギーなのに、私と裕翔が好きだから週に一回は食卓にエビフライが並ぶこと。仕事が忙しくても、裕翔が暴れても、どれだけ疲れていても、毎朝机の上にお弁当が用意してあること。知っていた、わたしは知っていた。
涙が溢れてきた。そうだ、あの時、私は悔しかったのだ。私はお母さんのお弁当が好きだった。冷凍食品だらけでもそんなこと関係なかった。眠たい目を擦りながら向かった台所で、エプロンをつけたお母さんがおかずを広げてお弁当を詰めている、いつもはしない匂いがして、なんだかドキドキして、風呂敷で包んでくれたあの箱が宝物だった。
急に泣き出した私を母は驚いた顔で見つめて、火を止めてそっとソファに座らせてくれた。背中に手の体温を感じて気づけば口が動き出していた。遠足の時の話、そこから人前でご飯が食べられなくなった話。今まで言えなかった言葉や感情が溢れてきて、話し終えるころには喉がカラカラだった。
ごめんね、と謝るお母さんの目は真っ赤で、泣いてる姿を見るのは初めてだった。病院に行ってみよう、という言葉には中々頷けなかった。裕翔の事で既に大変なのにこれ以上迷惑なんてかけられない。
そんな私の手を握り、涙をためた瞳で、お母さんは優しく笑うのだ。
「私はね、お母さんになりたかったの。誰でもいいわけじゃなくて、雪奈と、裕翔のお母さんになりたかった。何があっても2人を守ろうって、ちっちゃな手でお母さんの手を握り締めてくれた時に決めたはずなのに、どうして忘れちゃってたんだろうね。」
再びこぼれてしまった涙を、人差し指で掬ってくれる。
「たくさん我慢させてごめんね。雪奈のために出来る事、してあげたいんだ。仕方なくじゃなくて、私がしてあげたいの。」
いつのまに起きていたんだろう。気づけば頭の上に小さな温かさを感じて、振り返れば裕翔が私の頭を撫でてくれていた。
「姉ちゃんどうしたの?どっか痛いの?」
「ううん、違うの。」
「誰かにいじめられた?僕、そいつに怒ってあげるよ。」
「っ・・・裕翔、ごめんね・・・っ・・・」
ポカンとした顔のまま、裕翔は私の頭を撫で続けてくれた。姉ちゃんはいい子、なんて繰り返して何度も私の頭をさする。それは私がいつも癇癪をおこした裕翔に掛ける言葉だった。
「さ、ご飯にしようか。今日はコロッケとかぼちゃサラダもあるんだよ。」
明るい声を出して、涙を拭ったお母さんが立ち上がる。かぼちゃサラダは裕翔の大好物だ。パパも今日は早く帰ってって来れるみたいだよ、その言葉に裕翔は飛び跳ねて喜んで、一緒に食卓にお皿を並べた。
「高瀬さん、これ。」
お昼休み。いつもの空き教室で、いつもと同じように本を開いていた高瀬さんにお弁当箱を帰す。受け取った高瀬さんは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんか重いんだけど。」
「えーっと、ちょっと見てみて。」
包みを開いて、高瀬さんは驚いたように目を開いた。
「あ!あんまり綺麗じゃないんだけど作ってみたの。もしよかったら食べてみて欲しくて。」
「ありがとう。・・・でも私もうお昼ご飯食べちゃったんだけど。」
「いやだよね。作り終わってから気づいた。」
「気づくの遅くない?・・・でも、夜に家族と食べる。」
「良かった。あとね、卵焼きもお母さんと色々作ってみたんだけど、私はホウレンソウが好きだった。」
「渋いわね。」
「弟はチーズだって。」
次々とまくし立てる私を高瀬さんはなんだか楽しそうに見つめている。どういう表情なのかを読み取るような余裕は私には無かった。ここに来るまでに復習した言葉を、ゆっくりと声に出す。
「で、あのさ、お願いがあって。」
「うん?」
「これからお弁当は自分で作る事にしたの。それで、お昼ご飯、味見してほしいんだ。私まだ下手くそだから、でもいつかは皆の分の夜ご飯も作れるようになりたくて!」
「・・・それは、お昼ご飯を一緒に食べようってことでいい?」
「・・・・・・うん。」
自分の耳まで赤くなっているのが分かる。勇気を振り絞って言った言葉を、高瀬さんはどんな風に受け止めたんだろう。めんどくさ、って思われたかな。そんな不安になっている私の気持ちとは裏腹に、聞こえてきたのは小さな笑い声だった。
「えっ・・・と・・・?」
「河合さんってホントに、繊細なんだか大胆なんだか・・・」
「それやっぱり褒めてないよね?」
高瀬さんの笑い声はどんどん大きくなって、ついにはお腹を抱えて笑い始めてしまった。ええ、と戸惑っていたはずなのに、そんな初めて見る高瀬さんの姿に思わず私もつられてしまって、気づけば2人大声で笑ってしまった。
ひときしり笑い終えて、涙を拭いながら彼女が私の名前を呼ぶ。
「いいよ。味見するからにはしっかりダメ出しするからね。」
「望むところです。」
あと、と今度は私が彼女の名前を呼んだ。
「お弁当、ありがとう。
・・・素直にも、笑顔にもなれちゃった。」
微笑んだ制服姿の高瀬さんに、
見たこと無いはずの優しく笑うエプロン姿の人が重なって見えた気がした。
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