ロゼと嘘

碧 貴子

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まるで、底なしの沼に沈んでいくかのような気分を味わう。
 夏の始まりの夜だというのに、寒くて寒くて凍えしまいそうだ。

 しかし、小刻みに震える体を自分で掻き抱いた私は、気持ちの変化をお父様に気取られぬよう、慎重に口を開いた。

「お父様のお役に立てたのなら、幸いです」
「ははは! 殊勝なことだな!」
「いえ、娘として当然のことですから。それで私は、次はどのようにしたらいいのでしょう」

 お父様のことだ、間違いなく無理難題をロルフ卿に要求する気でいるだろう。
 何をさせるつもりなのか、お父様の機嫌がいい今、少しでも聞き出しておく必要がある。

 しおらしさを装って、控えめに疑問を口にする。
 すると余程上機嫌なのだろう、お父様が口ひげを撫でながらにっこりと笑顔になった。

「ここまできたらお前は何もしなくていい。今のあやつなら、結婚の条件に王太子を殺せと言ってもやるだろうよ」
「お父様、まさかそんな……」
「はは、さすがに王太子を殺させようなんて思ってはないさ。そんなことよりもっと、あれには効果的な使い道がある」
「それはどういう……」
「“蛇の道は蛇”というだろう? あれには、モントを失脚させるための証拠を持ってきてもらう」
「……お父様は、モント公爵には失脚するような何かがあると、確信をされてらっしゃるのですね?」

 震えが止まらない。
 けれども、ここで質問をやめるわけにはいかない。
 お父様がここまで言うということは、何か確信があるのだろう。
 震えながらも窺うように見上げると、お父様がにやりと得意気な笑みを浮かべた。

「もちろんだ。だからこそ余計に、モントの小倅は言うことを聞かざるをえんだろうよ。こういう時、正義感の強い性格は便利よな。加えてお前と一緒になるという名分がある。間違いなく、奴ならやるだろうさ」

 そう言うお父様は、心底楽しそうだ。
 憎い敵を、よりにもよって実の息子の手で追い落とすことができるのが、堪らなく嬉しいのだろう。
 くつくつと笑うお父様に、心底絶望した思いになる。
 同時に、失敗を繰り返していた私をお父様が絶縁しなかった理由を理解して、私は眩暈がするような思いに襲われた。

 私が媚薬を盛ることに失敗してロルフ卿と関係を持った時から、お父様の中では筋書きが出来ていたに違いない。
 最初からロルフ卿が私と恋仲になるとわかっていたらしいのが不思議ではあるけれども、真面目な彼のことであれば、一度関係を持ってしまった相手を無下にすることはないと踏んでいたのだろう。
 そして、どこまで彼に要求が可能か、ずっと探っていたのだ。

「それに。証拠がなければ、作ればいいだけの話だ。実の息子が揃えた証拠となれば、疑う者はいないからな。……はは、息子というものは難しいな。持つべきは、従順な娘に限る」

 褒美を与えるかのように頭を撫でられるも、私の心は凍りついたままだ。
 一瞬でも、親子の情があると思って期待してしまったことが仇になってしまった。
 しかも期待した分、より深く心は抉られる。
 だがこれこそが、いつもお父様が私に言っていたことなのだろう。
 人の善性を期待してはならない――と。
 お父様は、まさしく身をもって示してくださったわけだ。

 お父様の笑い声を聞きながら、私は心が暗闇に閉じ込められたかのような気分を味わっていた。



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