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顔を上げて堂々と、かつ優雅に王宮の廊下を進む私に、声を掛ける者はいない。
家紋の蛇が象徴するように、ゾネントス家の者は狡猾で残忍、二枚の舌で巧みに人を欺くと世間では言われている。
実際には、生と死を繰り返して成長する、知と富の体現者という意味の家紋なのだけど、正しい意味を知る者は少ない。
何より、先々代と先代、そしてお父様のイメージが先行しているというのもあるだろう。
でもお父様だって、世間が言うほど残忍で冷酷な人では決してない。
確かに奸智に長けて狡猾なところがあるのは否めないけれど、それは権謀術策が渦巻く貴族社会を生き抜くためには必要なことだ。
そもそも、敵とみなした人間、一度切り捨てた者に対して容赦がないのは、貴族ならば当たり前のことだろう。
でなければ、足をすくわれるのは自分なのだから。
けれども私は、そんなゾネントス家のイメージが嫌で、嫌で、だからこそ、せめて自分だけでも正直に、潔白であろうと努めてきた。
それに次の公爵であるお兄様は、世間が思い描くゾネントス公爵家とは程遠い方だ。
お兄様と二人、行動と態度で示していれば、必ずや負の連鎖を断ち切れると、いつかは世間もわかってくれると思っていた。
しかし、そんな自分は、何と子供だったことか。
おしなべて人は、自分が見たいもの、聞きたいもの、そうだと思うものを信じるようにできている。
目に、耳に、心地良いと思えるものの前では、真実など二の次三の次なのだ。
しかも総じて真実とは、苦く、目を背けたくなるものがほとんどだ。
耳に痛い真実を突き付ける人間は疎まれ、都合の良い甘い嘘を囁いてくれる人間こそ歓迎されるというのが、この世の真理というものである。
ましてや私は、ゾネントス公爵家、蛇の娘だ。
そんな私が真実を叫んだとして、誰が耳を傾けるというのか。
それこそ疎まれ、嫌われ、唾棄されるだけだ。
公明正大なことで知られたロルフ卿ですらそうなのだから、他の人間ならばなおのこと。
むしろ人が望むまま、狡猾で残忍なイメージでいることこそ、優しさというものだろう。
第一人は、ずっと綺麗なままでいられることなど、できはしないのだから。
汚れなど一切ない、清らかな水に住む魚はいないのと同じだ。
けれども。
あと少しで正面玄関に到着するという所で、私の足がぴたりと止まった。
確かに、人は綺麗なままではいられない。
意に添わず手を汚さなくてはならないことはいくらでもあるし、誰かは汚れ役を務めなくてはならないからだ。
割り切ってしまうのが、賢いやり方であるのは重々承知している。
それが最善の策だとも。
だけど一度汚した手は、二度とは綺麗にはならない。
見た目には綺麗になったとしても、自分自身が汚れたことを覚えているからだ。
きっと私は、一生今日のことを忘れず、自分を責め続けるだろう。
果たして私は、そこまでの重荷を背負う覚悟があるのだろうか。
愛し合う者たちの仲を無残に切り裂き、癒えぬ傷を負わせて苦しませるだけでなく、自身も一生苦しむほどの価値が、今からすることにあるのか、ないのか。
そもそも道は、他にないと言えるのだろうか。
気付けば私は、来た道を引き返していた。
家紋の蛇が象徴するように、ゾネントス家の者は狡猾で残忍、二枚の舌で巧みに人を欺くと世間では言われている。
実際には、生と死を繰り返して成長する、知と富の体現者という意味の家紋なのだけど、正しい意味を知る者は少ない。
何より、先々代と先代、そしてお父様のイメージが先行しているというのもあるだろう。
でもお父様だって、世間が言うほど残忍で冷酷な人では決してない。
確かに奸智に長けて狡猾なところがあるのは否めないけれど、それは権謀術策が渦巻く貴族社会を生き抜くためには必要なことだ。
そもそも、敵とみなした人間、一度切り捨てた者に対して容赦がないのは、貴族ならば当たり前のことだろう。
でなければ、足をすくわれるのは自分なのだから。
けれども私は、そんなゾネントス家のイメージが嫌で、嫌で、だからこそ、せめて自分だけでも正直に、潔白であろうと努めてきた。
それに次の公爵であるお兄様は、世間が思い描くゾネントス公爵家とは程遠い方だ。
お兄様と二人、行動と態度で示していれば、必ずや負の連鎖を断ち切れると、いつかは世間もわかってくれると思っていた。
しかし、そんな自分は、何と子供だったことか。
おしなべて人は、自分が見たいもの、聞きたいもの、そうだと思うものを信じるようにできている。
目に、耳に、心地良いと思えるものの前では、真実など二の次三の次なのだ。
しかも総じて真実とは、苦く、目を背けたくなるものがほとんどだ。
耳に痛い真実を突き付ける人間は疎まれ、都合の良い甘い嘘を囁いてくれる人間こそ歓迎されるというのが、この世の真理というものである。
ましてや私は、ゾネントス公爵家、蛇の娘だ。
そんな私が真実を叫んだとして、誰が耳を傾けるというのか。
それこそ疎まれ、嫌われ、唾棄されるだけだ。
公明正大なことで知られたロルフ卿ですらそうなのだから、他の人間ならばなおのこと。
むしろ人が望むまま、狡猾で残忍なイメージでいることこそ、優しさというものだろう。
第一人は、ずっと綺麗なままでいられることなど、できはしないのだから。
汚れなど一切ない、清らかな水に住む魚はいないのと同じだ。
けれども。
あと少しで正面玄関に到着するという所で、私の足がぴたりと止まった。
確かに、人は綺麗なままではいられない。
意に添わず手を汚さなくてはならないことはいくらでもあるし、誰かは汚れ役を務めなくてはならないからだ。
割り切ってしまうのが、賢いやり方であるのは重々承知している。
それが最善の策だとも。
だけど一度汚した手は、二度とは綺麗にはならない。
見た目には綺麗になったとしても、自分自身が汚れたことを覚えているからだ。
きっと私は、一生今日のことを忘れず、自分を責め続けるだろう。
果たして私は、そこまでの重荷を背負う覚悟があるのだろうか。
愛し合う者たちの仲を無残に切り裂き、癒えぬ傷を負わせて苦しませるだけでなく、自身も一生苦しむほどの価値が、今からすることにあるのか、ないのか。
そもそも道は、他にないと言えるのだろうか。
気付けば私は、来た道を引き返していた。
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