ロゼと嘘

碧 貴子

文字の大きさ
上 下
6 / 65

3-2

しおりを挟む
 顔を上げて堂々と、かつ優雅に王宮の廊下を進む私に、声を掛ける者はいない。
 家紋の蛇が象徴するように、ゾネントス家の者は狡猾で残忍、二枚の舌で巧みに人を欺くと世間では言われている。
 実際には、生と死を繰り返して成長する、知と富の体現者という意味の家紋なのだけど、正しい意味を知る者は少ない。
 何より、先々代と先代、そしてお父様のイメージが先行しているというのもあるだろう。

 でもお父様だって、世間が言うほど残忍で冷酷な人では決してない。
 確かに奸智に長けて狡猾なところがあるのは否めないけれど、それは権謀術策が渦巻く貴族社会を生き抜くためには必要なことだ。
 そもそも、敵とみなした人間、一度切り捨てた者に対して容赦がないのは、貴族ならば当たり前のことだろう。
 でなければ、足をすくわれるのは自分なのだから。

 けれども私は、そんなゾネントス家のイメージが嫌で、嫌で、だからこそ、せめて自分だけでも正直に、潔白であろうと努めてきた。
 それに次の公爵であるお兄様は、世間が思い描くゾネントス公爵家とは程遠い方だ。
 お兄様と二人、行動と態度で示していれば、必ずや負の連鎖を断ち切れると、いつかは世間もわかってくれると思っていた。
 しかし、そんな自分は、何と子供だったことか。

 おしなべて人は、自分が見たいもの、聞きたいもの、そうだと思うものを信じるようにできている。
 目に、耳に、心地良いと思えるものの前では、真実など二の次三の次なのだ。
 しかも総じて真実とは、苦く、目を背けたくなるものがほとんどだ。
 耳に痛い真実を突き付ける人間は疎まれ、都合の良い甘い嘘を囁いてくれる人間こそ歓迎されるというのが、この世の真理というものである。

 ましてや私は、ゾネントス公爵家、蛇の娘だ。
 そんな私が真実を叫んだとして、誰が耳を傾けるというのか。
 それこそ疎まれ、嫌われ、唾棄されるだけだ。
 公明正大なことで知られたロルフ卿ですらそうなのだから、他の人間ならばなおのこと。
 むしろ人が望むまま、狡猾で残忍なイメージでいることこそ、優しさというものだろう。

 第一人は、ずっと綺麗なままでいられることなど、できはしないのだから。
 汚れなど一切ない、清らかな水に住む魚はいないのと同じだ。



 けれども。
 あと少しで正面玄関に到着するという所で、私の足がぴたりと止まった。

 確かに、人は綺麗なままではいられない。
 意に添わず手を汚さなくてはならないことはいくらでもあるし、誰かは汚れ役を務めなくてはならないからだ。

 割り切ってしまうのが、賢いやり方であるのは重々承知している。
 それが最善の策だとも。
 だけど一度汚した手は、二度とは綺麗にはならない。
 見た目には綺麗になったとしても、自分自身が汚れたことを覚えているからだ。

 きっと私は、一生今日のことを忘れず、自分を責め続けるだろう。
 果たして私は、そこまでの重荷を背負う覚悟があるのだろうか。
 愛し合う者たちの仲を無残に切り裂き、癒えぬ傷を負わせて苦しませるだけでなく、自身も一生苦しむほどの価値が、今からすることにあるのか、ないのか。
 そもそも道は、他にないと言えるのだろうか。

 気付けば私は、来た道を引き返していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

私のウィル

豆狸
恋愛
王都の侯爵邸へ戻ったらお父様に婚約解消をお願いしましょう、そう思いながら婚約指輪を外して、私は心の中で呟きました。 ──さようなら、私のウィル。

【完結】わたしはお飾りの妻らしい。  〜16歳で継母になりました〜

たろ
恋愛
結婚して半年。 わたしはこの家には必要がない。 政略結婚。 愛は何処にもない。 要らないわたしを家から追い出したくて無理矢理結婚させたお義母様。 お義母様のご機嫌を悪くさせたくなくて、わたしを嫁に出したお父様。 とりあえず「嫁」という立場が欲しかった旦那様。 そうしてわたしは旦那様の「嫁」になった。 旦那様には愛する人がいる。 わたしはお飾りの妻。 せっかくのんびり暮らすのだから、好きなことだけさせてもらいますね。

公爵令嬢の私を捨てておきながら父の元で働きたいとは何事でしょう?

白山さくら
恋愛
「アイリーン、君は1人で生きていけるだろう?僕はステファニーを守る騎士になることにした」浮気相手の発言を真に受けた愚かな婚約者…

お幸せに、婚約者様。

ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの? ……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。 彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ? 婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。 お幸せに、婚約者様。 私も私で、幸せになりますので。

ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて

木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。 前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)

継母の心得

トール
恋愛
【本編第一部完結済、2023/10/1〜第二部スタート☆書籍化 4巻発売中☆ コミカライズ連載中、2024/08/23よりコミックシーモアにて先行販売開始】 ※継母というテーマですが、ドロドロではありません。ほっこり可愛いを中心に展開されるお話ですので、ドロドロが苦手の方にもお読みいただけます。 山崎 美咲(35)は、癌治療で子供の作れない身体となった。生涯独身だと諦めていたが、やはり子供は欲しかったとじわじわ後悔が募っていく。 治療の甲斐なくこの世を去った美咲が目を覚ますと、なんと生前読んでいたマンガの世界に転生していた。 不遇な幼少期を過ごした主人公が、ライバルである皇太子とヒロインを巡り争い、最後は見事ヒロインを射止めるというテンプレもののマンガ。その不遇な幼少期で主人公を虐待する悪辣な継母がまさかの私!? 前世の記憶を取り戻したのは、主人公の父親との結婚式前日だった! 突然3才児の母親になった主人公が、良い継母になれるよう子育てに奮闘していたら、いつの間にか父子に溺愛されて……。 オタクの知識を使って、子育て頑張ります!! 子育てに関する道具が揃っていない世界で、玩具や食器、子供用品を作り出していく、オタクが行う異世界育児ファンタジー開幕です! 番外編は10/7〜別ページに移動いたしました。

処理中です...