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本編
14.マルゴー、甘い誘惑の貴婦人
しおりを挟む誤解が解けてから、私達は色々な話をした。
もう二度と同じことを繰り返さぬよう、互いに思っていることは全て包み隠さず話し合い、疑うことをやめようと、二人の間で約束をしたのだ。
それ以来ミシェルとは、良好な関係を築けている。
良好、というよりも、むしろこれまでが嘘のように睦まじい日々、だ。
あれから毎日、ミシェルは私にバラを贈るようになった。
本数は3本。
その意味は、「愛してます」、だ。
夫婦の間で愛を贈るという意味を持つのだそうだ。
渡される度に愛を囁かれるので、私はその都度狼狽えてしまう。
二人きりのときは言わずもがな、義父母の前でもところ構わずキスをし愛を囁く彼は、まるで人が変わったかのようだ。
甘く蕩けるような瞳で見詰められ、抱き寄せられて、キスをされる。
そういったことに慣れていない私が照れて狼狽えると、ますます彼は嬉しそうだ。
過去、ニナとの時も仲睦まじいと思って見ていたが、ここまでではなかったような気がする。
しかし、それが嬉しい。
ただ、一つだけ気になることが。
彼は何も言わないし、私からは聞くことができずにいることがある。
というよりも、お互い誤解をし合っていたときの傷に触れてしまうことが怖いのだ。
完全に誤解が解けてから、まだ一か月と少ししか経っていない、ということもある。
それでもきっと、近いうちにミシェルの口から言ってくれるだろう。
何より私自身、それを待ち望んでもいる。
その日、最近の恒例となったバラの花をエントランスホールで私に渡したミシェルが、キスをした後で微笑みを浮かべた。
「キャス、マ・シェリー、愛してるよ」
「……シェリー、ありがとう」
さすがに大分慣れてきたとはいえ、やはり人前では恥ずかしい。
照れて微笑みを返した私に、しかしその日はもう一つ贈り物があった。
渡されたのはワインのボトルだ。
その銘柄とヴィンテージに、私は驚いた。
何か特別なことでも、と聞く私に、ミシェルが柔らかい微笑みを浮かべた。
「今日で君に贈った花の本数は、99本になるんだよ? 知ってた?」
「そうなの?」
「そうだよ。……ちなみに、意味は知ってる?」
「いいえ?」
首を横に振った私に、ミシェルが満面の笑みを浮かべた。
「99本の意味は、“永遠に愛してる”だよ。……キャス、愛してるよ。ずっと、ずっと、僕と一緒にいてくれるね?」
言いながら私の手を取り、そこに口付けてくる。
既に私は、真っ赤だ。
小さく頷いた私に更に笑みを深めたミシェルが、私を抱きしめ再びキスをした。
その夜、ソファーの肘掛けに背中を預け、半分寝そべる格好のミシェルの足の間に納まった私は、彼に凭れてワインを飲んでいた。
彼の片腕は緩やかに私のからだに回されている。
もう一方の手には、ワインの入ったグラスが。
グラスからは華やかで甘い香りが漂っている。
部屋に飾られた無数のバラの香りと相まって、匂いだけで酔ってしまいそうだ。
私の腹の上に置かれた彼の手が、じゃれあうように私の指を絡め取る。
くすくすと意味もなく笑い合いながら、寛いでワインを飲むこのひとときは、何とも甘く、心地良い。
体から伝わる温もりと、親密なやりとりに、私は夢見るようにうっとりとしていた。
そんなとき、ミシェルが甘えるように私の首元に顔を埋めた。
「……ねえ、キャス」
首筋に、彼の吐息が掛かる。
くすぐったさに私が笑って体をよじると、ミシェルが私の手からグラスを取り上げた。
そのまま身を乗り出して、グラスをソファーの前のテーブルに置いてしまう。
互いのグラスには、まだワインが。
訝し気に振り返ろうとして、しかしそんな私を背後から抱きしめて、ミシェルが再び私の首元に顔を埋めた。
「……あ」
ミシェルの唇が、私の首筋を這う。
ゆっくりと舐め、吸われて、背筋に粟立つような快感が走る。
気付けばいつの間にか彼の手が、私の服の中に。
はだけられた襟元から差し入れられた手が、下着の中の柔らかい胸のふくらみを掴んだ。
「ん……」
固く尖った頂を指で挟まれて、甘い痺れが広がっていく。
切なさに身を捩って振り向くと、肩を抱かれて、唇を塞がれた。
互いを食むような口付けが、すぐさま深いものへと変わっていく。
ミシェルの唇からは、ワインの味が。
微かに渋みと酸味をともなう、果実のトロリと甘く濃厚な味。
それは官能にも似て。
でもきっと、私の口からも同じ味が。
何となく、そのことがおかしくてクスリと笑うと、顔を離したミシェルが器用に片眉を上げた。
「……余裕だね?」
「そんなことないわ」
微笑んで答えた私を、ミシェルがじっと見つめてくる。
そう、いつものあの瞳だ。
愛し合う際、度々ミシェルはこの目をする。
奥に激情を隠し、それを堪えるかのような。
何処か仄暗く、熱を宿したその瞳は、以前私を乱暴に抱いていた時に見せていたものだ。
しかし今は、そこに以前の様な激しい怒りと淀むような翳りはない。
ただ、その目で見詰められると、私は居竦められたように動けなくなる。
私を捕らえ、絡め取り、縛り付ける瞳だ。
同時に、私の体がぞくりと震える。
恐怖に震えるのではない、期待に、これからもたらされるだろう快楽の期待に震えるのだ。
「……キャス……」
「……」
息を止めて、彼の言葉を待つ。
しかし、しばらくの沈黙ののち、ミシェルがふいっと視線を逸らせた。
「…………」
その場に、何とも形容しがたい空気が降りる。
それを振り払うように体を離そうとしたミシェルに、私は腕を伸ばしてその首に縋った。
「……ねえ、シェリー」
「……」
「お願い、言って……」
「……」
ミシェルは無言だ。
彼は、私を傷つけたくないのだ。
だからこそ、私から言わなくてはならない。
「……多分私、嫌じゃない……」
吐息とともに囁いたその言葉に、ミシェルが私を抱く腕に力を込めた。
「……だって、愛して、るのでしょう……?」
「そうだね……。心から、愛してるよ……」
「じゃあ……」
キュッと抱きしめ返した私に、ミシェルがふっと、息を吐く。
抱きしめたまま体の位置を入れ替えたミシェルが、そのまま私をソファーの上に組み敷いた。
優しく両手を取られ、そっと腕を上げさせられる。
緩く解けた胸元のボウタイを抜き取って、ミシェルが私の手首を縛った。
「……キャス、本当に嫌じゃない……?」
私を見おろす水色の瞳は、情欲にけぶっている。
微かに光るその瞳を見詰めて、私は無言で頷いた。
「……そう」
言葉少なに、私のブラウスに手を掛ける。
全てのボタンが外され服をはだけられて、私の白い胸が晒される。
息を殺して彼の動きを見守っていた私を見おろして、ミシェルがクスリと笑みをこぼした。
「……勃ってるね。……期待、してた?」
「あぁっ……!」
赤く色づき、硬く立ち上がった胸の尖りを指で弾かれて、私の口から嬌声が上がる。
同時に、秘所が収縮し、体液が溢れるのがわかった。
既にそこは、期待で下着が重く張り付いている。
物欲し気に見上げる私に、ミシェルが切ない吐息を漏らした。
「……キャス、本当に君は……」
「……」
「ごめんね、キャス。どうやら僕は、君を甚振るのが好きらしい……」
言いながら、そっと私の頬を撫でる。
「僕に酷いことをされて、それでも感じている君を見るのが好きなんだ。そうやって乱れる君に、酷く興奮する」
そう言って、頬を撫でた手を、スッと滑らせる。
首筋を通り、胸のふくらみまで到達したその手が、わざとそこで進路を変えた。
「あ……」
乳房の輪郭をなぞるように、脇へと滑らされた手が、ゆっくりとわき腹から腰へとそのラインを辿る。
未だスカートは履いたままの私の腰を撫でられて、そのもどかしい刺激に私の体が小さく揺れた。
「……でも、君を傷つけたいわけじゃないんだ……」
そう言う彼は、苦しそうだ。
「こんな性癖が自分にあっただなんて、君に会うまでは知らなかった。本当だよ?」
つまり、こんな彼を知っているのは私だけなのだ。
その事実に、私の胸が歓喜に震えた。
同時に、ゆっくりと羽でなぞるように脇腹を撫でられて、私の体に熱が溜まっていく。
そんな私を知ってか知らずか、ミシェルが話を続けた。
「……どうしてだろう、ベッドでの君は、酷く僕の嗜虐心を刺激するんだ。普段理知的な君が、快楽に涙を浮かべて乱れる様に、堪らなく興奮する……」
ミシェルの手が、そっと私のスカートの中に入れられる。
膝がしらに置かれた手が、裾を捲り上げながらゆっくりと太腿を這う感触に、私の体がますます熱くなる。
しかし付け根まできて、すっとその手が遠ざけられる。
余程物欲しげな目をしていたのだろう、そんな私を見おろして、ミシェルが意地悪な笑みを浮かべた。
「……そう、その目だよ。君のその目に凄く興奮する」
「シェリー……」
「ねえキャス。どうして欲しい……?」
上体を起こし、体を離したミシェルが、微笑みながら私を見詰めている。
私を捕らえて離さない、あの瞳で。
彼の前で私は、網に囚われた蝶に過ぎない。
しかも自ら進んで彼の網に囚われたのだ。
貪り喰らう獰猛な捕食者を前に、私は喜んでその身を差し出した。
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シャトー・マルゴー:フランス五大シャトーの一つ。「優美なる貴婦人」と称される女性的なボルドーワイン。ヘミングウェイが好んで飲んでいたことで有名。
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