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本編
1.コーヒー、それは黒い魅惑の飲み物
しおりを挟む切っ掛けは偶然。
天気がいいからと、珍しく町に散歩に出た先で、入ったカフェ。
席に座って、目を上げた先に居たのが、彼だ。
ゆるく癖のある黒髪を、一つにまとめた後ろ姿の先には、スケッチが。
一心不乱に描き込むその姿に、何を書いているのか、ふと、興味が沸いた。
背中越しにちらりと見えるのは、頬杖を突いた女の横顔。
ラフな線画で描かれたそれは、なんとも物憂げだ。
モデルは、と、周囲を見回すも、男の先には誰も居ない。
彼の記憶の中に住む女なのだろう。
妙に印象に残るその女性の絵に、ますます興味を引かれる。
席を立ち、男の隣に行った私は、じっくりとその絵を覗き込むことにした。
筋張って神経質そうな手が、繊細な陰影を女に与えていく。
長いまつ毛を伏せた女の視線の先には何があるのだろうか。
少しづつ女を形作るその作業に見入っていると、漸く男が私に気が付いた。
「…………気に入ったのか?」
「ええ」
顔は動かさず、目線だけ上げて聞いてくる。
その時初めて、私は、男の目が髪と同じ漆黒であることを知った。
「……座れよ。落ち着かねえ」
顎で席を示されて、大人しく男の前に座る。
しかし、前に座ったことで、手元の作業は見られない。
かわりに私は、目の前の男を眺めることにした。
黒い髪に、黒い瞳。
彫りが深い顔立ちは、スッキリと整い、精悍な印象を与えている。
俯いているために陰になった目元には、気怠気な色気が。
気崩れたその服からもわかるように、真っ当な職にある男ではない。
だが男のシャツは、しわにはなっているものの、一級品だ。
-------男妾、なのかもしれない。
そのとき、ウェイトレスがコーヒーをテーブルに置き、男がスケッチブックから顔を上げた。
「……ねえ、それ。見てみたいわ」
コーヒーに砂糖を入れ、かき混ぜながら、言う。
「絵描き、なんでしょう?」
「…………ま、そうだな」
返答の間に、クスリと笑みを浮かべると、男が無言でスケッチブックを差し出してきた。
ゆっくりと開いて、一枚ずつ確認しながらページを捲っていく。
風景、人、静物。
脈絡のないそれぞれは、どれもが男と同様気怠く物憂げな雰囲気を纏っている。
しかし、どこか官能的だ。
きっと、彼には世界がそう見えているのだろう。
興味が、沸いた。
この男の目に、私はどう映るのか。
「……私は、キャスリーン。キャスリーン・レインモンド。……ねえ、他にもあなたの絵を、見てみたいわ」
「…………ネイサンだ。……スケッチで良ければ、明日、持ってくる」
「いいわ。じゃあ明日、同じ時間にこの場所で」
男が頷き、再びスケッチに没頭する。
その姿を見ながら、私はゆっくりとコーヒーを口に含んだ。
ナッツの様な香ばしさに、少しの酸味。
砂糖の甘みと苦みが混然となった、黒く魅惑的な飲み物。
少しの退廃と、官能。
男、ネイサン・ガーフィールドとの出会いは、こんな風に始まった。
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