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15「与太郎の馬鹿」
しおりを挟むそれにしたってここの甘酒、ほんと美味しいですねぇ。酒精を感じませんから米麹の甘酒だと思いますけど、良庵せんせにも飲ませてあげたいですね。
それはさておきどんなお灸を据えてやろうかしら。
と、思ったんですけどね、どうもそんな必要もなさそうです。
「お、おら……おらもう破落戸やめてぇだ!」
引き上げた襟で必死に顔を隠す与太郎さんが、ご隠居に泣きつくようにそう言いました。
「おうおう、そうしろそうしろ。そうでなくっちゃ死んだ親父さんもお袋さんも浮かばれねぇわな」
「あ、甘酒屋の爺ちゃん。け、けど破落戸ってどうやって辞めるんだ?」
「どうってお前……奉公に出てる訳じゃねえんだ、辞ーめた、で良いじゃねえか」
「お、怒られねえかな?」
兄貴分なり元締めなりがいるのが相場ですものねぇ。
「そりゃ怒られるかも知れねえが……すんません辞めてえんです、って謝らなきゃしょうがねえだろ。貰った一朱銀もちゃんと返してよ」
ご隠居の言葉に青褪めた与太郎さん。
もう無いんでしょうね、一朱銀。
「……分かった分かった、立て替えてやるから。倍返せって言われるかも知れねぇから――いや、念のため二朱銀やる。これで謝ってこい」
「あ、甘酒屋の爺ちゃん! お、恩に着る!」
なにか訳ありの二人なんでしょうね。与太郎さんの亡くなった親父さんとお袋さん、ってぇのが関係あるんでしょうか。
けれど与太郎さんが浮かない顔。まだ何か不安があるんでしょうか。
「お、おらがぶち当たった女の人……あの人にも謝まりてえだ」
「偉い! 偉えぞ与太郎! それでこそあの子らの子だ!」
「で、でもどこの誰だか……」
あら、そういう事ですか? だったらあたしの出番ですねぇ。
姉さんかぶりを解いて鼻の下んとこで結び直し、甘酒片手に立ち上がってお声を掛けました。
「ちょいとお二人さん。お話が耳に入っちまったんだけどさ」
そんなあたしを見てギョッとした顔のお二人さん。
「ど、どうしたいお客さん?」
「いえね、あたしその日たまたま市にいたんでその女の人のこと知ってるよ」
「ほ、ほんとだか!? 教えてくれるのけ!?」
食い気味に反応した与太郎さんに対して、しっかり冷静なご隠居さんが続けます。
「良いのかいお客さん。ほんとにこいつが謝るのかどうかあんたにゃ分かるめえに」
「だからコレですよ」
あたしは結び直して鼻掛けにした手拭いを指差しました。
「教えたのがあたしってばれないようにね」
「……あんた、一体なに者だい?」
「あたし? あたしはただの長屋の女房、しかしその実体は地獄耳の――……地獄耳のごっちゃんとでも呼んでくださいな」
……ごめんよごっちゃん。なんだか面白くなって可笑しな二つ名つけっちまったよ。堪忍しておくれ。
「ご、ごっちゃん! それであの女の人にはどこ行きゃ会える!?」
「きちんと謝りにいくってんなら教えてあげる」
そう一言だけ釘を刺し、庵流剣術道場の跡取りであり師範代の奥方様だと教えてあげました。再び途端に青くなるお二人さん。
「け、剣術道場の師範代の奥方……こ、殺される――」
「与太郎……骨は拾ってやるからな……」
剣術道場の師範代だからってそんなに怯えちゃ良庵せんせが可哀想になりますね。
「お優しいご夫婦だそうですから、きちんと謝りゃ怒ったりしないはずですよ」
「な、ならおらすぐ行ってくる! ご、ごっちゃんあんがと! あ、甘酒屋の爺ちゃんあとでまた来る!」
ばひゅーん、と音が出そうな勢いで与太郎さんが飛び出してっちまいました。
こりゃあたしも急いで戻らなけりゃまずいですね。
「与太郎! また誰かにぶち当たるんじゃねえぞ! ……ったくあの馬鹿はほんと落ち着きの無え。お客さん助かっ――おや?」
ご隠居さんが振り向いたそこにあたしの姿はありません。
ぽよん、と毛玉に戻って風に吹かれて飛んでいますから。
だってあたし、一文も御銭の持ち合わせがなかったんですもの。
ごめんなさいね甘酒屋さん。また今度お支払いに伺いますね。
『ごっちゃん、お待たせ。体返すよ――ごっちゃん? ごっちゃんってば!』
なかなか反応がなくて慌てちまいましたけど、なんとかあたしの体に戻れました。なんだってんだいごっちゃんったら。
「ん? 良庵せんせ……?」
目を開くとすやすや眠ったままの良庵せんせの胸の辺りになっちゃんが丸くなってウニャウニャ言いながら眠ってて、良庵せんせの顔がなんだか湿ってて……
――ごっちゃん、まさか……
寝てる良庵せんせの顔をぺろぺろ舐め回しちまったってのかい? ――あたしの姿で!?
……想像すると凄い絵面……
ぼんっ、と火が出そうに顔が赤らんじまいました。
あたしだって良庵せんせとそんなのまだなのに!
…………。
でも、そう、です、よね。
ごっちゃんもなっちゃんもあたしなんですから、良庵せんせのこと大好きですよね。
だったら、あたしだって、良い、かしら……?
むっ、と唇引き結んで、そぉっと良庵せんせへ近付けて……
どきどきどきどき言うあたしの胸が煩くって……
でも女は度胸、ここで止めちゃ六尾が廃る……
せんせと吐息が触れ合う距離……
もう、届いちまう……
あっ……
あー! もう! こんな時に!
誰だいあたしの結界を潜った奴は!
「ご、ごめんくださぁぁぁい!!」
足速すぎないかい与太郎の馬鹿!
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