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四章✳︎父と子
127「力強く、優しく」
しおりを挟む『離せ! 離さんか下郎めがぁっ!!』
「ぐぁぁああっ!」
ヨウジロウの神力の刃が多数降り注いでカシロウの背へと殺到する。
ギュウとヨウジロウを抱き締めるカシロウには、それを防ぐ手立ては一つもない。
ただとにかく痛みを堪えて、声の続く限りにヨウジロウの名を呼ぶのみ。
「ヨウジロウ! 戻って来いヨウジロウ!」
必死に叫ぶカシロウは、叫び続けながらもなんだか懐かしい気持ちになっていた。
――あの日と全く同じだ。
己れの胸に抱いたヨウジロウ、ヨウジロウから発せられる神力の刃、呼べども叫べども父の声に耳を貸さないヨウジロウ。
――異なるのは、ヨウジロウの背が伸びたくらいか。
赤児のヨウジロウを抱いて天狗の里を目指したあの日。
あの日となんら変わらない。
カシロウは暴れるヨウジロウをその両腕で、胸で、しっかり押さえ付けながらも、そのカシロウの表情はただただ優しい。
カシロウの想いが伝わったのか、少し、ほんの少しだけ大人しくなったヨウジロウの耳元で――
『引き千切れ竜の子よ! この男の腕ごと引き千切って抜け出るの――』
「ヨウジロウ――、この父に任せておけ」
――そう力強く、優しく呟いた。
「……ち、父、う……え――」
手で作った筒で覗いていた天狗がパチンと指を鳴らして言った。
「でかしたヤマオさん!」
そう言い終わるや否や、足元の魔術陣がカッと光を発して天狗の姿がブレて消えた。
消えるとほぼ同時、ヨウジロウの背後、歪んだ空間から天狗が姿を現した。
「次は僕だね」
神力を纏わせたらしい両の掌、それをヨウジロウの背に付けて、何かを引き摺り出す素振りの天狗。
『――ぬぅぁ!? やめ、やめろ狗めがぁぁっ!』
天狗の胸の辺り、先ほどとは別種の魔術陣が浮かび上がり、引き摺り出した何かをその魔術陣へぶち当てて、そのまま自分の体に押し込んだ。
「頼むよ白虎!」
「て、天狗……殿……」
ヨウジロウに斬り刻まれまくったカシロウはふらつきながらも、意識を失ったヨウジロウを抱き抱えたままで天狗の動向を注視する。
「今のは……まさかイチロワを……?」
「………………」
胸の魔術陣を消し去り目を瞑った天狗は何も言わない。
深く集中している事だけは間違いない。
王城に巻き付いていた巨大な竜も、竜が発した小竜たちもすでに姿を消していた。
カシロウにも分かる。
いま天狗はたった一人でイチロワとの最後の戦いに挑んでいるのだと。
「…………よ、し。さすがは……僕の白虎だ」
「天狗殿!」
「今……ね。僕の白虎……が、イチロワさんを、押さえ込むの……なんとか、成功した……よ」
いつもの天狗らしく、ニコリと微笑んでそう言った。
「ならばイチロワはもう!?」
「それがそう甘くも、なくて――」
天狗の鼻からツゥッと血が溢れ、足元に点々と赤い染みを作った。
「あら、やっ……ぱり溢れちゃう……か」
「天狗殿!」
「ヤマ……オさん、このままじゃ……ダメだ」
ガクガクと体を震わせる天狗は、手で鼻を拭ってそのまま自分の口を手で押さえて続ける。
「――ケフっ、こ、このままだと……僕ごと、白虎が……食い破られ、ちゃう――ゴフっ」
口を押さえた天狗の掌から真っ赤な血が溢れて飛び散る。
「天狗殿ぉっ! わ、私に出来ることは!?」
「――――斬って、僕、ごと……」
「――私が……天狗殿、を、斬る……!?」
ヨウジロウを抱き締めたままのカシロウは、己れの右掌を少し見詰め、頭を振って顔を上げた。
「で、できません! 私が天狗殿を斬るなど――!」
「――やる、んだ。今やら、なきゃ……またヨウジロウさんが、奪われ、ちゃう、よ」
「し、しかし――」
頭上をくるりと飛んでいたトノが、フワリと降りてカシロウの肩へと留まった。
『………………』
「……トノ、なん、て?」
「…………儂がやる。体を貸せ、と」
「ふふ、さすがトノ、だね――」
言い終わらないうち天狗が咳き込み、口から夥しい血を吐いた。
それを見、トノが再び嘴を開くが、それにカシロウは首を振る。
『………………』
「…………いや、私が――」
カシロウは左腕でヨウジロウを抱き、右掌に神力の刃を作り出し歩み始めた。
カシロウは初めて天狗に会った日の事から、今日までの事を思い起こして歩く。
ほんの数歩を歩む間では、全ての事を思い出すことなど到底できはしないが、この十二年の事、出来る限りの事を思い起こした。
世話になりっぱなしだ。
それをトノに丸投げは違う気がして己れで斬ると決心したが、いつの間にかカシロウの顔は涙に濡れ、もうあと一歩で刃の届く所であるにも拘らず、カシロウの足は止まってしまった。
「……本当に、斬るしかない……んでしょうか」
「断言するよ。絶対にない。だから頼むよヤマオさん、早く……お願い……」
「しかし――」
カシロウは尚も視線を彷徨わせる。
「頼むよ…………それが僕の為にもなるんだから…………斬るんだ! それしかヨウジロウさんを守る手段はない!」
「…………」
何も言わぬカシロウは抱えたヨウジロウを凝っと見詰めた。
不意に右手に握った剣を振り上げ、視線を上げてしっかりと天狗の目を見詰め――
「…………恨んで下され!」
――振り下ろされたカシロウの刃は、目の前の小さな老爺を一刀のもとに斬り伏せた。
「…………恨むなんてとんでもない――。これで僕の役目も――ようやく――」
肩口から袈裟懸けに斬られた天狗の体は、斜め二つに分かれてドサリと崩れ落ちた。
「――天狗殿ぉぉ!」
すぐさま駆け寄ろうとしたカシロウを遮るかの様に、ブワリと天狗の体から白い何かが抜け出て天へと飛んで消えた。
「……白虎が出てったね」
「天狗殿! すぐに治癒術を――」
「ははは。さすがに無理だよ……ごほっ――伝えたい事があるからね、白虎に貰った最後の神力で繋ぎ止めてるだけだよ」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしたカシロウは、左腕にヨウジロウを抱き、右手で天狗の頭をかき抱いた。
「白虎は次の器を求めて出て行ったけど、イチロワさんは出なかった。間違いなくイチロワさんは僕の中で死んだよ。ありがとう、ヤマオさん」
「ありがとうなどと言わんでくだされ! この様な……この様な策しか無かったのですか!?」
「無かったんだ。ごめんね」
悲壮感の一つも見せずに、片目を瞑ってそう言い放つ天狗は、死の淵にあってもいつも通りの天狗。
「僕も……これでようやく古い約束を果たせたよ。ヤマオさんのお陰さ。ありがと――」
「……ま、待ってくだされ! ……そう! エアラはどうなされる! エアラを残して逝ってよいのですか!」
腕を、胸を、顔を、天狗の血で真っ赤に染めたカシロウが言い募るが、天狗はいたって天狗らしく言った。
「ヤマオさんから謝っといてよ。じゃ、そろそろ限界かな。ありがとヤマオさん、楽しかったよ」
「……て、天狗殿? 天狗、殿…………天狗殿ぉぉお! 天狗どのぉぉぉおお!」
いつまでも響くカシロウの言葉に、微笑んだまま目を瞑った天狗が応える事はなかった。
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