上 下
38 / 68

38「A sigh《溜め息ひとつ》」

しおりを挟む

「なんと言ってもこの私の――プロのパン屋のロールパン――」

 そう言ったが、ぱしゅっ、と音を立ててビールを開けた。

「――じゃねえぞゲンちゃん!」

 うほうほの必要はない。すでに今日の営業は終わって二階の自室だからだ。

「なに言ってる。私は間違いなくプロのパン屋だぞ?」
「そりゃ分かってるよ。もう一つのプロの方が最近おろそかになってんじゃねえの、って事よ」

 オマエほんとどうしたんだ? 一口も飲んでない内からもう酔ってんのか?

「疎かも何も……オマエが依頼を持って来ないことには始まらないんだが?」

 …………やや長めの沈黙。

「……分かってんだけどよぉ、なんかどうにもしっくり来ねえんだよ」

 ほんとに珍しいな。コイツが殺しの下準備で自信のなさを表に出すのは。

「こないだ言ってたやつか。もうちょっとするとかどうとか言ってた」
「あぁ、まぁそうなんだけどよ。どうも俺の直感が――喜多ンピューターがしっくりこねえんだ」

 語感最悪だなそれ。

「どうしっくり来ないんだ? ちょっと簡単に説明してみろ」
「そうややこしいもんじゃないんだがな――――」


 ――喜多の説明を纏めるとだ。

 ヤクザの縄張りシマで荒稼ぎした結婚詐欺の女を仕留めて欲しい、なんて事らしいが喜多ンピューターが引っ掛かるのも頷ける。

 そんな事は自分とこでやれってのが一つ、なにも高い金払ってまで殺さなくってもいくらでもやり様はあるってのがもう一つ。
 さらにだ――

 場所は隣県、依頼元はなんだとよ。
 そう。
 あの、四年前の隣県での殺し――カオルさんの元旦那も含む数人を仕留めた依頼と同じヤクザらしい。

「まぁ俺が引っ掛かってんのはそれだけじゃねぇんだが……もうそれほど裏取りする余裕もねえのが実際のとこだ」
「ってことは?」

「今週中に済ませだとよ。ゲンちゃんも仕込みがあるだろうし――日曜の深夜に決行、でどうだ?」
「構わない。オマエのお膳立てに従うさ」

 打っちゃれない何かがあるんだろ? ならまぁ、私はなにも考えずに殺すだけだ。

 八月頭の日曜深夜。
 月曜の午前だけはパン屋の仕事は休むから正直助かる。

「ところで喜多」
「なんだゲンちゃん」

「明日も来れるのか?」
「明日……? なんで? なんかあったか?」

 開けただけで放っておいたビールの缶に口を付ける喜多へと言い放つ。

「明日は木曜だぞ! 午後だけでも野々花さんを図書館へ連れて行ってくれる様に頼んだだろう!?」

 喜多は傾け始めていた缶を、何か不穏な動きの下顎が止まったのちに垂直に戻して卓袱台に立てた。

「と――当然覚えてんよ! 来れるに決まってっし! 当たり前ジャン!」

 オマエ、普段と口調が変わってるぞ。

「でも用事を思い出したからこれゲンちゃん飲んでくれ。口つけただけだし」
「嘘つけ。口に含んだビール押し戻しただろ」

 ――ソウイウ事ダカラ! マタ明日!

 なぜかカタコトで言い捨てて喜多が慌てて出て行った。
 私は溜め息ひとつと共に立ち上がり、喜多が残したビールを持ってシンクへ向かった。
 溜め息の理由は、現状で私の頭を最も悩ませること。

 喜多が口から戻したビールをシンクに流して蛇口を捻る。

「凛子ちゃんの事も喜多に相談したかったんだが……また今度だな」
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

薔薇と少年

白亜凛
キャラ文芸
 路地裏のレストランバー『執事のシャルール』に、非日常の夜が訪れた。  夕べ、店の近くで男が刺されたという。  警察官が示すふたつのキーワードは、薔薇と少年。  常連客のなかにはその条件にマッチする少年も、夕べ薔薇を手にしていた女性もいる。  ふたりの常連客は事件と関係があるのだろうか。  アルバイトのアキラとバーのマスターの亮一のふたりは、心を揺らしながら店を開ける。  事件の全容が見えた時、日付が変わり、別の秘密が顔を出した。

此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭
キャラ文芸
 ――此処はかつての讃岐の国。そこに、古くから信仰の地として人々を見守って来た場所がある。  弘法大師が開いた真言密教の五大色にちなみ、青黄赤白黒の名を冠した五峰の山々。その一つ青峰山の近くでは、牛鬼と呼ばれるあやかしが人や家畜を襲い、村を荒らしていたという。  やがて困り果てた領主が依頼した山田蔵人という弓の名手によって、牛鬼は退治されたのだった。  青峰山にある麺処あやかし屋は、いつも大勢の客で賑わう人気の讃岐うどん店だ。  ただし、客は各地から集まるあやかし達ばかり。  早くに親を失い、あやかし達に育てられた店主の遠夜は、いつの間にやら随分と卑屈な性格となっていた。  それでも、たった一人で店を切り盛りする遠夜を心配したあやかしの常連客達が思い付いたのは、「看板娘を連れて来る事」。  幽霊と呼ばれ虐げられていた心優しい村娘と、自己肯定感低めの牛鬼の倅。あやかし達によって出会った二人の恋の行く末は……?      

戒め

ムービーマスター
キャラ文芸
悪魔サタン=ルシファーの涙ほどの正義の意志から生まれたメイと、神が微かに抱いた悪意から生まれた天使・シンが出会う現世は、世界の滅びる時代なのか、地球上の人間や動物に次々と未知のウイルスが襲いかかり、ダークヒロイン・メイの不思議な超能力「戒め」も発動され、更なる混乱と恐怖が押し寄せる・・・

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

メゾン・ド・モナコ

茶野森かのこ
キャラ文芸
人間のなずなが、アパートで暮らす妖達と一緒にちょっとずつ前を向いていくお話です。 住宅街から少し離れた場所にある、古びた洋館のアパート、メゾン・ド・モナコ。 そこには、火の鳥のフウカ、化け狸の少年ハク、水の妖のマリン、狼男のギンジ、猫又のナツメ、社を失った貧乏神の春風が暮らしていた。 人間のなずなは、祖母から預かった曾祖母の手紙、その宛名主を探していた時、火の玉に襲われ彼らと出会う。 その手紙の宛名主を知っているという春風は、火の玉の犯人と疑われているアパートの住人達の疑いを晴らすべく、なずなに、彼らと共に過ごす条件を出した。 なずなは、音楽への夢を断たれ職もない。このアパートでハウスキーパーの仕事を受け、なずなと彼らの生活が始まっていく。 少年ハクが踏み出した友達への一歩。火の玉の犯人とフウカの因縁。グローブに込められたフウカの思い。なずなのフウカへの恋心。町内会イベント。春風と曾祖母の関係。 なずなは時に襲われながらも、彼らとの仲を徐々に深めながら、なずな自身も、振られた夢から顔を上げ、それぞれが前を向いていく。 ちょっとずつ過去から前を向いていく、なずなと妖達、そして生まれ変わるメゾン・ド・モナコのお話です。 ★「鈴鳴川で恋をして」と同じ世界の話で、一部共通するキャラクターが登場しています。BL要素はありません。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ
キャラ文芸
瀬々市愛、二十六才。「宵の三番地」という名前の探し物屋で、店長代理を務める青年。 右目に濁った翡翠色の瞳を持つ彼は、物に宿る化身が見える不思議な力を持っている。 御木立多田羅、二十六才。人気歌舞伎役者、八矢宗玉を弟に持つ、普通の青年。 愛とは幼馴染みで、会って間もない頃は愛の事を女の子と勘違いしてプロポーズした事も。大人になって再会し、現在は「宵の三番地」の店員、愛のお世話係として共同生活をしている。 多々羅は、常に弟の名前がついて回る事にコンプレックスを感じていた。歌舞伎界のプリンスの兄、そう呼ばれる事が苦痛だった。 愛の店で働き始めたのは、愛の祖父や姉の存在もあるが、ここでなら、自分は多々羅として必要としてくれると思ったからだ。 愛が男だと分かってからも、子供の頃は毎日のように一緒にいた仲だ。あの楽しかった日々を思い浮かべていた多々羅だが、愛は随分と変わってしまった。 依頼人以外は無愛想で、楽しく笑って過ごした日々が嘘のように可愛くない。一人で生活出来る能力もないくせに、ことあるごとに店を辞めさせようとする、距離をとろうとする。 それは、物の化身と対峙するこの仕事が危険だからであり、愛には大事な人を傷つけた過去があったからだった。 だから一人で良いと言う愛を、多々羅は許す事が出来なかった。どんなに恐れられようとも、愛の瞳は美しく、血が繋がらなくても、愛は家族に愛されている事を多々羅は知っている。 「宵の三番地」で共に過ごす化身の用心棒達、持ち主を思うネックレス、隠された結婚指輪、黒い影を纏う禍つもの、禍つものになりかけたつくも神。 瀬々市の家族、時の喫茶店、恋する高校生、オルゴールの少女、零番地の壮夜。 物の化身の思いを聞き、物達の思いに寄り添いながら、思い悩み繰り返し、それでも何度も愛の手を引く多々羅に、愛はやがて自分の過去と向き合う決意をする。 そんな、物の化身が見える青年達の、探し物屋で起こる日々のお話です。現代のファンタジーです。

After-eve

本宮 秋
キャラ文芸
小さな街にある[After-eve ]というパン屋を 中心に30代から40代の人達のヒューマンドラマ

処理中です...