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第二章 仲間

第五百八十七話 邪念の塔

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 左塔の螺旋階段を登り始めて直ぐの事だった。
 俺とビーはどちらも苦悩で顔が歪む。
 聴こえるのは幻覚。そうわかっていても、しつこく邪念が俺たち二人を襲う。
 だが俺は、地上、地底、海底で、あらゆる苦痛の試練を乗り越えている。
 この程度の精神攻撃、やり過ごせるだけの心を身に着けていた。
 だがビーは……明らかにきつそうだ。

「おいビー、この声、お前にも聞こえてるんだよな。いったん引き返すか?」
「……だい、じょうぶだ。俺だって、俺だってそうしたかったわけじゃない! くそっ……くそ!」
「しっかりしろ、ビー!」
「悪い、シー。先に……行っててくれ。後から、追いつく……」

 立ち止まったシーの肩をがっちりつかむ。
 その目は充血し、怒りに震えている様子だった。

「お前にも何か言いたくない深い悲しみを背負っているのを、なんとなくわかっていた。
俺はお前を信じている……先に行って待ってるぞ!」
「……ああ」

 ――――――――――――

 俺の名前はラーナ・ミズガルド・クライヴ。オリナス侯爵が遊び相手に産ませてしまった子供。
 ひっそりと育てられ、孤独に生きてきた。父親の顔は見た事が無い。
 ミズガルドは母の家名から取り、クライヴはずっと泣いている俺に向けて付けた皮肉だそうだ。
 そんな母は幼少の頃、病で他界した。孤児となった俺は必死に生きていた。
 その時の俺は自分の父がオリナス侯爵なんてことは知らなかった。
 わずかに残った母の財産も底をつき、下町で運搬の仕事などを行う毎日。
 悪い生活とは思わなかったが、収入は安定しない。
 生きていくためにはトループになるという選択肢しかなかった。

 士官して名前を告げると、大慌てで侯爵領区へ案内された。
 そこで出てきたオリナス侯爵に、訳も分からず頭を下げる。
 人払いをされ、昔話の言い訳をされ、金を渡された。そして、改名するように命令を受けた。
 別に腹など立たなかった。目の前の金があれば、とりあえず生きていける。
 自分の名前はどうでもよかった。
 ただ……育ての母親の名前。それだけは残しておきたい気持ちがあった。
 オリナス侯爵は少し戸惑ったが、俺の無関心そうな顔を見て承諾した。
 そして、トループもノーブルトループとして配属が決まった。

 今更父親だと言われて騒ぐつもりも、脅すつもりもない。
 必要なのは金。これで欲しかった武器を買った。
 何度も何度も練習して、かなり扱えるようになった頃、任務で国外へ出た。

 ノーブルトループのメンバーは、俺が怖いのかまったく関わろうとしなかった。
 逆にその方が居心地がよかったんだ。
 ずっと一人だった。
 それは今も、これからも――――。

 だが、ある日下町でパンを買い、空き地で食べようと考えていた時だった。
 パンと財布をひったくられ、慌てて後を追った。
 文字通りの全財産が入っている。パンは最悪食われてもいいが財布がないと生きていけない。

「待て! 仕方ねえな、町中じゃ撃ちたくねえけど」
「……っ! 痛ぇ! 痛てぇよ!」
「ただの衝撃弾だ。鉛玉じゃない」
「……」
「財布、返せよ。それがないと生きていけないんだ」
「……パンはいいのか」
「お前の汚れた手で握っちまったパンなんざ今更食えるか。それとも何か? 新しいパンでも買って
返すつもりか?」
「……もう、二日も何も食べてないんだよ。悪かったよ……」
「……下町はそこそこ働き口があると思うが生活が安定しないのか」
「そうだよ! 荷運びとかしてるけど、どんどん仕事は減ってる! 俺みたいな野良がそこらへんで
死ぬのなんて、この国じゃザラなんだ!」
「……そうだな。俺も、お前と同じようなものだった。たまたま、運がよかっただけだ」
「あんた、ノーブルトループなんだろ? なぁ、仕事くれないか? パンの分のお礼がしたいんだよ」
「一応部下を持っていいことにはなってる。でもなぁ」
「なんでもする! いざとなったら盾にだってなる。だってよ……俺、俺なんかもう、生きてる価値だって
無いと思ってたんだ。なのによ。あんたは俺にパンをくれた。それだけで、もう嬉しくてよ……うぅっ」
「……パン一つ……か。俺にあげられるものは、そんなものしか無かったのか。違うよな。そうじゃない。
お前、名前は?」
「ルッツだ。あんたは?」
「俺はミズガルド。いいだろうルッツ。お前を雇う代わりに飯は食わせてやる。しっかり働いてくれ」
「本当か? やったー!」
「まずその恰好からなんとかしないとな……」

 こうして俺はルッツという青年を拾った。
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