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第4部 アマランタイン
第4章 語られる事もなき叙事詩 2
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まるで互いの剣が呼応するように重なり合い、響き合った。
固い金属の発する高音が幾度も音を立てて交り合う。次々に繰り出される激しい剣戟に、見る者は息をつく暇もなかった。
風に飛ばされて舞い落ちる木の葉が二つに裂けて、再び宙に舞った。踏み拉かれる枯葉が、二人の剣士の動きに合わせてふわりと浮きあがり、再び風に流されてゆく。
重く冷たい風が広場の張りつめた空気を一層緊張させた。
息を詰めるようにしてアレクシスと勇者の戦いを見つめるトリニティの背が緊張で縮み痛んだ。寒さに耐えるためなのかそれとも戦の緊張からなのか、トリニティには判別がつかなかった。
すぐ近くに座りこんで二人の様子を同じように固唾をのんで見つめていた妹王女が身じろぎすると、王女の背越しに長い剣が付きだされその動きを制した。トリニティがはっとして振り返ると悪魔ディーバが冷たい視線でセリス王女を見下ろしていた。
「あんたはナシだ。じっとしてそこで見てな」
憮然とした声で短く命令されて、セリス王女はむっとした表情を顔に浮かべた。
「……余計なお世話ですわ……! 悪魔などに命令される筋合いはございません!」
セリス王女は言いながら気丈にも悪魔の顔を睨み上げたが、ディーバの闇色の瞳にもろに見つめ返されて蒼白になり、慌てて口元を押えこんだ。
悪魔ディーバがセリス王女を意地悪く見下ろしながら歯を剥いて愉快そうに笑った。その足元で妹王女が身震いしながら口元を押さえ激しく咳き込んだ。
「……ディーバっ! 妹に何したのよっ!!」
思わずカッとなって声を荒げたトリニティに向かって悪魔は意地の悪い笑みを向けた。
「別に何もしてないぜ? 人間はみんな──」悪魔は言いながらセリス王女の銀糸のような細く長い髪を無造作に掴み上げ、彼女の顔を上向かせた。「悪魔を直に見たらこんな反応をするもんだ」セリス王女が短い悲鳴を上げ、怨みがましい、怒気を込めた瞳で悪魔を睨み上げた。
悪魔ディーバは目を細めて満足そうな笑みを浮かべて──可憐で美しい王女の──惨めで凄絶なその様を……見つめた。無様な醜態をさらされ、歯を食いしばりながら怒りと恥辱に戦慄くセリス王女の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「こういう反応をしないあんたの方が珍しいのさ」
セリス王女が再び悲鳴をあげた。悪魔に頭を押さえつけられて抗う事も出来ずに激しく咽返る。ディーバはさらに笑った。
「後ろ暗い経験を重ねた事のある人間ほど、悪魔の姿をまともに見る事が出来ない。薄汚い存在とはいえ、人間は清濁併せ持つ。その聖の部分が己の汚さに耐えられないのさ」
人間は悪魔の姿を通して、魂の奥底に沈めた後ろ暗い部分を見せつけられる。悪魔がわざとそれを見せているわけではない。悪魔という闇の存在が、人間の中の闇を喚起させるのだ。生きていく上で重ねた汚なさを、人は通常その心の底に隠し見ないようにして生きていく。正視に耐えられないからだ。だが悪魔の姿を見ることで、まるで合わせ鏡の様に自分の中にある闇の部分を正視してしまう。
「自分の心のままに在るような子供や、己の汚さを自覚さえしていないような救いようのない奴はこんな反応はしないがな」言いながらディーバがトリニティを振り返った。「あんたはどっちだろうな」そう言って意地悪そうに笑う。
その頬を、トリニティは思い切り叩いた。
「馬鹿っ!」
「何すんだよっ!!」
赤らんだ頬を押さえもせずに悪魔が睨みを利かせた。
「そんな風に睨んだって、怖くもなんともないんだからね!」
トリニティは悪魔を見つめるときに感じる特有の、体の底がざわつくような居心地の悪さを今は無視した。彼女だって、悪魔の言うような純粋な存在などではないのだ──ただ──悪魔の姿を通して見る己自身を直視することから逃げ出したりはしないという……ただそれだけのことに過ぎない。
──そう。
ただそれだけなのだ。
「知ってていじわる言うのやめなさいよ!!」
トリニティは声を張り上げた。
「あんただって分かってるはずでしょ!? みんな一生懸命生きてるのよ!? そりゃ、汚い事をしてきたかもしれない。──ううん、後ろ暗い事を何一つぜず、何かを犠牲にさえせずに生きてゆける人間なんて、この世には居ない。だけど……それでも、みんな皆、一生懸命生きてるんだからね! それなのに、それを知ってて嘲笑うようなこと止めなさいよ! そういうの、侮辱って言うのよ!! そういうことして、楽しいっ?」
ディーバが挑発的に瞳をきらめかせた。
「──ああ。楽しいね」
憮然とした声の返事が終わるのを待たずに、トリニティは飛びかかるようにして悪魔の胸元を引いた。
「そんなの、魔王よりもよっぽど最低じゃない! 何も理解できない魔王の方が、まだ罪がないわよ! 分かっててやってるなんて!」
「──なんだって!? 俺が魔王よりもタチが悪いって言う気かっ!?」
トリニティの言葉に存外傷ついたのか、悪魔ディーバがむきになって声をあげた。トリニティが掴んだ胸ぐらを何度も揺すった。
「ええ、馬鹿だわよっ。馬鹿を馬鹿って言ってどこが悪いのよ! あんたなんて、魔王よりよっぽど馬鹿じゃないの!」トリニティの瞳から涙の粒が零れ落ちた。「──あんたも馬鹿だけど、あたしも馬鹿だわよっ。馬鹿で役立たずだわ……! こんな近くにいるのに、ただ傍で見ているだけで、何の役に立つこともできないなんて……」最後の言葉は震えていた。噛みしめた唇から鉄錆の匂いが広がっても、拭う気にもなれなかった。
ディーバが喉を何度も唸らせながら硬直した。
胸ぐらを掴んだ手をそのままに悪魔の胸元に顔をうずめたトリニティをどう扱ったものか迷ったように慣れぬ様子で見下ろす。肩に手を添えるでもなく慰めるようなそぶりを見せるでもない。硬直した頬を引き攣らせながら、どんな反応を見せたらいいのか分からぬ風に手をぶらりと下ろして短く舌打ちした。
それとも。
最善の反応が何なのか分かっていてもしないのは悪魔所以の捻くれた性質なのか。
「──だが見た方がいい」
悪魔は視線を泳がせながらぶっきらぼうに言った。
「あいつが今戦ってるのはお前の為なんだから。あんたは言ったな──あいつは自分の剣だと」
剣を持たぬ自分のための、剣であり盾であると。
「だったら、どんなに見ているのがつらくても、最後まで見てろ」
「それが私たちにできる唯一の事ですからね」
ディーバの言葉が終わらないうちに、後ろから天使アブリエルの声が重なった。
「魔王ブラックファイアとマダム・ペリペが手も出さずにただ見つめているだけなのも……最初はひどい事だと思っていましたが、今となってはその理由が私にもわかります。つまりこれは──あなたたち人間の営みであって……私たち人外の者の手出しする領域ではないという事だからです。……誤解のないように願いたいのですが……」
自分の考えをまとめる様に何度も言葉を区切りながら控え目に言うアブリエルの言葉に、トリニティがのろのろと顔を上げた。
「でも……気持ちだけはマスターアレクシスやトリニティ王女と共にあります」
そう言って穏やかに微笑んで見せる。その笑顔の中に、出会ったばかりの頃の様なただ儚く美しいだけのものとは違うものがあることにトリニテは気づいた。
天使はいつの間にこんな風に微笑むようになったのか。芯の通った落ち着きのようなもの。あるいはこの先どんな事があろうとも最後まで見届ける覚悟のようなもの。……そういうものが天使の中にはあった。
トリニティは離れた場所で佇んでいるだけの二人の魔王に目をやった。
では彼らは──もしかすると本当は、あんな風な傍観者でいたいなどとは思っていないのだろうか。恋人のために戦い、共に生きたいと願い──堕天してまで共に生きたのに──同じ場所、同じ時間を共に過ごしても、結局は同じ世界では生きてゆけなかった。その薄い膜のような眼には見えない隔たりに彼らは絶望し、その隔たりの向こうで今も立ち尽くしているのだろうか。
トリニティはディーバを見上げた。彼もまた、その隔たり故に苛立ち、それを越えられない事の苛立ちを人にぶつけているのだろうか。
「……ばっかみたい……」心が感じた事を感じたままに、トリニティはポツリと呟いた。「そんな事にこだわる必要なんて何処にもないのに」
こだわりの正体なんて、その人の心の中にある幻影でしかないのに。眼の前には何の隔たりなんてないのに。
ただ目の前の事象を何のフィルターも通さずに見つめ、それを受け入れるだけでいいのに。
彼らが愛しい者たちと共に過ごした時間も空間も、間違いなく確かにそこにあったのに。
同じ場所に立つ両者の間には、目に見えない隔たりなど在りはしなかったのに。在ると思ったのは自分の心がそう感じていただけだったのに。
先に逝ってしまったかもしれなくても、共に過ごした人間たちは、確かに自分たちと天使たちとは”共に在った”と。真実そう思って逝ったに違いないのに。
それなのに彼らはそれを感じることも出来ず、信じることも出来ず……信じ込もうとさえしないなんて。
自分の心の中に作った眼には見えない隔たりを信じ込むことは出来るくせに、自分たちと共に生きてくれた人間たちの愛情を心から信じてあげる事は出来ないなんて。
自分達人間は"今"を生きていうというのに。"今"を生き抜くために未来を信じるというのに。過ぎ去った過去の中に生き続けることしか出来ないなんて。
──なんて馬鹿で、なんて愚かなんだろう。自分が信じたものしか信じられないなんて……。
──なんて不器用で、可愛そうなんだろう。自分を変えてゆく事が出来ないなんて。
そして。
自分たちは人間達とは違う世界の存在だから。だから、交わる事が出来ないし、手出しをしてはいけないなんて。──本気でそう信じて、そう思っている。
馬鹿みたいだ。
そんな事、だれが決めたというんだろう。ただ自分が決めて、そう思いこんでいるだけではないのか。もし本当にそうだとして、それを破ったら、どうにかなるのだろうか。……それをした事が一度でもあるのだろうか。そして、その結果、何か災いでも起きたのだろうか。……たとえ起きたとしても、それを打開するために何かしたのか。ただ諦めて、そこで終わっただけではないのか。──そこから先へ、諦めずに進み続けた事はあるのだろうか。
──自分は諦めない。トリニティは思った。自分はこの旅でそれを知った。
自分の作った枠の中、社会が作った枠の中に囚われ、閉じこもり続ける事の愚かさを。
可能性を信じ、進み続けてみること……未来を信じてみる事の大切さを。
それは心の中で感じた、はっきりとした言葉にさえならないような感情のうねりだった。だがそれでも、目の前の悪魔ディーバは驚いたように目を見開いた。
トリニティはもしかすると彼らは人間が心で感じたことも知る事が出来るのかも知れないと思った。思えば、今までにも幾度もそう思えるような事はあった。
向こうでも魔王とマダムがディーバ同様に息を飲んだようにこちらを見つめていた。
トリニティは彼らを交互に見返しながら、もしかすると彼らは、こんな事さえ誰かに言ってもらった事がなかったのかもしれないと思った。
天使や悪魔達に声を何か掛けようと思い口を開きかけ──城門の方向から遠く聞こえていた声が大きくなった事に気付き、はっとしてそちらを向いた。
確かに。先程より人々の叫び声が大きくなっている。
「ではやはり、開門したんだわ」
先程そう思ったことに間違いはなかったのだ。心なしか、主塔のある方も騒然としているようだった。トリニティは「ああ、そうか」と心の中で呟いた。
あちらには別働隊が行っているはずだ。城門を破る陽動隊とは別の、主塔を目指す本隊の隊長にはクリスター卿がなったのだった。彼らは主塔の玉座の間を目指し、奪取するのが目的だ。
国の政治の中枢は玉座の間だ。そこを──次なる王、トリニティの為に押さえに行くのだ。城門ではルイス達が頑張っているはずだった。みんなが未来を信じて切り拓くために戦っている。そしてここではアレクシスが。
トリニティは勇者を激しく剣を交えるアレクシスを見た。
「あなた達は?」
小さく呟く声に反応してディーバがトリニティを見下ろした。
「あななた達は何時までそこに立ち止っているつもり……?」
──目を覚ませ。
アレクシスはイシリにそう言わなかったか。
(続く)
+-----------------------------+
| 「語バラ(裏)」
+-----------------------------+
『裏』
~今回は魔法戦じゃないんですか~
アブリエル:「物語も佳境に入ってきたという事で、そろそろ、今回が最後の戦闘シーンということですかね」
アレクシス:「だな」
アブリエル:「・・・・・今回は魔法戦ではないのですね」
アレクシス:「だな」
アブリエル:「作者の話では、魔法戦は1部でも2部でもやったからという事ですが」
アレクシス:「ああ。ファンタジーは魔法って便利なものがあって、派手で見栄えのいい戦闘シーンが出来るけど、やっぱりファンタジーの王道からいえば、ファイナルバトルは”剣と剣のぶつかりあい”、”男の汗くさい力技のぶつかりあい”だろう、と……」
アブリエル:「なんだか男くさいですね……」
アレクシス:「まぁな」
アブリエル:「なんていうか、少年漫画あたりならそれでOKなのでしょうが、少女向け恋愛小説で”男の汗と汗のぶつかりあい”っていうのは、ちょっとどうかという気もしますが……」
ディーバ:「まぁいいんじゃないのか? ”男と男のフェロモンのぶつかりあい”っていのは、腐女子には受ける構図だ」
アブリエル:「腐女子向けの小説でもないはずです……健全な、恋愛小説……」
ディーバ:「いや、全然健全じゃないだろ」
アレクシス:「かなり違うな。普通の恋愛小説なら端折るところを全部入れてるから」
ディーバ:「だな。普通、蛆とかゲロとか、ヒロインは吐かんな」
アレクシス:「けど昔、漫画ではあった」
ディーバ:「あれはどっちかっていうと少年誌ジャンルだからいいんだろう」
アレクシス:「いいのか……普通漫画でもやらないと、当時かなり話題になってたが」
アブリエル:「あの……お二人とも、そういうマニアな話はしないでください。しかもゲ──あ! いえ! ゴニュゴニュ……そういう話題で……ですねぇぇぇぇぇえぇぇl!!!!!!!!」
ディーバ:「あ! ヤバイ。アブリエルが切れ始めた」
アレクシス:「こいつ紅茶で酔ってグダを巻くからやっかいなんだよなー」
ディーバ:「早めに逃げないと、捕まった奴は最悪なことになるしな」
アレクシス:「……じゃ!そういう事で!!!」
ディーバ:「何っ!? おいっ! ちょっとまてっ!!! って! わ、……逃げ遅れた!!!!」
ディーバ:「わーーーーー!!!!!!」
固い金属の発する高音が幾度も音を立てて交り合う。次々に繰り出される激しい剣戟に、見る者は息をつく暇もなかった。
風に飛ばされて舞い落ちる木の葉が二つに裂けて、再び宙に舞った。踏み拉かれる枯葉が、二人の剣士の動きに合わせてふわりと浮きあがり、再び風に流されてゆく。
重く冷たい風が広場の張りつめた空気を一層緊張させた。
息を詰めるようにしてアレクシスと勇者の戦いを見つめるトリニティの背が緊張で縮み痛んだ。寒さに耐えるためなのかそれとも戦の緊張からなのか、トリニティには判別がつかなかった。
すぐ近くに座りこんで二人の様子を同じように固唾をのんで見つめていた妹王女が身じろぎすると、王女の背越しに長い剣が付きだされその動きを制した。トリニティがはっとして振り返ると悪魔ディーバが冷たい視線でセリス王女を見下ろしていた。
「あんたはナシだ。じっとしてそこで見てな」
憮然とした声で短く命令されて、セリス王女はむっとした表情を顔に浮かべた。
「……余計なお世話ですわ……! 悪魔などに命令される筋合いはございません!」
セリス王女は言いながら気丈にも悪魔の顔を睨み上げたが、ディーバの闇色の瞳にもろに見つめ返されて蒼白になり、慌てて口元を押えこんだ。
悪魔ディーバがセリス王女を意地悪く見下ろしながら歯を剥いて愉快そうに笑った。その足元で妹王女が身震いしながら口元を押さえ激しく咳き込んだ。
「……ディーバっ! 妹に何したのよっ!!」
思わずカッとなって声を荒げたトリニティに向かって悪魔は意地の悪い笑みを向けた。
「別に何もしてないぜ? 人間はみんな──」悪魔は言いながらセリス王女の銀糸のような細く長い髪を無造作に掴み上げ、彼女の顔を上向かせた。「悪魔を直に見たらこんな反応をするもんだ」セリス王女が短い悲鳴を上げ、怨みがましい、怒気を込めた瞳で悪魔を睨み上げた。
悪魔ディーバは目を細めて満足そうな笑みを浮かべて──可憐で美しい王女の──惨めで凄絶なその様を……見つめた。無様な醜態をさらされ、歯を食いしばりながら怒りと恥辱に戦慄くセリス王女の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「こういう反応をしないあんたの方が珍しいのさ」
セリス王女が再び悲鳴をあげた。悪魔に頭を押さえつけられて抗う事も出来ずに激しく咽返る。ディーバはさらに笑った。
「後ろ暗い経験を重ねた事のある人間ほど、悪魔の姿をまともに見る事が出来ない。薄汚い存在とはいえ、人間は清濁併せ持つ。その聖の部分が己の汚さに耐えられないのさ」
人間は悪魔の姿を通して、魂の奥底に沈めた後ろ暗い部分を見せつけられる。悪魔がわざとそれを見せているわけではない。悪魔という闇の存在が、人間の中の闇を喚起させるのだ。生きていく上で重ねた汚なさを、人は通常その心の底に隠し見ないようにして生きていく。正視に耐えられないからだ。だが悪魔の姿を見ることで、まるで合わせ鏡の様に自分の中にある闇の部分を正視してしまう。
「自分の心のままに在るような子供や、己の汚さを自覚さえしていないような救いようのない奴はこんな反応はしないがな」言いながらディーバがトリニティを振り返った。「あんたはどっちだろうな」そう言って意地悪そうに笑う。
その頬を、トリニティは思い切り叩いた。
「馬鹿っ!」
「何すんだよっ!!」
赤らんだ頬を押さえもせずに悪魔が睨みを利かせた。
「そんな風に睨んだって、怖くもなんともないんだからね!」
トリニティは悪魔を見つめるときに感じる特有の、体の底がざわつくような居心地の悪さを今は無視した。彼女だって、悪魔の言うような純粋な存在などではないのだ──ただ──悪魔の姿を通して見る己自身を直視することから逃げ出したりはしないという……ただそれだけのことに過ぎない。
──そう。
ただそれだけなのだ。
「知ってていじわる言うのやめなさいよ!!」
トリニティは声を張り上げた。
「あんただって分かってるはずでしょ!? みんな一生懸命生きてるのよ!? そりゃ、汚い事をしてきたかもしれない。──ううん、後ろ暗い事を何一つぜず、何かを犠牲にさえせずに生きてゆける人間なんて、この世には居ない。だけど……それでも、みんな皆、一生懸命生きてるんだからね! それなのに、それを知ってて嘲笑うようなこと止めなさいよ! そういうの、侮辱って言うのよ!! そういうことして、楽しいっ?」
ディーバが挑発的に瞳をきらめかせた。
「──ああ。楽しいね」
憮然とした声の返事が終わるのを待たずに、トリニティは飛びかかるようにして悪魔の胸元を引いた。
「そんなの、魔王よりもよっぽど最低じゃない! 何も理解できない魔王の方が、まだ罪がないわよ! 分かっててやってるなんて!」
「──なんだって!? 俺が魔王よりもタチが悪いって言う気かっ!?」
トリニティの言葉に存外傷ついたのか、悪魔ディーバがむきになって声をあげた。トリニティが掴んだ胸ぐらを何度も揺すった。
「ええ、馬鹿だわよっ。馬鹿を馬鹿って言ってどこが悪いのよ! あんたなんて、魔王よりよっぽど馬鹿じゃないの!」トリニティの瞳から涙の粒が零れ落ちた。「──あんたも馬鹿だけど、あたしも馬鹿だわよっ。馬鹿で役立たずだわ……! こんな近くにいるのに、ただ傍で見ているだけで、何の役に立つこともできないなんて……」最後の言葉は震えていた。噛みしめた唇から鉄錆の匂いが広がっても、拭う気にもなれなかった。
ディーバが喉を何度も唸らせながら硬直した。
胸ぐらを掴んだ手をそのままに悪魔の胸元に顔をうずめたトリニティをどう扱ったものか迷ったように慣れぬ様子で見下ろす。肩に手を添えるでもなく慰めるようなそぶりを見せるでもない。硬直した頬を引き攣らせながら、どんな反応を見せたらいいのか分からぬ風に手をぶらりと下ろして短く舌打ちした。
それとも。
最善の反応が何なのか分かっていてもしないのは悪魔所以の捻くれた性質なのか。
「──だが見た方がいい」
悪魔は視線を泳がせながらぶっきらぼうに言った。
「あいつが今戦ってるのはお前の為なんだから。あんたは言ったな──あいつは自分の剣だと」
剣を持たぬ自分のための、剣であり盾であると。
「だったら、どんなに見ているのがつらくても、最後まで見てろ」
「それが私たちにできる唯一の事ですからね」
ディーバの言葉が終わらないうちに、後ろから天使アブリエルの声が重なった。
「魔王ブラックファイアとマダム・ペリペが手も出さずにただ見つめているだけなのも……最初はひどい事だと思っていましたが、今となってはその理由が私にもわかります。つまりこれは──あなたたち人間の営みであって……私たち人外の者の手出しする領域ではないという事だからです。……誤解のないように願いたいのですが……」
自分の考えをまとめる様に何度も言葉を区切りながら控え目に言うアブリエルの言葉に、トリニティがのろのろと顔を上げた。
「でも……気持ちだけはマスターアレクシスやトリニティ王女と共にあります」
そう言って穏やかに微笑んで見せる。その笑顔の中に、出会ったばかりの頃の様なただ儚く美しいだけのものとは違うものがあることにトリニテは気づいた。
天使はいつの間にこんな風に微笑むようになったのか。芯の通った落ち着きのようなもの。あるいはこの先どんな事があろうとも最後まで見届ける覚悟のようなもの。……そういうものが天使の中にはあった。
トリニティは離れた場所で佇んでいるだけの二人の魔王に目をやった。
では彼らは──もしかすると本当は、あんな風な傍観者でいたいなどとは思っていないのだろうか。恋人のために戦い、共に生きたいと願い──堕天してまで共に生きたのに──同じ場所、同じ時間を共に過ごしても、結局は同じ世界では生きてゆけなかった。その薄い膜のような眼には見えない隔たりに彼らは絶望し、その隔たりの向こうで今も立ち尽くしているのだろうか。
トリニティはディーバを見上げた。彼もまた、その隔たり故に苛立ち、それを越えられない事の苛立ちを人にぶつけているのだろうか。
「……ばっかみたい……」心が感じた事を感じたままに、トリニティはポツリと呟いた。「そんな事にこだわる必要なんて何処にもないのに」
こだわりの正体なんて、その人の心の中にある幻影でしかないのに。眼の前には何の隔たりなんてないのに。
ただ目の前の事象を何のフィルターも通さずに見つめ、それを受け入れるだけでいいのに。
彼らが愛しい者たちと共に過ごした時間も空間も、間違いなく確かにそこにあったのに。
同じ場所に立つ両者の間には、目に見えない隔たりなど在りはしなかったのに。在ると思ったのは自分の心がそう感じていただけだったのに。
先に逝ってしまったかもしれなくても、共に過ごした人間たちは、確かに自分たちと天使たちとは”共に在った”と。真実そう思って逝ったに違いないのに。
それなのに彼らはそれを感じることも出来ず、信じることも出来ず……信じ込もうとさえしないなんて。
自分の心の中に作った眼には見えない隔たりを信じ込むことは出来るくせに、自分たちと共に生きてくれた人間たちの愛情を心から信じてあげる事は出来ないなんて。
自分達人間は"今"を生きていうというのに。"今"を生き抜くために未来を信じるというのに。過ぎ去った過去の中に生き続けることしか出来ないなんて。
──なんて馬鹿で、なんて愚かなんだろう。自分が信じたものしか信じられないなんて……。
──なんて不器用で、可愛そうなんだろう。自分を変えてゆく事が出来ないなんて。
そして。
自分たちは人間達とは違う世界の存在だから。だから、交わる事が出来ないし、手出しをしてはいけないなんて。──本気でそう信じて、そう思っている。
馬鹿みたいだ。
そんな事、だれが決めたというんだろう。ただ自分が決めて、そう思いこんでいるだけではないのか。もし本当にそうだとして、それを破ったら、どうにかなるのだろうか。……それをした事が一度でもあるのだろうか。そして、その結果、何か災いでも起きたのだろうか。……たとえ起きたとしても、それを打開するために何かしたのか。ただ諦めて、そこで終わっただけではないのか。──そこから先へ、諦めずに進み続けた事はあるのだろうか。
──自分は諦めない。トリニティは思った。自分はこの旅でそれを知った。
自分の作った枠の中、社会が作った枠の中に囚われ、閉じこもり続ける事の愚かさを。
可能性を信じ、進み続けてみること……未来を信じてみる事の大切さを。
それは心の中で感じた、はっきりとした言葉にさえならないような感情のうねりだった。だがそれでも、目の前の悪魔ディーバは驚いたように目を見開いた。
トリニティはもしかすると彼らは人間が心で感じたことも知る事が出来るのかも知れないと思った。思えば、今までにも幾度もそう思えるような事はあった。
向こうでも魔王とマダムがディーバ同様に息を飲んだようにこちらを見つめていた。
トリニティは彼らを交互に見返しながら、もしかすると彼らは、こんな事さえ誰かに言ってもらった事がなかったのかもしれないと思った。
天使や悪魔達に声を何か掛けようと思い口を開きかけ──城門の方向から遠く聞こえていた声が大きくなった事に気付き、はっとしてそちらを向いた。
確かに。先程より人々の叫び声が大きくなっている。
「ではやはり、開門したんだわ」
先程そう思ったことに間違いはなかったのだ。心なしか、主塔のある方も騒然としているようだった。トリニティは「ああ、そうか」と心の中で呟いた。
あちらには別働隊が行っているはずだ。城門を破る陽動隊とは別の、主塔を目指す本隊の隊長にはクリスター卿がなったのだった。彼らは主塔の玉座の間を目指し、奪取するのが目的だ。
国の政治の中枢は玉座の間だ。そこを──次なる王、トリニティの為に押さえに行くのだ。城門ではルイス達が頑張っているはずだった。みんなが未来を信じて切り拓くために戦っている。そしてここではアレクシスが。
トリニティは勇者を激しく剣を交えるアレクシスを見た。
「あなた達は?」
小さく呟く声に反応してディーバがトリニティを見下ろした。
「あななた達は何時までそこに立ち止っているつもり……?」
──目を覚ませ。
アレクシスはイシリにそう言わなかったか。
(続く)
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| 「語バラ(裏)」
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『裏』
~今回は魔法戦じゃないんですか~
アブリエル:「物語も佳境に入ってきたという事で、そろそろ、今回が最後の戦闘シーンということですかね」
アレクシス:「だな」
アブリエル:「・・・・・今回は魔法戦ではないのですね」
アレクシス:「だな」
アブリエル:「作者の話では、魔法戦は1部でも2部でもやったからという事ですが」
アレクシス:「ああ。ファンタジーは魔法って便利なものがあって、派手で見栄えのいい戦闘シーンが出来るけど、やっぱりファンタジーの王道からいえば、ファイナルバトルは”剣と剣のぶつかりあい”、”男の汗くさい力技のぶつかりあい”だろう、と……」
アブリエル:「なんだか男くさいですね……」
アレクシス:「まぁな」
アブリエル:「なんていうか、少年漫画あたりならそれでOKなのでしょうが、少女向け恋愛小説で”男の汗と汗のぶつかりあい”っていうのは、ちょっとどうかという気もしますが……」
ディーバ:「まぁいいんじゃないのか? ”男と男のフェロモンのぶつかりあい”っていのは、腐女子には受ける構図だ」
アブリエル:「腐女子向けの小説でもないはずです……健全な、恋愛小説……」
ディーバ:「いや、全然健全じゃないだろ」
アレクシス:「かなり違うな。普通の恋愛小説なら端折るところを全部入れてるから」
ディーバ:「だな。普通、蛆とかゲロとか、ヒロインは吐かんな」
アレクシス:「けど昔、漫画ではあった」
ディーバ:「あれはどっちかっていうと少年誌ジャンルだからいいんだろう」
アレクシス:「いいのか……普通漫画でもやらないと、当時かなり話題になってたが」
アブリエル:「あの……お二人とも、そういうマニアな話はしないでください。しかもゲ──あ! いえ! ゴニュゴニュ……そういう話題で……ですねぇぇぇぇぇえぇぇl!!!!!!!!」
ディーバ:「あ! ヤバイ。アブリエルが切れ始めた」
アレクシス:「こいつ紅茶で酔ってグダを巻くからやっかいなんだよなー」
ディーバ:「早めに逃げないと、捕まった奴は最悪なことになるしな」
アレクシス:「……じゃ!そういう事で!!!」
ディーバ:「何っ!? おいっ! ちょっとまてっ!!! って! わ、……逃げ遅れた!!!!」
ディーバ:「わーーーーー!!!!!!」
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