上 下
70 / 131
第3部 天の碧落

第4章 木の下の約束 3

しおりを挟む
「五百ルーナだ」
 そういって差し出された手に言われたとおりの貨幣を差し出しながら、マダム・ペリペは気難しい顔で唸った。
「質が落ちてきてるわ。それに量もね」
 バザールの一角に店を開いている店主が眉根を上げた。首都の小売店では、バザールで武器を買って店先に並べるのが常だった。男は鍛冶屋で、近くの村から鍛えた武器を持ち込んで店を開いているのだった。
 マダムが受け取った剣数本を後ろの男に手渡すと、男は不平を呟きながら背負った袋に剣を入れていった。袋には既に十本近くの剣が収まっている。
「仕方がねえ」
 鍛冶屋は小姓の背にある剣に目をやりながら言った。
「最近は武器の需要が高い。あんたのトコロだってそうだろ? ずいぶん買い付けて廻ってるじゃねえか。しょっちゅうバザールにやって来ては武器の買い付けに廻ってる」
「まあね」マダム・ペリペは腰に手を当て溜息をついた。その妖艶なポーズに鍛冶屋も思わずその位置へ目をやる。だが、マダムはそんな視線は慣れたものなのか、頓着せずに言葉を続けた。
「確かに、うちの店にも町の外から武器を買いに来るものが多くなってきたわ。……気持ちは分からないでもないけど」
「繁盛でいいじゃねぇか」
 鍛冶屋は下卑た風に笑うと、マダムは気に障ったらしく柳眉を上げた。鍛冶屋があわてて肩を竦める。
「ま……こんな繁盛、いいわけねぇか……」
 通りの向こうから、兵士の隊列がこちらへ向かって走ってきた。
「いけね」
 鍛冶屋が慌てて店じまいを始めた。この最近、暴動を恐れた王が民衆が武器を購入することを制限し始めたのだ。
「そこ! 何やってる!」
 隊長らしき男が声を荒げて近づいてきた。マダム・ペリペは腰に手をやったまま、見下したようにフンと鼻を鳴らした。
「マダム・ペリペ」
 隊長がマダムの姿を見て、その名を呼んだ。首都に、彼女を知らぬ者はないといっていい。
「何をしていらっしゃるので?」
 言葉遣いが急に丁寧になった。
「何って、店の買い付けよ──決まってるでしょ」
 マダム・ペリペが形の良い顎をしゃくって見せた。後ろの小姓は剣を初めとした武器を幾つも背負い、それ以外にも薬瓶や見ただけでは使途の分からない袋などを幾つも抱えていた。三人いる小姓の全員がそうだった。
「しかし」隊長は小姓を一瞥した後、マダムに視線を戻した。「禁止令が」
「そんなもの、何だって言うのよ! うちの店に買いに来るのは、首都の住人よりも外の者が多いのよ? 兵隊につかまるよりも、野党や妖獣に殺される方が多い。国王陛下は国民に、野獣に食い殺されろって言う気なの?」
「いや──」
 語気荒く言うマダムに、さすがの隊長も押され気味の様子だ。溜息をつきながら、諭すようにマダムに注意した。
「頼みますよマダム──。お気持ちは十分わかりますが、あまり派手に振舞われないようにしてくださいよ?」
 このマダムをして、何処をどうすれば派手でなくなるのか。
「あら」
 マダムは腰に当てた手を頬に移して体を捻った。見えそうで見えない胸元が、隊長の前で微妙な角度で開く。隊長が生唾を飲み込む音が聞こえた。
「いいのかしら? あなたの様な立場の人がそんなことを言ったりして」
 男にも分かってはいるのだろう。隊長は後ろの隊士に見えぬように神妙な顔で頷き、小声で呟いた。
「この国はおかしくなる一方です。賢王だった陛下は最近とみに残虐になったと皆が噂しています。そう──『傾国』が城に戻ってきてからだと」
 マダムが隊長をじっと見つめた。隊長は慌てたように目線をずらした。
「とにかく、気をつけられることです。──隊列、進め!」
 進軍の指示を出して去っていく兵士の一団をじっと見つめるマダムに、鍛冶屋がそっと呟いた。
「『傾国』──か。その言葉、信じたくもなるわな。今のこの国の荒れようじゃあ……」
 かつて『ネリスの至宝』『神の愛娘』と称された王女が、今では『傾国』と蔑まれる。
「この国はどうなっちまうんだろう。女神イシリはどうしてこの国を救ってくれないんだろうか」
 誰ともなく呟いた鍛冶屋に向かってマダム・ペリペが振り返った。
「だってそうだろ? 女神は国亡の危機には何度も現れて国を救ったと言うじゃないか。じゃあ、何故今現れて国を救わない?」
「女神は魔王よ。救って欲しければ、出す条件は厳しいわ。今のこの国の国民に、女神の出す条件をクリア出来る者がいると言うのかしら?」
 鍛冶屋は何度か口を開け閉めしながらマダムを見つめたが、結局何も言わずにかぶりを振ると、店じまいをして立ち去った。
 後ろの小姓──剣を沢山背負った男が、汗を拭きながらマダムを見た。
「マダムの出す条件も厳しいのかい?」
 言葉に、マダムが振り返った。
「どういうこと? ルイス」
 ルイス・バーグはいつもの柔和な笑みを浮かべて、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「アレクに目を覚ませって言われただろ?」
「ああ──」剣呑な視線でルイスを見つめながらマダムが答えた。
「俺は男の事だと思ったんだけど、違うかな?」
 マダムの片眉がギュッとあがる。
「どうしてそう思うの?」
「男のカンさ」
 そう答えるルイスに、マダムは吐息を一つついて口を開いた。
「昔、愛した男がいたわ」歩き出しながら言葉を続ける。後に三人が続いた。
「骨の髄から愛した男。その男のために戦場に出て、魔法を使い、剣を振るった」
「──ああ──そういやマダムは有名な傭兵だったっけ。今じゃ店の中に納まってるが」
「男はあたしの事を『最高の相棒だ』と言ったわ。けど──けど──信じられるっ? そいつ、他の女と結婚したのよっ?」
「へっ……?」
 このマダムにしてはあまりに普通じみた言葉に、ルイスは思わず言葉を詰まらせた。
「あたしをフッたのよっ! あいつっ! それなのに、あっという間に死んじゃったの! 死んじゃったのよっ! アッサリと!」
 マダムの声のトーンが徐々に上がっていく。握りあげた拳が震えた。やや間をおいて、溜息とともに腕もおろされた。
「──そういう訳。……あたしはね、女よ。骨の髄まで女。命を賭けて愛せる男に出会った。その男がたとえあたしを選ばなかったとしても、今でも愛してるのはそいつだけ」
「『目を覚ました』んじゃないの?」
 ルイスの言葉にマダムが片眉を上げて睨みあげた。
「あたしの剣はそいつを守るためだけにあった。……だから、剣はもう振るわない。勘違いしないで。あたしがあんた達を手伝ってあげてるのは、その方が都合がいいからよ。商売人でもないのが大量に武器を調達してたら怪しまれるでしょ? その点、あたしなら都合がいい。怪しまれることもないし、もしそうだとしても、言い訳が立つわ」
「まあ、そりゃそうだね」
「あたしに改心して本気で手伝って欲しけりゃ……あたしの出す条件は、厳しいわよ? それこそ女神イシリ並みに」
 ルイスが苦笑して身を震わせた。本気で『そりゃ、恐ろしい』と言わんばかりに。マダムはそれを見てフンと鼻を鳴らした。それからルイスの後ろについて歩く二人の小姓を、思いっきり眉を寄せて睨みつけた。
「それよりどうにかならないの?」
 ルイスはマダムの視線の先に目を這わせた。後ろを振り返り、「ああ、あれ?」と何でもなさそうにさらりと言う。
「そんなどうでもよさそうに言わないで頂戴よ! いつもは余計なくらい大げさなのに!」
「へぇへ──とは言われてもねぇ」ルイスは嘆息気味に答えた。「どうしようもないでしょ」
「どうしようもなくないわ! あたしのそばを歩かないで欲しいわ! ──あたしが目立たなるもの!」
 マダム・ペリペの本気の言葉に、ルイスは苦笑して振り返った。自分達に話の話題が振られたことに今更気付いた一人が胡乱げに顔をあげた。それ程の荷を背負って歩くことが始めてなのか、額に汗を結んでいる。もう一方の小姓はといえば、終始眉間に皺を寄せて、大いに不服そうだ。心の中で、ある男に呪いの言葉を吐いていたに違いない。

 一人は『召喚』されて地上に堕ちた天使。いま一人は『永劫の呪縛』で服従させられた悪魔だった。

(続く)

+-----------------------------+
|        「語バラ(裏)」    
+-----------------------------+

 今回「裏」はお休みです。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

わがまま姉のせいで8歳で大聖女になってしまいました

ぺきぺき
ファンタジー
ルロワ公爵家の三女として生まれたクリスローズは聖女の素質を持ち、6歳で教会で聖女の修行を始めた。幼いながらも修行に励み、周りに応援されながら頑張っていたある日突然、大聖女をしていた10歳上の姉が『妊娠したから大聖女をやめて結婚するわ』と宣言した。 大聖女資格があったのは、その時まだ8歳だったクリスローズだけで…。 ー--- 全5章、最終話まで執筆済み。 第1章 6歳の聖女 第2章 8歳の大聖女 第3章 12歳の公爵令嬢 第4章 15歳の辺境聖女 第5章 17歳の愛し子 権力のあるわがまま女に振り回されながらも健気にがんばる女の子の話を書いた…はず。 おまけの後日談投稿します(6/26)。 番外編投稿します(12/30-1/1)。 作者の別作品『人たらしヒロインは無自覚で魔法学園を改革しています』の隣の国の昔のお話です。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...