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第3部 天の碧落
第4章 木の下の約束 3
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「五百ルーナだ」
そういって差し出された手に言われたとおりの貨幣を差し出しながら、マダム・ペリペは気難しい顔で唸った。
「質が落ちてきてるわ。それに量もね」
バザールの一角に店を開いている店主が眉根を上げた。首都の小売店では、バザールで武器を買って店先に並べるのが常だった。男は鍛冶屋で、近くの村から鍛えた武器を持ち込んで店を開いているのだった。
マダムが受け取った剣数本を後ろの男に手渡すと、男は不平を呟きながら背負った袋に剣を入れていった。袋には既に十本近くの剣が収まっている。
「仕方がねえ」
鍛冶屋は小姓の背にある剣に目をやりながら言った。
「最近は武器の需要が高い。あんたのトコロだってそうだろ? ずいぶん買い付けて廻ってるじゃねえか。しょっちゅうバザールにやって来ては武器の買い付けに廻ってる」
「まあね」マダム・ペリペは腰に手を当て溜息をついた。その妖艶なポーズに鍛冶屋も思わずその位置へ目をやる。だが、マダムはそんな視線は慣れたものなのか、頓着せずに言葉を続けた。
「確かに、うちの店にも町の外から武器を買いに来るものが多くなってきたわ。……気持ちは分からないでもないけど」
「繁盛でいいじゃねぇか」
鍛冶屋は下卑た風に笑うと、マダムは気に障ったらしく柳眉を上げた。鍛冶屋があわてて肩を竦める。
「ま……こんな繁盛、いいわけねぇか……」
通りの向こうから、兵士の隊列がこちらへ向かって走ってきた。
「いけね」
鍛冶屋が慌てて店じまいを始めた。この最近、暴動を恐れた王が民衆が武器を購入することを制限し始めたのだ。
「そこ! 何やってる!」
隊長らしき男が声を荒げて近づいてきた。マダム・ペリペは腰に手をやったまま、見下したようにフンと鼻を鳴らした。
「マダム・ペリペ」
隊長がマダムの姿を見て、その名を呼んだ。首都に、彼女を知らぬ者はないといっていい。
「何をしていらっしゃるので?」
言葉遣いが急に丁寧になった。
「何って、店の買い付けよ──決まってるでしょ」
マダム・ペリペが形の良い顎をしゃくって見せた。後ろの小姓は剣を初めとした武器を幾つも背負い、それ以外にも薬瓶や見ただけでは使途の分からない袋などを幾つも抱えていた。三人いる小姓の全員がそうだった。
「しかし」隊長は小姓を一瞥した後、マダムに視線を戻した。「禁止令が」
「そんなもの、何だって言うのよ! うちの店に買いに来るのは、首都の住人よりも外の者が多いのよ? 兵隊につかまるよりも、野党や妖獣に殺される方が多い。国王陛下は国民に、野獣に食い殺されろって言う気なの?」
「いや──」
語気荒く言うマダムに、さすがの隊長も押され気味の様子だ。溜息をつきながら、諭すようにマダムに注意した。
「頼みますよマダム──。お気持ちは十分わかりますが、あまり派手に振舞われないようにしてくださいよ?」
このマダムをして、何処をどうすれば派手でなくなるのか。
「あら」
マダムは腰に当てた手を頬に移して体を捻った。見えそうで見えない胸元が、隊長の前で微妙な角度で開く。隊長が生唾を飲み込む音が聞こえた。
「いいのかしら? あなたの様な立場の人がそんなことを言ったりして」
男にも分かってはいるのだろう。隊長は後ろの隊士に見えぬように神妙な顔で頷き、小声で呟いた。
「この国はおかしくなる一方です。賢王だった陛下は最近とみに残虐になったと皆が噂しています。そう──『傾国』が城に戻ってきてからだと」
マダムが隊長をじっと見つめた。隊長は慌てたように目線をずらした。
「とにかく、気をつけられることです。──隊列、進め!」
進軍の指示を出して去っていく兵士の一団をじっと見つめるマダムに、鍛冶屋がそっと呟いた。
「『傾国』──か。その言葉、信じたくもなるわな。今のこの国の荒れようじゃあ……」
かつて『ネリスの至宝』『神の愛娘』と称された王女が、今では『傾国』と蔑まれる。
「この国はどうなっちまうんだろう。女神イシリはどうしてこの国を救ってくれないんだろうか」
誰ともなく呟いた鍛冶屋に向かってマダム・ペリペが振り返った。
「だってそうだろ? 女神は国亡の危機には何度も現れて国を救ったと言うじゃないか。じゃあ、何故今現れて国を救わない?」
「女神は魔王よ。救って欲しければ、出す条件は厳しいわ。今のこの国の国民に、女神の出す条件をクリア出来る者がいると言うのかしら?」
鍛冶屋は何度か口を開け閉めしながらマダムを見つめたが、結局何も言わずにかぶりを振ると、店じまいをして立ち去った。
後ろの小姓──剣を沢山背負った男が、汗を拭きながらマダムを見た。
「マダムの出す条件も厳しいのかい?」
言葉に、マダムが振り返った。
「どういうこと? ルイス」
ルイス・バーグはいつもの柔和な笑みを浮かべて、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「アレクに目を覚ませって言われただろ?」
「ああ──」剣呑な視線でルイスを見つめながらマダムが答えた。
「俺は男の事だと思ったんだけど、違うかな?」
マダムの片眉がギュッとあがる。
「どうしてそう思うの?」
「男のカンさ」
そう答えるルイスに、マダムは吐息を一つついて口を開いた。
「昔、愛した男がいたわ」歩き出しながら言葉を続ける。後に三人が続いた。
「骨の髄から愛した男。その男のために戦場に出て、魔法を使い、剣を振るった」
「──ああ──そういやマダムは有名な傭兵だったっけ。今じゃ店の中に納まってるが」
「男はあたしの事を『最高の相棒だ』と言ったわ。けど──けど──信じられるっ? そいつ、他の女と結婚したのよっ?」
「へっ……?」
このマダムにしてはあまりに普通じみた言葉に、ルイスは思わず言葉を詰まらせた。
「あたしをフッたのよっ! あいつっ! それなのに、あっという間に死んじゃったの! 死んじゃったのよっ! アッサリと!」
マダムの声のトーンが徐々に上がっていく。握りあげた拳が震えた。やや間をおいて、溜息とともに腕もおろされた。
「──そういう訳。……あたしはね、女よ。骨の髄まで女。命を賭けて愛せる男に出会った。その男がたとえあたしを選ばなかったとしても、今でも愛してるのはそいつだけ」
「『目を覚ました』んじゃないの?」
ルイスの言葉にマダムが片眉を上げて睨みあげた。
「あたしの剣はそいつを守るためだけにあった。……だから、剣はもう振るわない。勘違いしないで。あたしがあんた達を手伝ってあげてるのは、その方が都合がいいからよ。商売人でもないのが大量に武器を調達してたら怪しまれるでしょ? その点、あたしなら都合がいい。怪しまれることもないし、もしそうだとしても、言い訳が立つわ」
「まあ、そりゃそうだね」
「あたしに改心して本気で手伝って欲しけりゃ……あたしの出す条件は、厳しいわよ? それこそ女神イシリ並みに」
ルイスが苦笑して身を震わせた。本気で『そりゃ、恐ろしい』と言わんばかりに。マダムはそれを見てフンと鼻を鳴らした。それからルイスの後ろについて歩く二人の小姓を、思いっきり眉を寄せて睨みつけた。
「それよりどうにかならないの?」
ルイスはマダムの視線の先に目を這わせた。後ろを振り返り、「ああ、あれ?」と何でもなさそうにさらりと言う。
「そんなどうでもよさそうに言わないで頂戴よ! いつもは余計なくらい大げさなのに!」
「へぇへ──とは言われてもねぇ」ルイスは嘆息気味に答えた。「どうしようもないでしょ」
「どうしようもなくないわ! あたしのそばを歩かないで欲しいわ! ──あたしが目立たなるもの!」
マダム・ペリペの本気の言葉に、ルイスは苦笑して振り返った。自分達に話の話題が振られたことに今更気付いた一人が胡乱げに顔をあげた。それ程の荷を背負って歩くことが始めてなのか、額に汗を結んでいる。もう一方の小姓はといえば、終始眉間に皺を寄せて、大いに不服そうだ。心の中で、ある男に呪いの言葉を吐いていたに違いない。
一人は『召喚』されて地上に堕ちた天使。いま一人は『永劫の呪縛』で服従させられた悪魔だった。
(続く)
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| 「語バラ(裏)」
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今回「裏」はお休みです。
そういって差し出された手に言われたとおりの貨幣を差し出しながら、マダム・ペリペは気難しい顔で唸った。
「質が落ちてきてるわ。それに量もね」
バザールの一角に店を開いている店主が眉根を上げた。首都の小売店では、バザールで武器を買って店先に並べるのが常だった。男は鍛冶屋で、近くの村から鍛えた武器を持ち込んで店を開いているのだった。
マダムが受け取った剣数本を後ろの男に手渡すと、男は不平を呟きながら背負った袋に剣を入れていった。袋には既に十本近くの剣が収まっている。
「仕方がねえ」
鍛冶屋は小姓の背にある剣に目をやりながら言った。
「最近は武器の需要が高い。あんたのトコロだってそうだろ? ずいぶん買い付けて廻ってるじゃねえか。しょっちゅうバザールにやって来ては武器の買い付けに廻ってる」
「まあね」マダム・ペリペは腰に手を当て溜息をついた。その妖艶なポーズに鍛冶屋も思わずその位置へ目をやる。だが、マダムはそんな視線は慣れたものなのか、頓着せずに言葉を続けた。
「確かに、うちの店にも町の外から武器を買いに来るものが多くなってきたわ。……気持ちは分からないでもないけど」
「繁盛でいいじゃねぇか」
鍛冶屋は下卑た風に笑うと、マダムは気に障ったらしく柳眉を上げた。鍛冶屋があわてて肩を竦める。
「ま……こんな繁盛、いいわけねぇか……」
通りの向こうから、兵士の隊列がこちらへ向かって走ってきた。
「いけね」
鍛冶屋が慌てて店じまいを始めた。この最近、暴動を恐れた王が民衆が武器を購入することを制限し始めたのだ。
「そこ! 何やってる!」
隊長らしき男が声を荒げて近づいてきた。マダム・ペリペは腰に手をやったまま、見下したようにフンと鼻を鳴らした。
「マダム・ペリペ」
隊長がマダムの姿を見て、その名を呼んだ。首都に、彼女を知らぬ者はないといっていい。
「何をしていらっしゃるので?」
言葉遣いが急に丁寧になった。
「何って、店の買い付けよ──決まってるでしょ」
マダム・ペリペが形の良い顎をしゃくって見せた。後ろの小姓は剣を初めとした武器を幾つも背負い、それ以外にも薬瓶や見ただけでは使途の分からない袋などを幾つも抱えていた。三人いる小姓の全員がそうだった。
「しかし」隊長は小姓を一瞥した後、マダムに視線を戻した。「禁止令が」
「そんなもの、何だって言うのよ! うちの店に買いに来るのは、首都の住人よりも外の者が多いのよ? 兵隊につかまるよりも、野党や妖獣に殺される方が多い。国王陛下は国民に、野獣に食い殺されろって言う気なの?」
「いや──」
語気荒く言うマダムに、さすがの隊長も押され気味の様子だ。溜息をつきながら、諭すようにマダムに注意した。
「頼みますよマダム──。お気持ちは十分わかりますが、あまり派手に振舞われないようにしてくださいよ?」
このマダムをして、何処をどうすれば派手でなくなるのか。
「あら」
マダムは腰に当てた手を頬に移して体を捻った。見えそうで見えない胸元が、隊長の前で微妙な角度で開く。隊長が生唾を飲み込む音が聞こえた。
「いいのかしら? あなたの様な立場の人がそんなことを言ったりして」
男にも分かってはいるのだろう。隊長は後ろの隊士に見えぬように神妙な顔で頷き、小声で呟いた。
「この国はおかしくなる一方です。賢王だった陛下は最近とみに残虐になったと皆が噂しています。そう──『傾国』が城に戻ってきてからだと」
マダムが隊長をじっと見つめた。隊長は慌てたように目線をずらした。
「とにかく、気をつけられることです。──隊列、進め!」
進軍の指示を出して去っていく兵士の一団をじっと見つめるマダムに、鍛冶屋がそっと呟いた。
「『傾国』──か。その言葉、信じたくもなるわな。今のこの国の荒れようじゃあ……」
かつて『ネリスの至宝』『神の愛娘』と称された王女が、今では『傾国』と蔑まれる。
「この国はどうなっちまうんだろう。女神イシリはどうしてこの国を救ってくれないんだろうか」
誰ともなく呟いた鍛冶屋に向かってマダム・ペリペが振り返った。
「だってそうだろ? 女神は国亡の危機には何度も現れて国を救ったと言うじゃないか。じゃあ、何故今現れて国を救わない?」
「女神は魔王よ。救って欲しければ、出す条件は厳しいわ。今のこの国の国民に、女神の出す条件をクリア出来る者がいると言うのかしら?」
鍛冶屋は何度か口を開け閉めしながらマダムを見つめたが、結局何も言わずにかぶりを振ると、店じまいをして立ち去った。
後ろの小姓──剣を沢山背負った男が、汗を拭きながらマダムを見た。
「マダムの出す条件も厳しいのかい?」
言葉に、マダムが振り返った。
「どういうこと? ルイス」
ルイス・バーグはいつもの柔和な笑みを浮かべて、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「アレクに目を覚ませって言われただろ?」
「ああ──」剣呑な視線でルイスを見つめながらマダムが答えた。
「俺は男の事だと思ったんだけど、違うかな?」
マダムの片眉がギュッとあがる。
「どうしてそう思うの?」
「男のカンさ」
そう答えるルイスに、マダムは吐息を一つついて口を開いた。
「昔、愛した男がいたわ」歩き出しながら言葉を続ける。後に三人が続いた。
「骨の髄から愛した男。その男のために戦場に出て、魔法を使い、剣を振るった」
「──ああ──そういやマダムは有名な傭兵だったっけ。今じゃ店の中に納まってるが」
「男はあたしの事を『最高の相棒だ』と言ったわ。けど──けど──信じられるっ? そいつ、他の女と結婚したのよっ?」
「へっ……?」
このマダムにしてはあまりに普通じみた言葉に、ルイスは思わず言葉を詰まらせた。
「あたしをフッたのよっ! あいつっ! それなのに、あっという間に死んじゃったの! 死んじゃったのよっ! アッサリと!」
マダムの声のトーンが徐々に上がっていく。握りあげた拳が震えた。やや間をおいて、溜息とともに腕もおろされた。
「──そういう訳。……あたしはね、女よ。骨の髄まで女。命を賭けて愛せる男に出会った。その男がたとえあたしを選ばなかったとしても、今でも愛してるのはそいつだけ」
「『目を覚ました』んじゃないの?」
ルイスの言葉にマダムが片眉を上げて睨みあげた。
「あたしの剣はそいつを守るためだけにあった。……だから、剣はもう振るわない。勘違いしないで。あたしがあんた達を手伝ってあげてるのは、その方が都合がいいからよ。商売人でもないのが大量に武器を調達してたら怪しまれるでしょ? その点、あたしなら都合がいい。怪しまれることもないし、もしそうだとしても、言い訳が立つわ」
「まあ、そりゃそうだね」
「あたしに改心して本気で手伝って欲しけりゃ……あたしの出す条件は、厳しいわよ? それこそ女神イシリ並みに」
ルイスが苦笑して身を震わせた。本気で『そりゃ、恐ろしい』と言わんばかりに。マダムはそれを見てフンと鼻を鳴らした。それからルイスの後ろについて歩く二人の小姓を、思いっきり眉を寄せて睨みつけた。
「それよりどうにかならないの?」
ルイスはマダムの視線の先に目を這わせた。後ろを振り返り、「ああ、あれ?」と何でもなさそうにさらりと言う。
「そんなどうでもよさそうに言わないで頂戴よ! いつもは余計なくらい大げさなのに!」
「へぇへ──とは言われてもねぇ」ルイスは嘆息気味に答えた。「どうしようもないでしょ」
「どうしようもなくないわ! あたしのそばを歩かないで欲しいわ! ──あたしが目立たなるもの!」
マダム・ペリペの本気の言葉に、ルイスは苦笑して振り返った。自分達に話の話題が振られたことに今更気付いた一人が胡乱げに顔をあげた。それ程の荷を背負って歩くことが始めてなのか、額に汗を結んでいる。もう一方の小姓はといえば、終始眉間に皺を寄せて、大いに不服そうだ。心の中で、ある男に呪いの言葉を吐いていたに違いない。
一人は『召喚』されて地上に堕ちた天使。いま一人は『永劫の呪縛』で服従させられた悪魔だった。
(続く)
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