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外伝

梟の啼く声 1

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強烈な光と影のコントラスト。

闇の中で何かが啼く声がする。

低く伸びるように。

不気味に響き渡る啼き声。

あれは鳥の声だろうか。それとも、何か別の。

恐怖に引き裂かれる、自分自身の声だろうか。



 薄闇の中、弾かれるようにルイス・バーグは身を起こした。
 びっしりと汗をかいている。何かにひどくうなされたようだった。
 叫び声を上げた憶えはなかったが、横を向くと、傍にいた別の傭兵が嘲るような視線をルイスに向けた。
「遅いお目覚めだな」
 嫌味のこもった一言に、ルイスは怒気を孕んだ瞳で睨み返した。傭兵は鼻白んだ顔で軽蔑と侮蔑のこもった言葉をさらにいくつか、口の中で喋ったが、その声は別の大きな声にかき消されてルイスの耳には届かなかった。
 ……例え届いてなくても、意味はなかった。
 傭兵が自分に向けてなんと言ったのか、簡単に想像がついたからだ。

 ここは戦場のテントの中だった。

 まもなく夜が来る。
 野営の為に戦地に張られたテントは、中央に一本だけ柱を立てる円形の簡易テントで、高さはあまり無い。僅か二百五十クヌートしか高さの無い柱に張られた帆布は、すぐに低くなり中に入る兵士たちは中腰さえきつい有様だ。
 だが、別段、それでも用は足りる。
 この低いテントに入るのは負傷兵ばかりで、殆ど者は横に転がっている者ばかりだったからだ。
 夜を前に、不気味な雰囲気がテントの中に満ちていた。

 恐怖と、絶望とを併せたような雰囲気が。



 中央の柱の傍は天井も高く、十分立っていられる。そこに二人の騎士が腕を後ろに回して立っていた。このテントの護衛役だが、二人の騎士の顔は青く、生きたまま死んでいるかのような有様だった。
 その騎士達の足元から、その大声は聞こえてきたのだった。
「死にたくない! 死にたくないぃぃ!」
 恐怖に押しつぶされたような無様な悲鳴はずっと続いていた。
「本陣へ戻してくれっ! お願いだ!」
 声はすすり泣く声に変わり、青い顔で微動だにせず立ち尽くす騎士達に哀願したが、反応が無いのを見て取るとすぐに傲慢な怒鳴り声に変わった。
「貴様らっ! たかが護衛騎士の分際でっ、オレの命令に従えんのかっ」
 これが、ずっと続いていた。

 心の中で唾を吐き、ルイスは騎士の足元に転がる情けない男を見た。
 護衛騎士二人はあの腐れた男のためだけについているのだ。そして、自分たち傭兵も。
 通常、この手の負傷者を収容するテントに護衛はつかない。……テントそのものが用意されない事も珍しくは無い。
 戦場で負傷した兵士は夜を迎える前に身分の別なく別の野営地へ移される。それは訪れる夜の恐怖の時間に、戦力の全滅を防ぐ苦肉の策で、例外は認められなかった。
 それがどれ程高い身分の者でも、傷を負った時点で、自分の運命を受け入れなければならなかった。

 ──運が良ければ、朝が迎えられた。

 ……その日だけは。




 だが実際には、身分の高いものが負傷兵のテントに入れられた場合──ただの気休めでしかないとルイスは思うのだが──護衛がつけられた。有り難い事に、その護衛のお陰で、生き残れる事もしばしばあった。
 夜間ずっと、ついた護衛たちが獅子奮迅の活躍でその場に留まり、命のバリケードを築いてくれるお陰なのだが、辛うじて命を取り留めた貴族にはそのありがたみなど欠片も理解できないだろう。

 つけられる護衛の数は、その者の身分の高さに比例した。

 今夜の男の身分は高いに違いなかった。
    テント内に護衛騎士二人をつけ、傭兵も数人。テント外に傭兵の部隊を数隊。そしてその外に、周到に配置された他の負傷兵たちのテント。

 ──まさに、命で築き上げた壁の中に、この──反吐が出そうなほど情けない──男が、いるのだった。


 夜を前に護衛の兵士たちは交代で休憩を取っていた。
 ルイスも横にいる傭兵と交代で休憩をしたところだった。

 ──しかし今夜は運が悪い。

 ルイスは心の中で舌打ちした。いや。運の良し悪しで言うのなら、自分はいつだって運が悪い方のクジを引く方だが、今夜は特別だと思った。


 今夜は新月だ。


 新月は、地獄の扉が開く、と言われる。


 地上を蠢く妖獣たちは、本来地獄の生き物だ。天地の争いが活発になると、各世界の境界線があいまいになり、本来存在しない異世界の生命達が行き来し始める。妖獣たちは新月の夜、より豊富で捕獲しやすい餌を求めて、地上にやってくる。

 
 最悪だった。

 少し離れたところで、別の傭兵が膝を抱えて震えていた。見ない顔だ。慣れぬ様子から、負傷兵のテントに回されたのは初めてか、そもそも、傭兵をすること自体が初めてなのかも知れなかった。
あまり使った形跡の無い安物の剣の鞘を抱え込むようにして、何かを呟いている。
「死んでたまるか。死んでたまるか……」
 何処も見ていなかった。
 目は見開いていて正面を凝視していたが、男は何も見ていなかった。ただ体を揺すりながら、顔一杯に恐怖を張り付かせて呟いていた。
「かわいそうに。あいつ、朝まで持たないな……」
 思わず呟いたルイスの独白を聞いた隣の傭兵が鼻で笑った。
「お前に他人の心配がしてやれるとは驚きだな、え? 梟野郎?」
 ルイスが凄みのある眼つきで睨んだが、男は堪えた様子はなかった。
「どうせ今夜も、いつものように裏切るタイミングを見計らってるんだろう? 『裏切り者』──」
 明らかな侮蔑の声。
 だが、ルイスは反論はしなかった。無言で睨んだだけで、剣を手元に引き寄せるともう一度震えていたあの男の方へ目をやった。

 そのとおりだ。
 裏切るタイミングを見誤ってはいけない。
 いまルイスを裏切り者と罵った傭兵だって、自分と対して変わらない事をしていることをルイスは知っていた。

 ──そうでなければ、負傷者テントに回されて生き残る事など出来ないからだ。

 それは、この世界に生まれた者が身につける、生きる上での術だった。

 どんなキレイごとを言っても、弱者が究極の立場に追いやられた時に、取る行動は皆同じだ。心の中で、そう──吐き捨てるように、ルイスは呟いた。

 隣の傭兵が言った。
「あの男はな、貧しくても、子供を売らなかったんだ。代わりに自分が稼ぎにきた、ここへな。確かに運はなかったが。……お前にそんな事を言っても、無駄だろうがな! だがあいつはお前とは違う。この梟野郎め!」
「へっ!」
 ルイスは唾を吐いた。耳鳴りがした。胸が締め付けられるように痛んで、気分は最悪だった。
 何故最悪なのか、ルイスには分かっていた。分かっていたからこそ、最悪なのだ。
 反吐が出そうだ。──何もかも!
 ルイスはそう、心の中で吐き捨てた。



 

 強烈な光と影のコントラスト。

開いた扉の向こうから聞こえる、断末魔の声。

 絶望と哀しみが裂けたような、あの──死してなお耳に張り付いたままだと思える、あの悲鳴。

 自分を生涯呪い続ける、果てしなく重い足枷。 


(2)へ続く。 







---------------------
   あとがき
---------------------
 ルイスが主人公の、かなりシリアスな外伝。(語バラにシリアスでない話なんてあったんだ……(笑)
 アレクシスと初めて会ったときの物語ですが、ちょっと続きます。
 
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