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第3部 天の碧落
第3章 雲中の階(きざはし) 3
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突然の狂気の嘲笑に、ルイスもオーウェンも肝を抜かれたように驚いた。
そんなことには一向に構わず、マダム・ペリペは狂気じみた笑いをなかなか止め様としない。
「ああ、可笑しいったらないわ!」
身を捩るようにして笑いながら、その合間に、マダムはアレクシスへの嘲りを何度も口にした。
「アレクが……あの男が──あたしにそんな台詞を言うなんて!」
口元に手を持っていきながら、くすくす笑いを尚も止めない。だが笑いながらも薄く開いた目が氷のように冷たく、その笑いが可笑しさからではなく嘲りのためだと言うことを物語っていた。
「よくもそんな台詞が言えたものだわ……!」
「──協力は?」
ルイスの控えめな台詞を、マダムは鼻で笑った。
「言ったはずよ! これ以上あたしに何をしろと? ──あたしはこれ以上の協力をする気はないわ! アレクに会ったら言ってやりなさい! 『目を覚ますのはあんたの方だって!』 あたしの妹を殺しただけで、まだ足りないの?──って!」
「妹」
ルイスが軽く口笛を鳴らした。わざとらしく肩をすくめながら言う。
「それって、俺たちが聞いたほうがいい? ──マダムがムシャクシャするってんなら、聞いてあげてもいいけど」
マダム・ペリペは怒り出した。胸に片手を当てて憤る。
「あいつはね! あたしの妹を殺したのよっ! 帰ってきた時には首だけだったわ! その首さえ、顔の判別もつかない程でっ!」
ルイスとオーウェンが顔を見合わせた。
「あー」ルイスが代表して口を開く。「すごい省略されてて分かりづらいんだけど、噛み砕いて言うとこういう事かな。昔、アレクとマダムの妹は恋人どうしで、その妹さんはあいつが原因で死んだんだ。それも無残な死に方を」
「そうよっ!」
「──それって、あいつが魔王のダンジョンマスターだからっていうのが原因なんだ?」
「その通りよ! ……なんであなたがそれを知ってるの?」
「そりゃあ、釘を刺されたからね。あいつにさ……」ルイスが吐息をついた。「しばらく前……2ヶ月近く前かな? 『これ以上は聞かないほうがいい』ってさ。『聞けば、後悔してもし足りないくらいくらいの事になる』って……そんな内容だったかな……」
「──で、後悔してるわけ?」
神妙な顔でマダムに見返されながらも、ルイスは気のなさそうなそぶりだ。
「んー。まだ今んトコ生きてるからね、俺」
「だったらあたしが訂正してあげる。『後悔しようにも、その時には既に後悔さえ出来ないわ』ってね」
「やだなぁ、それ」
ルイスは苦笑した。マダム・ペリペは大きく息を吐き出し、脱力したように椅子に座り込んだ。
「アレクだって十分知ってたはずよ。あの頃だって『愛さえあれば運命にだって勝てる』なんて、そんな甘いことなんて、思ってなかったはず」
「俺と会ったばかりの頃のあいつは荒んでたもんな。タダでさえキツイ眼光が今以上にキツかったし。時期的にいえばその頃……?」
「後悔してもし足りないくらいくらいの事になるっていうのは自分自身の事よ……あいつったら、それを十分知ってるくせにトリニティ王女を助けようっていうのね……本当にそんなことが出来ると思っているのかしら。なんて愚かなのかしら。人間って……」
「馬鹿だから挫けないんだろ。賢くっちゃ、人間なんてやってられないしな。だから人間が賢かった例(ためし)なんて世界が始まって以来一度もない」
その言葉はマダムの心をいくばくか動かしたのか。
マダム・ペリペが妖艶なその顔を上げて、じっとルイスの顔を見つめた。
「不器用なのは皆同じだ。そうだろ? ──あいつら、傍目にはどう見たって互いに想い合ってるみたいなのに、それぞれはそんなこと思っても見たことないように振舞ってる。気付いてない振りをしてるだけなのか、本当に気付いてないだけなのか……。あいつ等が二人ともそう振舞う理由は、たぶん俺が考える理由と同じだと思うけど」
「──」
「マダムはどう?」
「あたしは──」話をふられて、マダムは言葉を詰まらせた。「あたしはただ……あたし自身が決めた生き方を誰にも邪魔されたくないだけ……それがたとえアレクシスに『目を覚ませ』って言われるような馬鹿な生き方だとしても──」
ルイスが優雅に微笑んだ。
「じゃ、マダムだって俺たちと同じだ。馬鹿で、不器用で……」
「……」
マダム・ペリペが口を閉じた。テーブルの上におかれた襤褸の中の染みをじっと見つめている。
「──で、どうするよ。マダムだったら助けてやるのなんて簡単だろ」
ルイスは床の上に座り込んで所在なげにしているオーウェンに向かって顎をしゃくった。促されたマダムがそちらへと目を向け、深い深い溜め息をついた。
かなり長い間の後に、テーブルに手をついて椅子から立ち上がる。
「いいわ……。きっかけだけはあげる。その後のことは自分たちで何とかなさい。あたしはそこまで甘くないわ。でもこれだけは覚えていて頂戴。自分たちの力で何とかせず、いつも他人の手助けを期待する輩は、あたしが最も嫌いな輩だって事をね」
オーウェンは歓喜に満ちた顔をあげたが、見下ろすマダムの表情の厳しさにすぐに息を詰まらせた。
「他人に手助けしてもらうために自分のプライドを売り渡すような奴は特に嫌いよ」
軽蔑しきった目で見られて、オーウェンは己を恥じるように身を捩った。
マダム・ペリペは部屋の扉を開けながら振り向いた。
「ついていらっしゃい──こっちよ」
案内されたそこは地下の倉庫だった。
意外に広い地下室はさらに小部屋に通じる扉がいくつかあって、マダム・ペリペはその内のひとつを開けてルイス達を招きいれた。
「こりゃ……一体どういうことで?」
その小部屋には棚のひとつもなく、何の品物も置かれていなかった。ただ床に描かれた複雑な円形の模様については、知識の持ち合わせもないルイスにだって何なのかくらいは分かったが。
「魔法円……?」
ルイスの脳裏に、アレクシスが魔法を使う時の光景が思い出された。傭兵という仕事柄、魔術師に会う事は少なくない。……もっとも戦場の只中で出会う魔術師は、アレクシスを除いてただの一度もなかった。それは黄魔術師達が召喚に使う魔法円は地面の上に書いて使えるような代物ではないことに由来するはずだ。
通常、魔法円は何かを召喚したり練成したりするために使う。その程度の知識はルイスにもあった。
ただ、この魔法円を見せられることがアイゼンメルドの人々に助力をすることと何のかかわりがあるのか。
「まさか──」
ルイスの脳裏にある一つの考えが浮かんだ。
アレクシスがその手法を使っているのを時折見たことがあるルイスは薄寒そうに呟いた。
硬い表情で身震いするルイスを、マダム・ペリペが面白そうに見つめていた。
「ふふっ。そのまさかよ」
「──やっ! やだぜ、俺! 冗談じゃない! 命が幾つあっても足りないって気がするもん!」
「アレクは死んだことがあるようには見えないけど」
「あいつは別っ! 奴なら殺されても死なないしなっ!」
ルイスは確信的にその台詞を言って、必死に頭を振った。マダムがさらに面白そうに笑った。
「大丈夫よ。これは移動用の魔法円で、普通の召還用の物とは違うから。魔法円の稼働中に円の縁に触れただけで五体が引き千切れるなんて事はないわ。──そりゃあ、魔法円の境目に片足だけ突っ込んでじっとしてれば別でしょうけど」
今にも失神しそうに後方へふらつくルイスの体をオーウェンが支えた。彼には二人が何の話をしているのか皆目分からないようだ。
「つまりね。魔法円にも幾つか種類があるけど、召還系の魔法円は基本的にA地点とB地点をつなぐ為のもので、一つはこの店の地下……ここに。もう一つをアイゼンメルドに繋げば両者の間を行き来出来るようになるの。
この魔法円は移動用の物で、この店の地下に昔から置いてあるの。アレクが普段使うような急ごしらえの不安定なものと違って、ずっと固定されているから空間も安定してるし大丈夫よ。安心してね」
絶世の美女が妖艶な美しさでにこりと微笑んだ。
その微笑がさも愉快そうなだけに、ルイスが何事につけても普段から大げさな振る舞いをするということを差し引いても──さすがにオーウェンも青ざめない訳にはいかなかった。
「あら情けない。大の男が魔法円に飛び込んで召還獣の真似事をさせられるのが恐ろしいの?」
マダム・ペリペが繊手を伸ばして、オーウェンの腕を掴んだ。
オーウェンが蟇蛙が潰れたような声をあげた。あっという間に魔法円の中へ放り込まれる。既に魔法円は独特の光彩を放っていた。
「まっすぐ真ん中までいかなきゃ、命の保障はしないわよ」
からかうようにマダムに言われて、オーウェンは分けの分からない言葉を発しながら、よろめくように魔法円の中心に向かって歩みを進めた。
中心に向かうにしたがって淡く滲むように姿が薄くなっていく。
完全に姿が消える前に振り返った時、恨めしそうにマダムを睨んでいた。マダム・ペリペが口元に手を置き、愉快そうに笑った。
「あらヤダ──半泣き?」
そりゃ泣きたくもなるだろう。普通の者にとって魔法とは理解の範疇を超えた不可思議で気味の悪いものなのだ。
ルイスが何とも複雑な表情で姿の消えていくオーウェンを見守っていると、今度は自分がマダムに腕を掴まれた。
「いや──ちょっとっ!」
ルイスは慌てふためき思わず身を引こうとしたが、マダムは有無を言わさず魔法円の方へ向かって押し出した。思わずよろめいて片足が魔法円の中に入る。
──そりゃあ、魔法円の境目に片足だけ突っ込んでじっとしてれば別でしょうけど。
先ほどのマダムの言葉を思い出し、ルイスはぎょっとした顔で魔法円を踏んだ方の片足を上げた。
マダムが無情にもその背を押す。体全部が魔法円の中へ入った。その背にマダムの笑い声が掛かった。
「立ち止まってると危ないわよ!」
ルイスはオーウェンが恨めしそうな顔で振り返った理由を理解した。
魔法の輝きが体の細胞一つ一つをバラバラにしようとしているかのような、不可思議な感覚に包まれる。立ち止まっていると危ないと言われても、体の感覚がみるみる失われていく。まるで光の中に自分が解けていくような感触で、自由が利かない。体をうまく動かせているのかいないのか。それさえも分からなかった。
ルイスは懸命にもがき、足を動かそうと足掻いた。意識を失いそうになるのを必死でこらえていると、やがて目前に見知った光景とともに地面にへたり込んだ状態のオーウェンの姿が浮かび上がってきた。
「通り抜けたのか……?」
呆然とするルイスの後ろからマダム・ペリペの声が聞こえてきた。
「二人とも、初めてにしてはうまく出来たじゃない」
ルイスは恨みがましい目で振り向き、マダムの姿を睨みつけた。
(続く)
+-----------------------------+
| 「語バラ(裏)」
+-----------------------------+
世界名作劇場 『赤ずきんちゃん』
キャスト 赤ずきんちゃん:トリニティ王女
狼さん:ルイス
おばあさん:勇者ワーナー
赤ずきんちゃんのおかあさん:セリス王女
猟師さん:アレクシス
むかしむかし、あるところに赤ずきんちゃんという、『赤いずきん』を被った可愛い女の子が住んでいました……。
そしてある日。
お母さん:「赤ずきん、これを森の奥に住んでいるお婆さんの家に届けてきて下さいな」
赤ずきん:「え~っ? こんな時間に? もう3時よ? 今からお婆ちゃんの家に行ったら、家に帰ってくるのは夜遅くになっちゃうじゃない! どうして朝早くから用事を言いつけないのよ!」
お母さん:「(ブツブツ)……だからこそじゃない……」
赤ずきん:「えっ? 何か言った?」
お母さん:「──いいえっ。何も言っていません! とにかく何につけても文句の多い子ですね、あなたは! とっとと行っていらっしゃい! 親の言うことは聞くものです!」
赤ずきん:「横暴! 横暴! あたしの言うことをちっとも聞いてくれないのはお母さんの方じゃないの……ブツブツ」
とにもかくにも、赤ずきんちゃんはバスケットを持って、森の奥に(何故か)一人で住んでいるお婆さんの家を目指しました。
暗い森の中を歩いていると、狼が声を掛けてきました。
狼:「やあ! 赤ずきんちゃん! こんにちは!」
赤ずきん:「……」
狼:「ちょっと、赤ずきんちゃん! 失礼だな~。人が話しかけてるんだから、返事ぐらいしなよ! どんな躾を受けてるんだい?」
赤ずきん:「あなたは人じゃなくって狼でしょ!」
狼:「ちゃんと聞いてたんじゃないか!」
赤ずきん:「いいえ! あたしは人間なんだから、狼語なんて理解できません!」
狼:「──いや──ちょっと、そこは……」
赤ずきん:「それに、狼語が理解できているつもりの、実は頭がオカシイ子供でもありませんから!」
狼:「ち、ちょっと待ってくれよ! そこはホレ、童話のお約束で……動物は人間の言葉を喋るというだね……」
赤ずきん:「あら。あたしが狼語を理解してるわけじゃなくて、あなたが人間の言葉を喋ってるのね?」
狼:「ま……まあね……(そういうことにしておこう)」
赤ずきん:「それならマアいいわ。さ、要件は何っ? あたし、急いでるのよ。こんないたいけな子供に、夜の森を歩かせてまで使いに出そうなんていう馬鹿な親のせいでね!」
狼:「いや。あんたはいたいけじゃないでしょ」
赤すぎん:「何ですってっ?」
狼:「イエ……なんでもありません。ハイ」
赤ずきん:「用事があるならあるで、さっさと用件を言いなさい! 用件を!」
妙に威張り散らす赤ずきんちゃんに、何となく気の毒そうな狼さん。
はたして、狼さんの用事って一体何なんでしょうね。
(皆知ってるよね)
続く
そんなことには一向に構わず、マダム・ペリペは狂気じみた笑いをなかなか止め様としない。
「ああ、可笑しいったらないわ!」
身を捩るようにして笑いながら、その合間に、マダムはアレクシスへの嘲りを何度も口にした。
「アレクが……あの男が──あたしにそんな台詞を言うなんて!」
口元に手を持っていきながら、くすくす笑いを尚も止めない。だが笑いながらも薄く開いた目が氷のように冷たく、その笑いが可笑しさからではなく嘲りのためだと言うことを物語っていた。
「よくもそんな台詞が言えたものだわ……!」
「──協力は?」
ルイスの控えめな台詞を、マダムは鼻で笑った。
「言ったはずよ! これ以上あたしに何をしろと? ──あたしはこれ以上の協力をする気はないわ! アレクに会ったら言ってやりなさい! 『目を覚ますのはあんたの方だって!』 あたしの妹を殺しただけで、まだ足りないの?──って!」
「妹」
ルイスが軽く口笛を鳴らした。わざとらしく肩をすくめながら言う。
「それって、俺たちが聞いたほうがいい? ──マダムがムシャクシャするってんなら、聞いてあげてもいいけど」
マダム・ペリペは怒り出した。胸に片手を当てて憤る。
「あいつはね! あたしの妹を殺したのよっ! 帰ってきた時には首だけだったわ! その首さえ、顔の判別もつかない程でっ!」
ルイスとオーウェンが顔を見合わせた。
「あー」ルイスが代表して口を開く。「すごい省略されてて分かりづらいんだけど、噛み砕いて言うとこういう事かな。昔、アレクとマダムの妹は恋人どうしで、その妹さんはあいつが原因で死んだんだ。それも無残な死に方を」
「そうよっ!」
「──それって、あいつが魔王のダンジョンマスターだからっていうのが原因なんだ?」
「その通りよ! ……なんであなたがそれを知ってるの?」
「そりゃあ、釘を刺されたからね。あいつにさ……」ルイスが吐息をついた。「しばらく前……2ヶ月近く前かな? 『これ以上は聞かないほうがいい』ってさ。『聞けば、後悔してもし足りないくらいくらいの事になる』って……そんな内容だったかな……」
「──で、後悔してるわけ?」
神妙な顔でマダムに見返されながらも、ルイスは気のなさそうなそぶりだ。
「んー。まだ今んトコ生きてるからね、俺」
「だったらあたしが訂正してあげる。『後悔しようにも、その時には既に後悔さえ出来ないわ』ってね」
「やだなぁ、それ」
ルイスは苦笑した。マダム・ペリペは大きく息を吐き出し、脱力したように椅子に座り込んだ。
「アレクだって十分知ってたはずよ。あの頃だって『愛さえあれば運命にだって勝てる』なんて、そんな甘いことなんて、思ってなかったはず」
「俺と会ったばかりの頃のあいつは荒んでたもんな。タダでさえキツイ眼光が今以上にキツかったし。時期的にいえばその頃……?」
「後悔してもし足りないくらいくらいの事になるっていうのは自分自身の事よ……あいつったら、それを十分知ってるくせにトリニティ王女を助けようっていうのね……本当にそんなことが出来ると思っているのかしら。なんて愚かなのかしら。人間って……」
「馬鹿だから挫けないんだろ。賢くっちゃ、人間なんてやってられないしな。だから人間が賢かった例(ためし)なんて世界が始まって以来一度もない」
その言葉はマダムの心をいくばくか動かしたのか。
マダム・ペリペが妖艶なその顔を上げて、じっとルイスの顔を見つめた。
「不器用なのは皆同じだ。そうだろ? ──あいつら、傍目にはどう見たって互いに想い合ってるみたいなのに、それぞれはそんなこと思っても見たことないように振舞ってる。気付いてない振りをしてるだけなのか、本当に気付いてないだけなのか……。あいつ等が二人ともそう振舞う理由は、たぶん俺が考える理由と同じだと思うけど」
「──」
「マダムはどう?」
「あたしは──」話をふられて、マダムは言葉を詰まらせた。「あたしはただ……あたし自身が決めた生き方を誰にも邪魔されたくないだけ……それがたとえアレクシスに『目を覚ませ』って言われるような馬鹿な生き方だとしても──」
ルイスが優雅に微笑んだ。
「じゃ、マダムだって俺たちと同じだ。馬鹿で、不器用で……」
「……」
マダム・ペリペが口を閉じた。テーブルの上におかれた襤褸の中の染みをじっと見つめている。
「──で、どうするよ。マダムだったら助けてやるのなんて簡単だろ」
ルイスは床の上に座り込んで所在なげにしているオーウェンに向かって顎をしゃくった。促されたマダムがそちらへと目を向け、深い深い溜め息をついた。
かなり長い間の後に、テーブルに手をついて椅子から立ち上がる。
「いいわ……。きっかけだけはあげる。その後のことは自分たちで何とかなさい。あたしはそこまで甘くないわ。でもこれだけは覚えていて頂戴。自分たちの力で何とかせず、いつも他人の手助けを期待する輩は、あたしが最も嫌いな輩だって事をね」
オーウェンは歓喜に満ちた顔をあげたが、見下ろすマダムの表情の厳しさにすぐに息を詰まらせた。
「他人に手助けしてもらうために自分のプライドを売り渡すような奴は特に嫌いよ」
軽蔑しきった目で見られて、オーウェンは己を恥じるように身を捩った。
マダム・ペリペは部屋の扉を開けながら振り向いた。
「ついていらっしゃい──こっちよ」
案内されたそこは地下の倉庫だった。
意外に広い地下室はさらに小部屋に通じる扉がいくつかあって、マダム・ペリペはその内のひとつを開けてルイス達を招きいれた。
「こりゃ……一体どういうことで?」
その小部屋には棚のひとつもなく、何の品物も置かれていなかった。ただ床に描かれた複雑な円形の模様については、知識の持ち合わせもないルイスにだって何なのかくらいは分かったが。
「魔法円……?」
ルイスの脳裏に、アレクシスが魔法を使う時の光景が思い出された。傭兵という仕事柄、魔術師に会う事は少なくない。……もっとも戦場の只中で出会う魔術師は、アレクシスを除いてただの一度もなかった。それは黄魔術師達が召喚に使う魔法円は地面の上に書いて使えるような代物ではないことに由来するはずだ。
通常、魔法円は何かを召喚したり練成したりするために使う。その程度の知識はルイスにもあった。
ただ、この魔法円を見せられることがアイゼンメルドの人々に助力をすることと何のかかわりがあるのか。
「まさか──」
ルイスの脳裏にある一つの考えが浮かんだ。
アレクシスがその手法を使っているのを時折見たことがあるルイスは薄寒そうに呟いた。
硬い表情で身震いするルイスを、マダム・ペリペが面白そうに見つめていた。
「ふふっ。そのまさかよ」
「──やっ! やだぜ、俺! 冗談じゃない! 命が幾つあっても足りないって気がするもん!」
「アレクは死んだことがあるようには見えないけど」
「あいつは別っ! 奴なら殺されても死なないしなっ!」
ルイスは確信的にその台詞を言って、必死に頭を振った。マダムがさらに面白そうに笑った。
「大丈夫よ。これは移動用の魔法円で、普通の召還用の物とは違うから。魔法円の稼働中に円の縁に触れただけで五体が引き千切れるなんて事はないわ。──そりゃあ、魔法円の境目に片足だけ突っ込んでじっとしてれば別でしょうけど」
今にも失神しそうに後方へふらつくルイスの体をオーウェンが支えた。彼には二人が何の話をしているのか皆目分からないようだ。
「つまりね。魔法円にも幾つか種類があるけど、召還系の魔法円は基本的にA地点とB地点をつなぐ為のもので、一つはこの店の地下……ここに。もう一つをアイゼンメルドに繋げば両者の間を行き来出来るようになるの。
この魔法円は移動用の物で、この店の地下に昔から置いてあるの。アレクが普段使うような急ごしらえの不安定なものと違って、ずっと固定されているから空間も安定してるし大丈夫よ。安心してね」
絶世の美女が妖艶な美しさでにこりと微笑んだ。
その微笑がさも愉快そうなだけに、ルイスが何事につけても普段から大げさな振る舞いをするということを差し引いても──さすがにオーウェンも青ざめない訳にはいかなかった。
「あら情けない。大の男が魔法円に飛び込んで召還獣の真似事をさせられるのが恐ろしいの?」
マダム・ペリペが繊手を伸ばして、オーウェンの腕を掴んだ。
オーウェンが蟇蛙が潰れたような声をあげた。あっという間に魔法円の中へ放り込まれる。既に魔法円は独特の光彩を放っていた。
「まっすぐ真ん中までいかなきゃ、命の保障はしないわよ」
からかうようにマダムに言われて、オーウェンは分けの分からない言葉を発しながら、よろめくように魔法円の中心に向かって歩みを進めた。
中心に向かうにしたがって淡く滲むように姿が薄くなっていく。
完全に姿が消える前に振り返った時、恨めしそうにマダムを睨んでいた。マダム・ペリペが口元に手を置き、愉快そうに笑った。
「あらヤダ──半泣き?」
そりゃ泣きたくもなるだろう。普通の者にとって魔法とは理解の範疇を超えた不可思議で気味の悪いものなのだ。
ルイスが何とも複雑な表情で姿の消えていくオーウェンを見守っていると、今度は自分がマダムに腕を掴まれた。
「いや──ちょっとっ!」
ルイスは慌てふためき思わず身を引こうとしたが、マダムは有無を言わさず魔法円の方へ向かって押し出した。思わずよろめいて片足が魔法円の中に入る。
──そりゃあ、魔法円の境目に片足だけ突っ込んでじっとしてれば別でしょうけど。
先ほどのマダムの言葉を思い出し、ルイスはぎょっとした顔で魔法円を踏んだ方の片足を上げた。
マダムが無情にもその背を押す。体全部が魔法円の中へ入った。その背にマダムの笑い声が掛かった。
「立ち止まってると危ないわよ!」
ルイスはオーウェンが恨めしそうな顔で振り返った理由を理解した。
魔法の輝きが体の細胞一つ一つをバラバラにしようとしているかのような、不可思議な感覚に包まれる。立ち止まっていると危ないと言われても、体の感覚がみるみる失われていく。まるで光の中に自分が解けていくような感触で、自由が利かない。体をうまく動かせているのかいないのか。それさえも分からなかった。
ルイスは懸命にもがき、足を動かそうと足掻いた。意識を失いそうになるのを必死でこらえていると、やがて目前に見知った光景とともに地面にへたり込んだ状態のオーウェンの姿が浮かび上がってきた。
「通り抜けたのか……?」
呆然とするルイスの後ろからマダム・ペリペの声が聞こえてきた。
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狼さん:ルイス
おばあさん:勇者ワーナー
赤ずきんちゃんのおかあさん:セリス王女
猟師さん:アレクシス
むかしむかし、あるところに赤ずきんちゃんという、『赤いずきん』を被った可愛い女の子が住んでいました……。
そしてある日。
お母さん:「赤ずきん、これを森の奥に住んでいるお婆さんの家に届けてきて下さいな」
赤ずきん:「え~っ? こんな時間に? もう3時よ? 今からお婆ちゃんの家に行ったら、家に帰ってくるのは夜遅くになっちゃうじゃない! どうして朝早くから用事を言いつけないのよ!」
お母さん:「(ブツブツ)……だからこそじゃない……」
赤ずきん:「えっ? 何か言った?」
お母さん:「──いいえっ。何も言っていません! とにかく何につけても文句の多い子ですね、あなたは! とっとと行っていらっしゃい! 親の言うことは聞くものです!」
赤ずきん:「横暴! 横暴! あたしの言うことをちっとも聞いてくれないのはお母さんの方じゃないの……ブツブツ」
とにもかくにも、赤ずきんちゃんはバスケットを持って、森の奥に(何故か)一人で住んでいるお婆さんの家を目指しました。
暗い森の中を歩いていると、狼が声を掛けてきました。
狼:「やあ! 赤ずきんちゃん! こんにちは!」
赤ずきん:「……」
狼:「ちょっと、赤ずきんちゃん! 失礼だな~。人が話しかけてるんだから、返事ぐらいしなよ! どんな躾を受けてるんだい?」
赤ずきん:「あなたは人じゃなくって狼でしょ!」
狼:「ちゃんと聞いてたんじゃないか!」
赤ずきん:「いいえ! あたしは人間なんだから、狼語なんて理解できません!」
狼:「──いや──ちょっと、そこは……」
赤ずきん:「それに、狼語が理解できているつもりの、実は頭がオカシイ子供でもありませんから!」
狼:「ち、ちょっと待ってくれよ! そこはホレ、童話のお約束で……動物は人間の言葉を喋るというだね……」
赤ずきん:「あら。あたしが狼語を理解してるわけじゃなくて、あなたが人間の言葉を喋ってるのね?」
狼:「ま……まあね……(そういうことにしておこう)」
赤ずきん:「それならマアいいわ。さ、要件は何っ? あたし、急いでるのよ。こんないたいけな子供に、夜の森を歩かせてまで使いに出そうなんていう馬鹿な親のせいでね!」
狼:「いや。あんたはいたいけじゃないでしょ」
赤すぎん:「何ですってっ?」
狼:「イエ……なんでもありません。ハイ」
赤ずきん:「用事があるならあるで、さっさと用件を言いなさい! 用件を!」
妙に威張り散らす赤ずきんちゃんに、何となく気の毒そうな狼さん。
はたして、狼さんの用事って一体何なんでしょうね。
(皆知ってるよね)
続く
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誰が、何を、どう言おうとも、自分の世界に帰ってやる!
これはゲーム世界から現実世界に帰還せんと目指した四十七歳サラリーマンの物語。
異世界召喚に巻き込まれたのでダンジョンマスターにしてもらいました
まったりー
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何処にでもいるような平凡な社会人の主人公がある日、宝くじを当てた。
ウキウキしながら銀行に手続きをして家に帰る為、いつもは乗らないバスに乗ってしばらくしたら変な空間にいました。
変な空間にいたのは主人公だけ、そこに現れた青年に説明され異世界召喚に巻き込まれ、もう戻れないことを告げられます。
その青年の計らいで恩恵を貰うことになりましたが、主人公のやりたいことと言うのがゲームで良くやっていたダンジョン物と牧場経営くらいでした。
恩恵はダンジョンマスターにしてもらうことにし、ダンジョンを作りますが普通の物でなくゲームの中にあった、中に入ると構造を変えるダンジョンを作れないかと模索し作る事に成功します。
戦力より戦略。
haruhi8128
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引きこもりニートが異世界に飛ばされてしまった!?
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ゲームの世界にとばされてしまった主人公は、周りを見学しているうちにある子と出会う。なしくずし的にパーティーを組むのだが、その正体は…!?
感想頂けると嬉しいです!
横書きのほうが見やすいかもです!(結構数字使ってるので…)
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