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第3部 天の碧落

第1章 北剣のカルデロン 4

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「もうっ! アレクったら、信じられないわ!」
 トリニティが文句を言っている間中、アレクシスは忍び笑いを止めなかった。その笑い声を聞いて、さらにトリニティは彼女の持つ矜持のままに、頬を膨らませた。
「あんまり膨らませていると、そのうち割れるぞ」
「馬鹿っ! 人が真面目に考えてるのに──!」
 トリニティは大きく息を吐き出して、アレクシスの胸元に頭を預けた。
 もう、アレクシスの膝の上で抱きしめられていても、気恥ずかしさも居心地の悪さも感じなくなっていた。
 しばらくの間、二人は無言でそうしていた。
 離れがたく感じる体温がトリニティの体に行き渡って、いつの間にか寒気を感じなくなった。アレクシスの鼓動の音と、自分の呼吸の音が重なっていくのを、じっと感じた。

 やがて、止まっていた虫の声が再び響き始めた。

「──結界石がなくても大丈夫なの?」
 ポツリ、と不安を声に出した。
 こうして互いに身を寄せ合っているだけで、トリニティにもアレクシスの血の臭いが分かった。
 幼獣や野獣なら……言わずもがなだろう。
 取るものも取らずアイゼンメルドを飛び出して──金も、食料も、結界石さえなかった。
 これから先の旅程はどうなるのだろうか。
 アレクシスの事を信じているが、やはり不安はあった。
「あたし達……何処へ行くの?」
「……」アレクシスがすぐ傍で息をついた。「一つづつ答えたほうがいいな」
「そうだな……。結界石の件だが──多分、大丈夫だ。妖獣や野獣に襲われる事は無いと思う」
「どういうこと?」
「馬の様子がおかしいとは思わなかったか?」
「思ったわ」
 不安で、落ち着かな気だった。けれどそれは──。
「乗り手の気持ちを感じているからだと思ってたわ」
 自分の考えを素直に口にした。
「いや──たぶん、オレのせいだ。正確には、俺が持つ守護石(アミュレット)の、だな」
 トリニティが顔をあげた。驚きに目を見開く。

 
 歪んだ空間の中。
 振り返ろうとする『何か』──。
 目の前で四散する幼馴染みと、砕け散る心──。


 瞬間的に、脳裏にあの日のあの光景が蘇り、パニックを起こしかけた。
 
 心臓を鷲掴みにされたような衝撃がトリニティを襲う。

「あ──」

 喘ぐようにして、トリニティは胸元を押さえ込んだ。再び声が出せるようになるまでに、少しの時間が要った。
「魔王……」
 トリニティがようやくその言葉を搾り出すと、アレクシスが頷いた。
「確かに封印しかえたと思ったんだが。──クソ。完全には封印できなかったか、もともと、二度目まで使えるほどの強度が守護石になかったか──」アレクシスが、忌々しげに最後の言葉を吐き出した。
「いずれにせよ、完璧には封印できなかった」
 トリニティは絶句した。
「守護石から微かに漏れる魔王の気配が、日増しに大きくなっていくのを感じる」
「魔王が……復活するの?」
「分からない」アレクシスは即答した。「そこまで大きな気配は感じないが」
「そうね……」
 あの時、あの場所で感じた魔王の気配は尋常ではなかった。言葉には表せるようなものではない。もし再び魔王が地上に現れようとしているなら、すぐにそれと気付くだろう。
「動物は人間よりも鋭い感覚を持つからな。守護石から漏れ出る魔の気配に怯えて落ち着かないんだろう」
「妖獣や野獣も同様だな。むしろ、人間に飼いならされてる動物よりも感覚は鋭い。とくに妖獣は、魔王の気配のするようなところには、絶対に近づかないはずだ」
「……」
 トリニティは無言で、怯えるように息をついた。
「俺たちがこれから向かう先については」アレクシスが少し間を置いて、行き先を告げた。
「カルデロンだ」

 カルデロン──。 

「北剣のカルデロン?」
 トリニティは問い返した。アレクシスが頷いた。
「そうだ」
「そこに、魔王のダンジョンがあるの?」
 続く応えは、少し躊躇いがちだった。
「──そうだ」



 ネリス最北の国境線にして、北剣の異名を持つ山脈地帯。
 まさにその異名の如く、山々は空高く聳え、その頂は夏でも白い冠を脱ぐ事が無い。続く尾根は壁のごとく、切り立つ嶺は剣の切っ先のごとく、と称される場所。 

 そこが。

「あなたの故郷……?」
 呟いた声は、トリニティの意に反して震えていた。
 アレクシスは無言でトリニティを見返した。二人の間にごく僅か、無言の時が流れる。
 トリニティを見つめるアレクシスの瞳が、躊躇うように揺れた。
「そうだ」
 答えは短かった。
 何を躊躇ったのだろう。
 3百年もの間誰にも知られることなく隠し続けてきた魔王のダンジョンの場所を他人に知られることにだろうか。それとも、自分の生まれ故郷をトリニティに知られることについてだろうか。 

(続く)



+-----------------------------+
|        「語バラ(裏)」    
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アブリエルの堕天後の名前についての話題


トリニティ:「ねえ。この話の中では、天使と悪魔の名前には法則があるのよね?」
アブリエル:「はい。天使の時には名前の語尾にELがついて、悪魔になるとなくなるんです」
トリニティ:「どうしてなの?」
アブリエル:「それはですね。語尾のELは神に祝福された者である証としてつけるわけで……」
ディーバ:「まぁ、識別票みたいなものだな」
アブリエル:「ディーバ! そんな! 私たちは渡り鳥や絶滅危惧種じゃないんですから……!」
ディーバ:「原理的には同じだろ? 研究者が俺たちを一匹ずつ捕まえて、首に名札をつけていく……」
アブリエル:「──もうっ!」
トリニティ:「……いや……漫才はそのくらいにしてくれないと、話が進まないから……」
アブリエル・ディーバ:「「誰が漫才ですか(だ)っ!」」
トリニティ:「とにかくっ! いいっ? このコーナーは短いのよ! 話を先に進めなきゃいけないのっ。分かるっ?」
ディーバ:「オウ。で? それで、何が言いたいんだよ」
トリニティ:「あのね? ──で、イシリは天使だった頃は『イシュリエル』で、堕天して『イシリ』でしょ。ブラックファイアは『フェリエル』が『フェリアー』になったんだったわよね」
アブリエル:「そうですね」
トリニティ:「じゃ、『アブリエル』は『アブリ』?」
アブリエル:「──え──?」
トリニティ:「それとも、『アブル』とか『アブラ』とかかしら?」
アブリエル:「そ、そそそそそそそそ──」
ディーバ:「ぎゃははは! それは可愛そうだろ! せめて『アブール』くらいは読んでやれよ!」
トリニティ:「だって! 疑問に思うじゃないの? ねえ。ディーバは? あなたは天使だった頃の名前は何? 『ディバエル』? 『ディファエル』とか、それとも『ディフォール』?」
ディーバ:「………………」
アブリエル:「わ、わわわわわ……私の名前が『アブラ』……?」
トリニティ:「ねえ! 二人ともってば! アブリエル、ちょっと何壁に向かってブツブツ言ってるのよ! あ、ディーバ! ちょっと逃げないでよ!」
アブリエル:「そんな……そんな……」
トリニティ:「大丈夫かしらアブリエル。あたし、何かいけないことでも言ったかしら? って、あら? どうして壁に向かって腕振り上げてるの?」
アブリエル:「トリニティ王女! 私は決めました!」
トリニティ:「わっ! びっくりした。何を決めたっていうの?」
アブリエル:「私は、絶対に堕天しません! 見ていてください! 根性見せます!」
トリニティ:「ど、どうしちゃったのかしら突然。天使様がキレちゃった?」
アブリエル:「そんな変な名前になるのは、絶対にイヤです──!!!!」


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