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第2部 神の愛娘

第4章 神の門前で 2

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 扉を開け放ってトリニティは中へ駆け込んだ。
 一同の視線が集中する。振り返った騎士たちは驚きの顔だったが、勇者ワーナーは違った。一瞬だけ驚いた表情を見せたものの、すぐに冷徹なそれに戻った。微かに失望めいたものが浮かんだと思ったのは、トリニティの気のせいだろうか。
 トリニティはワーナーに怒りのこもった顔を向けた。
「民間人を生贄にしたのっ?」
 激しい非難に勇者はこたえた様子もない。ごくわずかに、自嘲的な笑みを浮かべただけだ。
「──誰かからお聞きに?」
「恥ずかしくないのっ!」
 トリニティの厳しい非難に、勇者は肩を竦めた。
「──あなたは味方だと思ってたっ!」
 トリニティは激しい怒りを隠そうともしない。
 だが搾り出すように言ったその言葉も、勇者の心を動かすことはなかったようだ。
「私は王の『勇者』です。王の命ずるままに戦に明け暮れる身。貴方を守る側に立てなくて私としても残念ですが、道は別たれたのです」
 ワーナーが開け放たれたドアの向こう、姉を止めようとついて来てしまった妹王女へと視線を向けた。王女セリスが、ギクリとしたように身を硬直させた。
「……それだけを言いにここまで? ターナーに隠れているよう言われていたのでは?」
勇者はアレクシスをチラリと見て、再び目線をトリニティに戻した。「失望しました。貴方がそこまで幼く愚かだったとは」
「──っ!」
 トリニティは歯を食いしばった。
 愚かなのは分かってる。
 でも、愚かでもなんでも。ここまで来ずにはいられなかったのだ。ワーナーに向かって、非難せずにはいられなかった。
「どの道、貴方がこの場に来ようとこまいと、結果は同じでしたが」
 ワーナーは脱いでいたマントを羽織り直した。
「……どういうこと?」
「勅旨は司祭に伝えました」
 勇者の正面に立つベルダ司祭の顔は蒼白だった。まるで蝋を練りこめたかのように硬直し、戦慄いている。
 それは怒りのあまり、だろうか。それとも恐怖のあまり、だろうか。
「トリニティ王女は『魔王ブラックファイアのダンジョンマスター』の手によって城から強奪され、悪魔の陣営に堕ちた。王に反旗を翻す、アイゼンメルドに集う魔王軍を殲滅せよ」
 ワーナーの言葉に、トリニティは弾かれたように顔をあげた。我が耳を疑う。勇者は一つ息をついて言葉を続けた。
「トリニティ王女は見つけ次第即刻斬首。セリス王女は無傷で奪還せよ、との王命です」
 脇にいた騎士が剣を抜いた。彼らよりいくらか早く鞘走る音がして、抜き身の切っ先を騎士達に向けたアレクシスが、トリニティの前に立った。
 室内に緊迫した空気が走った。それを留めるかのように、ワーナーが剣を抜いた騎士を軽く手で制した。騎士は不承不承、剣を鞘に収めた。
「今から二時間後に攻撃を開始します。……先ほど司祭にも申し上げたのですが、こちらの陣営も昨晩はかなり被害を受けましてね。陣営の建て直しをした後、攻撃を開始します。その間に、自分は無関係だと思う者は町を出てもよいでしょう。……ただし、殲滅せよとの命を受けていますから逃す気はありませんが、国軍が町の外周をすべて囲んでいるわけでもありませんから、出来うる限りという注釈はつきます」
 ワーナーはマントの裾を翻して扉をくぐった。部屋のすぐ外に立っていたセリスの前で立ち止まる。
「お戻り頂けますか」
 深みのある声が静かに響いた。
 セリスは顔を強張らせた。蒼白な面をゆっくりと上げ、勇者を見つめる。勇者が小さく吐息をついた。
「……二時間の間にお戻りくださいますよう」
 セリスが口を開こうとした時にはもう、ワーナー達は歩き出しており、二人の王女を振り返る事もなく神殿を立ち去った。



 アイゼンメルドの住民のうち、生き残った者達は全員神殿で暮らしていた。その数、およそ二百。
 一同が祭壇の間に集められた。
 ベルダ司祭の説明を聞いた一同は、驚くべきことに、騒然とした雰囲気に包まれたりはしなかった。
 彼らは無言で司祭の言葉を聞き、その後ろに立つトリニティの姿をじっと見つめていた。


 ただし。


 祭壇の間は恐ろしいほど険呑な空気に包まれていた。
 肌を刺すように自分に降り注がれる怒りの視線に、トリニティは息が詰まるのではないかと思った。そのあまりの凄まじさに、立っていることさえ出来なくなりそうだ。
 かつてこの神殿を初めて訪れた日に味わった、衆目に晒される記憶など足元にも及ばない。目線で人が射殺せるなら、トリニティはとうの昔に死んでいるだろう。
 人々は無言で、怒りと呪詛のこもった目をトリニティに向ける。この娘のせいで自分たちが殺されることになったのか、と。

 ──いっそ、罵倒された方がどんなにかいいだろう。トリニティはそう思った。その方が、どんなに楽だろうか。

 二百人の無言が生み出す空気のうねりは、トリニティを押し包み殺してしまいそうなほどに重い。
それに耐え切れなくなり思わずよろめいた時。自分の背に何かが当たった。よろめく肩に大きな手が添えられる。見上げると、アレクシスが厳しい表情で前方を見つめたまま、倒れそうになる自分を支えてくれたのだと知った。
 涙が出そうになった。
 嬉しさからではない。
 その厳しい表情に、トリニティは自分への叱責を見た。
 ──しっかりしろ。これくらいでよろめくな。ちゃんと立っていろ、と。
 そういわれている気がした。
 そうだ。
 ここで自分がくじけている場合ではない。ここにいる皆をこんなことに巻き込んだのは自分なのだから、自分が真っ先に倒れてはいけないんだ。……そう思って、トリニティは歯を食いしばった。
「ごめんなさい。あたし──」
 とにかく何か喋らなければ。そう思って開いた口は、あっという間に遮られた。
「演説は後だ。別ってるのか。時間が無いんだぞ」
 アレクシスだった。肩に添えられた手はもう離れていた。
「──時間がないだとっ! よくもそんな事を……!」
 衆目の中の誰かが、立ち上がることなく怒りの言葉を吐き出した。だがアレクシスはそれさえもたった一瞥で黙り込ませてしまう。
「それも後だ。あんたたちがこれからどうするのか、決めなきゃならない。しかも、すぐにだ」
 恨みの言葉なら、言い切れないほどあるだろう。今の男の言葉を皮切りに、収拾がつかなくなるほど場が騒然とする可能性だってあった。
 それを、アレクシスは収めてしまった。
「攻撃開始まで一時間半を切った。──選択肢は三つだ。勇者ワーナーが言ったように、巻き込まれたくない者は町を逃げ出せ。逃す気は無いと奴は言ったが。それでも運が良ければ町を出られるかもしれん。ただし……ろくな準備もなしに飛び出すんだ。町を無事抜け出せても、次の宿場にたどり着く前に夜が来る」
 ぎょっとしたような静かなざわめきが人々の中に湧き上がる。……その先までは言わずとも、誰にでも分かった。
「二つ目は、町に残り抵抗する事もなく連中に殺される道だ。三つ目は、言わなくても分かるな」
 大声ではない。低く押し殺した声だったが、アレクシスの声はよく通った。誰も何も言わず、沈黙が更に重くなった。
「あんたも決めるんだ」
 アレクシスがトリニティを見下ろした。
「あんたの選択肢は二つだ。俺たちだけで町を出るか、それとも留まって戦うか」
 何のために攻撃まで二時間もあけたのだろう。それはまるで、トリニティを試しているかのようだ。
 考える時間を与えているのだろうか。
 トリニティがどちらを選ぶのか。

 トリニティは黙ってアレクシスを見上げた。
 彼らに迷惑がかからないようにと、自分たちだけで町を出たとしても、町の住民への攻撃をやめさせることは出来ない。王は殲滅せよ、と命を下したからだ。
 ならば、トリニティが選ぶ答えは一つしかない。
「……ここに残るわ。町の人たちには迷惑なだけかもしれないけど。どのみち、殲滅戦だというのなら、ここに残ってあたしも戦う」
 人々が顔を見合わせ、静かなざわめきが祭壇の間に広がった。
 それを嘲笑うかのように、部屋の端にいた悪魔ディーバが笑った。
「なぜ笑うのですかっ」
 天使アブリエルがたしなめるように悪魔を睨み付けたが、悪魔は面白そうに腹を抱えて笑うのを止めない。
「ディーバっ!」
「だってそうだろ。こいつら馬鹿だぜ。ここで四の五の言ってる間に時間がなくなって、攻撃開始の時間……ってことになるんだぜ。しかもこいつら、なぜ自分たちが殺されなきゃいけないのか、その理由も知らないときたもんだ」
 悪魔は口元に手をやって、さも面白い見世物を見ているかのように下品に笑った。
「そっちの呪われた王女はなぁ、親父さんに殺されかけたんだぜ。その理由がまた笑えるもんだ。そっちの……」
 悪魔の繊手がセリス王女を指す。
「妹の方に継承権を譲る為だってんだ。老い先短い第一王女が死ぬまでも待て無い程、急いで継承権を替えたいってんだ。きっと『外交上の問題』ってのが理由だぜ。あんたもかわいそうだよなぁ、綺麗な姫さん?」
 話を振られたセリスがぎょっとしたように身を竦ませた。
「だってそうだろ。あんただけ殺されずに城に連れ帰られても、きっと待ってるのは外国に売られるだけなんだぜ。あんた達王女様は、どっちもかわいそうだよなぁ。親父さんの勝手な理由で殺されたり、売られたりするんだ」
 悪魔の言葉に、二人の王女は俯いた。握った掌がわなないていた。
「しかもその勝手な理由を押し通すために、ここにいる二百人からの人間も皆殺しにしようってんだから、ばかばかしくて笑えるだろ」 
「──笑えませんよっ!」
 更に天使が悪魔を諌めようと試みるが無駄に終わる。
「笑えるさ」悪魔はどうでもいいことだ、という風に肩を竦めた。「王女であっても、そこらへんの貧乏人のガキと同じ末路なんだぜ」
 貧しい家庭が親の都合で子どもを売ったり始末したりする事は珍しいことではない。……だが、国を治めるトップ。王家までもがそうだというのだ。
「きっと、もうこの国はいくトコロまでいっちまってるのさ」

 この国は遠からず終焉を迎えるのだ、と悪魔は言いたいのだろうか。




「俺は戦うぞ!」
 一人の男が立ち上がって叫んだ。
 『死を待つ者の家』で天使の奇跡で助かったあの男だった。続いて幾つかの声が上がり、さらに幾人かが立ち上がった。
「俺たちに何が出来るっ! こいつらのせいで、みんな殺されちまうんだ!」
 戦うという者もいれば、そんな事は無理だと言いだす者もいる。だが多くの者は黙り込んだまま、不安そうに膝を抱えじっと地面を見つめていた。
「時間は無いんだ! 俺たちがどうするのか、今すぐに決めなきゃならない! なら、答えは一つだっ! なにをどう選んだって、国軍が攻めてくるなら、戦うしかない! 戦って凌ぐしか、俺たちが生き残る術は無い、違うかっ?」
 ──再び落ちる沈黙。
 ベルダ司祭が静かに口を開いた。
「天には騒乱。地は病み、人々は疲弊し、拠り所を失う。今の世は末世の様相で、人々が道徳心や神への敬虔さを失って久しい。この困難な時代に、私たちは何を信じて生きていけばいいのか。神か? 王か? それとも──目前で泥と血にまみれても民を救おうと足掻く王女にか?」 
 朗々と語るその声は司祭の気性そのままに堅固でゆるぎがなかった。
「我々は、天が何かをしてくれるのを待ち続けて──世界の終わりまで待つつもりか? そう──我らの王の為に、今、動かずしていつ動くのだ? 明かりは誰かが灯してくれるのを待つものではなく、自らが灯すものなのではないのかっ?」 
 司祭の最後の言葉に力がこもる。黙って司祭の声を聞いていた人々の瞳にも、同様の力がこもった。
 最初の一人の声を皮切りに、人々が拳を振り上げ、雄叫びと共に一斉に立ち上がった。 
 
(続く)
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