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第2部 神の愛娘

第2章 雨に滅んだ街 3

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 城へ戻ったトリニティは再び塔に幽閉された。
 朽ちて捨てられた隅塔(キープ)は、人々の記憶からも消されたような場所だ。その塔の最上階がトリニティが八年を過ごした場所だった。
 トリニティは城へ戻ってすぐに王に自分の幽閉を解いてもらうよう願い出たが、それは当然──取り合ってもらえなかった。
 食事を運んでくる侍女が変わったのは、城へ戻ってから数日後のことだ。それは侍女ではなく──十年前に別れたきりの、妹のセリスだった。
 セリスは閉じられたままだった扉を日に一度は開けて室内に入ってきた。なぜか後ろには必ず複数の護衛の兵士がついていた。
 すっかり美しくなった妹は、自分が修道院から王によって呼び戻されたことや外のとりとめもない事を語って聞かせた。
 妹は『ネリスの至宝』と呼ばれるのに相応しい容姿や、申し分ない所作を身につけており、それを見なければならないトリニティの胸は痛んだ。
 ──気にしないつもりではいても、やはり、自分もまた一人の女でしかないことを痛感させられたからだ。
 
 だから妹が来るたびに手当たりしだい物を投げつけて追い返した──。
 そんな、醜く卑しい心根しか持てない自分のことが堪らなく嫌だったが、余命短く萎びるように朽ちていく一方で、美しく輝いている妹の姿を見て辛く感じないはずがなかった。
    後悔ばかりの日々をさらに数日。無為に過ごして──。


 そして、王に呼び出された。


 呼び出された先は、城の謁見の間……大広間ではなく、その奥にある王の私室だった。
    自分たち以外誰もおらず、誰の目もないのは少し不思議な気もしたし……寂しくはあったが……納得もした。
 つまり、人目に触れさせないようにしたいくらい──自分は、『呪われた』『厭わしい』存在なのだ。
 そう思うと、納得はしてもやはり辛かったし、歯痒かった。
 トリニティは翡翠色の大きな瞳を悔しさで一杯に満たして、唇を固く結んで父王の前に出た。
 八年もの幽閉の時を経て、トリニティが持つこと許された唯一の財産……その胸に高く掲げた矜持のみを身に纏って。



 八年ぶりに見る父親の姿は、記憶の中の父の姿とあまり変わらないように思った。だが滅多に会ったことのなかった父の顔の記憶自体があやふやで……その事実にトリニティは面食らった。
 自分の実の父親のことなのに、こんなにも薄いかかわりしか持てないなんて。
 素直に──悲しいと思った。
 やはり、歳をとったように思う。面影に刻んだ表情の険しさが、一層影を深くしたようにも。
「お前をここに呼んだ理由が分かるな?」
 我が子への情愛を微塵も感じさせない厳しい口調で言われて、トリニティはそっと瞼を閉じた。

 ──ついに、この時がきた。そう思った。
 
 無言で答えるトリニティに向かって、王は右手を差し出した。
「そなたは廃嫡する。……嫡子の証をさしだせ」
 大きく息を吸い込んでトリニティは目を開けると、父王をまっすぐに見た。
「嫌です」
 はっきり答える。王は僅かに目を細めただけで、感情を殺した表情は変わらなかった。
「……そなたはもう少し賢い王女だと思っていたが。──さかしいふりをしていただけか?」
 トリニティは声を詰まらせたが、王に気後れすまいと懸命に言い募った。
「なぜです? なぜ、『今』でなければならないのです? 私は後数年もすればいなくなるのに、なぜ今なのですか? どうして──」
 トリニティは大きく息を吸い込んで、そして思いの丈と共にその言葉を吐き出した。
「なぜ私が死ぬまでの数年間、やってみようと思うことをやらせては頂けないのですか?」
 城に戻ってすぐ、トリニティは王に言った。自分が死ぬまでの間に、民の為に出来ることをやらせて欲しいと。どんなことでもいいから、遣り残したことなく逝きたいと。
 王が──声こそ出さなかったが──嘲笑の笑みを口元にのせた。それを目にしたトリニティの心臓が鷲掴みされたような衝撃を受けた。
「そなたのする事など、誰が望む? ありがたいと思い受け取る者など誰がおる?」
 非常な父王の言葉に、トリニティは喉を詰まらせた。
 たとえ真実その通りだとしても……肉親が口にのぼらせてはならない言葉はある。
 見えないナイフがトリニティの胸を抉った。思わず涙が溢れたが、瞬きはしなかった。
    瞼を閉じれば涙がこぼれる。トリニティの矜持がそれを許さなかった。
 指先が白くなるほどきつく手を握り締め、唇を噛締めてそれに耐えた。
「次の世継ぎはセリスですか? でもあの子は──」
「そなたには余計な事だ。嫡子の証を差し出せ」
 まさに氷塊の様な眼差しで父王がトリニティを見下ろした。もはや親子の情愛も何も、両者の間にはないのだ。
 くじけ、取り乱す寸前のところでなお耐えているトリニティの姿を、王は軽蔑しきった眼差しで見ていた。心が今にもくじけてしまいそうだった。
「ここにはありません」
 トリニティが掠れた声で応じると、王は無言で体を避けて、後方の空間を見えるようにした。──いつもは閉じられている特別な扉が今日は開いている。その扉は普段は閉じられ、棚を置いて封じてあったが、特別な罪人を閉じ込める地下牢(ドンジョン)への入り口だと聞いていた。
 塔よりも更に扱いのひどい場所へ監禁されるのか──トリニティはそう思った。
「行け──」王の声が不気味なほど低かった。「わしからの、せめてもの情けじゃ」
 トリニティは自分から扉へ向かった。無理やり連れ行かれるなど矜持が許さない。自分は何も悪い事などしていないのだから、胸を張っていればいい……なにより、自分はまだ諦めたわけではないのだ。
 嫡子の証を渡すことを拒んだ以上、まだトリニティは世継ぎの姫だ。彼女の王女としての権限が取り上げられたわけではないのなら、次のチャンスを待てばいい。
 開かれた扉の前に立ち、続く下りの階段に足を乗せようとして──その足を戻した。
「どうした。行かぬのか?」
 愕然とした表情でトリニティは振り返って王を見た。いつの間にか王はトリニティの真後ろに立ち、ぞっとするほど恐ろしげな顔で娘を見下ろしていた。……まるで、白蝋で出来た人形のような顔だった。
「自ら進んで行くとは、我が娘ながら見上げた心意気よ……と思ったが?」
 トリニティは恐怖で歪んだ顔で父親を見上げ、もう一度扉の向こうに目を向けた。

 何もない──。

 下る階段も。
 壁も。
 光も。
 何も。
 
 ただ闇が。
 そこに。
 
 それがどんな地下牢であるのか、権力者の娘であるが故に咄嗟に悟った時。
 トリニティは自らの父親にそこへ突き落とされた。

 悲鳴と共に体が落ちていく間中。トリニティは目を開き、父の姿を見続けた。
 そこだけが四角く切り取られたかのような扉のあった場所に、父王の黒い影が立っているのが見えた。
 トリニティが闇に閉ざされた地下の巨大な迷宮に落ちていく間中、ずっとそこから動かなかった……。

(続く)


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