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地平線を越えて

  草原に戸惑う姉妹と元魔王②

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 ナディとヴァレリーは前世でそれぞれ魔王妃と魔王であり、その仲はそりゃあもう睦まじいと言われていた。そうでなければ三百年弱の夫婦生活で子供が二百人も出来る筈がない。

 だがそれはあくまで前世での話であり、ナディとヴァレリーとして生まれ変わった今となっては、はっきり言って他人でしかない。

「……遺言があったら聞いておくわ。記憶の片隅にも残さないけど」
「遺言なんてないよ。ボクはこれからもナディと共に生きて行く。流石にヒト種じゃあ二百人も子作りは出来ないけど、少なくとも十人は欲しいなぁ」
「なんでテメーと子作りする前提なんだよしねーわンなことんなぶっ殺す!」
「そんなに照れなくて良いんだよ。相変わらず照れ屋さんだなー」
「照れてねーわ激昂してんだよ激怒してんだよなんで有無を言わさずベロチューされなくちゃならねーんだよ! 良いからさっさと首よこせ!!」
「ダメだよ。ボクの全てはナディのものだけど、流石に魔王ヴァレリアじゃない今そんなことされたら死んじゃうじゃないか」

 そんな朗らかな痴話喧嘩をしながら、影を伸ばした魔力の剣でナディが放つ斬撃を弾くヴァレリー。ナディはわりと本気だが、ヴァレリーは良い笑顔で捌いている。やはり体調が十全ではないし、それに身体が出来上がっていないナディではこれが精一杯だった。

「あーもー、なんなのコイツ。変態のクセにやたらと強いわね変態のクセに。いくらまだ元の実力が出せないからって掠りもしないのは屈辱だわ」
「そりゃそうだよ。ボクはもう魔族じゃなくてヒト種なんだから、傷を追いたくない一心で必死なんだから」
「そのわりにはヘラヘラ笑って余裕そうだったけどね!」
「ナディとの手合わせが嬉しいからつい口元が緩んじゃうんだよ」

 結局、変態であった。

 そんな痴情の縺れが暫く続いたが、流石に高地であり空気が薄いこの場所でそんなことが長く続く筈もなく、最終的にナディの体力が尽きて大の字に引っ繰り返ってお開きになった。

「お姉ちゃん。遊んでないで食事の続きをしよう。気になるからってその途中で飛んじゃダメ」

 珍しくレオノールがそう注意し、ナディが作った高温にならないためイマイチだったスープを鍋に圧力を掛けることで美味しくリメイクして装う。

「あとそっちの元魔王様も自重して。いくらお姉ちゃんが好きでも了承を得ないでそういう破廉恥行為をすれば嫌われるだけ。好意を持って欲しいならそういう変態衝動は抑えて」

 そして続けてヴァレリーにもそう言って注意する。一般常識の範囲であるが、どうも彼はナディが絡むとそういう自制が効かなくなり問題行動を引き起こすらしい。問題行動というか性衝動というか、思春期男子特有の思考なのだが。

「ええ、ダメなのかい? ボクとナディは前世で夫婦だったんだよ。ならば今世でも愛し合うのは当然じゃないか」

 冷静に諭されても理解が及ばない、ちょっとアレな思考のヴァレリーである。

「前世なんて知らねーし! 今現在私とアンタは真っ赤な他人だわ! それにアンタみたいな変態は当然願い下げよそのまま死ね!」

 大の字に引っ繰り返ったまま荒い息を吐き、持っていた二振りの小太刀を放り投げてそう言う。ド正論である。
 そしてヴァレリーは、そこまで言われてやっと理解したのかちょっとヘコみ、その場に座ってシュンと俯いた。

 メンドクサ。流石のレオノールもそんな二人を見てそう思うのだが口には出さず、食事の続きを用意し始める。この二人はちょっと放っておこう。そう判断して気にしないことにした。

 で。

 結局ナディはなにを見たかというと――

 この草原はこの場所から南北10キロメートル、東西20キロメートルほど続いている、ということ。
 東側は底が見えない断崖で、遥か彼方には同じように底が見えない断崖が壁のように続いており、更にそのはてが目視すら出来なかったこと。
 東以外の草原の向こうはやはり断崖で、遥か下方には樹海が広がりその広大さは目測すら不可能であること。
 そして最後に。南側に有り得ないほどにバカでかい巨木が見えたが、知的生活を営める種族の生活圏は確認出来なかった、ということであった。

「つまり、此処は山頂なんだね。なのに平原になっているなんて珍しい」
「どうりで空気が薄い。このままじゃお湯がよく沸かなくて美味しいごはんが作れない。それはとても大変」

 物珍しげに周囲を見渡しそんな感想を言うヴァレリー。そして真理ではあるが現状ではちょっとズレた危機感を抱くレオノール。きっとこの場に某ガチムチなギルマスがいたら正しくツッコミを入れるのだろうが、残念ながら現在ツッコミは不在である。

「取り敢えず、ご飯を食べたら山の端まで行ってみましょう。【クリンネス】」

 空腹が満たされてちょっと機嫌が良くなったナディが、空になった鍋やら食器やらを魔法で綺麗にする。ちなみにこれも【ロストソーサリー】であり、バレたら色々大騒ぎされるのということに、三人して全く気付いていない。

 そんな世間一般的に非常識な三人ではあるが、探索に関しては意外と常識的というかセオリーに則って情報収集から行動を開始してい――

「【マキシマイズ・ソーサリー・イクステンシヴ】【ディスタント・ヴィジョン】【ワイド・ヴィジョン】【センス・イービル】【センス・ホスリティ】【センス・エネミー】【センス・オーガニズム】【センス・インオーガニック】【サーチ】【ディテクト】【シーク】【アナライズ】【アプレイザル】敵性存在は探知されないわね。でも西側にちょっとした岩山なのかな? でも空間が歪んでいるっぽい場所があって、其処になにかの生物? でも無機物みたい? とにかくそんなのがいるっぽいわ」

 ――まぁ、一応セオリーには則っていて、でもそれが常識からかなーり外れているのだが、案の定というべきかそんなに知ったこっちゃないとばかりに気にしていないナディであった。もっともマジなサバイバルではそれが生存か死かに直結するため、そんなの気にしてなんていられない。よって本格的に本気を出すナディであった。

 目測や探知魔法では詳細は判らない。よって三人はまず外周を目指して移動する。それでも現地点から短くて南北片道10キロメートルであるため、それだけで一日仕事になってしまう。

 それに――

「お姉ちゃんごめんなさい。レオが小さいから足引っ張っちゃってる」

 まだ幼いレオノールの体力が尽きてしまい、途中でヴァレリーに背負われての移動となった。それで本人は申し訳なくそう言っているが、レオノールが悪いわけではないためナディもヴァレリーも、その都度気にしないように言っているのだが、それでも気にしてしまうのは仕方ない。

 もっとも二人はレオノールに頼られるのは決して嫌ではなく、

「そんなに気にしなくくて良いのよ。というかレオはもっと私を頼って良いの。ちょっと手が掛からな過ぎるからお姉ちゃんは逆に心配だわ」
「ああ、レオをまたおんぶ出来るなんて夢のようだ。なんなら移動はずっとこのままで全然構わないしむしろこのままが良い」

 元ではあるが、親バカ全開で世話をしたい二人であった。まぁレオノールは第一子でしかも早逝した娘の生まれ変わりであるため、そうなるのは当然だし誰でもそうなるだろう。

「レオは早く大きくなりたい。そしてお姉ちゃんの役に立ちたい」

 ヴァレリーの背でこぶしをギュッと握り締め、呟くようにレオノールが言う。それはヴァレリーはもちろんナディにも聞こえていた。

 そしてそんな二人の反応は――

「ウチの子、ヤバいくらいカワイイんだけど! えなにレオってば天使みたい。いや違うまさしく天使そのものだよ!」
「何言ってるんだいナディ。レオが天使だっていうのは当然でしょ。いやむしろ女神かも知れない。ああ、どうしてウチの娘はこんなにカワイイんだ!」

 ――バカ親っぷりが炸裂しまくっており、流石にちょっと引くレオノールだった。

 まぁでも、元とはいえ両親にこれほど愛されているというのは単純に嬉しいわけで、ヴェレリーの背に顔を埋めてちょっとニンマリしちゃっていたのは、二人には言えない秘密である。

 そんな親子な会話やコミュニケーションを取りながら、三人は取り敢えず気になった西の岩山? を目指す。理由は、景色が変わらない場所を延々移動するのはストレスがヤバそうだし、目標物があった方が精神的に楽だから。もっとも三人とも、それでどうにかなるほどヤワではないが。

 移動すること約二時間。ナディが魔法で探索した岩山っぽい場所に到着した。

 其処は遠目には岩山に見えたのだが、明らかに違っていた。岩山を構成する鉱物の透明度があまりにも高過ぎて、だが透過する光を屈折させてその存在を隠しているかのようである。そしてその光の屈折により、地面や背景が透けて見えるかのように作用していた。

 そう。それは巨大な結晶の塊であり、天然の光歪曲迷彩になっていたのである。

 そんな文字通り透き通る結晶がそそり立つ様を目の当たりにして、流石に言葉を失う三人であったが、其処から湧いて出て来た魔物に別の意味で言葉を失った。

「お姉ちゃん。こんなに絶景なのにどうして世間一般的に言うところの絶望が湧いて出るの。レオがっかり」
「ああ、うん。そうね。それはそう。まぁでも、アレを見て大騒ぎするほど私もレオも恵まれた環境じゃなかったし。むしろ虐殺対象ね」
「うん。ボクもあれを見て大騒ぎするヤツらの気が知れないし意味が判らない。だけど、なんでわざわざ結晶と同じ外殻なんだろうね」

 三人はそれぞれそんなことを言い、そして特大の溜息を吐いた。

 美しく、それでいて絶景な結晶の山から湧いて出て来たのは、同じく透き通るほど美しい結晶の外殻を持つ、無数のゴキブリであった。

 ちなみに正式名称は【クリスタ・ローチ】で、近親種に透き通る美しい緑の【エメラルド・ローチ】や、目が覚めるような美しい青の【サファイア・ローチ】、燃えるような赤の【ルビー・ローチ】、無色透明だが光を複雑に乱反射し更に高硬度な【アダマス・ローチ】などがいる。そして全部体長2メートル超のゴキブリだ。
 あと原型を留めず砕いてそれなりの大きさにカッティングすれば、貴婦人たちが挙って買い求める貴金属の素材になる。原料がゴキブリだけど。

「ねえアンタ。あれ一掃出来る?」

【ストレージ】から小太刀――【凍花とうか】と【しゃっか】を取り出し逆手に持ち、ヴァレリーに訊く。彼は僅かに思案し、かぶりを振った。

「迷宮内では魔力が無尽蔵だから出来たけど、この場の薄い魔力じゃあ自前のを使わなくちゃならないから厳しいかな。ボクの愛剣があれば話は別だけどね」
「ん、愛剣? それって【グルーム・ブリンガー】のこと?」
「そう。流石に【魂の継承ソウル・ジェネシス】でもそれまで継承は無理だったなー。ああ、もう二度と逢えないんだろうなぁ……」
「あるわよほら。何故か私の【ストレージ】に入ってた」
「アレがないとボクは本気が出せないんだよ。なにしろボクの半身ともいうべき剣だからね。でも世界相手に戦うわけじゃないし、半身どころか僕の全部はナディのものだから――てなんで持ってるの!?」

 今日イチ驚く元魔王様である。いや、現時点どころか前世も含めて一番驚いたかも知れない。

「多分、前世で私とアンタは【ストレージシェアリング】で共有化してたでしょ。その状態で私が先に死んじゃったから、なんらかの原因でそうなったんじゃない? 細かいことは知らないけど」

 ナディがそんな予想を立てるが、言われたヴァレリーはそれどころではない。ナディへの感動と感謝と純粋な想いと思春期的アレな想いが溢れて色々とんでもないことになっていた。

「ああ、ああ、ナディ、ナディ! やっぱりキミは最高だよ! 僕は君以外の伴侶は考えられない式を挙げようそして初夜をしよう今すぐに!」
うるせぇわ剣ブチ折られたいんか黙って仕事しろこの宿やどろく

 情熱的に宣言し、だが最後に下心全開で変態発言をしてナディに即却下されるヴァレリーである。まぁそうは言ってるナディも「宿六」呼ばわりしつつ【グルーム・ブリンガー】を手渡したりしているが。

「あとそういえば、なんでアンタ生まれ変わってるのよ。仮にも【不滅の魔王】だったでしょ、おかしいじゃない」
「え今頃?」

 そして更にそんなことを訊かれて、当然の返答をされるナディだった。だがナディとしても、会っていきなり抱き締められたりベロチューされたりで、その考えに至らなかったという理由もあるから一概には言えない。

「不滅でも死なないわけじゃないんだ。それに、アデリーが居なくなった世界に希望は持てなかったんだよ」

 不死を殺すのは退屈と絶望だとは良くいったものである。

 それはともかく、ナディから【グルーム・ブリンガー】を受け取ったヴァレリーは、愛おしげに刀身を撫で、

「【剣の墓標グレイブ・オブ・ソーズ】」

 固有魔法を発動させ、迫る多数のゴキブリを一気に殲滅した。

 このときヴァレリーが【グルーム・ブリンガー】を所持し、そして発動させたことで「世界」が魔王の再誕を感知した。そしてそれが原因で諸方面でちょっとした大騒ぎとなるのだが、その再誕した魔王は思春期男子のように大好きな女子に夢中であるため、一切の実害はなかった。
 まぁ、勝手に怯えて勝手に大騒ぎする迷惑な輩も発生したらしいが、そもそも魔族領でもそんな事実は一切確認出来なかったため、結局はほどなく沈静化して忘れ去られることとなる。

 余談だが、【グルーム・ブリンガー】を所持したヴァレリーの通り名が将来的に【武器砕きアームズ・ブレイカー】から【サタナス】へと変わることとなるのだが、それはまだ先のことである。
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