白物語

月並

文字の大きさ
上 下
3 / 19
第一章 シャラ

三、外の世界

しおりを挟む
 初めて見る外の景色は、夜の帳に覆われていました。
 それでも、“白鬼”には新鮮でした。草の匂い、蛙の鳴き声、澄んだ空気の味、湿った土の感触、何にも阻まれずに見える三日月。
 小高い丘に座ってそれらを眺めていた“白鬼”の背後から、草を踏む音が聞こえました。振り向けば男が立っています。

「新しい着物、これでいいか?」

 男が差し出したそれは、銀の糸が所々に織り込まれている白い布に、紫色の小さな花が刺繍されていました。自分が今着ているものよりもはるかに上等なものだと、見ただけでわかります。
 “白鬼”は早速着替えます。

「どう? 似合う?」

 “白鬼”はくるりと一回転しました。すると男は眉を下げました。

「俺に聞くな。俺には美醜が分からん」
「なによ、ここはお世辞でも似合うって言うところよ」
「似合う」
「今さら言われても遅いわよ」

 “白鬼”はフンと男から顔をそむけました。
 気を取り直すため、“白鬼”は再び着物を眺めました。

「この花、きれいね。かわいい」

 着物に施されている紫の花を、“白鬼”はそっと撫でます。

「それは菫だ」
「スミレ? ふうん」

 しばらく、“白鬼”はその花をしげしげと眺めていました。やがて顔を上げます。

「あなたの名前は?」

 男は紫色の目をきょとんとさせました。

「あなたにも名前、あるんでしょう」
「俺は白鬼だ」
「それは私を『人』と呼ぶようなものよ」
「そういうお前は」

 “白鬼”は言葉を詰まらせました。その顔が、だんだんと険しいものになっていきます。

「ないわよ、悪かったわね! ずっとあの店にいて、親なんか知らない、名前も知らない、みんなからいじめられて、ロクロだけが親切で。でもロクロだって、私の名前を知らない。ずっと『あんた』って呼んでいた」

 知らず知らずのうちに、“白鬼”は涙を溢れさせていました。目の前を涙で滲ませたまま、“白鬼”は男をまっすぐに見ました。

「ミタマ」

 唇からこぼれ出した言葉に、男は息を飲みました。“白鬼”はこれがこの男の名前だと、ストンと腑に落ちました。

「そうよ、ないなら付ければいいんだわ。ミタマ、私にも名前を付けてよ」

 “白鬼”は涙を拭いました。男は狼狽を押し殺したような顔をしています。

「俺が、お前に?」
「何でも言うこと聞いてくれるんでしょ?」

 畳み掛けるように言うと、男は口を固く結んで頷きました。

「じゃあ、シャラ、は、どうだ」
「シャラね。まあ、悪くないんじゃない。ねえミタマ、私は京へ行きたいわ。あんな店にはもう二度と戻らない」
「京はまだ復興途中だ。でかい火事があったの、知ってるだろ」
「だからよ。私たちみたいな出自の知れない人が棲み着いても、受け入れてくれそうじゃない」
「……分かった」

 目的が決まってなんとなく安堵したシャラは、疲労を覚えてごろりと地面に寝転がりました。
 草いきれがつんと鼻の奥を突きます。湿った土の上は温かく、安らぎを覚えました。
 目の前には夜空が一面に広がっています。円から円をくりぬいたような三日月や散らばる星々を見ていると、自分は自由になったのだという喜びがむくむくと湧いてきました。

 うつらうつらと瞼が重くなって、やがてシャラは眠ってしまいました。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地縛霊に憑りつかれた武士(もののふ))【備中高松城攻め奇譚】

野松 彦秋
歴史・時代
1575年、備中の国にて戦国大名の一族が滅亡しようとしていた。 一族郎党が覚悟を決め、最期の時を迎えようとしていた時に、鶴姫はひとり甲冑を着て槍を持ち、敵毛利軍へ独り突撃をかけようとする。老臣より、『女が戦に出れば成仏できない。』と諫められたが、彼女は聞かず、部屋を後にする。 生を終えた筈の彼女が、仏の情けか、はたまた、罰か、成仏できず、戦国の世を駆け巡る。 優しき男達との交流の末、彼女が新しい居場所をみつけるまでの日々を描く。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記

あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~ つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は── 花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~ 第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。 有難うございました。 ~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

大奥~牡丹の綻び~

翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。 大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。 映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。 リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。 時は17代将軍の治世。 公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。 京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。 ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。 祖母の死 鷹司家の断絶 実父の突然の死 嫁姑争い 姉妹間の軋轢 壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。 2023.01.13 修正加筆のため一括非公開 2023.04.20 修正加筆 完成 2023.04.23 推敲完成 再公開 2023.08.09 「小説家になろう」にも投稿開始。

わが友ヒトラー

名無ナナシ
歴史・時代
史上最悪の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラー そんな彼にも青春を共にする者がいた 一九〇〇年代のドイツ 二人の青春物語 youtube : https://www.youtube.com/channel/UC6CwMDVM6o7OygoFC3RdKng 参考・引用 彡(゜)(゜)「ワイはアドルフ・ヒトラー。将来の大芸術家や」(5ch) アドルフ・ヒトラーの青春(三交社)

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

処理中です...