白河夜船

月並

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 少年は眼前に広がる世界を眺めました。
 空は黒い雲で覆われて、大地はかぴかぴに干からびています。コンクリートの瓦礫がところどころに散らばり、その隙間や上から、ひょこりと緑が顔を覗かせています。
 マンホールから上半身を出したまま、少年は顔をしかめました。





 眠りにつく前、少年は地下へと逃げ込みました。

 そのとき地上では、とある国が「実験」と称し、別の国の海域に核爆弾を投下しました。それが敵対行為であるとみなされ、世界はとある国に宣戦布告をおこないました。
 そして、とある国に協力するいくつかの国と、その他の国とで戦争が始まったのです。

 少年がいた国に核爆弾が落ちてきたのは、戦争が始まってすぐでした。
 被爆した彼は、全身に火傷を負いながらも、なんとか生きていました。周囲にいる、まだ息のある人たちを連れて、少年は地下に潜りました。
 そして眠ったのです。





 少年はマンホールから這い出ました。裸足に、乾いた土の感触が広がります。小石が肉に食い込んで少し痛みました。
 靴は履いていたはずだと疑問に思いましたが、被爆の際に壊れてしまったことを思い出しました。
 被っている白いパーカーも、ズボンも、所々破れたり焦げたりしています。

「せっかく選んでもらった服なのに」

 少年は眉を下げました。が、すぐにかぶりを振って、腰に差しっぱなしの刀を確認すると、改めて周囲を見回しました。

 生きている人間の気配はひとつもありませんでした。少年は難しそうな表情を浮かべます。
 少年の白い髪が、どこからともなくふいてきた風に弄ばれます。ずいぶんと長い間櫛を通していない髪は、自由気ままにぴょこぴょこ跳ねていました。

 ぐぅ、と少年のお腹が鳴りました。そんな彼の目の前を、羽の生えた百足のような生き物が、ふわふわと空を飛んでいます。
 少年は刀を抜きました。その刀は、日の光を受けていないにも関わらず、真っ白でした。
 その白い刀で、少年は百足のような生き物を斬りました。大地に落ちたその体から、ほんのりと赤みを帯びた白色で丸い、やわらかそうな塊がふわりと飛び出します。

 それを捕まえて、少年はひとくちに食べてしまいました。咀嚼し、飲み込んだ後、再び眉をしかめます。

「お腹すいた」

 少年は自分の体をじっと見ました。そこには傷のひとつも見当たりません。
 刀をしまうと、少年は何にもない世界を歩くことにしました。





 たくさん歩くと、大きなドームのようなものが見えました。それは、外装がところどころ剥がれています。
 扉の機能を成していない入り口を潜り、少年は中に入りました。

 中には、複雑に組まれた機械が密集しています。何か機械を作っていたところのようです。
 少年は静まりかえる室内を、てくてくと散策します。

 奥の部屋に到達しました。その床に、頑強そうな扉がありました。
 少年は隙間に刀を差し込み、扉をむりやり開けようとしました。
 めりめりという音を立てはしますが、扉はなかなか開きません。少年は焦ることなくその作業を続けました。

 扉を開けると、階段がありました。それを下りていき、少年はひとつの部屋に足を踏み入れました。

 そこには、大量の本が詰まった棚が壁となってそびえていました。洋書から和書、哲学書、聖書、古文書、小説、専門書など、バリエーションは豊富です。
 そしてその真ん中に、カプセルが置かれていました。
 カプセルは下半分が銀色で、上半分はガラスでできていました。覗くと、ひとりの男の子があどけない顔で眠っていました。

 少年は辺りを見回しました。カプセルのすぐ横に、本が1冊だけ置いてあります。開くと、封筒が出てきました。中に手紙が入っています。
 少年はそれを開きました。そこには、カプセルの中の男の子のことについて書かれていました。

 手紙を書いたのは、カプセルの中で眠っている男の子の父でした。

 彼は、とある研究所のいちばん偉い人でした。冷凍睡眠の研究をしていたそうです。
 試作品を何個か作り、動物で試しました。最初は失敗しましたが、重ねるうちについに成功しました。
 学会に発表し、人類に実用化させようとしたそのとき、大戦が勃発しました。

 彼は、この戦争で人類は滅亡するだろうと思いました。しかし彼には、まだ小さい息子がいました。
 息子だけは助けたいと思った彼は、ひとつだけ完成していた冷凍睡眠カプセルに息子を入れました。そして、地下に作った頑強なシェルターの中に閉じこめました。

 男の子を起こすには、カプセルの側面にある赤いスイッチを押すこと。こじ開ければ、中の男の子は死んでしまう。

 成人男性2人が1年暮らせる分の食料は、本棚の奥に貯蔵している。自由に食べていいので、男の子と一緒にいてやって欲しい。
 周りにある本は、男の子のために置いてある。勉強をさせてやって欲しい。男の子の名前は、銀河ぎんがである。

 手紙には、このようなことが書いてありました。

 少年はスイッチを探しました。
 スイッチは、男の子――銀河の足側の面にありました。押すと、かちりと音がなります。

 最初、蓋は開かず、徐々にカプセルの中の温度が上がっているようでした。やがて、ゆっくりガラスの蓋が開かれました。冷気が部屋を包みます。
 少年はじっと様子を見守っていました。

 蓋が開いて冷気が去っても、銀河はしばらくぴくりとも動きませんでした。少年はじっと待ちました。

 それほど待たずに、銀河はぴくりと身体を揺らしました。そしてゆっくり、恐る恐るといった風に目を開けました。
 銀河は辺りを見回しました。それから、傍に立つ少年を見ました。ゆっくり、調子を確かめるように身体を起こします。

 銀河は少年を見て、ぱくぱくと口を動かしました。首を傾げ、必死に息を吐き出し始めます。声を出す練習をしているようです。
 何回か息を吐き出すうちに、「あ」という声が漏れました。

「あ、あの、どちらさまでしょうか」

 たどたどしく、銀河はそう言いました。

「生き残りだ」

 少年はそう答えました。銀河は、首をひねります。

「今地球に、人間はお前しかいない」

 銀河は目を丸くしました。

「ど、どういうことですか?」

 銀河は身を乗り出しました。コロンとカプセルから転がり落ちそうになります。少年は冷静に、銀河の襟首を掴んで引き起こしました。

「とりあえず、飯食えば? 腹、減ってるだろ」





 少年は銀河と一緒にいることにしました。手紙に書いてあったからというのもありますが、何より銀河の行動が何をするにしても覚束なく、危なっかしかったからです。

「ねえ、お兄さんの名前、なんていうの?」

 10回目の食事の時に、銀河はそうたずねてきました。

「……ない」

 少年は銀河をじっと睨んだ後、そう答えました。男の子はおにぎりをほおばりながら、首をかしげます。

「じゃあ、僕がつけていい?」
「勝手にしろ」

 そんな会話をした銀河の食事が終わった後、彼は本棚からたくさんの図鑑を下ろしてきました。ページをめくり、あれでもない、これでもないと頭をひねっています。
 しばらく悩んだ後、眠りについて、目を覚まして、ご飯を食べた銀河は、改まった様子で少年に向かいました。

「お兄さんの名前を決めた。白狼はくろうはどう?」

 銀河は動物図鑑を開いて、そのページに載っているオオカミの写真に指を差しました。

「いっぱいある本の中で、オオカミがいちばんかっこいいと思ったんだ。お兄さんは真っ白だから、白い狼。だから白狼。どうかな? だめ?」

 図鑑を握りしめながら、銀河は不安げに少年を見上げます。
 少年はため息を吐いて、それから「勝手にしろ」と言いました。銀河の表情が、ぱっとほころびました。





 白狼は悩んでいました。銀河の食料が、もう少しで底をつきそうでした。
 辺りをぐるりと回って、食べられそうな植物は食料の足しにしてきました。しかし、植物だけでは銀河は丈夫に育ちません。

 白狼は銀河に、ドームを離れることを提案しました。銀河はあっさり承諾しました。
 白狼は水と残りわずかの食料を、銀河は数冊の本を持って、ドームを離れました。





 ふたりはたくさん歩きました。それでも、大地はどこまでもかぴかぴに乾いており、頭上には黒雲が広がっていました。
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