不死王

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4 白鬼

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「本日はここで野営をしましょう」

 そう言うと、キサクはテントを張り始めます。セツナたちも手伝いました。
 〈霧の街〉を出てから、3日が経っていました。最初はテントの中で寝袋に入り寝るという生活に慣れず眠れなかったセツナたちですが、野営生活に慣れてきたのか、今ではすぐに寝入ることができるようになっていました。

 その日も、セツナはぼんやりとしながら、自然とまぶたが落ちるのを待っていました。
 彼女がうとうとし始めたその時、布を引き裂く音が響きました。ぱっと覚醒して音の方を見ると、テントが破れていました。
 侵入してきたのは、オオカミでした。鋭い爪のついた足が、引き裂いた布を踏みつけています。ギラギラと飢えた目が、セツナたちを睨みながら中に入ると、近くにいた女性の首に鋭い牙を立てました。
 鮮血が溢れました。女性は叫び声を上げる間もなく、目の光をなくしてしまいました。それをセツナは、顔を青くして呆然と見ていました。

「落ち着いてください! 外に!」

 キサクの指示で、セツナたちは慌ててテントを抜け出しました。が、すぐにその表情は絶望の色に塗り替えられてしまいました。オオカミが6匹、テントの周りを囲っていたのです。

「お、終わりだ。俺たち、不死身になる前に死ぬんだ」

 セツナの後ろにいた中年の男が、小さな震える声でそう呟きました。セツナの背中をぞわりと恐怖がなぞり、呼吸が浅くなります。

 そんなセツナとオオカミの目が合いました。やられる。そう思ったセツナは、懐にしまっていた護身用のナイフを咄嗟に取り出して、オオカミにその切っ先を向けて構えました。そのナイフは刃先が10センチほどしかありません。だからそんなことをしても、何にもならないことは彼女も理解していました。

 地を蹴ったオオカミの牙が、セツナに迫ります。周りにいた他の人は、みんなセツナを避けて散り散りになりました。セツナは目を瞑りました。

 セツナの耳に入ったのは、オオカミの汚い絶叫でした。地面に大きなものが倒れる音に、恐る恐るセツナは目を開きます。
 血を流して倒れているオオカミの頭蓋には、真っ白な長い刃物が突き刺さっていました。刃渡りは、護身用ナイフの7倍はあります。

 絶命しているオオカミを呆然と眺めていると、セツナの左側から足音が聞こえました。
 そこに立つ少年の第一印象は、白の一言に尽きました。服はボロボロの大きな布を纏っていて、全く白くはありません。唯一白い部分と言えば、髪だけです。なのにそんな印象を受けることを、セツナは不思議に思いました。
 ただ彼を見た瞬間、セツナは安堵に包まれたのです。

 その白い少年はセツナの目の前までやってくると、オオカミに刺さる長いナイフを抜きました。それからぐるりと、周りを取り囲むオオカミたちを見ます。オオカミたちは再び唸り声を上げましたが、それはなんだか怯えているようにセツナには聞こえました。

「悪いな、お前たちが生きるためにこいつらを襲っているのは分かる。けど、俺は俺のワガママで、こいつらを守りたいんだ」

 少年の紫色の目が、少し悲し気に揺れました。
 オオカミたちは少年を見たままじりじりと後ずさりをし、それから逃げるようにして立ち去りました。

 少年が刀を振ると、ついていた血が振り落とされました。
 その時、キサクがやってきました。彼の右腕がなくなっていることに気づいて、その場にいた少年以外の人たちは、ぎょっとしました。

「ああ、白鬼しろおにさん。助けてくれてありがとうございます」

 腕がないことなんか気にならないかのように、キサクは笑顔を浮かべてそう言いました。彼の言葉に、セツナは「えっ」と声をあげました。それから、少年を再び見上げます。

「あなたが白鬼? 旅人を守る……不死の?」
「そうだが」

 少年は睨むような視線をこちらに向けました。その視線に、周りにいた人たちは怯えたように身を竦めたようですが、セツナはただただ、彼を呆然と見上げるばかりです。

「キサク、こいつらは何だ。また〈夜の街〉に連れて行くのか?」

 白鬼はセツナから視線を外して、キサクに話しかけました。するとキサクは肩をすくめます。

「ええ。この世の全ての人類を不死にするのが、我らが王の願いですから」

 キサクのなくなった右腕に、細かな塵のようなものが集まっていることに、セツナは気が付きました。それらはどんどん数を増やし、凝縮したかと思うと、あっという間にキサクの右腕になり、彼の体にくっつきました。
 セツナは我が目を疑いました。他の人もそうです。平然としているのは唯一、白鬼だけでした。彼だけは、眉をしかめてキサクを見ていました。

「すげぇ……! やっぱり俺も早く、不死身になりたい!」
「私も!」

 オオカミの牙から逃れられた3人が、歓声をあげます。それをキサクは、嬉しそうに受け取りました。白鬼はしかめっ面のままです。

「さて、テントを張り直して寝ましょうか。旅はまだまだ続きますから、休養は大事です」

 そう言ってキサクが新しいテントを用意すると、歓声をあげていた3人は黙々と作業を始めました。セツナはそれを眺めるだけで、白鬼のそばに残っていました。
 そんなふたりのもとに、キサクがやってきました。

「白鬼さん、申し訳ありませんけど、こちらのお手伝いをしていただけませんか?」

 キサクが視線で、元々セツナたちが寝ていたテントを指します。白鬼は黙ったまま頷いて、そちらに向かいました。セツナもついていきます。

「お前は来るな」

 冷たい声でぴしゃりとそう言う白鬼に、セツナは頬を膨らませます。

「やだ、私もそっちを手伝う」
「ダメだ。こっちは死体の処理だ」

 その言葉に、思わずセツナは息を飲んで、足を止めました。その間に、白鬼はさっさと破れたテントの方へ向かいます。セツナは意を決して、後を追いました。

「来たのかよ。仕方ねぇ奴だな」
「仕方ねぇ奴じゃないわ。セツナよ」
「はいはい。後悔しても知らねーから」

 白鬼に続いて、セツナはテントに入りました。そしてそこに広がる惨状に、うっと声を漏らしました。
 中に残っていた2人は死んでいました。首元を噛み切られて、大量の血を流して。
 とっさにセツナはテントから飛び出しました。心臓が早鐘を打ち、呼吸が荒くなっています。冷や汗もだらだらと流れ始めました。

「だから言ったのに」

 そんな声が、テントの中から聞こえました。返す言葉もなく、セツナはうなだれてその場にしゃがみこみました。

 テントの中で、土を掘り返す音が聞こえました。それは生き残った3人が新しいテントを張り終わり、その中に入ってからもまだ続いていました。
 セツナはやっぱり、その場から離れる気になれませんでした。膝を抱えて、時々船を漕いでいると、テントを片付ける音が耳に入ってきました。
 はっと意識を覚醒させて振り返ると、白鬼とキサクがテントをすっかりしまっていました。死体はなくなっていました。あるのは2つの土饅頭だけです。セツナは彼女らに向かって、そっと手を合わせました。

「私は向こうのテントに行きますね」

 キサクはそう言って去っていきました。それを見送った白鬼は、おもむろにセツナの隣に腰を下ろします。セツナは緊張して、鼓動が早くなりました。

「お前、何か俺に用があるんじゃねーのか?」

 その言葉に、セツナははてと首を傾げます。どうやら白鬼の傍にずっといたので、彼にそう解釈されたようです。
 けれど、セツナは別に用事があって、白鬼にくっついていたわけではありませんでした。話したいことがいっぱいあるような、それでいて何も言わずとも彼の傍にいれたらそれでもいいような、そんな複雑な心境でした。
 けれど何か言わないと、白鬼は呆れてここから立ち去ってしまうかもしれないとセツナは思い、何か話題はないものかとうーんと頭を悩ませます。

「セツナも不死を望むのか?」

 白鬼がそう尋ねてきたので、セツナは顔をあげました。ぱちりと、彼の深い紫色の目と目が合います。

「え、ええ、そうよ。そのためにあの男についてきたんだから」

 セツナはちらりと新しく張られたテントを見ます。周囲にはセツナたちの喋り声以外の音はなく、静かなものでした。

「不死なんて止めときな。ろくなことがない」

 そんなことを言う白鬼に、セツナはむっと口をへの字に曲げる。

「不死のあなたに言われたって、説得力がないわ」
「それもそうか」

 白鬼は自分の膝に肘をついて、その手に顎を乗せました。そして、渇いた大地と頭上に広がる黒雲を眺めます。

「でも本当に、やめといたほうがいい。〈夜の街〉に入れば問答無用で不死にされちまう。引き返すなら今だ」
「どうしてそんなに引き留めるのよ。あなたは不死の体が嫌なの?」
「嫌じゃないさ。これは俺が望んで得たものだからな」

 白鬼は腰に差している刀をぎゅっと握りました。

「そう、俺は平気なんだ。不死王も、あいつは不死の者として生まれたから。だけど、他の奴は違う。不死の体を得た後の奴らは、まるで廃人だ。確かに体は死なない、老いることもない。けれど精神が、魂が死んでいる」

 一陣の風が吹いて、白鬼の髪をなびかせました。憂いを帯びた彼の目を見て、セツナの胸が苦しくなります。それが嫌で、セツナは白鬼から視線を逸らし、かぴかぴの地面を見つめました。

「ミタマの言ってること、分からないわ。とにかく私は、不死になるの。死にたくないから。死ぬのが怖いから」

 「あっそう」とか、そんなそっけない返事がくるものとセツナは思っていました。けれど、何も返ってきません。
 不審に思って顔を上げると、白鬼は目を見開いてセツナを凝視していました。

「お前、今、なんて」
「死ぬのが怖いって」
「その前」
「不死になる」
「もっと前」
「ミタマの言ってることが分からないわって」

 白鬼は、刀をさらに強く握りました。その目には喜びと悲しみと、それから困惑の色が次々に浮かんでは消えていきます。どうしてそんな反応をするのかが分からず、セツナは首を傾げた。

「……お前が望むなら、分かった。俺はそれに協力しよう」
「協力って、つまり?」
「お前が〈夜の街〉に行くまでの道中を、護衛する」

 白鬼の目からは、さっきまで様々に浮かんでいた色が消えていました。代わりに、決意を込めた光が宿っていました。
 ミタマがついてくれるなら安心だ。何の根拠もありませんでしたが、セツナはそう感じました。
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