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お江戸あやかしグチ処

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煌煌と輝く稲荷祭りの夜、人込みの中を駆け抜ける一人の客が、江戸の街はずれにある甘味処にやってきた。

「ちょいとお凛ちゃん、聞いとくれ!」

ふくよかな声が響きわたり、甘味処の女主人である凛が、煙の充満する炊事場からひょいと顔をのぞかせた。


暗い夜道を恐れることなくここまでやってきたのは、恰幅の良い中年女だった。
中年女は凛の顔を見るや否や、何もないところにさもありなんといった様子で明かりをポンと灯す。
宙にゆるゆると浮く青い炎を気にすることもなく、凛は何も言わずに中年女に温かい茶を出した。


中年女が卓の前に座ると、凛も正面に座って頬杖をついた。

「今度は何があったの?」

凛の言葉に触れた途端、中年女はわあっと泣き出した。

「亭主がまた若い女にちょっかいを出してたんだよ! わっちとの間に山ほど子どもをこさえといてあんまりだよ!」

凛は苦笑した。
またいつもの痴話喧嘩があったようだ。

「そうはいっても、旦那は必ずあんたのもとに帰ってくるのがお約束だろ?」

「だけど今度の相手はふたつ隣の山に住む、美姫と名高い白妙なんだよ…あの白くて柔かな毛並みと、綿毛のようにふわふわで華やかな尻尾にゃ敵わないじゃないか!」

中年女は両手で顔を覆って大きな声で泣いた。


その背後では、かつては黄金色に輝きふさふさとしていた尻尾が、輝きを失いぼさぼさになって垂れ下がっていた。
中年女の正体は、人間に化けた女狐だ。

女狐のお紺は、今の旦那と5年も連れ添っている。
旦那のゴン助は浮気性で幾度となくお紺を泣かせてきた女好きの男狐だ。

通常、狐は一夫一妻となって長く連れ添うものだ。
お紺とゴン助は、夫婦となってから5年の間に18匹の子狐を授かっている。
さらにお紺は現在、妊娠中だ。
この大事な時期に、よその女とよろしく過ごされてしまった悲しみは相当なものだろう。

「もう、別れちまおうか…」
「もうすぐ子どもが生まれるのに別れちまったら大変じゃない?」
「こちとらベテランの母ちゃん狐だい。旦那なんざいなくてもどうにかなるさ」

お紺はぬるくなった茶をすすって、凛のほうを見てにいっと笑った。

「いざってときは、ここで生んで育てさせてもらうよ」

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