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第一章

27 援軍とファルス

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 その魔力と威圧のせいで、エヴァニスは大魔族から目を離すことができなかった。

 「は?」

 その大魔族から目を離すことなく、ただ自然に、そう声が出た。
 その理由は至極簡単なものである。大魔族が魔術を発動させようとしていたからだ。それも理不尽な魔術を。
 エヴァニスの目には、大魔族の手から黒い液のようなものが流れ落ちていくのが見えている。無論、それは駅ではなく、非常に密度の濃い魔力が、粘性を持った液体のように流れ落ちているように見えているだけである。
 黒く、禍々しいそれは、エヴァニス以外には見えていない。
 垂れて、そのまま地面につくと、床に広がる油のように、粘り気を帯びながら広がっていく。エヴァニスが吹き飛ばし、皿のように窪んだ場所を、その魔力で満たし切った。
 そして、その魔力の塊の下には、魔術陣が描かれている。その魔術を、エヴァニスは数年前に一度、見ていた。

 まだエヴァニスが冒険者になったばかりの頃、勇者が邪竜を倒したとして、この世界が盛り上がっていた頃、人魔戦争の舞台であるエルドルヴ島へ志願兵として向かう人の群れの中に、エヴァニスの姿はあった。
 当時のエルドルヴ島は、まさしく地獄として形容するのが相応しいほどに、荒れ果てていた。濃い瘴気が立ちこめ、魔物と魔族が昼夜を問わずに攻め込んでくる。
 国一つ分の人口がその戦争で失われたと言われても、納得できるほどの、しれほどの地獄であった。
 エヴァニスがエルドルヴ島に着いて一月が経った頃、それは起こった。
 いつも通りとも言える夜中の襲撃。それでも、当時Aランクであったエヴァニスの他に、Sランクの冒険者もいた。
 エヴァニスにとってその日は、確実に撃退できる。そう思えるような戦力がいた日であった。
 しかし、結果としてはエヴァニスと他3人以外、全員が死んだ。援軍の到着のおかげか、なんとか敵が帰った、そんな有様であった。
 その時に襲撃してきた魔族の中に、ある魔術を使うのがいた。その時の魔術が、今エヴァニスの目の前で展開されようとしていた。

 「なんだ、あれ」

 そう言ったフューズには、ただ一人の大魔族が右手を地面に向けているようにしか見えていない。
 だが、エヴァニスには、そのとてつもない密度の魔力と、そしてその先に起こるであろう未来まではっきりと見えていた。

 『応えろ』

 大魔族のその言葉は、魔術を究めない者にとっては、未知のものであった。それでも、頭の中にその紡がれた音の意味が、はっきりと伝わった。
 その言葉に呼応するように、窪みに溜まっている魔力が、少しずつ、魔物の形を作っていく。その全てがAランク以上、合わせて100は超えるほどの、それだけの数の魔物が、その窪みに現れた。
 召喚魔術。数年前、エヴァニスを絶望させたその魔術は、その時を圧倒するほどの規模で、再度目の前に現れた。
 数瞬の沈黙が流れたのち、なだれ込むように魔物が殺到する。
 ニルド含め、エヴァニス以外の冒険者にとってそれは、完全に想定外のことであり、体制を整える暇すらない。
 唯一、なんとか反応することのできたエヴァニスの魔術のみが、魔物を攻撃した。が、吹き飛ばすことのできた魔物の数は数える程度しかいない。
 エヴァニスの魔術の発動のおかげか、ニルドがようやく迎撃体勢をとる。しかし、他の冒険者はその行動をとることはまだできていない。
 鋭く踏み込み、一番先頭で迫ってきているバイコーンを叩き切る。
 だが、当然その横を他の魔物が通り過ぎていく。

 「お前ら! しっかりしろ!」

 そう叫んだのは、すでに満身創痍に見えるフューズだった。
 左腕をヘルハウンドに噛ませたまま、右腕で剣を振い、その首を落とす。
 その次に魔物を殺したのは、Bランクの戦士であるエイベルだった。それは偶然か、はたまた必然か。少なくとも、自身よりも上位のランクの魔物の喉を掻っ切った。
 それに続くように他も迎撃を始める。

 「まだ来る……」

 エヴァニスのその言葉には、はっきりと絶望の色が窺える。それでも、それに染まり切ってはいない。
 土魔術と水魔術の複合魔術で、迫る魔物たちの足元に泥をつくり、足止めをする。
 その鈍った動きに、戦士陣は攻撃をたたみかける。
 いける。そうエヴァニスが思うことはできない。すでに新たな魔物が召喚されていたからだ。
 先ほどと同じ、Aランク以上の魔物が100近く。だが、希望が少し、少しだけエヴァニスには見えた。
 大魔族の魔力量が、明らかに減っている。明確にと、そう言えるほどに。
 あと召喚できたとしても、もう一度だけだと考えられる。
 魔物を殲滅する速度も、10秒に1体、5秒に1体、2秒に1体と、確実に速くなっていく。
 体力を温存しつつも、確実に、魔物の数を減らしていく。

 「おい、あれ!」

 遠距離から魔術を合わせ続けるティレイが叫ぶ。
 その指の指し示す方向を見て、エヴァニスも顔に喜びの色を浮かばさずにはいられなかった。
 待ちに待った増援。それも、この場に相応ではない戦力ではなく、治癒術師という回復役。
 ニルドのように最前線で戦っている面々は、負傷によって確実にパフォーマンスが落ちていた。
 その状況での治癒術師の投入。それは、この場で戦っている者にとって、願ってもいないことであった。
 当然大魔族もそれを理解しているのか、魔物を数体向かわせる。
 だが、その増援を簡単に殺させるほど、冒険者たちは間抜けではなかった。その動きを見逃さずに、最優先で殺しにかかる。
 それを受けてか、それともその時だったからか、エヴァニスにはわからなかったが、大魔族が叫んだ。

 「いいじゃないか! 想定以上だ!」

 先ほどまでの声よりも高い、少し興奮して上ずっているような、そんな声が上がる。

 「君たちには敬意を払おう。……そこでだ、次からは一つ段階をあげよう」

 段階をあげる。その言葉の意味は、そのままの通り、大魔族がまだ余力を残していることを示す。
 魔力もほぼ使い切っているのにどうやって。エヴァニスがそう心の中で問おうとした瞬間。ついさっき、エヴァニスを恐怖の底に落とした時以上の、圧倒的な魔力の塊が現れた。
 エヴァニスの視界では、戦闘が始まって以降、常に魔力で敵を見ている。そしてその視界で常に存在感を放っていた黒い魔力。それがそこを着こうとした瞬間、最初に見た時以上の魔力量まで膨れ上がった。
 その時大魔族のしたことは、ただ手の中で何かを握りつぶした。それのみである。

 「さぁ楽しんでいってくれ!」

 その言葉と共に、再度、地面の窪みに魔力が満ちていく。そこまでは先ほどと同じ。エヴァニス以外には、全く変わらないように見えず、溜まっていく魔力すらも見えていない。
 しかし、エヴァニスの視界に映るものは違っていた。
 今までと全く密度の違う魔力、描かれていく魔術陣の術式の規模、そして何より減った魔力量が違っている。
 一つ一つの魔術陣に魔力を流す時間も長くなっており、ざっくり十倍である。それだけで、エヴァニスは何を召喚しようとしているのかを理解した。
 始祖の72種。それを目の前の大魔族は、複数体も召喚しようとしている。
 治癒術師が来たとはいえ、Sランクの魔物が複数体も現れれば、確実に負ける。
 5体はすでに召喚され、ただ命令を待っている。
 エヴァニスも召喚魔術の妨害術式を組もうとするが、丁寧に対策されており、対処のしようがない。
 無理だ。エヴァニスがそう諦めようとした瞬間、召喚魔術の魔術陣に流れる魔力が乱れ、そして霧散した。
 魔力を流していた右腕を失ったことによる、術式の不発動。
 それを為したのは、エヴァニスが心の中で勝手に完全に死んだものとして処理しようとしていた、Bランクの新人冒険者、ファルスであった。
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