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第八章 女神の審判
第214話 血の覚悟
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船橋に到着すると、既に元クリスフォラス家のクルーたちが着席しており、ウィリアムから送られた監視カメラの映像の解析に当たっていた。最早数えるのも億劫になるほどの無数のディスプレイには無人の都市アージアの様子が映し出されている。
彼らはミアリーゼたちが入室したのを確認すると手を止めて立ち上がろうとするが。
「そのままで構いません、状況は?」
ミアリーゼはそのまま艦長席へ腰を下ろして自ら指揮にあたる。ユーリとシャーレとシオンはミアリーゼの横で待機する。
「はい。状況は依然として変わらず、ルーメンと思しき動きはありません。アージア近郊及び、都市内の監視カメラを遡って解析していますが、確認できたのはベルナーデと呼称される融合型魔術武装一機のみでした」
映像を解析していた男性オペレーターが淀みなく応える。
やはりこの短時間では、期待以上の成果は得られないか。それ以上にシャーレとシオン、ヒナミ、アイリが接敵したという融合型魔術武装――殺戮怪魔。かつてスラム街へ足を運んだ折に、垣間見た悪意の権化であったマークス・ガレリアンと呼ばれた男の成れの果ての姿が姫の脳裏にチラつく。
ミアリーゼにとって因縁浅からぬ相手だったが、ファルラーダ・イル・クリスフォラスの手により討滅されている。そのことはいいが、問題は単独で行動していた動機と奴が保有していた固有能力だ。
「そうですか、分かりました。そのベルナーデが用いたとされる光学迷彩は監視カメラで捉えることはできません。非常に厳しい状況ですが、僅かな塵の動きも見逃さず、警戒にあたってください」
「「「「御意!」」」」
光学迷彩は肉眼や映像はおろか、熱源及び魔力探知すらすり抜けて監視の目を掻い潜ってくる非常に厄介な特性を誇っている。
恐らく開発にはそれなりのコストがかかっている筈なので現時点で量産の目処は付いていないと信じたい。ルーメンにクーリア・クロウ・ククルウィッチ含めた技術者たちの流出を許したのは、他ならぬミアリーゼの責任なのだから。
「現状、主導権はお兄様たちが握っていると言わざるを得ません。光学迷彩だけならまだしも、向こうには転移スキルを扱うイリスがいるのなら尚更……」
厳重警戒態勢を敷いていても、網をくぐり抜ける術をグレンファルトたちはいくつも持っている。
いつ、どのタイミングで奇襲を仕掛けてくるのか分からない現状、こちらは時間が経過する度に神経を擦り減らして疲弊していくだけ。加えて首都エヴェスティシアへの侵攻も同時に警戒しなければならない。常に後手に回るしかない状況で、ミアリーゼたちは都度対応していかなければならない。
それを皆が理解している中、シャーレがミアリーゼの言葉に付け加える。
「イリスさんの狙いは兄さんの命とエレミヤさんの身柄の確保、そしてクーリアさんの本命がミグレットちゃんだと考えると、向こうも大胆に攻め入る事はできないのかもしれませんね。
特にミグレットちゃんに至っては居場所を掴んでいない様子ですし、彼女は既に市庁舎を発っているんですよね?」
ミアリーゼたちを殺すだけなら、今すぐ堂々と攻め入ればいい。それだけで向こうには充分な勝算がある筈。そうしないのは、ルーメンにとって見過ごせない存在がいて、慎重に動かならざるを得ないからだろう。逆をいえば、ミグレットが敵の手に渡った時点でミアリーゼたちは詰む。
「えぇ。情報漏洩の可能性を考えて彼女の避難場所は私にも知らされておりません。エレミヤもどこの部屋に運んだか知っているのは、私と他二名だけに限定していますわ」
ウィリアム・クロイスと連絡が取れた時点で最優先でミグレットを市庁舎から移動させた。現在療養中のエレミヤも念には念を入れて、情報を最低限に抑えている。
シャーレは考え込む素振りを見せて納得すると、何かを決意したように真剣な表情で告げる。
「それなら、すぐにどうこうはなさそうですね。ミアリーゼ様、少しだけ兄さんと二人きりにさせてほしいのですが、よろしいですか?」
「二人きり、ですか?」
何もこんな非常時に、とミアリーゼは思ったが、今だからこそ話さなければならない何かがあるのだと理解した。
「シャーレ、まさかお前」
ユーリも妹の緊張した面持ちを見て、何かを察したらしい。シャーレは胸の内に秘めていた決意を改めて述べる。
「クリスフォラス卿が仰ってましたよね? 現時点で戦えるのは私しかいないと。だけど今の私ではレーベンフォルン卿に勝つことができません」
グランドクロスとして君臨していたグレンファルトの実力は未知数だ。仮にテスタロッサやファルラーダと同程度と想定しても、神遺秘装を失ったシャーレでは絶対に太刀打ち出来ない。
「今の、ということは何か秘策があると?」
ミアリーゼはシャーレがヴァンパイヤのハーフである事実を知らない。ユーリの異母兄妹であることと、何かしら特別な力を持って生まれた存在であることは把握しているが、詳しい事情を追及できずに胸の内に留めていたのだ。
「はい。あまり時間はありませんので、詳しい事情は戦いが終わってから説明します。許可していただけますか?」
ミアリーゼが拒否を示せば、恐らくシャーレは従うだろう。表情から見るに、明らかに不安を隠しきれていないし、どこか止めてほしそうにも見える。これからシャーレがやろうとしていることが何かは分からないが、相応の覚悟を決めての発言だと納得したミアリーゼは。
「分かりました。あなたを信じますわ、シャーレ。通路を出てすぐ左側に休憩室がありますので、そこを使ってください。今なら誰もおりませんし、クルーにも不用意に入らないよう通達しておきます」
「ありがとうございます、ミアリーゼ様」
ミアリーゼがシャーレを信じるなど、以前までなら考えられなかった。人生何が起きるか分からない。初めて出会った時の異様な邪悪さは、何だったのかと思ってしまう。
「シャーレ、あなたは以前私に生きることは殺すこと、命は全てに対して平等でそこに善も悪も関係ないと仰っていましたわね?」
「えぇ、あなたが初めて擬似宇宙空間に足を運んだ際に言いましたね。あの時のミアリーゼ様は、殺すことは悪いことだと思っていたようなので差し出がましく忠告させていただいたんです」
かつての甘い考えを持っていたミアリーゼの価値観を一刀両断した言葉だったからよく覚えている。
「今なら分かります。私は決して正義なのではないと。客観的事実だけ見れば、私もシャーレも多くの人を殺したという事に変わりありませんでした」
ミアリーゼは善のために多くの人々を殺し、シャーレは悪を体現せしめんと多くの人々を殺した。ある種対極的な二人だが、行為そのものは全く同じだ。
「そうですね。私たちは人殺しです」
シャーレもミアリーゼに対してある種の共感のような感情を懐き、同意する。
「私もあなたも等しく大きな罪を抱えています。ですが私はこれからも、善も悪も関係なく本当に守りたいもののために戦い続けることでしょう。
あなた一人に責任は負わせません。あなたの命も平等に大切だと私は思っています。ですので自らの命を蔑ろにすることだけはしないでくださいね?」
シャーレが命をかけてミアリーゼたちを守ろうとするなら、ミアリーゼたちも命をかけてシャーレを守ろう。少し遠回りな言い方になってしまったが、要は一人で背負い込んで戦おうとしているシャーレの重荷を慮ったのだ。
「うふふ、そうですね。多くの人々を殺した私たちだからこそ、自分の命を無価値だと切り捨てていい筈がありませんよね。大丈夫です、ミアリーゼ様。兄さんがいる限り、命を粗末に扱うことはしませんから」
そう言ってシャーレは、大好きな兄の手を取って微笑み、そのまま身体を寄せる。他を寄せ付けぬ兄妹愛を育むシャーレとユーリを見て、ミアリーゼの頬が僅かにヒクついたが、皆気付かないフリをした。
◇
そして兄と妹は腕を組んだまま――ミアリーゼとシオンがどこか羨ましげな視線で見送っていたが――ブリッジを出て休憩室へと足を運んでいく。
先程ミアリーゼが言っていた通り、中には誰もいない。これなら何かをしていても気付かれることはない。そして二人はそのまま出入り口付近で立ち止まる。ユーリは腕を組むシャーレの身体が僅かに震えていることに気付き、安心させるようにそっと優しく抱き寄せる。
「血……だよな? シャーレ、ヴァンパイヤのスキルを使って戦うんだろ」
「はい。吸血スキルを使えば、一時的にですが限りなく不死に近づくことができます。血霊液が使えない以上、この身に宿ったヴァンパイヤの力を使う他ありません。そのためには……」
「…………」
その先は言わなくていいと、ユーリは抱きしめる腕に力を込めた。グランドクロスに対抗するため、シャーレに残された手段は吸血スキルを用いて能力を底上げすることだけ。
吸血スキルの発動には、生物の生き血を口を通して啜る必要がある。そうすることでヴァンパイヤの能力を底上げすることができる。
だけどそれは、生後一度として吸血行為を行わなかったシャーレにとって非常に酷な話だ。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーとして活動していた時ですら、忌避していた行いに自ら手を伸ばそうとしている。皆を守るためとはいえ、それがどれ程覚悟がいる行為か分からないユーリではない。
「俺が、制限解除使って」
「駄目です!」
シャーレの代わりに戦う――そう告げようとしたユーリの言葉を泣きそうな顔で否定した。
「兄さん……強く抱きしめているつもりなんでしょうが全然力が入ってませんよ? こんな状態で制限解除なんて使ったら、今度こそ死んでしまいます」
「シャーレ……」
ミグレットの治癒包帯で身体の傷は治っていても、肉体疲労と魔力の消耗は誤魔化せない。ユーリは何ともなさそうにしているが、今も身体全身に激痛が走っている筈。エレミヤやアリカ、ナギが意識を保つことすらできない程消耗しているのに、同じくらい疲労したユーリが平気なわけがない。
「私は、ベルナーデとの戦いで死にかけました。クリスフォラス卿が来てくれなかったら今頃、シオンちゃんもヒナミさんもアイリさんも殺されていた。だけどそれは、ヴァンパイヤの能力があれば防げていたことなんです! スキルなんてなくても大丈夫だという私の驕りが皆を危険に晒した……だからッ」
打てる手はあるのに、それをせずに大切な人たちを守れずに死ぬなんて絶対に嫌だ。血さえ使わなければ吸血衝動は発動しない。けれど、血がないと皆を守れないならシャーレは迷わず後者を選ぶ。
「お願いします……皆を守るために、兄さんの血を吸わせてください」
こんなこと、最愛の兄にしか頼めないし、見せたくない。血を啜って生きる忌むべき化け物――そんな風に思われるのが嫌で、人間の紛い物であることが何よりも許せなくて……それでも大切な皆を守りたいから。託してくれたファルラーダに報いたいから。
「こんな醜い私でも、兄さんは愛してくれますか?」
血が吸えると、本能が歓喜に震え、僅かにシャーレの瞳から赫が灯り出す。そこから零れ落ちる涙と、縋るように不安げな眼差しで兄を見つめる妹の問いかけを。
「あぁ、勿論」
一切の躊躇を見せず、ユーリは二つ返事で頷いた。
彼らはミアリーゼたちが入室したのを確認すると手を止めて立ち上がろうとするが。
「そのままで構いません、状況は?」
ミアリーゼはそのまま艦長席へ腰を下ろして自ら指揮にあたる。ユーリとシャーレとシオンはミアリーゼの横で待機する。
「はい。状況は依然として変わらず、ルーメンと思しき動きはありません。アージア近郊及び、都市内の監視カメラを遡って解析していますが、確認できたのはベルナーデと呼称される融合型魔術武装一機のみでした」
映像を解析していた男性オペレーターが淀みなく応える。
やはりこの短時間では、期待以上の成果は得られないか。それ以上にシャーレとシオン、ヒナミ、アイリが接敵したという融合型魔術武装――殺戮怪魔。かつてスラム街へ足を運んだ折に、垣間見た悪意の権化であったマークス・ガレリアンと呼ばれた男の成れの果ての姿が姫の脳裏にチラつく。
ミアリーゼにとって因縁浅からぬ相手だったが、ファルラーダ・イル・クリスフォラスの手により討滅されている。そのことはいいが、問題は単独で行動していた動機と奴が保有していた固有能力だ。
「そうですか、分かりました。そのベルナーデが用いたとされる光学迷彩は監視カメラで捉えることはできません。非常に厳しい状況ですが、僅かな塵の動きも見逃さず、警戒にあたってください」
「「「「御意!」」」」
光学迷彩は肉眼や映像はおろか、熱源及び魔力探知すらすり抜けて監視の目を掻い潜ってくる非常に厄介な特性を誇っている。
恐らく開発にはそれなりのコストがかかっている筈なので現時点で量産の目処は付いていないと信じたい。ルーメンにクーリア・クロウ・ククルウィッチ含めた技術者たちの流出を許したのは、他ならぬミアリーゼの責任なのだから。
「現状、主導権はお兄様たちが握っていると言わざるを得ません。光学迷彩だけならまだしも、向こうには転移スキルを扱うイリスがいるのなら尚更……」
厳重警戒態勢を敷いていても、網をくぐり抜ける術をグレンファルトたちはいくつも持っている。
いつ、どのタイミングで奇襲を仕掛けてくるのか分からない現状、こちらは時間が経過する度に神経を擦り減らして疲弊していくだけ。加えて首都エヴェスティシアへの侵攻も同時に警戒しなければならない。常に後手に回るしかない状況で、ミアリーゼたちは都度対応していかなければならない。
それを皆が理解している中、シャーレがミアリーゼの言葉に付け加える。
「イリスさんの狙いは兄さんの命とエレミヤさんの身柄の確保、そしてクーリアさんの本命がミグレットちゃんだと考えると、向こうも大胆に攻め入る事はできないのかもしれませんね。
特にミグレットちゃんに至っては居場所を掴んでいない様子ですし、彼女は既に市庁舎を発っているんですよね?」
ミアリーゼたちを殺すだけなら、今すぐ堂々と攻め入ればいい。それだけで向こうには充分な勝算がある筈。そうしないのは、ルーメンにとって見過ごせない存在がいて、慎重に動かならざるを得ないからだろう。逆をいえば、ミグレットが敵の手に渡った時点でミアリーゼたちは詰む。
「えぇ。情報漏洩の可能性を考えて彼女の避難場所は私にも知らされておりません。エレミヤもどこの部屋に運んだか知っているのは、私と他二名だけに限定していますわ」
ウィリアム・クロイスと連絡が取れた時点で最優先でミグレットを市庁舎から移動させた。現在療養中のエレミヤも念には念を入れて、情報を最低限に抑えている。
シャーレは考え込む素振りを見せて納得すると、何かを決意したように真剣な表情で告げる。
「それなら、すぐにどうこうはなさそうですね。ミアリーゼ様、少しだけ兄さんと二人きりにさせてほしいのですが、よろしいですか?」
「二人きり、ですか?」
何もこんな非常時に、とミアリーゼは思ったが、今だからこそ話さなければならない何かがあるのだと理解した。
「シャーレ、まさかお前」
ユーリも妹の緊張した面持ちを見て、何かを察したらしい。シャーレは胸の内に秘めていた決意を改めて述べる。
「クリスフォラス卿が仰ってましたよね? 現時点で戦えるのは私しかいないと。だけど今の私ではレーベンフォルン卿に勝つことができません」
グランドクロスとして君臨していたグレンファルトの実力は未知数だ。仮にテスタロッサやファルラーダと同程度と想定しても、神遺秘装を失ったシャーレでは絶対に太刀打ち出来ない。
「今の、ということは何か秘策があると?」
ミアリーゼはシャーレがヴァンパイヤのハーフである事実を知らない。ユーリの異母兄妹であることと、何かしら特別な力を持って生まれた存在であることは把握しているが、詳しい事情を追及できずに胸の内に留めていたのだ。
「はい。あまり時間はありませんので、詳しい事情は戦いが終わってから説明します。許可していただけますか?」
ミアリーゼが拒否を示せば、恐らくシャーレは従うだろう。表情から見るに、明らかに不安を隠しきれていないし、どこか止めてほしそうにも見える。これからシャーレがやろうとしていることが何かは分からないが、相応の覚悟を決めての発言だと納得したミアリーゼは。
「分かりました。あなたを信じますわ、シャーレ。通路を出てすぐ左側に休憩室がありますので、そこを使ってください。今なら誰もおりませんし、クルーにも不用意に入らないよう通達しておきます」
「ありがとうございます、ミアリーゼ様」
ミアリーゼがシャーレを信じるなど、以前までなら考えられなかった。人生何が起きるか分からない。初めて出会った時の異様な邪悪さは、何だったのかと思ってしまう。
「シャーレ、あなたは以前私に生きることは殺すこと、命は全てに対して平等でそこに善も悪も関係ないと仰っていましたわね?」
「えぇ、あなたが初めて擬似宇宙空間に足を運んだ際に言いましたね。あの時のミアリーゼ様は、殺すことは悪いことだと思っていたようなので差し出がましく忠告させていただいたんです」
かつての甘い考えを持っていたミアリーゼの価値観を一刀両断した言葉だったからよく覚えている。
「今なら分かります。私は決して正義なのではないと。客観的事実だけ見れば、私もシャーレも多くの人を殺したという事に変わりありませんでした」
ミアリーゼは善のために多くの人々を殺し、シャーレは悪を体現せしめんと多くの人々を殺した。ある種対極的な二人だが、行為そのものは全く同じだ。
「そうですね。私たちは人殺しです」
シャーレもミアリーゼに対してある種の共感のような感情を懐き、同意する。
「私もあなたも等しく大きな罪を抱えています。ですが私はこれからも、善も悪も関係なく本当に守りたいもののために戦い続けることでしょう。
あなた一人に責任は負わせません。あなたの命も平等に大切だと私は思っています。ですので自らの命を蔑ろにすることだけはしないでくださいね?」
シャーレが命をかけてミアリーゼたちを守ろうとするなら、ミアリーゼたちも命をかけてシャーレを守ろう。少し遠回りな言い方になってしまったが、要は一人で背負い込んで戦おうとしているシャーレの重荷を慮ったのだ。
「うふふ、そうですね。多くの人々を殺した私たちだからこそ、自分の命を無価値だと切り捨てていい筈がありませんよね。大丈夫です、ミアリーゼ様。兄さんがいる限り、命を粗末に扱うことはしませんから」
そう言ってシャーレは、大好きな兄の手を取って微笑み、そのまま身体を寄せる。他を寄せ付けぬ兄妹愛を育むシャーレとユーリを見て、ミアリーゼの頬が僅かにヒクついたが、皆気付かないフリをした。
◇
そして兄と妹は腕を組んだまま――ミアリーゼとシオンがどこか羨ましげな視線で見送っていたが――ブリッジを出て休憩室へと足を運んでいく。
先程ミアリーゼが言っていた通り、中には誰もいない。これなら何かをしていても気付かれることはない。そして二人はそのまま出入り口付近で立ち止まる。ユーリは腕を組むシャーレの身体が僅かに震えていることに気付き、安心させるようにそっと優しく抱き寄せる。
「血……だよな? シャーレ、ヴァンパイヤのスキルを使って戦うんだろ」
「はい。吸血スキルを使えば、一時的にですが限りなく不死に近づくことができます。血霊液が使えない以上、この身に宿ったヴァンパイヤの力を使う他ありません。そのためには……」
「…………」
その先は言わなくていいと、ユーリは抱きしめる腕に力を込めた。グランドクロスに対抗するため、シャーレに残された手段は吸血スキルを用いて能力を底上げすることだけ。
吸血スキルの発動には、生物の生き血を口を通して啜る必要がある。そうすることでヴァンパイヤの能力を底上げすることができる。
だけどそれは、生後一度として吸血行為を行わなかったシャーレにとって非常に酷な話だ。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーとして活動していた時ですら、忌避していた行いに自ら手を伸ばそうとしている。皆を守るためとはいえ、それがどれ程覚悟がいる行為か分からないユーリではない。
「俺が、制限解除使って」
「駄目です!」
シャーレの代わりに戦う――そう告げようとしたユーリの言葉を泣きそうな顔で否定した。
「兄さん……強く抱きしめているつもりなんでしょうが全然力が入ってませんよ? こんな状態で制限解除なんて使ったら、今度こそ死んでしまいます」
「シャーレ……」
ミグレットの治癒包帯で身体の傷は治っていても、肉体疲労と魔力の消耗は誤魔化せない。ユーリは何ともなさそうにしているが、今も身体全身に激痛が走っている筈。エレミヤやアリカ、ナギが意識を保つことすらできない程消耗しているのに、同じくらい疲労したユーリが平気なわけがない。
「私は、ベルナーデとの戦いで死にかけました。クリスフォラス卿が来てくれなかったら今頃、シオンちゃんもヒナミさんもアイリさんも殺されていた。だけどそれは、ヴァンパイヤの能力があれば防げていたことなんです! スキルなんてなくても大丈夫だという私の驕りが皆を危険に晒した……だからッ」
打てる手はあるのに、それをせずに大切な人たちを守れずに死ぬなんて絶対に嫌だ。血さえ使わなければ吸血衝動は発動しない。けれど、血がないと皆を守れないならシャーレは迷わず後者を選ぶ。
「お願いします……皆を守るために、兄さんの血を吸わせてください」
こんなこと、最愛の兄にしか頼めないし、見せたくない。血を啜って生きる忌むべき化け物――そんな風に思われるのが嫌で、人間の紛い物であることが何よりも許せなくて……それでも大切な皆を守りたいから。託してくれたファルラーダに報いたいから。
「こんな醜い私でも、兄さんは愛してくれますか?」
血が吸えると、本能が歓喜に震え、僅かにシャーレの瞳から赫が灯り出す。そこから零れ落ちる涙と、縋るように不安げな眼差しで兄を見つめる妹の問いかけを。
「あぁ、勿論」
一切の躊躇を見せず、ユーリは二つ返事で頷いた。
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