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五十六話『陽気なお姉さん』
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沙穂さんと奇遇にもお出かけ先が同じだった土曜日。書店で別れた後に拾ったハンカチを落とし物センターに届けたら、落とし主がいて予想以上に感謝されてしまっている。相手の視線はずっと手に握られているハンカチに向けられていた。
「本当にありがとう。しっかりポケットにしまったと思ってた、の……よ」
視線を上げて私の顔を見たかと思うと、目を丸くしてパチパチとしている。面を食らったと言うか、鳩が豆鉄砲を食らったと言うか。
「ど、どうかされましたか?」
なんだろ、私の顔に何かついているのかな? まさか、さっき食べたクレープのチョコかホイップが……、いや、ついていたら沙穂さんが教えてくれるだろうから、それはないか。寝癖とかはちゃんと直してきたし。
「あら、ごめんなさい。拾ってくれたのがこんなに可愛い子だとは思わなくて、驚いちゃったわ」
「え、えっと。ありがとうございます」
唐突に褒められたことで、今度は私が驚いてしまった。社交辞令的なものだったとしても、言われて嫌な気分になることはない。
「あなた、甘いものは好きかしら?」
ハンカチの落とし主は、私から受け取ったハンカチを指差し確認しながらショルダーバッグにしまうと、そう尋ねてきた。
「はい。好き、ですけれど」
困惑しながら素直に答えると、ニコッと笑いーー
「じゃあ、食べに行きましょう。お礼しないとバチが当たるわ」
ーーそう言って歩き出した。
「え? あの」
こちらの声に耳を傾けることなく、ドンドン先に進んでいってしまう。落とし物を届けただけの恩返しにしては過剰だと思い断ろうとしたのだが、一切聞いてくれない。かといって、このまま立ち去ってしまうのもそれはそれで失礼すぎるので、あれよあれよとついていった。
到着したのは施設内のケーキが評判の喫茶店。店内は盛況な様子だが、まだ席に少しは余裕がありそうだ。
席が埋まっていたら遠慮できるかもしれないと思っていたけれど、それもできないか。小さい頃に「知らない人にはついていかない」と口を酸っぱくして注意された気がするけれどーー
「何にしようかしら。ショートケーキもいいけど、タルトも捨てがたいわ~」
席に案内されながらまだ困惑中の私の隣で、お兄さんは幸せな悩みを口にしながら笑顔を浮かべている。
ーー悪い人には見えないんだよね。
結局流れに逆らうことができず、スイーツを奢ってもらうことになってしまった。店奥のソファ席で、お兄さんテーブルに置かれているメニュー表をキラキラした瞳で見つめている。
「どれにしようかしら~。悩むわ~。あなたは決まった?」
「あー、えっと。じゃあ、オレンジタルトと紅茶で」
お昼にクレープ食べちゃったから、クリーム系はやめておこう。でも気にはなるなあ。
「いいわね、タルト。私もそうしようかしら。すみませーん」
注文が決まると、迷っていたとは思えないほどあっさり店員さんを呼んだ。私の決めた品で、何を頼むか定まったのだろうか。
「ご注文をお伺い致します」
「オレンジタルト二つと、ガトーショコラとモンブラン。あと、紅茶二つお願いします」
頼まれたケーキは合計で四つ。迷った結果全部頼むという結論に至ったのだろうか。
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員さんが会釈をして下がって見えなくなると、お兄さんはルンルン笑顔で待っている。女性の私から見ても、羨ましくなるくらい可愛い人だと思う。
「私の顔に何かついてるかしら?」
つい見つめてしまっていると、少し不安そうに顔に触れて何かついていないか確認していた。
「す、すみません。綺麗だなと思いまして」
「あら、褒められちゃった。嬉しいわね、若い子に褒められると余計に」
お兄さんは口元に手を当てて上品に笑った。所作も含めて、私よりも女性らしいと感じる。
「私、神谷 アオ。ごめんさい、自己紹介が遅れちゃって」
「古町 琉歌です。気になさらないでください。むしろその、ケーキご馳走になってしまって、すみません」
「いいのよ。それだけあのハンカチは大切な物なの。それを落とすとか、一生の不覚よ全く」
アオさんは大きなため息を吐くと、顔を左右に振って笑顔に戻った。感情豊かで強引なところもあり、志穂ちゃんに似ている気もするが、志穂ちゃんと比べるととても大人だ。
まあ、実際に大人なんだからそうだよね。
「琉歌ちゃん、でいいかしら? 今日はお買い物?」
沈黙を作らないように、アオさんから話題を振ってくれた。現在若干緊張中の私にはありがたい。
「はい。雑貨とお菓子作りの材料を。あ、この本は予定外なんですけれど」
「いいわね、お菓子づくり。私も子供の頃にやっていたわ~。久しぶりに作ろうかしら。何を作るの?」
「クッキーと、羊羹を」
「うーん、和洋折衷でいいわね」
一回一回楽しそうに反応してくれて、とても話しやすい。初対面のはずなのに、親戚の叔母さんみたいだ。
「アオさんもお買い物ですか?」
「そうね。友達と会うまでの時間潰しだけど。別の予定と間違えて、早く来すぎちゃったのよ」
アオさんは自分に呆れたように言うと「琉歌ちゃんに会えたから結果オーライね」と付け加えた。人生の参考にしたいぐらいポジティブな人だ。
「お待たせいたしました」
話をしていると、注文したケーキと紅茶が到着した。さすが評判のお店と言ったところか、どのケーキも芸術品のように綺麗だ。紅茶からも良い香りが漂ってくる。
七津さんが淹れた紅茶もこんな感じだったなぁ。志穂ちゃんが言っていたお店レベルっていうのも、大袈裟な評価じゃないかも。
「どれも美味しそう。……いただきます」
アオさんはモンブランを一口食べると、小さく唸って満面の笑みで小さく揺れた。とても美味しかったようで、私もタルトへの期待が高まる。
「いただきます」
キラリと艶やかに光るオレンジで飾られたタルトを一口食べる。砂糖の甘さと生地から伝わるバターの香り。そして、柑橘系の爽やかな味わいが広がる。甘いのにくどくなく、何個でも食べられてしまいそう気がする。
美味しい。夢国さんたち、先輩たちにも教えてあげよう。近場だから知っているかもしれないけれど。
「スイーツって良いわよね~。幸せに溺れちゃいそう」
「甘いものお好きなんですね」
「ええ、大好き。でも、一緒に食べに来てくれる人いないから、普段は一人で食べててちょっと寂しいのよ。だから、今日は琉歌ちゃんと一緒に食べられて嬉しいわ」
すごい幸せそうに食べるから、私もなんか嬉しくなっちゃう。アオさん、今日は友達の予定があって早く来すぎたと言っていたけれど、その人とは甘いものが苦手なのかな。
その後も他愛のない会話をしながら一緒にケーキを食べた。初めて会った人とその日に一緒に食事をすることになるなんて、今までの私なら全く考えられない。いや、今の私でも信じられないことだ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。……帰りにジム行こうかしら」
綺麗だけど体格いいしガッチリしていると思ったら、鍛えてたんだ。
「まだ少し時間あるわね」
ゆっくりお話ししながら食べていたので、時間は十五時。改めて随分と長くお話ししていたのだと感じる。
「ま。あの子も真面目でくるの早かったりするし、待ち合わせ場所行ってみようかしら」
「そしたらここでお別れですね。楽しかったです。それと、ごちそうさまでした」
「私も楽しかったわ。ありがとうと、どういたしまして。かしら?」
別れの挨拶を済ませて別々に動こうとすると、進行方向が同じで一瞬動きが固まった。私の雑貨店巡りは一回から始まるので、アオさんが外で待ち合わせをしているなら、不思議なことではない。
「ふふ。もう少し、お話ししましょうか」
「そうですね」
お別れだと思っていたのに、少し伸びたお話し時間に二人で笑いながら歩く。アオさんが気を遣ってくれたのか、雑貨屋さんの近くまで一緒に歩いていた。
目前の雑貨屋さんに視線を向けると、見覚えのある後ろ姿が映った。青いジーンズに黒のダウンジャケット。首元までの黒髪。百七十くらいの背丈。
「やとーー」
「あら。もう来てたのね」
私が名前を呼ぼうとすると。アオさんの方が先に反応した。驚いて喉の動きが止まって続きの言葉は出てこなかった。自然に八戸波先生に近づいていくアオさんを止めるでも何を言うでもなく、私はその後ろをついて行った。
「習ー。ちょっと早いんじゃない?」
「あ? なんだ蒼司か。その様子じゃお前のが早いだろ」
八戸波先生は学校で話している時よりも、口調が少し荒っぽかった。それでも、その声が先生であることを確定させた。
「こんにちは、八戸波先生」
「って、古町。奇遇だな……。今、蒼司と一緒にきたよな」
「私も絶賛驚き中よ。というか、いい加減アオって呼んでくれない?」
「今更だろうが」
先生とアオさん、付き合い長いのかな。すごい親しげに見える。恋人とかそう言う感じではなさそうだけれど。もしかしたら、先生が私と誰を間違えたのか知っているかもしれない。でも、それって聞いていい事なのかな。
「あー、こいつは神谷 蒼司。小学校から続いた腐れ縁だ」
私が考え込んでいると、ずっと見つめられていると感じた八戸波先生がアオさんのことを紹介してくれた。その態度からして、かなり気安い中なのだと感じる。
蒼司でアオか。カッコイイ系の名前だから、気にしているのかな。確かに体格は良いけれど、可愛いし綺麗だもんね、アオさん。
「で、琉歌ちゃんはあんたの生徒ってことね。世間は狭いわねー」
「そうだけど、なんで一緒にいたんだよお前」
「カクカクシカジカってやつよ。ほら、邪魔しちゃ悪いし、大人は退散しましょ。またね、琉歌ちゃん」
引き止めようとも考えたのだが、今回はアオさんと二人のプライベート。この後の予定をズラさせてしまうのも申し訳ないし、もしかしたらお店の予約とかもしているかもしれない。そう考えると、ここで我儘は言えなかった。
「さようなら、アオさん。先生もまた学校で」
「おう、蒼司の相手してくれてありがとな。……知らないやつにホイホイついていくなよ」
去り際に先生は私の頭をポンと叩いてアオさんと一緒に外に出てしまった。二人の姿が見えなくなってから、頭に残った熱にそっと触れる。久しぶりに感触だからか、自然と体全体がポゥっと熱くなるのを感じる。
八戸波先生が立っていたところの雑貨を確認すると、猫型の懐中時計が見えた。他にも置いてあるので違うかもしれないが、先生はこれを見ていた気がする。
「……今日は食材だけ買って帰ろうかな」
もしかしたら、先生がまたきたときに欲しいかもしれないし。
「本当にありがとう。しっかりポケットにしまったと思ってた、の……よ」
視線を上げて私の顔を見たかと思うと、目を丸くしてパチパチとしている。面を食らったと言うか、鳩が豆鉄砲を食らったと言うか。
「ど、どうかされましたか?」
なんだろ、私の顔に何かついているのかな? まさか、さっき食べたクレープのチョコかホイップが……、いや、ついていたら沙穂さんが教えてくれるだろうから、それはないか。寝癖とかはちゃんと直してきたし。
「あら、ごめんなさい。拾ってくれたのがこんなに可愛い子だとは思わなくて、驚いちゃったわ」
「え、えっと。ありがとうございます」
唐突に褒められたことで、今度は私が驚いてしまった。社交辞令的なものだったとしても、言われて嫌な気分になることはない。
「あなた、甘いものは好きかしら?」
ハンカチの落とし主は、私から受け取ったハンカチを指差し確認しながらショルダーバッグにしまうと、そう尋ねてきた。
「はい。好き、ですけれど」
困惑しながら素直に答えると、ニコッと笑いーー
「じゃあ、食べに行きましょう。お礼しないとバチが当たるわ」
ーーそう言って歩き出した。
「え? あの」
こちらの声に耳を傾けることなく、ドンドン先に進んでいってしまう。落とし物を届けただけの恩返しにしては過剰だと思い断ろうとしたのだが、一切聞いてくれない。かといって、このまま立ち去ってしまうのもそれはそれで失礼すぎるので、あれよあれよとついていった。
到着したのは施設内のケーキが評判の喫茶店。店内は盛況な様子だが、まだ席に少しは余裕がありそうだ。
席が埋まっていたら遠慮できるかもしれないと思っていたけれど、それもできないか。小さい頃に「知らない人にはついていかない」と口を酸っぱくして注意された気がするけれどーー
「何にしようかしら。ショートケーキもいいけど、タルトも捨てがたいわ~」
席に案内されながらまだ困惑中の私の隣で、お兄さんは幸せな悩みを口にしながら笑顔を浮かべている。
ーー悪い人には見えないんだよね。
結局流れに逆らうことができず、スイーツを奢ってもらうことになってしまった。店奥のソファ席で、お兄さんテーブルに置かれているメニュー表をキラキラした瞳で見つめている。
「どれにしようかしら~。悩むわ~。あなたは決まった?」
「あー、えっと。じゃあ、オレンジタルトと紅茶で」
お昼にクレープ食べちゃったから、クリーム系はやめておこう。でも気にはなるなあ。
「いいわね、タルト。私もそうしようかしら。すみませーん」
注文が決まると、迷っていたとは思えないほどあっさり店員さんを呼んだ。私の決めた品で、何を頼むか定まったのだろうか。
「ご注文をお伺い致します」
「オレンジタルト二つと、ガトーショコラとモンブラン。あと、紅茶二つお願いします」
頼まれたケーキは合計で四つ。迷った結果全部頼むという結論に至ったのだろうか。
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員さんが会釈をして下がって見えなくなると、お兄さんはルンルン笑顔で待っている。女性の私から見ても、羨ましくなるくらい可愛い人だと思う。
「私の顔に何かついてるかしら?」
つい見つめてしまっていると、少し不安そうに顔に触れて何かついていないか確認していた。
「す、すみません。綺麗だなと思いまして」
「あら、褒められちゃった。嬉しいわね、若い子に褒められると余計に」
お兄さんは口元に手を当てて上品に笑った。所作も含めて、私よりも女性らしいと感じる。
「私、神谷 アオ。ごめんさい、自己紹介が遅れちゃって」
「古町 琉歌です。気になさらないでください。むしろその、ケーキご馳走になってしまって、すみません」
「いいのよ。それだけあのハンカチは大切な物なの。それを落とすとか、一生の不覚よ全く」
アオさんは大きなため息を吐くと、顔を左右に振って笑顔に戻った。感情豊かで強引なところもあり、志穂ちゃんに似ている気もするが、志穂ちゃんと比べるととても大人だ。
まあ、実際に大人なんだからそうだよね。
「琉歌ちゃん、でいいかしら? 今日はお買い物?」
沈黙を作らないように、アオさんから話題を振ってくれた。現在若干緊張中の私にはありがたい。
「はい。雑貨とお菓子作りの材料を。あ、この本は予定外なんですけれど」
「いいわね、お菓子づくり。私も子供の頃にやっていたわ~。久しぶりに作ろうかしら。何を作るの?」
「クッキーと、羊羹を」
「うーん、和洋折衷でいいわね」
一回一回楽しそうに反応してくれて、とても話しやすい。初対面のはずなのに、親戚の叔母さんみたいだ。
「アオさんもお買い物ですか?」
「そうね。友達と会うまでの時間潰しだけど。別の予定と間違えて、早く来すぎちゃったのよ」
アオさんは自分に呆れたように言うと「琉歌ちゃんに会えたから結果オーライね」と付け加えた。人生の参考にしたいぐらいポジティブな人だ。
「お待たせいたしました」
話をしていると、注文したケーキと紅茶が到着した。さすが評判のお店と言ったところか、どのケーキも芸術品のように綺麗だ。紅茶からも良い香りが漂ってくる。
七津さんが淹れた紅茶もこんな感じだったなぁ。志穂ちゃんが言っていたお店レベルっていうのも、大袈裟な評価じゃないかも。
「どれも美味しそう。……いただきます」
アオさんはモンブランを一口食べると、小さく唸って満面の笑みで小さく揺れた。とても美味しかったようで、私もタルトへの期待が高まる。
「いただきます」
キラリと艶やかに光るオレンジで飾られたタルトを一口食べる。砂糖の甘さと生地から伝わるバターの香り。そして、柑橘系の爽やかな味わいが広がる。甘いのにくどくなく、何個でも食べられてしまいそう気がする。
美味しい。夢国さんたち、先輩たちにも教えてあげよう。近場だから知っているかもしれないけれど。
「スイーツって良いわよね~。幸せに溺れちゃいそう」
「甘いものお好きなんですね」
「ええ、大好き。でも、一緒に食べに来てくれる人いないから、普段は一人で食べててちょっと寂しいのよ。だから、今日は琉歌ちゃんと一緒に食べられて嬉しいわ」
すごい幸せそうに食べるから、私もなんか嬉しくなっちゃう。アオさん、今日は友達の予定があって早く来すぎたと言っていたけれど、その人とは甘いものが苦手なのかな。
その後も他愛のない会話をしながら一緒にケーキを食べた。初めて会った人とその日に一緒に食事をすることになるなんて、今までの私なら全く考えられない。いや、今の私でも信じられないことだ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした。……帰りにジム行こうかしら」
綺麗だけど体格いいしガッチリしていると思ったら、鍛えてたんだ。
「まだ少し時間あるわね」
ゆっくりお話ししながら食べていたので、時間は十五時。改めて随分と長くお話ししていたのだと感じる。
「ま。あの子も真面目でくるの早かったりするし、待ち合わせ場所行ってみようかしら」
「そしたらここでお別れですね。楽しかったです。それと、ごちそうさまでした」
「私も楽しかったわ。ありがとうと、どういたしまして。かしら?」
別れの挨拶を済ませて別々に動こうとすると、進行方向が同じで一瞬動きが固まった。私の雑貨店巡りは一回から始まるので、アオさんが外で待ち合わせをしているなら、不思議なことではない。
「ふふ。もう少し、お話ししましょうか」
「そうですね」
お別れだと思っていたのに、少し伸びたお話し時間に二人で笑いながら歩く。アオさんが気を遣ってくれたのか、雑貨屋さんの近くまで一緒に歩いていた。
目前の雑貨屋さんに視線を向けると、見覚えのある後ろ姿が映った。青いジーンズに黒のダウンジャケット。首元までの黒髪。百七十くらいの背丈。
「やとーー」
「あら。もう来てたのね」
私が名前を呼ぼうとすると。アオさんの方が先に反応した。驚いて喉の動きが止まって続きの言葉は出てこなかった。自然に八戸波先生に近づいていくアオさんを止めるでも何を言うでもなく、私はその後ろをついて行った。
「習ー。ちょっと早いんじゃない?」
「あ? なんだ蒼司か。その様子じゃお前のが早いだろ」
八戸波先生は学校で話している時よりも、口調が少し荒っぽかった。それでも、その声が先生であることを確定させた。
「こんにちは、八戸波先生」
「って、古町。奇遇だな……。今、蒼司と一緒にきたよな」
「私も絶賛驚き中よ。というか、いい加減アオって呼んでくれない?」
「今更だろうが」
先生とアオさん、付き合い長いのかな。すごい親しげに見える。恋人とかそう言う感じではなさそうだけれど。もしかしたら、先生が私と誰を間違えたのか知っているかもしれない。でも、それって聞いていい事なのかな。
「あー、こいつは神谷 蒼司。小学校から続いた腐れ縁だ」
私が考え込んでいると、ずっと見つめられていると感じた八戸波先生がアオさんのことを紹介してくれた。その態度からして、かなり気安い中なのだと感じる。
蒼司でアオか。カッコイイ系の名前だから、気にしているのかな。確かに体格は良いけれど、可愛いし綺麗だもんね、アオさん。
「で、琉歌ちゃんはあんたの生徒ってことね。世間は狭いわねー」
「そうだけど、なんで一緒にいたんだよお前」
「カクカクシカジカってやつよ。ほら、邪魔しちゃ悪いし、大人は退散しましょ。またね、琉歌ちゃん」
引き止めようとも考えたのだが、今回はアオさんと二人のプライベート。この後の予定をズラさせてしまうのも申し訳ないし、もしかしたらお店の予約とかもしているかもしれない。そう考えると、ここで我儘は言えなかった。
「さようなら、アオさん。先生もまた学校で」
「おう、蒼司の相手してくれてありがとな。……知らないやつにホイホイついていくなよ」
去り際に先生は私の頭をポンと叩いてアオさんと一緒に外に出てしまった。二人の姿が見えなくなってから、頭に残った熱にそっと触れる。久しぶりに感触だからか、自然と体全体がポゥっと熱くなるのを感じる。
八戸波先生が立っていたところの雑貨を確認すると、猫型の懐中時計が見えた。他にも置いてあるので違うかもしれないが、先生はこれを見ていた気がする。
「……今日は食材だけ買って帰ろうかな」
もしかしたら、先生がまたきたときに欲しいかもしれないし。
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