BloodyHeart

真代 衣織

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そして、夜になる。

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 伊吹は羽月から激しく叱責を受けていた。
「——お前の所為かよっ⁉︎ ふざけんなっ!」
 芹沢の電話を切った直後、伊吹がスマートフォンに電話を入れた。自らの失態を伝えると、羽月は容赦無く激怒した。
「ごめんっ! 本当にごめんって、何度も謝ってんじゃん……」
「謝って済む事では残念ながらありません」
 辛辣な言葉を、那智は何時も通りの穏和な笑みで発する。
 伊吹の両脇には那智と旭がいた。旭は痛いぐらいに睨んでいる。
「ええっ⁉︎ 皆して冷てぇ……。だって、さすがに穂積は可哀想じゃん」
 再三なる謝罪の言葉も通じず、さすがに伊吹は不満を漏らす。
「同情に値しない奴なんて滅多にいない。情けをかけるなっ。お前と仲間が死ぬだろっ!」
 羽月の怒りが収まる気配はない。
「だって、穂積殺せないし……。話しても分かってくれないから……」
 伊吹はぶつくさと言う。
「話せば分かる奴も、命令には逆らえない。せっかく俺が手首抉っておいたのによぅ……」
 露骨に羽月は残念がっている。
「あれ、お前かよっ⁉︎ 俺にそんな冷酷さはねぇよ。俺、優しいから……」
 今、伊吹は原因を知った。
「殺せないのであれば、気を失わせればよかったのでは?」
「あっ、その手があったか」
 那智の言う方法は伊吹に思い付かなかった。
「優しいからじゃねぇよ。馬鹿なだけだっ」
 旭が冷たく吐き付ける。
 羽月は、ウェアラブル端末の空中ディスプレイで、ニュース速報を見る。
 報道では、バンが燃えた原因は整備不良と、憶測が流れていた。
「つーかぁ、芹沢組の弱み逃げった後って、志保と穂積はどうなんの?」
 渦巻いていた疑問を、伊吹は羽月にぶつけた。
「弱みと引き換えに得るつもりだ。そうすれば組の中枢から掌握出来る」
 羽月は呆れた様に発する。羽月にとっては当たり前の事だった。
「伊吹君、思い付かなかったんですか?」
 表情は穏和なままだが那智も呆れている。溜息を吐く。
 そんな事出来んのか?
 そうなったら掌握されるぐらい分かる——。
 握りたい弱味は臓器売買どころじゃない?
 引き換えに出来る弱味なんて本当にあるのか?
 羽月と那智が、計算と駆け引きに強いのは十分知っている。
 だが、それでも旭は不安を抱いた。
「まぁいい。アイツがヤクザでいる以上、機会はいくらでも作れる。終わったんなら合流しろ。伊吹、スーツ一着で今日は勘弁してやるよ」
 羽月が提案する。少し厳しい表情が緩む。
「何それっ⁉︎ 結局お前は得すんのかよっ。ソープだって奢ってもらってんじゃんっ」
 伊吹は腑に落ちない。
「うるせぇっ! スーツ一着無駄にしたんだよっ。さっさと来い!」
 もはや羽月は強制だ。
 事件関係者は相次いで逮捕された。
 冷蔵冷凍倉庫を貸し出した事業者は、何に使われるのかは知らなかったと供述する。警察は、この主張覆す証拠を得られず、事業者は不起訴処分になった。
 違法薬物製造に関わった薬学部の学生達は、報道が流れた直後に自首した。全ての罪を自白する。
 後の裁判で、脅迫下であった事もあり減刑される。学生達は執行猶予判決を受けたが、大学は退学になった。
 ——間もなくして、倉庫付近に警察関係者が集結する。
 伊吹達が合流する頃には、速やかに現場検証が行われていた。
 邪魔にならないよう、那智と伊吹、旭は公園の隅に集まった。
「この後、クズ親父を全員で殴りに行きませんか?」
 旭が提案する。柵に寄りかかって喫煙している。柵の向こうは東京湾だ。
「男女平等いうなら男の無責任を許すな! 元凶が無罪放免なんて許せねぇっ」
 仏頂面で旭は怒りを吐く。田内未来の父親に憎悪が渦巻いていた。
「大丈夫ですよ。許せる人はいません」
 穏やかに那智は同意する。
「ムカつく会話、録音しておいたから。この後逮捕出来るよ」
 伊吹が言う。得意気にニヤけている。
 通信傍受令状の発付がされていた。
 逮捕要件は録音した会話だけではない。那智と伊吹は塾関係でも証言も得ていた。
 後に、父親は全ての罪で有罪になる。
 刑期十二年の判決を下され、服役する事になった。
「おお、サイズぴったりじゃんっ」
 羽月が公園のトイレから戻って来た。伊吹に渡されたワイシャツとスラックスを着て、首にスポーツタオルを掛けている。
「サイズは合ってるが、ホストくさくねぇか?」
 柵に掛けていたジャケットを羽織ってみる。得意気な伊吹に、羽月は不満気だ。
「着崩してるからじゃね? 何時もはアウトローじゃん」
 伊吹が言う通り、羽月はワイシャツのボタンを二つ目まで開け、裾もスラックスに入れていない。ネクタイも無しだ。
 着たジャケットの襟元を緩める。洗った髪の水滴が落ちてきた。スポーツタオルでうなじを拭く。
 首の付け根に、刻印が浮かび上がっている。
 無限を意味する刻印だ。宿った治癒力が発揮されてから暫くは、この刻印が浮かび上がる。
 那智の視線がブーツの踵に行く。
 ブーツは変えていない。切れたままだ。
「何、なっちー。脚は羽月のが長いって?」
 伊吹は自分のサイズでスーツを選んでいた。
「いえ。お二人共長いなって、思ったんですよ」
 那智は笑って誤魔化したが、伊吹は「本当かよっ?」と不貞腐れる。
 二人のやり取りに、羽月は口を挟まない。物憂げに倉庫を見ていた。
 リリアが地べたに正座し、両手を合わせている。
 リリアは許可を得て、献花台と焼香台を設置した。
「先生は責められねぇよなぁ」
 旭が言葉を零した。吸い終わった煙草を携帯灰皿で揉み消す。
「脅迫と監視下だったしね。いじめに必死で対応するいい先生だったよ。塾のいじめでも、子供にも親にも注意しに行ってた。でも、どうにもならずに被害者は自殺図ったって」
 伊吹が言う。那智と得た証言だ。
 ——逃げられる状況ではなかった。
 田内美穂は、娘の遺体と対面しても取り乱さなかった。
 羽月とリリアの会話で予想は出来ていたからだ。
 ただ静かに涙を流し、うわ言の様に謝罪の言葉を口にしていた。娘に、被害者児童に——。
 子供を喪う苦しみを、誰にも味わわせたくなくて、教師を辞めて児童見守り活動に参加した。
 なのに、こんな結末なんて……。
 矛盾と犯した過ちに、正しい言葉も思い付かない。
 瓦解してしまった正義に、無音の涙が止まらない。
 事件の詳細が報道されると、田内美穂には同情の声が集まった。
 脅迫下と監視下であった事、事件解決に協力した事で恩赦を受ける。執行猶予判決を受けた。教え子によって、集められた嘆願書が効力を発揮し、教員資格の剥奪も免れた。
 但し、もう親には戻れない。
 全てを捨ててでも護りたかった自身の子供は、もうこの世にいないのだから。
 リリアの方を向いたまま、羽月は煙草に火を点けた。
「支援がないなら、また事件が起きるかもな。医療より戦争が優先なんて……。これも人命軽視が元凶か?」
 渦巻く思いを旭は吐き出す。やるせなく髪を掻き乱した。
「命の重さですよ」
 諭す様な目で那智が言葉を掛ける。
 旭はハッとした。伊吹は納得する。
「それ奪うのが俺達だ」
 厳しい現実を羽月は自覚させる。
 言われなくとも理解しているが、改めて言われると心が痛む。皆、痛感させられた。
「御心配なんですか?」
 那智が尋ねる。リリアの事だ。
「さぁ、どうだろうな」
 羽月は濁す。
 視線の先にいるリリアは、未来と被害にあった子供達の為に、お菓子やジュースを買い供えていた。顔を引き締め、買ってきた線香をさす。
 知っている被害者の数、未来の分。そして、ドラキュラの分も——。
 命の重さを噛み締める様に、リリアは地べたに正座し、拝み続けている。宗教の信仰がないサキュバスにとって、唯一の手段、行為は全てレクイエムだ。
「いつまで、ああしていられんだろうな」
 羽月は疑問を漏らす。密かに心を痛めている。
 全ての命が等しく尊いと思えば躊躇う。そんな道徳概念は足枷となり、致命的な欠点になる。それが戦争なのだ。
 羽月は身に染みて分かっている。だから、リリアにここにいて欲しくなかった。
 でも、どうしょうもない。
 魔界の王族には従軍義務がある。何れは戦争に行かなくてはならない。
 今、一体何が出来るのだろう。
 曇っていく瞳を見たくない。
 それは、羽月にとって酷な現実だった。
「あの子は大丈夫ですよ。私は証を見ました」
 穏和だが、とても強い瞳で那智は確信している。
 真っ直ぐにものを目聞きする純粋無垢な瞳は、受け入れたくない辛い現実を前に曇り歪む。事実を都合良く捻じ曲げてしまう。
 それが王女の為とは、羽月はとても思えなかった。
「そうか……」
 那智が言うならば、とも思いたいが……。
 知る度に、無垢な心が腐蝕していく。
 それを見ていたくない。
 ならば、どうするか?
 ——現実が迫る。
 柵の向こうで陽が落ちた。
 間もなく夜が始まる。
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