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第1話 婚約破棄
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フィオナ・レイスは、グリフィス邸への道を急いでいた。
レイス家の当主が死んだ。
長女であるフィオナとしてはアルエント王国の法に則って急ぎ資産の相続手続きを済ませなければならない。
そのためにも早く婚約者に会わなければ。
この国の法律では、結婚していない子女は資産を相続できないことになっていた。
相続が保留された場合、レイス家の資産は継母の手で管理されることになる。
このままでは、レイス家の資産は継母と義妹に乗っとられてしまう。
それを防ぐためにも、フィオナは婚約者ラルフ・グリフィスとの結婚を確定しなければならない。
フィオナとラルフは、本来、すでに結婚しているはずの仲だった。
彼と婚約が決まったのは、3年前。
彼は何かと理由をつけて結婚を引き延ばしてきた。
やれ留学に行くだの、今年は縁起が悪いだの。
その度に結婚は延期され、フィオナは待たされていた。
フィオナも彼の意思を尊重して待ち続けてきた。
だが、もうこれ以上引き延ばすことはできない。
彼には契約を履行してもらわなければ。
息急き切って駆け足になりながら、フィオナは涙が出てきそうだった。
父は決して彼女のことを可愛がってくれたわけではない。
むしろ現在の義母と再婚してからは疎んじられる事の方が多かった。
実家に居場所のない彼女は魔法の学院に篭って、研究に没頭することが多かった。
父と義母はそんな彼女をますます気味悪く思い、遠ざけるばかりだった。
そんな彼女を実家に引き戻すよう便宜を図ってくれたのが、彼女の婚約者ラルフである。
グリフィス家の次男である彼と結婚するのならと、父は再びフィオナが実家の敷居を跨ぐのを許可してくれた。
それだけに婚約者に恨み言を吐きたい気分だった。
彼が早く結婚さえしてくれれば、生前の父とも和解できたかもしれないのに……。
だが、今さらそんなことを言っても仕方がない。
グリフィス邸の前についたフィオナは、乱れた息を整えてから呼び鈴を鳴らした。
「すまない。婚約破棄させてくれ」
開口一番ラルフから出てきた言葉にフィオナはキョトンとした。
「えっ?」
フィオナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。
気まずい沈黙が流れた。
フィオナは咳払いを1つする。
「ラルフ、冗談を言っている場合じゃないのよ? 父が死んでしまって……」
「ああ。聞き及んでいる。本当に残念だよ」
「じゃあ、なんでそんなバカなこと言ってるんですか!」
ついつい口を荒げてしまう。
「好きな人ができたんだ」
「はぁ?」
フィオナはついつい呆れたような口調になってしまった。
「あなたは私と婚約しましたよね?」
「そうだね」
「じゃあ、なんで私以外の人を好きになってるんですか!」
「彼女と一緒にいると本当の自分でいられる。そんな気がするんだ」
ラルフはうっとりと夢見心地な様子で言った。
そんな態度にカチンとする。
まるで自分と一緒にいると落ち着かないとでも言わんばかりではないか。
その上、ラルフときたら新しい恋人のエルザのことについてフィオナの前で朗々と語り始めてしまうのであった。
彼女と出会ったのは2年前。
教会でシスターとして働いているところを見初め、声をかけたところ意気投合して、その日のうちにデートの約束を取り付けてしまった。
それからはラルフの勤めている騎士団の駐屯所にも顔を出すようになり、ラルフが傷を負って帰ってくるたびに彼女は甲斐甲斐しく世話してくれたり、回復魔法で治癒してくれたりした。
「本当に素晴らしい人なんだよ。優しくて可愛くて。君も会えばわかる」
ラルフに説明されるまでもない。
フィオナにも面識のある女性だった。
エルザは魔法学院での同窓生だった。
よく言えば誰にでも優しい、悪く言えば八方美人。
学院時代から男性関係でトラブルの絶えない女性だった。
結局、魔法学院のカリキュラムにはついていくことができず、中退して教会で下働きすることになる。
フィオナも婚姻の手続きをする中で教会に勤める彼女に対応をしてもらうことが度々あったが、自分にだけ妙によそよそしく塩対応なのが気になっていた。
だが、まさかラルフとこっそり付き合っていたとは。
「もういいです」
フィオナはピシャリと話を遮った。
「父が死んだんですよ? 早く結婚しないと、資産を義母に奪われる。私はあなたにそう言いましたよね?」
「ああ。確かにそう聞いたね」
「私はあなたの都合に合わせて3年も待ちました。なのに、今さら婚約を反故にするって言うんですか?」
「あー、うん。実に気の毒なことだが……」
ラルフはどこかソワソワした様子で壁に掛けられた時計をチラチラと見始めた。
予定があるから速く話を切り上げたい。
そんな風に考えているみたいだった。
それを見て、フィオナはだんだん怒りが湧いてきた。
突拍子もないことを言われてどう反応すればいいか分からず困惑していたが、現実味のない彼の申し出が、だんだん実感として湧いてきた。
彼はもう自分に興味がないのだ。
指先がワナワナと震え始める。
「婚約破棄するとして、いったいどうするつもりですか? 私の被った損害をどう埋め合わせると?」
そう言うと、ラルフはうんざりしたような顔を向ける。
「君さぁ。今、それを言う? 僕はこれからエルザと結婚するんだぜ? 当然、彼女のために色々買ってあげたいし、新しい生活ともなれば色々入り用になる。金がかかるんだよ」
「私はこれからお金がかかるどころではありません。すでに損害を被っているんです。あなたのせいで」
「損害? いったい僕が君にどんな損害を与えたって言うんだ?」
「あなたと結婚できなければ私はレイス家の資産を相続できない。さっき言ったばかりでしょう?」
「ああ。そうだったね」
ラルフはいかにも興味なさげに言った。
フィオナは抗議しながら、考えずにはいられなかった。
彼は本当に先日まで自分に求婚していたラルフと同一人物なのだろうか?
このまるで興味のないそぶり、まるで別人のようにさえ思えた。
パキッと暖炉に焚べられた木の弾ける音がした。
フィオナはどうにか冷静になろうと努めた。
「まったく君も困った人だよ。どうしたもんかねこの問題」
(あなたの契約違反でしょうが)
フィオナはこの期に及んでラルフが自分に解決策を求めているのに苛立った。
「ラルフ、婚約を破棄したいと申し出ているのはあなたの方でしょう? なら、あなたが責任を持って、私の被った損害を償うべきです」
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
ラルフは突然、情緒不安定になって、机をバンと叩いた。
このままでは埒が明かない。
仕方なく、フィオナは譲歩案を提示することにした。
「どうしても婚約破棄したいというのなら、賠償として私が相続するはずだった財産分、2000万リューエル支払っていただけますか」
「2000万リューエル!? ちょっと待ってくれ。そんな金はない」
「では、ニブヌスの沼、あの沼のある土地を開け渡してください」
「ああ、あんなものが欲しいのか。いいよ」
(あんなもの!?)
フィオナは元婚約者の言い草にショックを受けずにはいられなかった。
ニブヌスの沼のある土地、それはフィオナが目をつけていた土地だった。
とある貴族が没落したために手放さざるを得なくなった土地。
それが二束三文で売りに出されていたのだ。
そこでとれる死月草という植物は、黒魔術の材料に適しており、黒魔術の得意なフィオナは、必ずこの土地が数年後金のなる木になると踏んでいた。
特にグリフィス家は古くからの地主なこともあって、農作物からの収益に依存している。
フィオナは今後、この国は深刻な物価高騰に見舞われると見ており、グリフィス家の財政は傾くに違いないと見込んでいたので、この土地でとれる死月草はグリフィス家にとって新たな収益源となり、将来の家計を支えてくれるはずだった。
フィオナはかならず数年と経たずに金のなる木になるからとラルフに2人で購入しようと説得した。
ラルフは一瞬渋い顔をしながらもすぐににっこり笑って了承してくれた。
「君は本当にいいお嫁さんだね。数年後の家計まで考えてやりくりしてくれるんだから」
そう言ってくれた時は本当に嬉しかったが、どうやら心からの賛辞というわけではなく、お世辞だったようだ。
今の言葉から、ラルフはフィオナの言ったことを何一つとして理解していない。
そうとしか思えなかった。
「よかったよ。お互いの欲しいものが完全に違って。これで後腐れなく別れられるね」
ラルフは満面の笑みを浮かべてそう言った。
その浅はかな笑みからは、上手く逃げ仰せたと思っているのが見て取れた。
フィオナの失望は深まるばかりだった。
レイス家の当主が死んだ。
長女であるフィオナとしてはアルエント王国の法に則って急ぎ資産の相続手続きを済ませなければならない。
そのためにも早く婚約者に会わなければ。
この国の法律では、結婚していない子女は資産を相続できないことになっていた。
相続が保留された場合、レイス家の資産は継母の手で管理されることになる。
このままでは、レイス家の資産は継母と義妹に乗っとられてしまう。
それを防ぐためにも、フィオナは婚約者ラルフ・グリフィスとの結婚を確定しなければならない。
フィオナとラルフは、本来、すでに結婚しているはずの仲だった。
彼と婚約が決まったのは、3年前。
彼は何かと理由をつけて結婚を引き延ばしてきた。
やれ留学に行くだの、今年は縁起が悪いだの。
その度に結婚は延期され、フィオナは待たされていた。
フィオナも彼の意思を尊重して待ち続けてきた。
だが、もうこれ以上引き延ばすことはできない。
彼には契約を履行してもらわなければ。
息急き切って駆け足になりながら、フィオナは涙が出てきそうだった。
父は決して彼女のことを可愛がってくれたわけではない。
むしろ現在の義母と再婚してからは疎んじられる事の方が多かった。
実家に居場所のない彼女は魔法の学院に篭って、研究に没頭することが多かった。
父と義母はそんな彼女をますます気味悪く思い、遠ざけるばかりだった。
そんな彼女を実家に引き戻すよう便宜を図ってくれたのが、彼女の婚約者ラルフである。
グリフィス家の次男である彼と結婚するのならと、父は再びフィオナが実家の敷居を跨ぐのを許可してくれた。
それだけに婚約者に恨み言を吐きたい気分だった。
彼が早く結婚さえしてくれれば、生前の父とも和解できたかもしれないのに……。
だが、今さらそんなことを言っても仕方がない。
グリフィス邸の前についたフィオナは、乱れた息を整えてから呼び鈴を鳴らした。
「すまない。婚約破棄させてくれ」
開口一番ラルフから出てきた言葉にフィオナはキョトンとした。
「えっ?」
フィオナは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。
気まずい沈黙が流れた。
フィオナは咳払いを1つする。
「ラルフ、冗談を言っている場合じゃないのよ? 父が死んでしまって……」
「ああ。聞き及んでいる。本当に残念だよ」
「じゃあ、なんでそんなバカなこと言ってるんですか!」
ついつい口を荒げてしまう。
「好きな人ができたんだ」
「はぁ?」
フィオナはついつい呆れたような口調になってしまった。
「あなたは私と婚約しましたよね?」
「そうだね」
「じゃあ、なんで私以外の人を好きになってるんですか!」
「彼女と一緒にいると本当の自分でいられる。そんな気がするんだ」
ラルフはうっとりと夢見心地な様子で言った。
そんな態度にカチンとする。
まるで自分と一緒にいると落ち着かないとでも言わんばかりではないか。
その上、ラルフときたら新しい恋人のエルザのことについてフィオナの前で朗々と語り始めてしまうのであった。
彼女と出会ったのは2年前。
教会でシスターとして働いているところを見初め、声をかけたところ意気投合して、その日のうちにデートの約束を取り付けてしまった。
それからはラルフの勤めている騎士団の駐屯所にも顔を出すようになり、ラルフが傷を負って帰ってくるたびに彼女は甲斐甲斐しく世話してくれたり、回復魔法で治癒してくれたりした。
「本当に素晴らしい人なんだよ。優しくて可愛くて。君も会えばわかる」
ラルフに説明されるまでもない。
フィオナにも面識のある女性だった。
エルザは魔法学院での同窓生だった。
よく言えば誰にでも優しい、悪く言えば八方美人。
学院時代から男性関係でトラブルの絶えない女性だった。
結局、魔法学院のカリキュラムにはついていくことができず、中退して教会で下働きすることになる。
フィオナも婚姻の手続きをする中で教会に勤める彼女に対応をしてもらうことが度々あったが、自分にだけ妙によそよそしく塩対応なのが気になっていた。
だが、まさかラルフとこっそり付き合っていたとは。
「もういいです」
フィオナはピシャリと話を遮った。
「父が死んだんですよ? 早く結婚しないと、資産を義母に奪われる。私はあなたにそう言いましたよね?」
「ああ。確かにそう聞いたね」
「私はあなたの都合に合わせて3年も待ちました。なのに、今さら婚約を反故にするって言うんですか?」
「あー、うん。実に気の毒なことだが……」
ラルフはどこかソワソワした様子で壁に掛けられた時計をチラチラと見始めた。
予定があるから速く話を切り上げたい。
そんな風に考えているみたいだった。
それを見て、フィオナはだんだん怒りが湧いてきた。
突拍子もないことを言われてどう反応すればいいか分からず困惑していたが、現実味のない彼の申し出が、だんだん実感として湧いてきた。
彼はもう自分に興味がないのだ。
指先がワナワナと震え始める。
「婚約破棄するとして、いったいどうするつもりですか? 私の被った損害をどう埋め合わせると?」
そう言うと、ラルフはうんざりしたような顔を向ける。
「君さぁ。今、それを言う? 僕はこれからエルザと結婚するんだぜ? 当然、彼女のために色々買ってあげたいし、新しい生活ともなれば色々入り用になる。金がかかるんだよ」
「私はこれからお金がかかるどころではありません。すでに損害を被っているんです。あなたのせいで」
「損害? いったい僕が君にどんな損害を与えたって言うんだ?」
「あなたと結婚できなければ私はレイス家の資産を相続できない。さっき言ったばかりでしょう?」
「ああ。そうだったね」
ラルフはいかにも興味なさげに言った。
フィオナは抗議しながら、考えずにはいられなかった。
彼は本当に先日まで自分に求婚していたラルフと同一人物なのだろうか?
このまるで興味のないそぶり、まるで別人のようにさえ思えた。
パキッと暖炉に焚べられた木の弾ける音がした。
フィオナはどうにか冷静になろうと努めた。
「まったく君も困った人だよ。どうしたもんかねこの問題」
(あなたの契約違反でしょうが)
フィオナはこの期に及んでラルフが自分に解決策を求めているのに苛立った。
「ラルフ、婚約を破棄したいと申し出ているのはあなたの方でしょう? なら、あなたが責任を持って、私の被った損害を償うべきです」
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
ラルフは突然、情緒不安定になって、机をバンと叩いた。
このままでは埒が明かない。
仕方なく、フィオナは譲歩案を提示することにした。
「どうしても婚約破棄したいというのなら、賠償として私が相続するはずだった財産分、2000万リューエル支払っていただけますか」
「2000万リューエル!? ちょっと待ってくれ。そんな金はない」
「では、ニブヌスの沼、あの沼のある土地を開け渡してください」
「ああ、あんなものが欲しいのか。いいよ」
(あんなもの!?)
フィオナは元婚約者の言い草にショックを受けずにはいられなかった。
ニブヌスの沼のある土地、それはフィオナが目をつけていた土地だった。
とある貴族が没落したために手放さざるを得なくなった土地。
それが二束三文で売りに出されていたのだ。
そこでとれる死月草という植物は、黒魔術の材料に適しており、黒魔術の得意なフィオナは、必ずこの土地が数年後金のなる木になると踏んでいた。
特にグリフィス家は古くからの地主なこともあって、農作物からの収益に依存している。
フィオナは今後、この国は深刻な物価高騰に見舞われると見ており、グリフィス家の財政は傾くに違いないと見込んでいたので、この土地でとれる死月草はグリフィス家にとって新たな収益源となり、将来の家計を支えてくれるはずだった。
フィオナはかならず数年と経たずに金のなる木になるからとラルフに2人で購入しようと説得した。
ラルフは一瞬渋い顔をしながらもすぐににっこり笑って了承してくれた。
「君は本当にいいお嫁さんだね。数年後の家計まで考えてやりくりしてくれるんだから」
そう言ってくれた時は本当に嬉しかったが、どうやら心からの賛辞というわけではなく、お世辞だったようだ。
今の言葉から、ラルフはフィオナの言ったことを何一つとして理解していない。
そうとしか思えなかった。
「よかったよ。お互いの欲しいものが完全に違って。これで後腐れなく別れられるね」
ラルフは満面の笑みを浮かべてそう言った。
その浅はかな笑みからは、上手く逃げ仰せたと思っているのが見て取れた。
フィオナの失望は深まるばかりだった。
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