睡恋―sui ren―

桜 詩

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37, 陽射しの下

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 いつものように、フィリスは部屋で朝食を摂り階下の居間へと降りた。そこには、フェリクスとルナが談笑し、トリクシーは手紙を読み、ジョエルは本を読んでいた。

「おはようございます」
フィリスは、手近なソファに座りバスケットにいれていた刺繍枠を手にした。

「おはよう、フィリス。今日は私の買い物に付き合ってくれないか?」
ジョエルが早速切り出した。
あまりにもさらりと言ったので、知っていたフィリスですら自然と出た台詞に聞こえた。
「プリシラ殿下の婚礼の祝いを買いたいんだ。同じ年頃の女性の意見を聞きたいと思って」

「あら、良いわね。トリクシーは大丈夫だから、行ってらっしゃい」
ルナはフィリスが、返事をする前にそう答えていた。

「後で部屋に迎えに行くよ」
ジョエルは微笑みを浮かべてフィリスを見た。

確かに、彼の言うように……二人で出かける事自体はとんでもないと反対される事も無く、誰も意外そうな顔はしていない。

買い物と言っても、フィリスの物ではないと知って少しだけホッとした。それならば何となく気が楽になれるから。

出掛ける為にメイドと選んだのは、春らしい淡いブルーのデイドレスで、年齢なりの若々しいデザインだった。結婚している時もその後も、大人っぽく見せたくて地味なものばかり着ていたから、ここに来てから作ったものはこうした物に変化していた。

「なんだか落ち着かないわ」

「よくお似合いですよ」
メイドはにこにこと力強い声で言った。

「フィリス様、完璧にお似合いですよ」
躊躇いがちにスカートを押さえるフィリスにもう一度メイドがゆっくりと言った。

「あら、お迎えにいらした様ですわ。行ってらっしゃいませ」
ノックの音とメイドの言葉に、フィリスはゆっくりと部屋を出た。

グレーカラーのフロックコートを着こなしたジョエルは、きりっとした印象で肘を差し出した。
「じゃあ行こうか」
「でも、わたしが役に立つかはわからないわよ」

「一緒に出かけて選ぶ事が目的なんだから、いいんだ」

ウィンスレット家の箱形の馬車が用意されていて、フィリスはジョエルと共に乗り込んだ。
未婚のフィリスなら、男性と二人きりになってしまうから、こうして馬車には乗れなかった。

馬車はやがて宝石店に着いて、ジョエルに続いてフィリスも降りた。

馬車が着いた時から、その紋章ゆえにどこの家の客人かが分かるからか、すでに店員が待ち構えていた。
「侯爵閣下、いらっしゃいませ」
「ああ、今日は頼む」

店員が通したのは店の奥の部屋、そこには店主らしい壮年の男性が折り目正しくお辞儀をして待っていた。

「ご依頼の品はこのようにさせていただいております」

テーブルの上には、最高級のジュエリーが目映く並んでいた。
「プリシラ殿下にはこちらの髪飾りからネックレス、イヤリングのセットを」
それは美しい銀に瞳の色に合わせた青いサファイアの見事な一揃いだった。

ジョエルはそれを手にとって確かめると、頷いた。

「後のお品はいかがでしょう?」

「フィリス、この中で好みじゃないのはある?」
「わたし?」
テーブルに並ぶのは、デザインは華美ではないものの、石の質や細工の良い、さりげなく着けて品のよさそうなものだった。

どちらかと言えば、プリシラのような綺羅綺羅した女性よりも、フィリスみたいに一歩下がった地位の女性が好みそうなものだった。

「どれも素敵だと思うわ、でもプリシラ殿下には少し地味な気もしてしまうけれど」
「フィリスならどうなんだ?」

「わたしなら……むしろちょうど良い……まさか、ジョエルこれは」

「じゃあ、全部で」
「ありがとうございます、閣下」
にっこりと店主は微笑み、紙をジョエルに渡し、彼はそこにサインをした。店主はそれを持って、席を立った。

「全部ってジョエル!」

「あれ、足りない?」
「まさか!」

「これで、フィリスがこれまでに持っていた物は全て処分して、これからはこっちを着けてくれ。いつまでも、ブライアン・マクニールと縁のあるものを持たないで欲しいんだ」

その言葉にフィリスはハッとした。
過去に持っていた物は、どれも彼といる時に着けた事があるものが多い。婚礼の時に揃えてもらったものだとか……。

「わかったわ、そうする」

「今日のドレスもそうだろうけど、ドレスはどんどん新しくしたらいい。女性の物の流行はすぐに変わるものだから」

ジョエルの意図は……伝わってくる。
過去の記憶との決別。
フィリスが過去に囚われ、傷つきそれをまだ抱えているのに、積極的に忘れようともしていないから、だから一つずつ前に進ませようとしているのだと。

箱に納めたままの、ブライアンからの指輪。結局ずっとそのままになっている。

フィリスの為に選ばれていたのは、金細工、銀細工、アメジスト、サファイア、パール。それにカメオ。それらがケースに納められ輝いている。

「これは、俺がしたいから勝手に用意しただけだ」
フィリスは、その気持ちが嬉しくて微笑んだ。

「ありがとう、大切に使うわ」
本来なら、ジュエリーは婚約者か夫かに貰うべきもので、今みたいな間柄で贈ることも貰うことも、マナー違反のこと。それでも、分かっていながらフィリスの為に用意してくれた事がとてもとても、嬉しいのだった。

「これくらい、何でもない」
ジョエルもまた、柔らかい笑顔だった。

店主が戻ってきて、ケースを次々と納めて行く。そして店主達の手により馬車に運び込まれていった。

「じゃあ、買い物もこれで済んだし、ロックハートでアイスでも食べる?」
「ええ」

気がつくと、フィリスは同意していた。ロックハートこそ、人目は避けられないというのに……!

「心配いらない、これまでだって君が行ってはいけない場所なんて無かっただろ?」
「それは付き添いだったから」

「それだけじゃない。君が誰もが認めるレディだからだ」
「そうかしら」

「例えば、そうだな。……俺が名前を名乗った時、すぐに称号が出た。他のどの人たちに会っても、それは同じだった。然るべき時に然るべき会話が出来、正しい振る舞いが出来る。それは単に、レディという呼び名がつけば出来るという訳じゃないんだ。だから君にはソールズベリもブレイクも、それに近頃ではセスも誘いに来るんだ」

「当たり前の、事よ」
「そう。それが当たり前に出来るということ、どの場所でも相応しい振る舞いが出来る。それこそが貴婦人の証だと俺は思ってる……。だから、二人でロックハートでアイスクリームを堪能するくらい、人目を引くほどの事じゃない……って言いたいんだ」

そう言われて、フィリスはただ頷いた。
認められて嬉しくて、当たり前の事がそんな風に評価されて、価値のある自分が見つかった気がしたからだ。

有名なロックハートのアイスクリームは、やっぱり美味しくて、そして彼の言うようにフィリスの姿は違和感なく馴染んでいて……それはこの王都で誂えたドレスだからかも知れないが、明るい気持ちに慣れた時間だった。

薄暗い寝室から、初めて明るい日射しの下へ出てきた二人は、甘くて冷たい、溶けるアイスを堪能したのだった。
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