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40,親友[victor]

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 エヴァーツ邸へ向かうと、ジェイラスはまだ帰宅しておらず、ヴィクターは少し待たせてもらう事にした。
エヴァーツ家の執事はヴィクターを応接間に通し、酒肴を出しそしてそのまま一人残して部屋をそっと出ていった。

しばらく一人過ごしていると、扉の方から「ヴィクターが来てるって?」とジェイラスの声が聞こえて、ヴィクターは立ち上がった。

「………お前がここに来る分別があって良かった。アークウェイン」
昨年まですごしてきたスクール寄宿学校でのルールであるラストネーム呼びに、嫌味の響きを感じて眉根に力が入る。
「………エルフィンストーン、こんな時間に悪い」

「ついさっき、無事に送り届けた。俺なら安心だと思うから今夜は任せたんだろう?」
確かにジェイラスの言うように、彼ならレナのエスコートを任せても大丈夫だと確信していたからだ。
「………ああ」

「だけど彼女からしてみれば、なぜさほど馴染みのないジェイラスを?と疑問だろうな?」
同寮だったヴィクターと違い、ジェイラスとレナの家に付き合いはなくヴィクターと話しているのを見かけた事があるというくらいで辛うじて挨拶を交わした程度だっただろう。
「ジェイは安心できる」

「ヴィクターは誤解してる。その事に気づいてはいたが……俺は女も相手に出来る」
意地の悪そうな笑みを浮かべながらのジェイラスの言葉にヴィクターは絶句した。
「……なんだって?」
「安心したか?」

ジェイラスの屈託のない笑顔にヴィクターは天を仰いだ。大きな声で言えないジェイラスのその秘密は、親友だからこそ知り得た事実で……彼の恋人のスチュアートは、同じ寄宿舎ではなかったが近くの学生でだから詳しく聞いたこともなかったが、彼はそうなのだと思っていた。
とはいえジェイラスはヴィクターをはじめとする友人たちにそういうそぶりを見せたことはなかった。

友人としては、それを喜ぶべきなのか疑問がある。が、そうだと知ってはレナを任せて安心できる相手ではなかったというわけだ。

 ジェイラスは仲間たちといるときは、もちろん女性の話も乗って来るし、ヴィクターの他に彼の恋人の事を知る友人は………もしかすると気づいてる友人もいるかも知れないが、ちらりとでも噂に上ったことはない。同寮の仲間たちは同じ空間で過ごすがゆえに互いの秘密を守る事に関しては絶大な信頼を置いている。それが誇りである。

「ああ……それは……良かった。誤解して悪かった」
「いいんだ。俺も……分かっていて訂正しなかったから」
可笑しそうにくくっと笑うジェイラスは、なぜかとても楽しそうだった。

「ヴィクター、あの子はお前が思っているような………小さな無力な女の子じゃない。男が膝をついて求婚するに相応しいレディだ。その事に気づいてないのはお前くらいじゃないか?」
ヴィクターの前に座り、荒っぽい仕草でウィスキーを注ぎ慣れた仕草で口に運んだ。

「レナの事は俺が守る」
むきになって、まるで言い聞かせているみたいだった。ヴィクターはレナを傷つけてそしてそのまま背を向けたのだ。その事はまだ一つも解決していない。
「婚約者だからか?」
ジェイラスの言葉に苛つきを感じながらヴィクターはため息をついた。

「レナはまだデビューしたばかりの………まだ少女だ。そうするべきだろう」
「確かにデビュタントには間違いない。だが、春を過ぎシーズン終盤の今レディ レナは、イングレス社交界の華として君臨し王室もそれを認めている。そしてそれは単なる周りの後押しだけじゃない」
ジェイラスの言葉に、ヴィクターはしばらく無言でそして目を軽く閉じた。

「気づかないふりは止せ。今夜だって、お前ともめて、動揺していたはずなのにクロス家の舞踏会では気丈に振る舞っていた。きちんと計画に意見を述べ何が出来るかをミセス クロスに尋ねて、実に立派に振る舞っていたよ。貴族の娘にありがちな、ドレスとジュエリーと条件のいい結婚にしか興味を抱かない令嬢じゃない」

「たった一日で、そこまでよく判断したな」
「分かるさ。ちゃんと見ろよ、あの子はもう、髪をリボンで結んだか弱い小さなレディじゃない。そう思ってるから、平気で寝室に足を踏み入れたり踏み入れさせたりしてるんだ」
ジェイラスに言われた言葉の一つ一つがヴィクターの体に絡み付くようだった。

「レナが……小さなレディじゃないことは、分かってる。だけどレナは、ひさしぶりに会った俺を警戒していた。だから、昔の記憶と今の隙間を埋めようと、していただけだ。そう振る舞うのが正しいと思えたんだ」
昔の遊びを思い出させ……そして、今のヴィクターに慣れて欲しかったからだ。
「自覚があるなら、結構なことだ。けど、それが……悪い方向に行かないことを願うばかりだな。友としては」
「心配してくれてありがとうと言うべきかな」
ヴィクターの返事に、ジェイラスはグラスを軽く上に掲げて同意を示した。

「それで………こんなに早い時間に訪ねてきたということは、ラモン伯爵夫人とは重なってないと思っていいのか?それとも早業で?」
あまりにも真っ直ぐな質問にヴィクターは呆れたうめきをあげた。

「何もない、誓って」
「何も?」
「………フルーレイス美女を相手に?」
「夫がいる。それに………随分年上だ」
「そのどちらも関係ないな………不思議だ。じゃあラモン伯爵夫人は何が目的なんだ?」
ジェイラスが問うように覗きこんだ。
「俺もそれが知りたい。わざと目立つように振り回されている様にしか思えない」
大概の人が誤解しているだろうが、ジェイラスの様に聞いてきた人はいない。むしろ聞いてくれれば何も無いと言えるのに。
人は他人の事ならばより刺激的な方を好むものなのだ。
「ジョエルは何と?」

「ジョエルには頼れない」
「どうして?彼は頭が切れる」
「憶測だが奴は、レナに好意がある……しかも自覚があるかも分からないが」
そう打ち明けると、ジェイラスは声を上げて笑い出した。
「それは……相手が悪すぎるな、敵に回すには強敵過ぎる!」
言われなくても、勝てる自信があるのは身長と体重位だ。年上の、全てに優れたジョエルに敵うものを探すのは難しい。だからと言って完敗している気持ちは毛頭無いのだが、この件でわざわざ争う事もない。
「笑いすぎ」
「いや、でも………少なくともお前は、婚約者だという正しい関係があるわけだ。良かったな」
ヴィクターはグラスに残ったウィスキーを飲み干し、新たに注いだ。

「それよりもまずは、明日。レナとオペラに行く。どうするべきか考えないと」
「まずは、庭師に花を用意させ、それから宝石店へ向かう。そこで高すぎず安すぎず、似合いそうな物を選ぶ」
「安すぎると軽んじて思われ、高すぎると裏を疑われる?」
「よく覚えていたな?」
上級生の雑用をこなしているうちに、そういうことを少しずつ聞いたりして覚えていく。

「心配しなくても、彼女はヒステリックじゃなく理性的だ。きちんと向き合えば話を聞いてくれるだろうさ、大事にしろ。あと5年もしないうちに、誰の目にも、大輪の花だと映るだろう。ヴィクターの選択は成り行きだったかも知れないが、最良の選択だと言えるのかも知れない」
「知ったような事を」

ジェイラスが笑い、つられてヴィクターも笑った。
「帰って、この匂いをすっかり落とさないと。邪魔をした」
「リディアーヌ、という名の香りだな」
「いっそジェイを気に入れば何の問題もなかったのに」
「それは言えてる。けれど昔から、ヴィクターは蜂蜜みたいに蜜蜂を惹き付ける。恨むなら両親を恨め。もう少し、不細工にしておけば良かったのにと」
軽く毒づいて、ヴィクターは椅子から立ち上がった。
「明日、つきあえ」

「ああ」
親友が快く引き受ける事は疑いもしていなかった。

 エヴァーツ邸をそうして後にして、帰宅すると今度は、父であるキースが待ち受けていた。なかなかいない、並ぶほどの長身のキースは、だが年齢を重ねた分貫禄を感じさせまた父としての威厳がヴィクターを圧する物を醸し出している。

「言いたいことは、分かってる。母上が、殴ろうとしてるんだろ?」
今日の事の顛末は全て耳に入っているに違いない。騎士道精神に溢れる母 レオノーラはレナを傷つけるような事を許さない。
「その通りだ。早急に」

「夫婦の事はそっちで解決して。俺は……今はそこまで考えてられない」
「オペラのチケットだ。カーターから預かっておいた」
キースの手からチケットを受け取り安堵の声を漏らした。
「ああ、取れて良かった」

「それで………ラモン伯爵夫人は?」
当然ながらその事を聞かれるのはわかっていた。そして、返す言葉も。
「何も。情報があれば報告してる、いつものように、座って話して、踊ってそれで、終わり」
「話の内容は?」
「レナの事」
「レナの?」
「つまり、どこまでしたのかって聞かれた。詳しく話した方がいい?」
そう投げやりに話すと、キースは眉を寄せた。

「話したいなら聞こう」
「心配しなくても、グランヴィル伯爵に殺される事はしてない。レナにもラモン伯爵夫人にも」
あれほど早くに娘の一大事に駆けつける事が出来るのだから、ヴィクターがレナに叩かれたと言うこともすでに知っているだろう。
そういう………恐ろしい程、諜報に優れている人なのだ。

 ヴィクターは、従者のハルに着替えを手伝わせながら
「ハル、明日の朝一番に、ミアにレナが着るドレスを聞いてほしい」
「……お詫びの品ですね」
「そうだ。明日の夜、それを着けてくれたなら許す気持ちはあると思えるだろ?」
「………何とかしてくださらないと、私の立場も辛くなりますから、必ず」
ハルは気合いの入った返事をして、ヴィクターの視線を浴びることになった。

「なにしろ、例の件・・・で屋敷の女性たちはヴィクター様にかなり立腹してますから、側つきの私も肩身が狭いんです」
屋敷ので働くのは男女半々位だが、アークウェイン邸の使用人たちの平和の為にも何とかしないといけないのは、よく分かった。

 机には明日の人気演目のオペラのボックス席のチケットがあり、家を離れて入寮する時よりも緊張しているのを感じて大きく深呼吸をした。
もう痛くないはずの頬が、じん、と熱を持った気がした。
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