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2,伯爵令嬢の事情

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 レナ・アシュフォード グランヴィル伯爵令嬢は、ベッドの上で半身を起こして、小さな欠伸を手で覆った。

 淡いブルーのネグリジェに、緩く編んだ髪がほつれてかかる。
金の髪に青の瞳、ぱっちりとした目元や白桃の頬、それにベリーのような艶やかな唇をしていて、凄く美しいとは言えないものの、美少女といって差し支えない容姿をしていた。
少女らしい慎ましやかな胸元や作り上げられた細いウエストも今の令嬢としては及第点。それ以上でも以下でもなく、それはある意味レナの優れた所と言えた。

 ――今レナは15歳。
そろそろ16歳といえば結婚出来る年齢となったという事で社交界にデビューして大人への第一歩を踏み出す頃だった。
だから、レディとしての相応しい朝を過ごすために、メイドが来るまではと、ベッドサイドに置いてある一ヶ月前の女性向けの雑誌を手にした。レディはメイドが来るまでベッドから下りたりしないものなのだ。

レナの専属のメイドは少し年上の17歳のミア。だけど、まだまだレナが起きるタイミングで部屋に来ることはなくてこうして待たされる。
雑誌を……これも、毎朝見ているからすでに飽きてきているのに、新しいものを置いてなくて、まだまだミアは気がきかない。

はぁ、とため息をついて壁にあるベルを鳴らしに行く。

少したってベテランのメイドのナタリーが静かに入ってきた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ナタリー。ミアはどうしたの?」
「申し訳ございません。まだ、朝の支度に手間どっているようです。行き渡らず申し訳ございません」

「ナタリー、支度をお願いするわ」
「はい」

ナタリーにコルセットをベッドの柱に掴まって紐を締めてもらう。
「はい、息を吐いて下さって大丈夫ですよ」
ほぅ、と息を吐くと圧迫されて息は浅く速くなる。
朝のドレスを着て、ナタリーが緩くカールを描く髪をとかしてした所でようやくノックがしてミアが入ってきた。
そこに待っていた朝の身支度に必要な物がのっていた。

「ミア、わたくしは今朝もベッドで時間を潰して、潰しきれずにベルを鳴らしたの。朝くらい気持ちよく迎えさせて欲しいわ」
「申し訳ございません、レナお嬢様」
「ナタリー、ありがとう。ミア、続きをお願い」

はい、と立ち位置を変わりミアがレナの髪にブラシをあてる。
「今朝はお髪はどういたしますか?」
「サイドを留めるだけでいいわ」

「わたくしはミアに早く一人前になってほしいの。そうでないと……王都には連れていけないわ」
王都と聞いてミアはぱぁっと顔を明るくする。

「頑張ります!」
「朝から大変なのはわかるの。でも、わたくしはミアが来るまでにベッドから起きて自分で着替えるわけにはいかないの。わかるでしょう?それはあなたたちの仕事を奪うことになるのだもの」
「はい、レナお嬢様」

元気よく答えるミアに、レナは微笑んだ。
ミアは王都に憧れている。
田舎の街から出たくて、この屋敷に奉公したいと執事に直談判しにきたミアをたまたま目にして、母のグレイシアに頼んで無理矢理レナのメイドにしてもらったのだ。

ちょうどメイドが足りなかった事もあり、ミアはこのグランヴィル伯爵家にやって来たのだった。だから、レナ自身、主人としてミアを一人前のメイドにすることに熱心だった。

「ミアは王都で何をしたいの?」
「王都で働きたいんです」
「メイドでもいいの?」
「私……向いてないですよね」
「何言ってるの?まだ1年でしょ?まだまだこれからじゃないの。わたくしはミアを王都へ連れていくわよ。だから、こうして厳しくしてるの」
「でも、レナお嬢様はきつい叱責もなさりませんし、ぶったりもされません」
「ぶったりなんて……。レディであるべき人がするわけないわ」
「でも、小説なんかではよくあるんですよ?」
ミアの言葉にレナはくすくすと笑った。
ねじって留めた髪はきれいに仕上がり、レナはうなずいた。

「ありがとう、ミア。これでいいわ」
レナはドレッサーの前から立ち上がり、自室を出て階下に降りる。

家族揃っての食事の席には、父であるジョルダンとそれから弟のレナード、それに妹のラリサが座っていた。
「おはようございます、お父様」
「おはよう、レナ」

微笑みを返してくるジョルダンは、珍しい銀髪に青い目をしていて40近い今でもお洒落で華やかな雰囲気はまだまだ健在で、むしろ渋味を増して格好いいと娘でありながら思う。
弟のレナードはジョルダンに似た、銀髪に青い目をしていて、面差しも父母から受け継ぎ11歳ながら将来が楽しみなほどだし、ラリサもまたレナードに似ている。

そして今年産まれた末の弟ローレンスもまた容姿が似ている。つまりは……ここで似ていないのはレナだけである。
その事にレナはほんの少し心が疼く。

レナはジョルダンの娘ではない。母のグレイシアはジョルダンとの結婚する前に、前の夫とは死別していて、その相手との間に生まれたのがレナである。
だからジョルダンとは血の繋がりはない。せめて母にそっくりなら良かったのに、レナは見たこともないソール・ラングトンの血が濃いのだと思う。母に似たのなら、もっと美少女なはずだから。
グレイシアはとても美しいのだ、年を重ねた今でも。

「レナ、新年にはデビューの年だね」
「ええ、お父様」
「ローレンスの具合が良くないんだ。今旅をするのは控えたい、だからまだ、王都へは行けそうにない」
「ええ、分かってます」

まだ赤ん坊のローレンスは体が弱くて、しょっちゅう熱を出してしまう。まだ寒さのあるこの時期に無理はさせられない。

「私は王都でデビューしなくても……」
「いや、女の子にとってのデビューは特別なもののはずだ。何よりも、王妃さまにお目にかかりレディの称号を頂くという大事な謁見も待っている。レナは王都へ行きなさい」
「でも……不安よ、一人でなんて」

「大丈夫だ、滞在はアシュフォード侯爵家でお世話になり、ジョージアナ伯母に母がわりをお願いしよう」
「ジョージアナ伯母さまに……」

なんとなく憂鬱なのは、ジョージアナがいかにも高貴なレディだからだ。なんとなく緊張させられる。
しかもこの数年は会っていないというのに……。

「グランヴィル伯爵家の惣領姫としてデビューを果たしてきてほしい」
「……惣領姫は、ラリサよ」
ぼそっと呟いた声はどうやらジョルダンの耳にも到達したらしい。
「いいか、レナ。君は私の娘だ」
「はい……お父様」

はい、と返事をしたものの自信がない。

グレイシアは元々貴族ではない。
グレイ侯爵家の傍流とはいえ、騎士の家の生まれ育ちで、ラングトン伯爵に見初められて貴族となった人で、さらに言えば父のソールはそのラングトン伯爵の従兄弟で騎士だったとか。
つまりはレナの血筋は貴族と言えるものでもなく、本来ならレディの称号は頂けるものではなかった。

「王都に行けばヴィクターも、もうスクールは卒業したからひさしぶりに会えるんじゃないかな。それに幼なじみのジェールや、王太子妃になったフェリシアにも」
ジョルダンの言葉にレナの胸はトクンと高鳴った。

ヴィクター・アークウェインは、幼い頃に結婚の約束をした相手だった。
正式なものではないそれは、大人になった今は忘れ去られていてもおかしくはない。

「忘れてはないけれど、もう昔の事だもの。おままごとは終わりだわ」
「そうか……レナもすっかり大人びたものだ」
それには答えずに微笑んで
「お母様のご様子を、見て参ります」
そう言ってレナは席を立った。

「お姉さまもうたべないの?」
ラリサがレナに聞いてきた。
「もう、お腹がいっぱいなの」

「ラリサ、姉上は大人の女性になるんだから、もりもり食べたりしないんだ」
レナードは軽くニヤリと笑うと、自分は遠慮なく食べている。

そもそもコルセットを締めてそんなにたくさん食べられるものじゃないと、レナードを軽くねめつけた。
「レオ(※レナードの愛称)も一回くらいコルセットをしてみる?」
「遠慮する」

それはごめんだと言わんばかりのレナードだ。彼もこの令嬢装備品がきついものだとは想像がついているに違いない。

今は朝だからまだましだ。
今年からつけだしたレナは、まだコルセットとの折り合いがついていない。

両親のフロアに向い、ベビールームを開けるとベッドの側にいるグレイシアを見つけた。
美しい白金の髪に、アイスブルーの瞳、そしてどこか艶かしい色気のある美しい女性……それが母である。
「お母様、お食事を取られたら?ローレンスは私が代わりに」
「ありがとう、レナ」

側で見てみればまるで天使のような愛らしいローレンスは、頬を赤くして眠っている。
ベッドの側には洗面器に水がはってありレナはタオルを絞って交換する。

「あなたはいつも元気だったけれど、幼い頃熱を出した事があったわ。ちょうどこの城で……」
「覚えていないわ」
「そうね、まだ小さかったもの。そんなレナが、こうして看病するようになるなんて」
グレイシアが微かにほほえむ。
「ありがとうレナ」

頬にキスをされてレナも返す。
熱があって、むずがりだしたローレンスをベッドから抱き上げて、背をとんとんとしながらあやす。
「苦しいのね、ローレンス……。早くよくなるといいわね」

「まぁ、お嬢様。申し訳ございません、代わります」
「いいの、サーヤ。お母様が戻るまで、代わりをさせて」

サーヤはレナが小さな頃から、子守りをしてくれている。とても信頼してるメイドだ。

「あの小さかったレナお嬢様が……」
うるうると涙ぐむサーヤにレナは笑った。
「大袈裟ね」

しっかり……しなくては。

社交界に出て、早く相手を見つけて結婚する。

そうするのが良いのかもしれない。
ジョルダンは分け隔てなく育ててくれたけれど、でも今のレナは、血筋の違い、それがとても気になるようになってしまった。
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