幸福な蟻地獄

みつまめ つぼみ

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第1章:囚われる少女たち

17.月曜日:由香里

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 俺たちはファミレスを出た後、ぶらぶらと商店街を歩いていた。

 由香里ゆかりに俺は告げる。

「今日はお前の曜日だ。お前の行きたいところに付き合ってやる。どこに行きたい?」

 由香里ゆかりがぱっと華やいだ笑顔で応える。

「それなら、本屋に行きたいです! 新刊が出てるんですよ!」

「そうか、ならまず本屋だな」

 俺は由香里ゆかりに手を引かれながら道を歩いて行く。

 他の女子は後ろからすぐ後ろに、ぴったりとくっついているようだ。

 俺は優衣ゆいに振り向いて告げる。

「なぁ、こんな感じで良いのか? 曜日当番って」

 優衣ゆいが柔らかい微笑みで応える。

「ええ、上出来よ。そんな風に、その曜日を担当する子を、あなたなりに尊重してあげて」

 そうか、これでいいのか。

 まだ勝手はつかめないけど、少しずつ慣れていかないとな。


 俺たちは商店街の大きな本屋に入っていった。




****

 由香里ゆかり悠人ゆうとの手を引きながら、新刊コーナーへ向かっていった。

 話題の恋愛小説シリーズ最新作――これまでずっと、由香里ゆかりが楽しんできた作品だ。

 それを手に取ったとき、由香里ゆかりは違和感を覚えていた。

 表紙を開いてあらすじを読む――彼女の胸に、かつてのときめきが訪れることはなかった。

 あらすじだけで胸が躍り、早く家に帰って読みたくなるのが常だった。その楽しさを、今は感じ取ることができない。

 困惑した由香里ゆかりは、そっと新刊を平積みの上に戻した。

 悠人ゆうとが不思議に思い由香里ゆかりに尋ねる。

「どうした? 買うんじゃないのか?」

「――いえ、今日はまだ、いいかなって!
 それより、悠人ゆうとさんは小説を読むんですか?」

「俺か?! 本はあんまり読まないんだけど……推理小説なら読むことがあったなぁ」

 由香里ゆかりがぱっと笑顔になって告げる。

「どんな本ですか?! 教えてください!」

「ええ?! えーっと、確かあれは……」

 悠人ゆうとがおぼろげな記憶で、かつて読んだことのある本を探し出した。

 それは海外の大物ミステリー作家の翻訳作で、有名な作品だった。

「これが面白かったよ。最後が本当に意外な結末でな」

 由香里ゆかりは笑顔のまま、悠人ゆうとが手にした本を受け取った。

「これですね! じゃあ私、これを買ってきます!」

 悠人ゆうとの手を引っ張りながらレジに向かう由香里ゆかりの姿を、優衣ゆいたちは唖然としながら見つめていた。

 瑠那るなが困惑しながら告げる。

「あの子、ミステリーは読まないって言ってたのに……」

 美雪みゆきも眉をひそめて戸惑っていた。

由香里ゆかりはロマンスが絡まない殺伐とした話、苦手だって言ってたよね」

 優衣ゆいが思わせぶりな微笑みで告げる。

「あら、二人なら由香里ゆかりの気持ち、理解できるんじゃないの?」

 瑠那るながきょとんとして優衣ゆいに振り返った。

「それ、どういう意味?」

悠人ゆうとさんが読んで楽しんだ本を、由香里ゆかりは読みたいのよ。
 ――私も興味が出てきたわね。同じ本を買ってくるわ」

 美雪みゆき優衣ゆいに続くように「私も!」と言いだし、同じ本を手に取った。

 困惑する瑠那るなは、本の表紙をしばらく睨み、ため息をついてから同じ本を手にしていた。




****

 俺たちは本屋を出た。どうやらティア以外、四人が同じ本を買ったみたいだ。

「お前たち、仲が良いなぁ」

 優衣ゆいたちが複雑な表情で微笑んでいた。

 俺は由香里ゆかりに告げる。

「次、どこか行きたいところはあるか?」

 由香里ゆかりは少し迷ってから、俺を見つめて応える。

悠人ゆうとさんが行きたいところはどこですか?」

 俺?! 行きたいところって言われても、趣味らしい趣味なんてないしなぁ……。

「うーん、ここは学生らしく、カラオケで時間を潰すか」

 由香里ゆかりが不満げに応える。

「『時間を潰す』くらいなら、悠人ゆうとさんの家に行きましょうよ!」

 ええ……三日続けて俺の家?

 俺が戸惑っていると、優衣ゆいが俺に告げる。

「いいんじゃない? 買ったばかりの本を、みんなで読めば」

 俺は眉をひそめて応える。

「俺とティアは何も買ってないぞ?」

「じゃあこれから買えばいいじゃない。漫画でもなんでもいいわ。一緒に本を読む日にしてみたら?」

 んー、それでいいならそうするけど。

 俺は由香里ゆかりに尋ねる。

「それでいいか?」

「はい!」

 頷く由香里ゆかりの頭を撫でてから、一度本屋に戻り、俺とティアは漫画雑誌を一冊ずつ買った。

 一人一つ、本屋の袋を手に持って、俺の家へ向かっていく。

 俺たちは春の午後、暖かな日差しの中で、のんびりと静かな時間を過ごしていった。




****

 家に着くと、俺は全員に麦茶を出した後、ごろんと床に寝そべった。

 床に漫画を開いて読み始めると、由香里ゆかりは俺に寄りかかるようにして小説を読み始めた。

 他の女子も、俺のすぐそばでそれぞれの本を読み始める。

 秒針の音が聞こえる部屋で、時折ページをめくる音だけが響いていく。

 俺は漫画を読み終えると、雑誌を枕に横になり、女子たちを静かに見守った――四人とも、とても真剣に小説を読み進めていた。

 ティアだけは、いつのまにか読み終わった雑誌を枕に、スースーと一人で寝息を立てている。本当にマイペースな奴だ。

 小説を読み終えた由香里ゆかりが、ほぅと吐息を漏らした。

「面白かったです……ミステリーも、案外楽しめるんですね」

 俺は微笑みながら応える。

「意外性があるのがいいよな。ドラマもあるし、そんな中で自分の推理が当たってると興奮するんだ」

「でも、ちょっと読み疲れちゃいました」

 そう言った由香里ゆかりが、寝転ぶ俺の首に抱きついてきた。

 ……いいのかな? でも他の女子は何も言わないし、曜日担当ならこれくらいは許してくれるんだろうか。

 俺は抱きついてきた由香里ゆかりの頭を撫でながら告げる。

由香里ゆかりは今日が入学式だったよな。先週から着てたけど、その制服はよく似合ってるぞ」

「ほんとですか?! やったー!」

 喜んでくれるのは嬉しいんだけど、力一杯抱きついてくるからその……小さな胸が押しつけられてるんだが。

 まだあんまり、そういうことを意識できない年齢なのかなぁ?

 こういうとき、下手に変なことを言って意識させるのも悪いし、俺たちは恋人同士だから、これくらいはスルーしておけば良いのか?

 やけに速い由香里ゆかりの鼓動に戸惑いながら、俺は黙って抱きつかれた。

 俺は由香里ゆかりの頭と背中を優しく撫でながら、お互いの体温を交換し合っていた。




****

 そろそろ日が暮れてきた。彼女たちが帰る時間だ。

 俺は由香里ゆかりの頭と背中を撫でながら告げる。

「さぁ、帰り支度をする時間だぞ」

 由香里ゆかりがゆっくりと俺から身体を離してから、口を開く。

悠人ゆうとさん、私たちはもう、恋人同士なんですよね?」

「そうだけど……どうしたんだ?」

 由香里ゆかりはうつむき気味に真っ赤になりながら俺に告げる。

「じゃあ今度こそ、お願いしても良いですか」

 そう言って由香里ゆかりは唇を俺に突き出し、目をつぶった。

 ――えええええ?! 今、ここで?! 女子たちが見てるんだけど?!

 でも、恋人同士なのは確かだし、女子たちの前で由香里ゆかりに恥をかかせるわけにも……。

 俺は周囲の女子たちが興味津々の眼差しでこちらをみてるのを確認すると、小さく息をついた。

 夕日を浴びながら、俺は静かに由香里ゆかりと唇を重ねた。


 帰り道の間、由香里ゆかりは無言で俺の手を握り、ずっとうつむいて微笑んでいた。

 周りの女子たちはどこか、複雑な表情だった。

 俺は女子たちを女子寮まで送り、彼女たちが寮の中に消えていくのを見送った。

 ――これでいいのかなぁ。

 俺は自分の行動を振り返って悩みながら、元来た道を戻っていった。




****

 エレベーターに乗りながら、優衣ゆい由香里ゆかりに告げる。

「まさか、キスまで迫るとは思わなかったわ。

 由香里ゆかりが満足げな笑みを浮かべて優衣ゆいに応える。

「私、何かルール違反しましたか? 今日は私の担当曜日、悠人ゆうとさんを独占しても構わない日ですよね。
 もしルール違反があったなら次から気をつけますから、言ってください」

 優衣ゆいがまっすぐエレベーターの扉を見つめながら口を開く。

「……いいえ、由香里ゆかりは正しくルールの中で動いていたわ。
 でも、彼のファーストキスは奪われてしまったのね」

 その言葉で、エレベーターの中に緊張が満ちた。

 たった一つの、悠人ゆうとの初めて――それを今日、早々に由香里ゆかりが奪ってしまったのだ。

 いつかは誰かが奪うものだったとしても、最年少の由香里ゆかりがそれを実行したことに、三人は驚いていた。

 エレベーターが三階、由香里ゆかりとガラティアのフロアに止まった。

 二人が降りるのを優衣ゆいは黙って見送り、扉が閉まっていく。

 再び動き出したエレベーターの中で、美雪みゆきが告げる。

「明日は優衣ゆいの曜日ね。どうするつもり?」

 優衣ゆいはフッと笑って応える。

「どうもなにも、曜日担当者として当然の権利を行使するだけよ」

 四階につき、三人がフロアに降りた。

 それぞれが部屋に足を向ける。

 美雪みゆき瑠那るなは、優衣ゆいの言葉に不穏な気配を感じながら部屋に入っていった。

 優衣ゆいは明日が待ち遠しい気持ちをあふれさせながら、部屋のドアを開けた。




****

 どこか気まずい夕食の後、由香里ゆかりは部屋に帰りシャワーを浴びた。

 自分が彼の初めてを獲得したのだという優越感で、自然と笑みがこぼれてしまう。

 女性らしさで最も劣る自分は、積極的に動かなければ他の女子に埋もれてしまう自覚があった。

 ルールの中で公正に動き、正当な報酬として恋人の唇を獲得したのだ。

 どこにもやましいものなんて感じなかった。

 今日も下着の上から彼シャツを羽織り、歓喜で身を震わせる。

 昨日よりも激しい歓喜と、自分と唇を重ねた相手の気配で、深い満足感を覚えていた。

 だがやはり、部屋の中に彼の姿を求めてしまう。そして昨日よりも強い切なさで胸を締め付けられ、少しだけ今日の行為を後悔していた。

 ――近づけば近づくほど、もっと近づきたくなるなんて。どうしたらいいの?!

 恋愛のままならさに困惑しながら、今日も由香里ゆかりはベッドに潜り込み、彼の気配が色濃く漂うシャツに抱きしめられていた。

 ――早く、早く夜が明けて! もう一度、悠人ゆうとさんとふれあいたい!

 それ以上どうしていいかわからず、今日も再び眠れぬ夜を過ごしていった。




****

 瑠那るなは動きやすい部屋着で、静かに空手の型をなぞっていた。

 ゆっくりと正確に、ただそれだけに集中して無心で身体を動かしていく。

 二時間ほどそれを繰り返した瑠那るなは、小さく息をついた。

 彼が言ったとおり、昨日よりも気分がずっと楽になった気がした。

 シャワーで汗を流した後、下着の上から彼シャツを羽織る。そこから感じる悠人ゆうとの気配で、瑠那るなは心が満ち足りていた。

 彼がいつでもそばに居て守ってくれる――そんな実感の中、ベッドに潜り込み目を閉じた。

 悠人ゆうとの居ない人生なんて、もう考えられなかった。だが彼がそばに居なくても、心が不安定になることに耐えられた。

 彼の教えが自分を支えてくれた。そのことが、彼への思いを一層強いものに変えていく。

 その日の瑠那るなは、ガラティアと同じ穏やかな顔で眠りに落ちていった。




****

 優衣ゆいもまた、下着の上から感じる悠人ゆうとの気配に身を委ねていた。

 こんなものは代替物でしかない。明日になれば、自分が彼の気配を占有する権利を持つ――気がはやって仕方がなかった。

 そんな代替物で自分の心を慰めながら、その奥底に芽生えた嫉妬の炎を自覚していた。

 ガラティアの提唱する『共有する愛』に賛同し、仲間たちとともに公正なルールを取り決めた。

 由香里ゆかりに落ち度は何一つない。だが優衣ゆい由香里ゆかりを責めたくて仕方がなかった。

 『なぜ手を出したのか』と、『なぜ皆の前で見せつけたのか』と。年長者の余裕などなくなるくらいに心が乱れていた。

 それでも公正と誠実を尊ぶ優衣ゆいの気質が、表面的には冷静な自分を取り繕わせていた。

 親しい友人に嫉妬を覚えたことに驚き、自分の醜さに落胆していた。

 だけど今度は自分の番だ。公正なルールの中で、自分は当然の権利を行使する。

 優衣ゆいは誰よりも強く悠人ゆうとを求めながら、ベッドの中で彼の気配を抱きしめていた。
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