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第3章:さぁ始めよう

16.

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「水無瀬さん、そろそろ着くよ」

 肩をゆすられ、香澄が目を覚ました。

 窓の外を見ると、古風な温泉街が目に飛び込んでくる。

 新しいビルと古い建物が混在した観光地だ。

 高台にある線路から見下ろす相模湾は、遠くて広い。

 独特の潮の香りが強く鼻を刺激する。

「熱海、来ちゃったんですねぇ」

 周囲がクスリと笑みを漏らし、荷物を手に取り始めた。

 電車はゆっくりと減速し、熱海駅へと到着した。


 草薙を先頭に十一人が熱海駅に降り立つ。

「ここから少し歩く。ついておいで」

 周囲の景色を楽しみながら、宿へに向かって歩いて行った。




****

 駅から二十分ほど歩いた古いホテル。

 そこに草薙は入っていった。

 残る十人も後に続き、ホテルに入っていく。

 外観に比べると小綺麗なエントランスを抜け、チェックインを済ませた草薙が告げる。

「男女で部屋が分かれている。
 まずは荷物を置こう」

 うなずいた一行は、エレベーターに乗って上階へと向かった。


 八階で降りた草薙から、烏頭目うずめが鍵を受け取った。

 草薙たち男性陣と分かれて香澄たちも部屋に入る。

 中は十畳くらいありそうな座敷だった。

 それぞれが床の間付近に荷物を置いて行く。

 香澄は窓辺に行き、潮騒に耳を傾けた。

 氷雨が楽しそうに香澄に告げる。

「ここからじゃ海の音は聞こえないわよー?」

「いいんです、気分なんで」

 青川が全員分の緑茶を入れて告げる。

「一息つきましょう。
 折角の旅行でせかせかと行動したくないわ」

 うなずいた女性陣が、座卓に集まってお茶を口に含む。

 香澄がおずおずと告げる。

「そういえば、みなさんも『あやかし』なんでしたっけ?」

 氷雨がクスリと笑みをこぼす。

「そうよー?
 前も言ったけど、私が『雪女』混じりねー」

 烏頭目うずめがフフンと胸を張った。

「私と湖八音こやねは『神混じり』なので、『あやかし』とは少し格が違うのです!」

 香澄がきょとんとした顔で小首をかしげた。

「神様なんですか?」

 湖八音こやねが真顔でうなずいた。

「私たちは古い神の系譜。
 祖先に神の分霊がいたと伝えられています。
 『アメノウズメ』とか、『アメノコヤネ』を聞いたことはありますか」

 香澄は素直に首を横に振った。

 烏頭目うずめががっくりと肩を落としながら告げる。

「天孫降臨で『ニニギノミコト』と一緒に地上に降りてきた神様なのです。
 一応、有名なんですけどねぇ?」

 言われてみれば、小学生辺りで習ったような覚えがあった。

 だが細かい神の名前までは覚えがない。

「その『分霊』ってなんですか?」

 青川がふぅ、と小さく息をついて応える。

「神様には『分け御霊みたま』というものがあるのよ。
 本体から分かれた分身、みたいなものね。
 私や黄原は、竜神の分霊――その子孫よ」

 花連が元気に告げる。

「そして私は『猫又』! 分霊じゃないよ!」

 香澄が戸惑いながら尋ねる。

「分身みたいなものって、どういうことなんです?」

 湖八音こやねがお茶を飲み干して応える。

「各地の神社には、本社と同じ神様を祀る分社が多く存在します。
 それぞれ本社と同じ神を祀りますが、祀っているのは分霊です。
 簡単に言えば、『自我のある分身』が分霊です」

「つまり、マスターの分身が自我を持ったら分霊になる……ってことですか?」

 湖八音こやねが黙ってうなずいた。

 烏頭目うずめがお茶を飲み干して立ち上がる。

「あまりのんびりしすぎると怒られちゃうのです!
 そろそろお昼御飯ですし、行きましょうなのです!」

 香澄たちもうなずき、立ち上がって部屋を出た。




****

 廊下で待っていた男性陣に烏頭目うずめが告げる。

「お待たせなのです!」

 草薙がにこやかに応える。

「構わんよ。慰安旅行も兼ねている。
 昼は逃げんから、のんびり行こうじゃないか」

 歩きだした草薙に続いて、十人が歩いて行く。

 香澄が晴臣に尋ねる。

「どこに行くんですか?」

「一階にある展望レストランだよ。
 ここは高い所にあるから、海が良く見えるそうだよ」

 『海』と聞いて、香澄のテンションが上がった。

 花連も楽しげに鼻歌を歌っている。

 全員でエレベーターに乗りこみ、一階のレストランへ向かった。




****

 ビュッフェタイムのレストランで席に着くと、それぞれが料理を取りに立ち上がる。

 香澄は取り皿に山盛りのローストビーフやサラダ、シーフードを持って席に戻った。

 パンを頬張りながら料理を口に運ぶ香澄を、晴臣が温かく見守っていた。

「美味しいかい?」

「ええ、とっても!
 やっぱり海の幸が新鮮ですねー」

 氷雨も刺身を口にしながら告げる。

「そりゃあ獲れたてだものー。
 漁港が近いんだから、市場も近いわよー」

 花連は静かにお茶だけを飲んでいた。

 香澄が花連に尋ねる。

「花連ちゃん、食べないの?」

「前も言ったでしょ。
 純粋な『あやかし』は食べる物がちょっと違うの。
 お茶を飲む真似くらいはできるけどね」

 良く見れば、晴臣も何も食べていない。

 眉をひそめた香澄が、寂しそうに告げる。

「同じ味を楽しめないって、もったいないですね」

 晴臣がクスリと笑った。

「そんなことはないさ。
 みんなが美味しそうに食べてる姿を楽しんでるよ。
 君たちが美味しいと思う心が、僕らの食事なんだ」

「そんなものですか……」

 やはり、人間と『あやかし』は大きく違うらしい。

 残念に思いながらも、香澄は海の幸を楽しんでいった。


 昼食が終わるとロビーに集まり、草薙が告げる。

「夕食は大座敷で和食を取ることになっている。
 それまではのんびり、温泉でも楽しもう」

 うなずいた全員がエレベーターに乗り、宿泊する部屋に戻っていった。




****

 部屋で温泉浴衣に着替え、羽織を着る。

 入浴セットを手に持ち、女子だけでエレベーターに向かう。

 指示板の通りに別館に辿り着くと、大浴場に行きついた。

 香澄たちは女湯側に移動し、脱衣所に向かった。

 棚の上の藤かごに荷物を置き、服を脱いでいく。

 すでに脱衣所の中にまで、温泉の匂いが届いていた。

 花連が「いっちばーん!」と声を上げながら浴場に入っていく。

 香澄はタオルを手に、花連を追いかけるように浴場に入った。


 檜の浴槽から窓の外を眺められる浴場は解放感に満ちていた。

 他の客は少なく、『マヨヒガ』の女子たちは固まって外を眺める。

「すごいですねぇ……きちゃったんですねぇ、熱海」

 烏頭目うずめが楽しげに声を上げる。

「熱海と言えば温泉!
 温泉と言えば熱燗!
 夕食が楽しみなのです!」

 花連は湯船につかりながら、にょっきりと二本のしっぽが突き出ている。

 その様子に、周囲は気が付いている様子もない。

「本当に誰も花連ちゃんを気にしないんですね」

 青川がくつろぎながら応える。

「『誰かが居る』とは思うらしいの。
 でも『誰が居るのか』が気にならないらしいわ。
 記憶にも残らないし、映像にも残らないんですって。
 不思議な存在よね、『あやかし』って」

 香澄がふと氷雨を見ると、顔を真っ赤にして頑張ってるようだった。

「――あ、『雪女』なんでしたっけ?」

「そうなのー。熱いのは苦手なのよねー」

 湖八音こやねが真顔で告げる。

「あちらに水風呂があります。
 無理せず、移動した方がいいかと」

「そうするわー」

 氷雨は湯船から上がり、水風呂の方に移動していた。

 香澄がぽつりと告げる。

「やっぱり、『あやかし』混じりも大変なんですね」

 烏頭目うずめが元気いっぱいに応える。

「それでも『マヨヒガ』がサポートしてくれるおかげで、かなり暮らしやすいのです!
 孤立している『あやかし』混じりは、もっと大変だと思うのです!」

 香澄が湯船を見つめてつぶやく。

「そんな場所に、人間の私が居ていいんでしょうか」

 青川が香澄の肩を抱いて告げる。

「良いに決まってるでしょ?
 あなたが『居たい』と思ったら、いつまででも居ていいの。
 それが『マヨヒガ』よ」

 香澄は黙ってうなずき、お湯で顔を洗った。
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