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第6章:聖女の使命
第57話 星空の懺悔
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私はベッドの中で、昼間情報収集した話をまとめていた。
やはり恋愛は十人十色、その姿に決まった形はないみたいだ。
私の恋愛がどんな姿をしているのか、それはいつか愛する人が出来た時にようやくわかるのかもしれない。
そして今日知った事実。アンリ兄様たち三人が、私に恋愛感情を持っているらしいということ。
前からアンリ兄様は私のことが大切だと伝えてきてたし、お嫁さんにしたいという話を聞いたりもしていた。
でもそれが恋愛感情だというのは、今日伝えられてようやく理解した事実だ。
自分の恋愛音痴ぶりに、自分でもあきれる思いだった。
『だって、相手の子供を産む気になったのよ?
女にとってこれほど大きな決心は、そうそうないんじゃないかしら』
お母さんの言葉を思い出す。
あの三人の誰かの子供を産んでもいいと、私は思えるのだろうか。
アンリ兄様の子供を産む未来――それはあの夏の日、『それも悪くないかもしれない』と思ったことがあった。
だけど本当に決心できるかといったら、まだ難しいような気もしていた。
あの日、そう思えた相手は『旅人のアンリ』であり、あの時の私は『シトラス・ガストーニュ』だ。
しがらみから逃れられない私たちに、婚姻する道があるとは思えなかった。
もしもまた、しがらみのない二人に戻れるなら、その時こそ決心がつくのかもしれない。
ファウスト伯爵令息やレナートの子供は、まだ考えたこともない。
だけど嫌悪感もないので、可能性は感じる。
あの二人のどちらかを夫とする未来も、あり得るのだろう。
――ああ、私を求めてきた人は、ダヴィデ殿下もそうか。
私に思いをまっすぐに伝えてきた人。
だけど殿下の父親はあの陛下だ。それを考えると、拒絶感が烈しく身体を襲う。
殿下の子供を産む未来は、陛下が生きている間は無理だろう。
「――ふぅ」
今日はファウスト伯爵令息やレナート相手に、悪ふざけをし過ぎた。
さすがに悪いことをしたな、という罪悪感があった。
自分の身体が高い女性的魅力を持つことを、今では自覚することが出来ている。
すくすくと育ち続ける私の身体は、この公爵家に居る女性の中でもトップクラスに育っていた。
十五歳になるまで横に伸びていくこの身体は、どんどん扱いづらくなっていくだろう。
男性は私の身体の魅力に抗えなくなり、理性がどこかへ行ってしまうらしい。
あの三人はそれを嫌がり、理性的な自分で在ろうとしてくれる。
だからそれを逆手に取り、ああやって悪ふざけを楽しむことができるのだ。
そして私は男性に対する失望も強く感じていた。
あれから二度、他家が開く夜会に参加する機会があった。
そこでは来賓として控えめなドレスで参加できたのだけれど、男子たちが私の身体に視線を吸い寄せられるのは変えられなかった。
この身体は男性から理性を奪い取る、めんどくさい身体なのだとその時に悟った。
私という女性の中身を見てくれる人なんて、ダヴィデ殿下を最後に見たことはない。
そんな人たちの子供を産んでもいいと思えるのか――『嫌だな』と、率直に思ってしまう。
見合い結婚をして、あたたかい家庭を作るのが普通の貴族の姿だ。
そんな家庭を作れる相手を見繕って、結婚してから愛を育むのだと聞いたことがある。
恋愛結婚なんて、貴族では珍しいのだとか。
私は恋愛を諦めて、信頼できる貴族令息を見つけ、そこに嫁いでいくのだろうか。
そこに私の幸福はあるのだろうか。
私はそんな相手を、愛していけるのだろうか。
考えているうちに私の意識は、ゆっくりと闇に落ちていった。
****
――ああ、またこの悪夢か。
悪意が渦巻く処刑場、ゆっくりと首を落とされる私、そして深い後悔と共に、私は目が覚める。
汗だくになりながら、私はコップに水を注いで飲み干した。
十三歳になる直前、アンリ兄様に添い寝してもらうことで悪夢を回避できていた時期もあった。
だけどもう今の私は、アンリ兄様に添い寝をしてもらうことのできない年齢だ。
叫ばずに済んだ幸運に感謝しながら、私はベッドから降りた。
聖玉は健在だ。魔神の封印は綻んでいない。
その封印を壊してしまうシュミット宰相も、もうこの世にはいない。
私の使命は果たされたはずだった。
だけど悪夢が、『そんな未来を回避しろ』と強く迫ってくる。
まだなにか見落としているんじゃないかと、不安が胸を焦がす。
何かできないかと考えてもわからなかった。
グレゴリオ最高司祭やお父様に相談をしても、もう大丈夫だと言われるだけだ。
彼らも私の焦燥感をなんとかしたいと思ってくれているらしい。
その方法は、まだ見つかっていない。
眠れる気がしなかった私はガウンを羽織り、静かに部屋の外へ歩いて行った。
見張りの兵士に労いの言葉を告げながら、私は内庭に出た。
ラベンダーが咲き乱れる中を、静かに歩いて行く。
内庭の真ん中で空を見上げ、夜風に身を任せた。
「また、悪夢を見たのですか」
「うん、まぁね――レナートはこんな時間に、どうしたの?」
声に応えながら振り返った。
そこにはパジャマの上に上着を羽織ったレナートの姿。
レナートは赤くなりながら私に応える。
「昼間、あなたになぶられましたからね。
眠ることが出来ずに、悶々としていました」
「ふふ、ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたわ。
あなたたちが私を害する人ではないと確信しているから、つい調子に乗ってしまうの。悪い癖ね」
私は星空を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「こんな身体でなければよかったのに」
「ないものねだりですか? 世の中にはあなたのような女性的魅力を欲する女性だっています」
「それは理解しているけれど、男性から理性をあっさり奪い取ってしまう身体なんて、私は欲しくないわ」
「それは身体だけの問題ではありません。あなたの美貌があって初めて成立するものです」
まだそれって続いてるの?
私は深いため息をついた。
「みんな私の身体に惑わされているだけよ。『年齢の割に豊満な肉体』なんてものを見て、美しいと勘違いしているだけ。
もっと冷静に私自身を見てくれないかしら」
「昼間、我々の告白も聞きましたよね?
私たちはあなたが豊満な身体になる前から、心を奪われた男たちですよ。
あなたの美貌に、その肉体は関係がないんです」
「あなたたちは、公爵令嬢や聖女という肩書に惑わされただけよ。
あの頃は『希代の聖女』ともてはやされたから、それで勘違いをしたんじゃない?」
レナートが深いため息をついた。
「まーだそれを言いますか。にぶちんもいい加減にしてください。あなたは美しいんです。
あなたが美しくないなら、あなたより美で劣る他の女性はなんだというのですか」
「それが勘違いなのよ。私の目から見て、私よりきれいな人はたくさんいるわ。
あなたたちはそれに気が付かないだけ。どうしてかしらね」
会話が途切れたので、視線をレナートに戻した。
レナートは困ったような微笑みで私を見つめていた。
「どうしたの?」
「いえ――このわからずやの娘は、どうしたら自分の魅力を理解するのかと、頭を悩ませていました」
私は微笑んで告げる。
「私には十七歳で殺されるまで、誰にも言い寄られなかった実績があるもの。
あの時は希代の聖女なんて肩書はなかった。
公爵令嬢ではあったけど、あの時は空虚な肩書だった。
農村出身のただの聖女が法衣に身を包んでいた人生では、誰も私を好きだと告げてこなかった。
男性に縁がない人生を送った実績がある以上、魅力がないのは証明済みなのよ」
レナートが困惑しながら尋ねてくる。
「何を……仰ってるんですか?」
「もう宰相も死んでしまったから、誰かに伝えても大丈夫だと思う。だから教えてあげるわね。
私は一度宰相や陛下の手によって十七歳で殺されてから、七歳の時間に巻き戻った存在なの。
聖神様から、封印されている魔神が復活する未来を阻止して欲しいってお願いされたのよ」
私はそれから、前回の人生で起こった事をかいつまんで伝えていった。
「私の悪夢の正体は、前回の人生で命を落とした瞬間の深い悔恨――聖女に何てなりたくなかったと、強く願った思い出。
人間の悪意の渦に飲み込まれ、人間なんて救う価値がないと見放し、全てを投げ捨ててしまった聖女の罪の意識。
だからきっと、私は死ぬまでこの悪夢を見続けていく。聖女である限り、ずっとね」
微笑んで語っていた私を、レナートが切なそうに見つめていた。
「……私にできることはありませんか。
あなたの苦しみを少しでもやわらげることは、私にはできないのですか」
「昼間のように悪ふざけにつきあってくれれば、それで少しは癒されるわ。
それ以上を望みはしない。望むべきでもない。これは私の罪。聖女としての罪。私が抱え続けなければならないものだもの。
私は希代の聖女なんかじゃない――世界を救うことに失敗し、人間を見捨てた落ちこぼれの聖女、それが私の正体よ。
どう? 少しは失望できた?」
レナートが私を睨み付けた。
「そんなことはない! あなたに救われた人間は大勢いる!
前回だって、きっとあなたは多くの人たちを救ってきたはずだ!
あなたは落ちこぼれなんかじゃない!」
私は苦笑を浮かべた。
「前回は世界が滅んだわ。結局誰も救う事などできなかった。それが聖神様の告げた事実。
一時の救済を与えることはできたかもしれない。けれど人は滅んでしまった。結局みんな死んでしまったの。
しかも私は死ぬ間際に、人間を見捨ててしまった。そんな人を聖女とは呼べないわ」
私は深いため息をついて、レナートに背中を見せて空を見上げた。
「――今でもね。聖女に何てなりたくなかったと思う時があるよ。
なんで自分だけこんなに苦しむんだろうって。
私に聖女なんて相応しくないんだよ。
聖神様のお願いだから、仕方なく頑張ってるだけ。
心のどこかに、人間に失望している私が居るんだ。
人間なんて救っても仕方がないって、冷たく囁く私が居る。
人の悪意に触れると、それを強く思い出しちゃう。
だから私は、社交界も貴族の世界も大嫌い」
レナートが何かを言いたそうにしている気配が伝わってくる。
でも何も言葉を見つけられないのか、苦しそうな吐息だけが聞こえてくる。
私はレナートに振り向いて微笑んだ。
「ふふ、大丈夫。もう慣れたことだもの。心配はいらないわ。
何年もこんな夜を過ごしてきた。数えきれないほど、たくさんね。
ベテランなのよ。朝になれば、いつもの私に戻れるわ。
だからレナートも私の心配なんかしないで、寝てしまいなさいな」
私はゆっくりと歩き出し、泣きそうな顔をしているレナートの横を通り過ぎて、自分の部屋へ戻っていった。
やはり恋愛は十人十色、その姿に決まった形はないみたいだ。
私の恋愛がどんな姿をしているのか、それはいつか愛する人が出来た時にようやくわかるのかもしれない。
そして今日知った事実。アンリ兄様たち三人が、私に恋愛感情を持っているらしいということ。
前からアンリ兄様は私のことが大切だと伝えてきてたし、お嫁さんにしたいという話を聞いたりもしていた。
でもそれが恋愛感情だというのは、今日伝えられてようやく理解した事実だ。
自分の恋愛音痴ぶりに、自分でもあきれる思いだった。
『だって、相手の子供を産む気になったのよ?
女にとってこれほど大きな決心は、そうそうないんじゃないかしら』
お母さんの言葉を思い出す。
あの三人の誰かの子供を産んでもいいと、私は思えるのだろうか。
アンリ兄様の子供を産む未来――それはあの夏の日、『それも悪くないかもしれない』と思ったことがあった。
だけど本当に決心できるかといったら、まだ難しいような気もしていた。
あの日、そう思えた相手は『旅人のアンリ』であり、あの時の私は『シトラス・ガストーニュ』だ。
しがらみから逃れられない私たちに、婚姻する道があるとは思えなかった。
もしもまた、しがらみのない二人に戻れるなら、その時こそ決心がつくのかもしれない。
ファウスト伯爵令息やレナートの子供は、まだ考えたこともない。
だけど嫌悪感もないので、可能性は感じる。
あの二人のどちらかを夫とする未来も、あり得るのだろう。
――ああ、私を求めてきた人は、ダヴィデ殿下もそうか。
私に思いをまっすぐに伝えてきた人。
だけど殿下の父親はあの陛下だ。それを考えると、拒絶感が烈しく身体を襲う。
殿下の子供を産む未来は、陛下が生きている間は無理だろう。
「――ふぅ」
今日はファウスト伯爵令息やレナート相手に、悪ふざけをし過ぎた。
さすがに悪いことをしたな、という罪悪感があった。
自分の身体が高い女性的魅力を持つことを、今では自覚することが出来ている。
すくすくと育ち続ける私の身体は、この公爵家に居る女性の中でもトップクラスに育っていた。
十五歳になるまで横に伸びていくこの身体は、どんどん扱いづらくなっていくだろう。
男性は私の身体の魅力に抗えなくなり、理性がどこかへ行ってしまうらしい。
あの三人はそれを嫌がり、理性的な自分で在ろうとしてくれる。
だからそれを逆手に取り、ああやって悪ふざけを楽しむことができるのだ。
そして私は男性に対する失望も強く感じていた。
あれから二度、他家が開く夜会に参加する機会があった。
そこでは来賓として控えめなドレスで参加できたのだけれど、男子たちが私の身体に視線を吸い寄せられるのは変えられなかった。
この身体は男性から理性を奪い取る、めんどくさい身体なのだとその時に悟った。
私という女性の中身を見てくれる人なんて、ダヴィデ殿下を最後に見たことはない。
そんな人たちの子供を産んでもいいと思えるのか――『嫌だな』と、率直に思ってしまう。
見合い結婚をして、あたたかい家庭を作るのが普通の貴族の姿だ。
そんな家庭を作れる相手を見繕って、結婚してから愛を育むのだと聞いたことがある。
恋愛結婚なんて、貴族では珍しいのだとか。
私は恋愛を諦めて、信頼できる貴族令息を見つけ、そこに嫁いでいくのだろうか。
そこに私の幸福はあるのだろうか。
私はそんな相手を、愛していけるのだろうか。
考えているうちに私の意識は、ゆっくりと闇に落ちていった。
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――ああ、またこの悪夢か。
悪意が渦巻く処刑場、ゆっくりと首を落とされる私、そして深い後悔と共に、私は目が覚める。
汗だくになりながら、私はコップに水を注いで飲み干した。
十三歳になる直前、アンリ兄様に添い寝してもらうことで悪夢を回避できていた時期もあった。
だけどもう今の私は、アンリ兄様に添い寝をしてもらうことのできない年齢だ。
叫ばずに済んだ幸運に感謝しながら、私はベッドから降りた。
聖玉は健在だ。魔神の封印は綻んでいない。
その封印を壊してしまうシュミット宰相も、もうこの世にはいない。
私の使命は果たされたはずだった。
だけど悪夢が、『そんな未来を回避しろ』と強く迫ってくる。
まだなにか見落としているんじゃないかと、不安が胸を焦がす。
何かできないかと考えてもわからなかった。
グレゴリオ最高司祭やお父様に相談をしても、もう大丈夫だと言われるだけだ。
彼らも私の焦燥感をなんとかしたいと思ってくれているらしい。
その方法は、まだ見つかっていない。
眠れる気がしなかった私はガウンを羽織り、静かに部屋の外へ歩いて行った。
見張りの兵士に労いの言葉を告げながら、私は内庭に出た。
ラベンダーが咲き乱れる中を、静かに歩いて行く。
内庭の真ん中で空を見上げ、夜風に身を任せた。
「また、悪夢を見たのですか」
「うん、まぁね――レナートはこんな時間に、どうしたの?」
声に応えながら振り返った。
そこにはパジャマの上に上着を羽織ったレナートの姿。
レナートは赤くなりながら私に応える。
「昼間、あなたになぶられましたからね。
眠ることが出来ずに、悶々としていました」
「ふふ、ごめんなさい。悪ふざけが過ぎたわ。
あなたたちが私を害する人ではないと確信しているから、つい調子に乗ってしまうの。悪い癖ね」
私は星空を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「こんな身体でなければよかったのに」
「ないものねだりですか? 世の中にはあなたのような女性的魅力を欲する女性だっています」
「それは理解しているけれど、男性から理性をあっさり奪い取ってしまう身体なんて、私は欲しくないわ」
「それは身体だけの問題ではありません。あなたの美貌があって初めて成立するものです」
まだそれって続いてるの?
私は深いため息をついた。
「みんな私の身体に惑わされているだけよ。『年齢の割に豊満な肉体』なんてものを見て、美しいと勘違いしているだけ。
もっと冷静に私自身を見てくれないかしら」
「昼間、我々の告白も聞きましたよね?
私たちはあなたが豊満な身体になる前から、心を奪われた男たちですよ。
あなたの美貌に、その肉体は関係がないんです」
「あなたたちは、公爵令嬢や聖女という肩書に惑わされただけよ。
あの頃は『希代の聖女』ともてはやされたから、それで勘違いをしたんじゃない?」
レナートが深いため息をついた。
「まーだそれを言いますか。にぶちんもいい加減にしてください。あなたは美しいんです。
あなたが美しくないなら、あなたより美で劣る他の女性はなんだというのですか」
「それが勘違いなのよ。私の目から見て、私よりきれいな人はたくさんいるわ。
あなたたちはそれに気が付かないだけ。どうしてかしらね」
会話が途切れたので、視線をレナートに戻した。
レナートは困ったような微笑みで私を見つめていた。
「どうしたの?」
「いえ――このわからずやの娘は、どうしたら自分の魅力を理解するのかと、頭を悩ませていました」
私は微笑んで告げる。
「私には十七歳で殺されるまで、誰にも言い寄られなかった実績があるもの。
あの時は希代の聖女なんて肩書はなかった。
公爵令嬢ではあったけど、あの時は空虚な肩書だった。
農村出身のただの聖女が法衣に身を包んでいた人生では、誰も私を好きだと告げてこなかった。
男性に縁がない人生を送った実績がある以上、魅力がないのは証明済みなのよ」
レナートが困惑しながら尋ねてくる。
「何を……仰ってるんですか?」
「もう宰相も死んでしまったから、誰かに伝えても大丈夫だと思う。だから教えてあげるわね。
私は一度宰相や陛下の手によって十七歳で殺されてから、七歳の時間に巻き戻った存在なの。
聖神様から、封印されている魔神が復活する未来を阻止して欲しいってお願いされたのよ」
私はそれから、前回の人生で起こった事をかいつまんで伝えていった。
「私の悪夢の正体は、前回の人生で命を落とした瞬間の深い悔恨――聖女に何てなりたくなかったと、強く願った思い出。
人間の悪意の渦に飲み込まれ、人間なんて救う価値がないと見放し、全てを投げ捨ててしまった聖女の罪の意識。
だからきっと、私は死ぬまでこの悪夢を見続けていく。聖女である限り、ずっとね」
微笑んで語っていた私を、レナートが切なそうに見つめていた。
「……私にできることはありませんか。
あなたの苦しみを少しでもやわらげることは、私にはできないのですか」
「昼間のように悪ふざけにつきあってくれれば、それで少しは癒されるわ。
それ以上を望みはしない。望むべきでもない。これは私の罪。聖女としての罪。私が抱え続けなければならないものだもの。
私は希代の聖女なんかじゃない――世界を救うことに失敗し、人間を見捨てた落ちこぼれの聖女、それが私の正体よ。
どう? 少しは失望できた?」
レナートが私を睨み付けた。
「そんなことはない! あなたに救われた人間は大勢いる!
前回だって、きっとあなたは多くの人たちを救ってきたはずだ!
あなたは落ちこぼれなんかじゃない!」
私は苦笑を浮かべた。
「前回は世界が滅んだわ。結局誰も救う事などできなかった。それが聖神様の告げた事実。
一時の救済を与えることはできたかもしれない。けれど人は滅んでしまった。結局みんな死んでしまったの。
しかも私は死ぬ間際に、人間を見捨ててしまった。そんな人を聖女とは呼べないわ」
私は深いため息をついて、レナートに背中を見せて空を見上げた。
「――今でもね。聖女に何てなりたくなかったと思う時があるよ。
なんで自分だけこんなに苦しむんだろうって。
私に聖女なんて相応しくないんだよ。
聖神様のお願いだから、仕方なく頑張ってるだけ。
心のどこかに、人間に失望している私が居るんだ。
人間なんて救っても仕方がないって、冷たく囁く私が居る。
人の悪意に触れると、それを強く思い出しちゃう。
だから私は、社交界も貴族の世界も大嫌い」
レナートが何かを言いたそうにしている気配が伝わってくる。
でも何も言葉を見つけられないのか、苦しそうな吐息だけが聞こえてくる。
私はレナートに振り向いて微笑んだ。
「ふふ、大丈夫。もう慣れたことだもの。心配はいらないわ。
何年もこんな夜を過ごしてきた。数えきれないほど、たくさんね。
ベテランなのよ。朝になれば、いつもの私に戻れるわ。
だからレナートも私の心配なんかしないで、寝てしまいなさいな」
私はゆっくりと歩き出し、泣きそうな顔をしているレナートの横を通り過ぎて、自分の部屋へ戻っていった。
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