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第1章:希代の聖女

第13話 エルメーテ公爵家(8)

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 アンリ兄様に案内され、私は公爵邸の中にあるティベリオ夫人――お母様の部屋の前に居た。

 アンリ兄様の手が扉をノックする。

「母上、アンリです。今よろしいでしょうか」

 中で気配がしてしばらくすると、中から侍女が扉を開けた。

「奥様は今日も体調が思わしくありません。
 あまりお時間をおかけにならないよう、ご注意ください」

 アンリ兄様が頷きながら室内に入っていった。

 私もその背を追って、入室していく。

 室内のベッドにいたのは、長いシルバーブロンドの綺麗な女性だった。

 やつれて血色が悪いけれど、それでも気品を漂わせている。

「どうしたの? アンリ。いつもは遠慮して顔を見せてくれないのに――あら、その女の子がシトラスかしら。
 こんな格好でごめんなさいね。私があなたの新しい母親になるティベリオよ。
 我が家に女の子がやって来るだなんて……ふふ、なんだか嬉しくなってしまうわね」

 力のない微笑みを浮かべるお母様に、私はカーテシーで頭を下げた。

「今日からお母様の娘になった、シトラスです。これからよろしくお願いいたします」

 顔を上げた私は、嫌な気配を感じていた――その気配に目を走らせると、薬の袋が置いてあった。

「お母様、その薬はどうやって手に入れたのですか?」

 お母様がきょとんとして私を見つめた。

「このお薬は、宮廷医師のロレコ子爵が処方してくれたものよ? それがどうしたの?」

「……まず先に、お母様に癒しを与えますね。≪慈愛の癒しセイント・ヒール≫!」

 私の全力の祈りを込めた奇跡が、お母様の身体を包み込んでいた。

 まばゆい光が収まると、お母様は呆然とするように自分の両手を見つめていた。

「これは……なにをしたの? さっきまでの苦しさが嘘のように消えてしまったわ」

 すっかり血色がよくなったお母様に、私は汗だくで応える。

「お母様の生命力を元に戻しただけですわ。
 次に――≪無垢なる妖精セイント・フェアリー≫!」

 私は薬に向かって祈りを込めた。

 薬の袋からふわりと小さな女の子が浮き上がって宙を浮いていた。

 髪色や瞳の色は違うけども、今度の女の子も私と同じ姿をしている。

「あなた、ただの薬じゃないわね? 説明できる?」

 妖精は悲しそうに私に告げる。

『私は人を癒す薬。でも人を殺してしまう薬も混じっているの。
 この人が私を飲むのを、私は黙って見守るしかなかった』

 妖精がお母様に向き直って叫ぶ

『でもこうして姿と声を与えられたのだから、是非ぜひ言わせて! もう私を飲まないで! あなたが死んでしまうわ!』

 お母様が戸惑いながら、妖精に声をかける。

「この子は何なのかしら……それに、人を殺してしまう薬ってどういうことなの?
 あなたはロレコ子爵が作ってくれた薬なのでしょう? 彼が間違えたというの?」

 妖精は悲しそうに首を横に振った。

『私には家畜を殺すための薬が少しだけ混ざっているのよ。
 そんなものを人間が飲んでしまえば、徐々に衰弱すいじゃくして死んでしまう。
 ロレコ子爵はあなたを毒殺しようとしているの!』

 私はすぐに背後で戸惑っている侍女に告げる。

「お父様を呼んできて! この事を告げて構わないわ! ロレコ子爵は宰相の手の者よ!」

 その言葉で血相を変えた侍女が、慌てて室外に駆け出していった。

 その背中を見送る私に、妖精が告げる。

『ありがとうシトラス。私の主体は人を助けるための薬。この人を殺す前に間に合って良かったわ』

「私こそお礼を言うわ。あなたの主体が毒薬の方だったら、きっとそんな真実は教えてくれなかったのでしょうね」

『ロレコ子爵は徐々に苦しめながら殺そうとしてるみたい。
 だから毒薬は人間に対して少しずつ作用するように調合されているわ』

 アンリ兄様が愕然としながら声を絞り出す。

「なぜ……そのような手間を……」

『エルメーテ公爵家の人間を長く苦しめるためよ。
 もうほとんど手遅れに近かったのだけれど、シトラスの奇跡が間に合ったわ。
 これ以上薬を飲まなければ、もう大丈夫なはずよ』

「――まさか、弟たちが病弱なのも?!」

 妖精が悲しそうに頷いた。

『彼らの薬にも、毒薬が混ぜられているわ。このままなら何年も生きられないはずよ』

 アンリ兄様があわてて振り向いて私の目を見た。

 ――何も言わなくてもわかってる。私はしっかりと頷いた。

「弟たちの部屋に案内して!」




****

 お母様の寝室に、血相を変えたお父様が駆け込んできた。

「ティベリオ! 無事か!」

「ええ、私は大丈夫――だけど」

 お母様が私を見る。

 私はすっかり力を使い切って、お母様の隣で横たわっていた。

 ≪無垢なる妖精セイント・フェアリー≫もけて、妖精は姿を消している。

「私も大丈夫です。力を使い過ぎただけですから」

 私は何とか言葉を絞り出した。でもこれ以上はしゃべるのも苦しい。
 ベッドサイドで私の手を握っていたアンリ兄様が、私の代わりに口を開く。

「先ほどまで、シトラスが聖女の奇跡で母上やコルラウト、エルベルトを治癒してくれました。
 薬には家畜殺しの毒薬が混入しているそうです。
 ロレコ子爵は敵で間違いありません」

 お父様は眉間にしわを寄せて頷いた。

「奴が毒を盛ってきているとはな……奴の調査は後で行おう。
 それより、皆が無事でよかった」

 お父様がお母様を抱きしめていた。

 お母様も、嬉しそうにお父様を抱きかえしている。

 私はその笑顔で満足しているうちに、意識が遠くなっていった。




****

「シトラス!」

 力を失ったシトラスの手を握っていたアンリが、立ち上がって叫んでいた。

 しかし寝息を立てているのに気が付いたアンリは、深い安堵あんどのため息とともに腰を下ろした。

 そのまま額をシトラスの手に預ける。

「ありがとうシトラス……本当にありがとう」

 心から絞り出すかのような感謝のつぶやきだった。

 母と弟を失う寸前だったと知らされ、十歳の少年の心は千々ちぢに乱れて混迷を極めていた。

 だがシトラスは的確に最善を尽くし、三人の大切な家族の命を救ってくれたのだ。

 シトラスの手を握りしめたまま、アンリはまじまじとシトラスの顔を見つめていた。

 その様子に、妻の無事で安心したエルメーテ公爵が、楽しそうに告げる。

「そこまで女性に見惚みとれるアンリなど、初めて見る。どうした? それほど気に入ったのか?」

 アンリが珍しく顔を真っ赤に染めて首を横に振った。

「み、見惚みとれてなどいません! 突然なにをおっしゃるのですか父上!」

 ティベリオ夫人がおかしそうに微笑んだ。

「そんな真っ赤な顔をして否定してもバレバレよ?
 ――そう、あなたの心にも春が来たのかしら。
 でも相手は義理の妹よ? アプローチをするのが大変ね」

 観念したアンリは、小さく息をついて改めてシトラスの顔を見た。

 よく見る気取った年上の貴族令嬢たちとは違う、愛嬌があって整った顔立ちだ。

 思わずその無防備な唇を奪いたくなる衝動に、少年は必死にあらがっていた。

「アンリ、寝ている淑女を襲う真似など、公爵令息ならばするなよ?」

 エルメーテ公爵のからかう言葉に、アンリが必死に反論する。

「そんなことはわかっております! ……ですが、なぜ義妹ぎまいなのでしょうか。
 これが普通の令嬢であれば、苦労する事などなかったというのに」

 ティベリオ夫人が楽しそうに告げる。

「あら、他の家の令嬢だとしても、口下手なあなたでは苦労するんじゃない?
 むしろ一緒に住める幸運を喜びなさい。
 幸い、血のつながりがない兄妹なら婚姻することは可能よ。
 でもその子は特別な聖女なのでしょう? きっと社交界で激しい争奪戦になるわね」

 アンリの片手が、寝息を立てるシトラスの頬を優しく撫でた。

「私が守り切って見せます。
 毒虫のような連中などに指一本たりともさわらせはしません。
 シトラスが私を選んでくれなくても、私はシトラスを守ります」

 エルメーテ公爵が目を細めて微笑んだ。

「お前がそこまで言うとはな。令嬢には興味がないと思っていたのだが」

「シトラスに会うまで、令嬢とはつまらない存在だと思っていました。
 ですが今日一日で、認識が全てくつがえる程の衝撃を受けたのです」

 アンリにとって、これほど可愛らしく、無邪気に笑い、柔らかい匂いがする存在は初めての経験だった。

 共に馬に乗せた時、抱きしめたくなる衝動を必死に我慢していたぐらいだ。

 社交の場で出会う令嬢たちとシトラスでは、本質から全てが違っていた。

 この無垢な存在を守る為なら、命も惜しくはないと思えたのだ。

 我が子に訪れた春を、エルメーテ公爵夫妻は温かな眼差しで見守っていた。
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